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晴朗


『黒川様、先日はありがとうございました。あの後無事にご自宅に戻られたでしょうか? おかげさまで私は道の駅の宿に一泊出来、黒川様お勧めの露天風呂を楽しみました。滑らかで優しいお湯は冷え切った私には嬉しいプレゼントでした。それにしても、あんな酷い雪の日に押し掛けた私を快くお迎えくださった事、その上お見送りまでして下さった事、ありがとうございました。後に思い返せば申し訳なくも恥ずかしい思いで一杯になります……」



『常盤さん、あの露天風呂は泉質が良いのだそうです(効能は知りませんが)僕もたまにフラリと立ち寄ったりします。先日は雪の強行軍でしたが、宿泊後も無事に帰宅できたようで安心しました。 実はあの後工房に意外な来客がありました……

 寒さに耐えかねたのかリスが工房に飛び込んで来たのです。深夜の作業の合間にふと窓を開けた途端の出来事でした……』


 ポストで発見して心躍らせながら開いた彫刻家からの返信を、自宅で一度読んでいるにも関わらず、立ち寄ったカフェで二度読みした志緒は、また同じ所でクスリと笑った。


『追い出しても舞い戻ってくるリスをどうする事も出来ず、もう僕は諦めて工房で飼っているのです。おまけにコレクションしていた木の実を与える始末……』



 いい大人の二人の、大昔の中学生の様な雰囲気で始まった文通は、季節が変わっても終わる事は無かった。何度も交わされる手紙をいつしか志緒は心待ちにしていた。


 彫刻家が自分と同じく木の実を収集していたと言う事実が嬉しくて、自分が仕舞ってあるコレクションを取り出してはつくづく眺めたりもしていた。

 それは、菓子箱だった桐箱に入れた木の葉や実であったり、部屋に設えた棚に並んだガラス瓶であったりした。

 ガラス瓶の中には散歩や出張の度に拾った石やシーグラス、浜に打ち上げられた珊瑚の欠片など自然からの贈り物がビッシリと入っている。彫刻家のコレクションが無くなれば自分が集めたドングリを送ろうかと本気で考えたほど。


 そして、念願の聖母の様に美しい像は、毎夜志緒の寝床の隣にいる。眠りにつく前、心の中で亡き人の名前を呼び『今日も元気で過ごせましたありがとう』と声を掛ける。そして灯りを消すのだ。

 しんどく辛い事が有った日には、

「どうしたものでしょうかね?」と尋ねてもみる。答えは無いが、その穏やかな表情を眺めていると自然と心が安らぐのだった。


 そして、いつしか志緒は長年の哀しみの訳を彫刻家への手紙に綴っていた。


『事の発端は重い病気で入院している姉に付き添っていた母親の疲労で、正月くらい休ませてやりたいと言う父親の願いに高校生だった私は頷くしか無かったのです……


 志緒は高校三年で、姉は21歳だった。姉は長い間重い腎臓の病気を患い、その頃は透析を行うまでに悪化していた。付き添うつもりで病院を訪ねたのは大みそかの夜で、志緒は浮かない気分で待ちかねていた母親と交代をしたのだった。

 水を取って、暑い、寒い、トイレに行きたい、そのチョコの欠片を少し頂戴。要求は多く、志緒は休む間も無かった。

 看病や付き添いを母親に任せっきりで楽をしていた志緒は、18歳なのにまだまだ子供で、早々に姉への怒りを爆発させた。

『もう無理、お姉ちゃん我儘すぎる。それにいつもお母さんを独り占めして! 私がどれだけ我慢しているか知らないでしょ! もう私帰る』

『そんな……』

『お姉ちゃん全然元気じゃん、一人で寝れるよ』

『志緒ちゃん居てちょうだい、私寂しいのよ』

『……はぁ? 寂しいって、子供?』


 子供の様にシクシクと泣く姉を振り切って帰ったその翌朝……容態が急変して、姉はあっけなく天に召された。

 どうしてお姉ちゃんだけ大事にされるの?

 お姉ちゃんは甘えているのよ!

