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長閑

 出張から戻った翌日、黒川から連絡が入った。娘との会食の誘いだった。


「私が同席しても良いのですか?」

「君を紹介するために会うんだから、居ないと意味がないでしょう」

 どこまでも穏やかな黒川は、スマホ越しに笑っている。

「そうでした……ね」

 鈍い自分に呆れながら、志緒は会う約束をした。

 黒川が宿泊するホテルでの会食となったのは、別れた妻と娘は東京住まいで、志緒の住まいも都内の為だった。黒川自身も上京するのが、一番都合が良かったらしい。



 会食の2日前に上京した黒川と仕事帰りに近くのコーヒーチェーンで待ち合わせた。

 都会に来たからと言って、べつだん気負う事も無く、着慣れたモノトーンの服装でコーヒーを飲んでいる姿を見つけた志緒は、意味も無く安堵した。

 いつも心の拠り所として想っている人、電話やメールで毎日話をしていても、会えるとなれば嬉しくて胸は躍る。豆乳入りのコーヒーを手に、スーツ姿で近づいた志緒に気が付いた黒川は、目を細めて笑顔を見せた。志緒も自然と笑顔になる。


「スーツ姿が凄く新鮮だ」

「直人さんはいつもの『黒』だけど、久しぶりなので、私の目にも新鮮です」

「僕も新鮮? 散髪をしたからだろうか?」

 そう言われてみれば、短めの髪型が少し都会的になっているかもしれない。しげしげと見つめる志緒を、黒川がまた低く籠った声で笑う。

 こういう穏やかな時間が好きだ。と志緒は思う。

 仕事でささくれ立った神経を癒してくれる、黒川の静かな雰囲気にひどく惹かれるのだ。だれにでもそう言う雰囲気で接するのだろうか? それなら、誰もがこの人を好きになってしまう。そう思って、嫉妬の様な感情が浮かんでくる。

 どうも……あの雑誌を見てから、志緒は少しだけおかしいのだ。小さな、小さな爪の先ほどの『嫌な感じ』がまだ燻っていて、頭から消えてはくれない。

 ずいぶんと自分は嫉妬深い、浅ましい人間になったものだと思う。


 そんな志緒の内心を知らない黒川は、食事をどこにしようかと会話を続けていた。結局、志緒が同僚に教えてもらった日本料理店に二人は向い、美味しい料理と少しのお酒を楽しんだ。

 食事の合間に雑誌の話になり、志緒は意外な事を聞いた。あの雑誌に黒川と一緒に登場していたスタイリストの事だ。

「実は、彼女は元妻の妹なんだ」

 仕事での付き合いに限りだが、スタイリストとの交流は有ると言う。雑誌では親しい友人と記されてあったが、それほどの付き合いでは無いらしい。

 突然電話で雑誌に掲載したいと言われて、押しの強さに断り切れなかったと言う事だった。


「ああ言うのはもうコリゴリだよ、一回で懲りた」

「ビックリしました。雑誌を開いたら直人さんがいて……本当に驚きました」

「まさか見つかるとは、君からのラインを見た時にはドキッとしたよ。なんだか悪戯を見つけられて叱られた気がした」

「そんな……」

 そうして黒川の顔をみれば、苦笑している。きっと自分のあの『嫌な感じ』は気のせいなのだろう。志緒は、自分の『女の勘』とやらはさっさと忘れてしまおう……そう思った。


 食事を終えて夜の街に出てみれば、まだ21時だ。触れた手をさりげなく握られ、志緒の頬は仄かに染まる。離れ難くて、このままずっと歩いて居たい。

 黒川は結婚を約束した相手で、何ら憚る事も無いのだが、娘との会食が無事終わらない事には落ち着かない気持ちでは有る。

 そんな事を、つらつらと考えていた志緒の手を握ったままの黒川が、装飾の美しいホテルの前で足を止めた。

「部屋はここにとってあるんだ。でも僕は君の部屋に行きたい」




 電車に乗り、志緒の住まいに辿り着くまでずっと手は繋がれたまま。いい大人なのに……と慣れていない志緒は少し恥ずかしい。学生時代でさえそんな経験が無かったから、こそばゆくて少し嬉しい。32歳にして初の『恋人つなぎ』だ。

 守られている。そんな気にさえなって来るから不思議だ。自分は黒川に恋をしているのだと志緒は思う。

 部屋に入ると黒川は物珍しそうに室内を見渡した。その内、棚やチェストの上に飾っている小物を興味深く眺めはじめる。お茶を淹れ、二人ダイニングテーブルに差し向かいで腰をかけた……


「結婚したら、僕の元に来てくれるだろうか?」

 改めての申し出に、志緒はコクンと頷いた。

 もとよりそのつもりでいた。会社を辞めるのは正直残念ではある。これまで育ててくれた上司に辞職の相談をするのは辛い。黒川の元に行っても、何かしら仕事は続けて行きたいので、商品デザインに関わる仕事など、ネットを使って出来ないものかと模索をしていた。

 ただ、収入は減るだろうし、黒川に経済的に寄り掛かりすぎるのはどうなのだろう? とは思っていた。それを率直に話すと、黒川は少し困った表情を浮かべた。


「僕たちは夫婦になるんだよ? 志緒を養うくらいの力はあると思う。なんなら去年の年収を言おうか?」

 焦った志緒は、頬を染め黒川に謝った。


「ちっ、違うんです。ごめんなさい」


「うん、分かっているよ。あんまり他人行儀だからちょっと寂しくて、志緒を揶揄ってみたんだ」

「えっ?」


 ……山の生活に慣れたら、追々自分のペースで仕事を探していけば良い。打ち込めるものが無いと、人は生きて行けないからね。

 ましてや志緒は、もしかしなくても生真面目で『仕事』が好きな人なんだから。


 そういって、黒川は微笑んだ。




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