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再会

 梅の一件の後も、志緒の心はジワジワと浮き立っていた。桜がとっくに終わり日に日に過ごしやすくなってきた頃、彫刻家の個展の知らせが届いた。そこは志緒の住む町からそう離れていない城下町だった。


『僕は初日と最終日には確実に会場に居る予定です、来てください、お会いしたい』

 招待状の隅に書かれた率直な言葉に、不意をつかれた志緒はしばらく文字を見つめていた。

 その日は珍しくゆったりと出来る三連休の朝で、夏服のコットンやリネンの手入れをしていた所だった。ちょうど手にしていた薄いコットンブラウスの繊細なピンタックを撫でながら『何を着て行こうか?』と考えた。

 そして、初めて会った夏や、雪に埋もれながらたどり着いた冬の何倍も胸が高鳴るのを止める事が出来なかった。


 

 個展最終日の前日、志緒は会場に足を踏み入れた。もちろん最終日も訪ねるつもりだが、今日はゆっくりと一人で作品を眺めたかったのだ。

 仕事ではキッチリとしたスーツを身に着けるが、プライベートでは体を締め付けない天然素材を好む。仕事の自分とプライベートの自分は全く違う人間だと思っているクチだ。

 頑張った装いにならない様にと、フレンチスリーブのブラウスにソフトプリーツスカートを選んだ。素材はコットンリネンで色は淡い水色だ。髪型は後ろの低い位置で1つにまとめたいつものスタイル。オシャレでは無いが涼しげには見えるだろう。黒川に会う時、自然な自分で居たいと思ったのだ。それでも……せめてもの女心か、小さな芥子粒ピアスで自分を飾った。


 方向音痴とは言わないが、地図を見るのが苦手な志緒にも目当てのギャラリーは直ぐに分かった。古い郵便局だったと言うクラシックな建物は雰囲気が良く、何人かセンスの良い服装の男女が出入りをしていた。

 小さな看板には『黒川直人くろかわ なおと 個展』と、シンプルな字体で書かれて有った。

 ホッと小さな息を吐いてギャラリーのドアを押す。適度な空調が心地よく、静かな音楽が流れる会場には沢山の客が居た。

 そう言えば去年の個展も夏だった、と志緒は思った。あの時の感動を思い出しながら志緒はゆっくりと会場を回った。

 穏やかな人物の彫刻が数点、やはり素敵だと桜色のため息をつきながら先を進むと、鳥や動物の作品が待っていた。

 古木から生まれた片翼の鳥の表情はどこまでも静かだ。鳥の隣にはドングリを抱えたリスがちょこんと立っている。

『リス!』と胸に手をあてて思わず飛び上がった。これはアトリエに飛び込んだリスがモデルに違いない。悪戯そうな大きな瞳を空に向け、でもしっかりドングリを抱えて。その小さな彫像はこっそり持ち帰りたいほど可愛かった。


 リスで一気に上がったテンションのまま進むと、会場の一番奥まった場所に静かに佇む女性の像が有った。背をスッと伸ばし前方を静かな表情で見つめる姿は美しく、神々しくさえ見えた。