 酷いことを言ってしまった。それを謝る機会を志緒に与える事もせず姉は消えてしまった。中学生の頃から病弱で、高校を卒業する頃には通学もままならなくなるほど容態が悪くなっていた姉。哀れだと、両親は最高のものを与え大切に育てた。両親の思いは常に姉の元に有った。

 それを羨んだ志緒は、心無い言葉を吐いて姉を一人ぼっちにして死なせてしまったのだ。

 翌日には少し拗ねた顔で病室を訪ねるつもりだった。我儘な姉を少し懲らしめる……そんな気持ちだったのに……結局自分の取った行動は取り返しのつかない結果を呼び、志緒は強烈な罪の意識と悲しみの底に沈んで行った。

 

 姉を失った両親は、喧嘩をして自宅に戻った志緒を責める事は無かった。

「お前も辛かったんだろう」と逆に慰められる。それが辛かった。叱ってくれたら少しは気が楽になっていたかもしれないのに……


『黒川さんの聖母を見た時、姉の面影を見つけたのです。どうしても欲しくなりました、側に置いて姉の魂を慰めたかったのです』


 その手紙を送った後、志緒はまた手紙を書いた。

『個人的な想いを書きすぎました。暗く重い内情を書いてしまい申し訳ないと後で悔やんでいます、ごめんなさい……お詫び申し上げます』


 しかし数日後返って来た手紙には、

『謝る必要は一ミリもありません。僕は全くもって不快では無かったし、逆に胸に何んとも言えない温かいものを頂きました。僕の作品が常盤さんを少しでも癒す事が出来るのならこんなに嬉しい事はありません。

 悲しい過去も常盤さんを理解する大きな要素です、大切な話を書いてくださってありがとう。

 ……もちろん今の貴女は分かっていらっしゃると思いますが、貴女は悪くない。お姉さまのご病気や寿命は運命だったとしか言いようがありません。お怒りを覚悟で書いてしまえば……貴女はご自身の過去の行動をかなり罪深く考えすぎです。高校生の貴女の反応はしごく当たり前の事だったと思いますし、お姉さまもご理解されていたのではないでしょうか? 驕った言い方かもしれませんが仕方が無いのです、ただの姉妹喧嘩だったのですから……』



 姉妹喧嘩

 その四文字を目にした志緒は何故か衝撃を受けていた。言葉が腑に落ちた後、スッと心が軽くなって行くのを感じた。

 黒川の手紙を、読んだ後そっと胸に抱いた志緒は、何年も暗いしこりの様に胸に巣食っていた悲しみや蟠りが確実に軽くなったのを感じた。そして涙がゆっくりと時間をかけてそれを洗い流していった。

 

 その後も彫刻家と志緒との文通は続いた。


『黒川さん、昨日帰宅途中に梅の香りを嗅ぎました。

 仕事疲れでぼんやりと歩いていたら急に甘い香りが躰に入って来て、半眼だった眼がぱっちりと覚めました。何でしょうか……あの心躍る香りは? あぁと思うのです、あれが春の香りなんですね。春とはなんと甘く美しいものなのでしょうか? どうして私は今までその事に気が行かなかったのでしょう? 不思議です。お手紙を読んだ夜から私は生まれ変わった様な心持です。……

 ……黒川さん、忘れていました。リスはどう過ごしていますか? もう森へ戻ってしまったのでしょうか?……』


『それを感じる準備が出来たと言う事では無いですか? 春は常盤さんの元に毎年やって来ていて梅の花は同じところで毎年咲いていたのに、今までは気が付く事が出来なかったのですね。もしかして今年の夏や秋、冬にも新しい発見や体験に出会えるのではないでしょうか……素晴らしいですね、楽しみだと思いませんか?……追伸、リスの食欲はとどまる事を知らず、僕はエサを探して森を駆け巡っています。りすは楽を覚えてしまった……』


 黒川の手紙は、確実に志緒の毎日を変えた。

 彼に出会うまでだってそれなりに楽しく過ごしていたはずなのに、変だ。おかしい……と志緒は思う。これまで志緒が心の中で毎日問いかけていたのは亡き姉で、『私はこれでいいかしら?』『私は間違っていない?』と、いつも姉と居たのだ。

 それが今は、事有るごとに心の中で問いかけるのは黒川で、それも手紙調だというのか少し笑える。



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