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赤い命綱

 ザッザッザッッッ…

 雪道を踏みしめる自分の足音と、降り続ける雪の重い音しか聞こえない。今が何時なのか、昼なのか夕方なのかもわからない。ただ雪に埋もれた道を目印を頼りに進むだけ、林の中を……

 

 地面など見当たらない雪の中、地と空の境界はとっくに溶けて、足元は柔らかい雪に埋もれてしまう。まるで重力が半分しかないみたいな雪のじゅうたんを踏みしめるのは赤い長靴。おまけに空からは湿った大量のボタン雪が次から次へと降りて来る。

 そんなに急いで落ちてこなくても良いのに、もっと空中そらを舞いたいだろうにと志緒しおは思った。


 淡いグレーと白と黒、緑なんかどこにも無い。色彩は目印の赤い紐だけ。


『慣れない人には車は無理だよ、歩きの方が林を抜けるしマシだね……赤い紐が括りつけてあるから、昼間なら迷う事は無いハズだ。あんた長靴は?』

 道の駅で彫刻家のアトリエまでの道を教えてくれた男性は、心配そうな表情だった。

『お気をつけて』

 マグカップに飲み物を淹れてくれたコーヒースタンドの女性は重ねて言った。

『どうして今日なんでしょうね?こんな大雪の中』

 

『約束ですから』

 そう言ってコーヒーを受け取った志緒は、微かに笑って店を出た。



 彼に出会ったのは去年の夏、街中の小さなギャラリーだった。

 駅前に貼っていた展示会のポスター、その写真の、特に木彫りの女性の表情に惹かれた志緒は、何も知らない彫刻家の展示会場に足を踏み入れたのだった。


 室内なかは、空調が程よく効いて、流れる汗が次第に引いていくのが嬉しかった。それでも額に残る汗をハンカチで押さえながら志緒は、周りに合わせて作品を見て回った。


 古い教会の様な、真っ白い空間にその作品たちは居た。

 流木を使って彫り上げられた天を仰ぐ女性、その小さな手はしっかりと握り締められていて、その瞳はまっすぐに遠い空を射抜いていた。


 会場には、10人ほどの男女が、ゆっくりとゆっくりと作品を見ている。まるで柔らかい川の流れの様に見えるほど……

 志緒もゆっくりと見て回る。所々値段が外されているのは売約済なのだろうか?


 もがれた羽、枯野に立つオオカミ、うずくまるキツネ……どれも志緒の胸を打った。

 そして、人の波に合わせてたどり着いた一番奥に、それは有った。膝をつき、ベールを被り目を閉じた女性の像、30cmほどのその作品には値段が付いていなかった。

 売約済なのを残念だと思い、しばらくそこに佇み見つめていた。まるで自分の代りに祈ってくれているかの様なその姿から目が離せなかった。


 母の様な、それでいて幼子の様にも見えるその姿を連れ帰れたらどんなに……そう思ったら目の奥が熱くなり、鼻がツン……と痛くなった。

『いけない』その時、涙を止める為に目を見開いた志緒のすぐ横のドアから、一人の男性が出て来た。まるで隠し扉から抜け出て来た様に静かにひっそりと。驚いて顔を上げた志緒と男性との目が合った。

 夏なのに何故か長袖のサマーセーターと踝丈の細身のパンツ、濃いグレー尽くめの姿には何故か存在感が有った。志緒にはその人が、彫刻家本人では無いかと思えた。


 1、2、3秒、見つめ合った後、微かに会釈をして会場を横切った男性を志緒は何時までも見送っていた。


 思う存分作品を見て回り出入り口に向かうと、そこには人だかりが出来ていた。その真ん中にいる、雰囲気の有る背の高い人影は先ほどの男性で、やはり彫刻家本人だったかと納得した。

 名残惜しかったが、いつまで見回ってもあの作品が手に入るわけでは無し、志緒は受付の女性にパンフレットを貰うと会場を後にした。

 近くのカフェにたどり着くと、スマホで彫刻家の検索をした。

 判った事は……彫刻家が美術館に置くようなものを作りたいとは思っていない事。人に寄り添う小品を『その人の為に』作っていきたいと考えている事を知った。

 彼の作品のファンは多く、各地で展示会をしている事も知った。そして住まいが人里離れた四国の山の中だと言う事も。

 どうしてもと願う人の為に、時間はかかるが特別に作品の受注もしている事も知った。



 一時間後、再びギャラリーに舞い戻った志緒は、思い切って受付の女性に声を掛けた。

「あの……若い女性の像を作って頂けないでしょうか?」

 唐突な申し出に驚いた女性に志緒は言葉を続けた。

「突然で申し訳ありません、あの……決して揶揄い半分では無くて本当に欲しいと思ったんです」

「ありがとうございます。あの、どういったモノをご希望ですか?」

「奥の聖母の様な像が凄く素敵だと思いました。毎日眺めていられたら……と。でも……」

 熱に浮かれた様に訴える。

「でも?」

「もうすこし若い雰囲気の像が欲しいと思っています。年齢的には20歳前後の女性を」

 我儘な願いに呆れられるかもしれない。そう思ったが、もう引き返す事は出来なかった。

「わかりました、彫刻家に連絡致します」


 志緒は受付の女性に連絡先を渡し会場を後にした。

 

 彫刻家からの連絡は次の週の土曜日で、ちょうど遅い朝食の為にコーヒーを淹れた直後で、快諾の連絡だった。


 まさか現実になるとは……実は半信半疑だったのだ。

 気が向かなければ受けないとネットでは書かれていた、気難しい彫刻家だとも書かれていた、その本人が制作を承諾してくれた。


「嬉しい……宜しくお願いします。どこへでも受け取りに伺います」


 確かにその時志緒は言ったのだった。




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