 祈りの為の像が自宅にあるにも関わらず、この女性像も欲しいと思った。しかし……『非売』と記したカードが有る為買う事が出来ない。いやいや贅沢は止そうと志緒は諦めた。

 それでも志緒は像から離れ難かった、何時までも眺めていたいのだ。だからずいぶん長い事会場に居たのだろう、受付の女性が志緒に声を掛けて来た。

「あの……」

 思わず後ずさった志緒は焦って詫びを言った。

「すみません、長く居すぎちゃいました。ごめんなさい」

 踵を反そうとした志緒に、女性は慌てて手を伸ばした。

「いいえ違うんです。あちらを……」

 そう言って受付の方向に目を向けた。女性の視線を追った志緒は、居るはずの無い人を目にして小さく声を上げた。


 明日会場に来るはずの黒川が、入り口で大勢の人に囲まれて立っていたのだ。今日も灰色一色のその人は、志緒を見て淡く微笑んだ。

 直接彼と会うのはこれが三度目、始めては去年の夏、個展の会場で。二度目は雪深い森で、そして今、彼は寛いで輪の中心に立っている。

『嬉しい』

 そう思った途端、心臓が大袈裟に騒ぎ出した。

 頬が熱いのは何故だろう? いい大人なのだからこういう反応はやめなければ……そう思うのだが熱が冷めない。

「黒川が『用事が終わるまで会場から消えてしまわない様に』と伝言を……」

「あっ、はいわかりました」

「ではごゆっくりどうぞ」

 そう言って女性は仕事に戻って行った。


 では、もっとゆっくり見ていても良いのだ。嬉しい事だと志緒はまた初めから見て回る事にした。


 一巡してリスの前に戻った頃、背後に人の気配を感じた志緒は顔を上げた。

「コイツの所為で、僕の木の実コレクションは底をつきました」

 ぼやいている割には嬉しそうに微笑む瞳を見つめ返した志緒は言葉を返した。


「……それならば、私からプレゼントがあります」



 誘われた食事は地元の鮨店だった。

 食事の際にお互いのホテルが同じだと知った二人は今、そのラウンジに居る。

「何故前日に?」

 短いセリフでも彼の言いたい事は理解できる。雪中での再会と文通で訓練は出来ていた。

「ゆっくりと心を落ち着けて作品を眺めたかったんです」

 志緒の返事に黒川は何故か微笑んだ。

「落ち着かないのですか?」

「……今は落ち着きました。その……作品を見るドキドキと黒川さんに再会するドキドキとの相乗効果は大きいので、刺激を分散するつもりでした」

 すっかり素の志緒は、生真面目な表情で気持ちを伝えた。黒川に会う時は自分を偽りたくない。

 長年胸に巣食っていた自分の『罪』をいとも簡単に払拭してくれた人だ。彼の『おかげ』で、志緒は自分を許す事を覚えた、

 そう……ずいぶんと生きやすくなっていたのだ。


 アルコールの力を借りた志緒は、ますます素直になって黒川にこう言った。

「黒川さんと、あの像のおかげです。私は堂々と生きていて良いんだと。それに毎日を楽しんでも良いんだと、当たり前の事に気が付いたんです……あの、」


 志緒が見上げて目にした瞳は、何故か熱っぽかった。

 かつて、忘れるほど昔にそんな瞳を見たかもしれない。志緒は記憶を呼び戻そうとしていた。高校の卒業の日、裏庭で告白してくれたあのサラサラ前髪の彼は何んと言う名前だったか? 


「すき……」

「え?」

 志緒の言葉に黒川が直ぐに反応した。

「好きっていわれたんです、そんな目をした同級生に」

「昔話?」

「はい、遠距離になるけど付き合って欲しいって」

「それで?」

「断りました。遠距離は無理だし、私はアナタが思う様な人間じゃないですって、多分そんな感じで」

「その時『はい』って答えてたら、貴女は今ここには居ないかもしれませんね」

「イエイエ、そんな真剣な物では無いです。高校生の告白ですもの」


「僕は高校時代の彼女と結婚寸前までいきましたけど?」

「……」


 押し黙った志緒を横目で見た黒川は楽し気に笑った。

「僕の目が常盤さんを好きだと言っている?」

 志緒の瞳を放さずに黒川は言葉を重ねた。

「そう見えたんでしょう? ハズレじゃないです」

「え?」

「可笑しいですか? 好きだと感じるのは」


「おかしく、ないです」

「それは良かった……常盤さん、僕の部屋に行きませんか?」


 ラウンジを出て乗込んだエレベーターの中で、若干緊張した志緒はさながら小動物の様だ。しかし恋愛の経験値は少ないが社会人としても経験は積んでいる。混乱した頭でもプレゼントの事は思い出した。

「あの、私の部屋に寄ってからでいいですか?」


 廊下で待つ黒川の元に、紙袋を下げで志緒は戻ってきた。再びエレベーターに乗り目指す階に向かう。志緒の部屋より上等なそれは、ベッドルームを別室に設えた部屋だった。


「かけててください、お茶をいれます」

 窓の向きもそれぞれ違うのか、夜景がやけに綺麗で、志緒は立ったまま窓の外を眺めていた。カップ&ソーサを置く音で、窓から目を離した志緒は腰を掛けた。

 黒川が淹れた紅茶は香り高くとても美味だった。なんだか懐かしい気がして首を傾げた。

「これ……ご自宅で頂いた紅茶に似ています」

「わかりました? 家からの持ち込みなんですよ」

「あの時は地獄から生還したくらいの勢いでしたから、かなり五感が敏感になっていたのかも。美味しかったので鮮明に覚えています」


 紅茶を飲み干して、沈黙から逃れる手段を失った志緒は持ち込んだ袋から箱を取り出した。

「これ……私からのプレゼントです。とは言っても全然良いのものでは無くて……」

 志緒から渡された白い箱を黒川はしげしげと見つめた。

「白いペンキを塗っている……開けても?」

「はい、安全な塗料を使っています……って、そこ?」

 フフと笑いながら箱を開けた黒川の笑顔は、中身を見て増々深まった。


 箱の中は12に区切られ、それぞれに小さなシールが貼ってある。シールには日付と地名が記されており、中には様々な種類と形の木の実がビッシリと並んでいた。

ドングリ、クヌギ、トチの実、椿の種も有る。

「これを、あの小さな悪魔に?」

「黒川さんが選別して、残ったものはリス君に上げて欲しいと思いまして。大切なコレクション底をついたんでしょう?」

「まさか、こんなプレゼントを貰うとは思ってもいませんでした。嬉しいなぁ……」

「本当ですか?」

「常盤さんには最初から驚かされてばかりだ」

「ごめんなさい。驚かせついでにもう一つ良いですか?」

「はい?」

「私、黒川さんが好きです。私こそ変ですよね、初めて会った時から好きだったのかもしれないなんて」


 言ってしまった。

 もう後戻りは出来ない。




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