人形遣い(後編)
「まぁーったく、人使いが荒いのよネ! アタシをわざわざ黒檀都市から呼びつけるなんて、どうかしてるわヨ!」
薹がたった商売女のような口調の男が、気炎を上げている。
戦勝門から程近い、宿屋の一室。
もはや白衣とは言い難いほどに装飾過多な白衣。どぎつい色彩の厚化粧。
それが、闇医者ドリアンだった。
ドリアンは葡萄酒を飲み干して、杯の底で卓を叩く。その勢いで燭台の炎が揺れた。
「この貸しは高くつくわヨ、エリック?」
エリックは感情のない視線が珍奇な人物をぴたりと捉えて離さないのを見て、「爪」に紹介した。
「安心しろ。こいつは黒檀都市で闇医者をやっているドリアン」
そして「こう見えても人間だ」と付け加える。
「なんとなく、そうじゃないかと思っていた」
「なんでちょっと疑ってるのヨ! そこは確信しなさいヨ!」
ドリアンが鉄仮面に食ってかかるが、暗殺者は動じない。
「聞いてた通り、可愛い顔して冷酷なのネェ」
「送っておいた資料には目を通したか?」
「読んだわヨ。帝国の暗示医療考察も、ナサニエル先生が裏社会に潜る前に発表した論文もネ。もう、沢山あって大変だったのヨゥ!」
闇医者は不機嫌を隠しもしない。
「すまん。恩に着る」
「幹部会の口添えがなかったら、誰がやるもんですかネ」
今から試みるのは、暗示の解除である。
天才医師ナサニエルが生み出した感情なき暗殺者、鉄仮面。
その鉄仮面にナサニエル本人を暗殺させるにあたり、どうしても確認しておかなければならない事があったからだ。
それは、「保険」の有無。
抜け目ないあの男が、自分の刃物で手を切るような愚を犯すだろうか。
それは無い──というのが、幹部会の見解だった。
ならば、仕掛けられた保険を解除しなければ爪を暗殺には使えない。
黒檀都市から呼びつけられた闇医者ドリアンが宿屋で待機させられていたのは、まさにそのためであった。
「悪いけど、失敗しても文句言わないでよネ。アタシが先生の助手だったのは、ずーっと前の話なんだから」
帝国や大陸全土を含めても、暗示療法について最も詳しい権威は、今や確実にナサニエルだとドリアンは主張する。
「あの天才が複雑に設計した暗示をすべて解除するのは、アタシには無理。いいえ、先生自身にだってたぶん無理だと思うワ。だから、アタシが解除するのは一つだけ」
爪ちゃんが「できない」と思い込まされている暗示だけよ──と言って闇医者は片目を瞑って見せた。
ドリアンは爪を椅子に座らせて、卓を挟んで向かい合った。
ナサニエルがそうしたように、蝋燭の炎を凝視させる。
「これから爪ちゃんは、少しずつ昔の事を思い出すワ。今日の事、昨日の事、先月の事、去年の事。思い出した事を、なんでも話してみて頂戴ネ」
暗殺者は炎を見つめたまま、断片的に語り出す。
どんな人間を殺したか。どんな味の薬を飲まされたか。頭骨に剣鉈をめり込ませた時、手に残る感触はどんなか。
話は次第に昔へ遡り、やがてついにナサニエルと出会った頃の話に行き着いた。
故郷の村が戦火で焼け落ち、連れて来られた先に居たのがナサニエルだった事。
そして初対面の医師に蝋燭の炎を見せられて、最初に命令されたのが──。
話がそこまで進んだ時、身じろぎもせず炎を見ていた鉄仮面の両手が、徐に動いた。
爪はごく自然な動きで腰のベルトから剣鉈を掴むと、そこから急加速してドリアンを襲う。
ガチィン!
部屋の中に金属音が響き、二本の剣鉈は二本の短剣で受け止められていた。
短剣の峰は櫛状に欠いてあり、その凹凸が剣鉈をがっちりと咥え込んで離さない。
この特殊な武器は、名を「剣折り」と言う。
エリックが「剣折り」の二つ名で呼ばれる所以だった。
「丁度いいワ。エリック、あんたちょっとそのまま押さえてなさい!」
右の側頭部と左の首筋から薄く血を滲ませながら、ドリアンが笑う。
「さすが先生ネ。暗示を解除しようとすると自動攻撃する仕掛けとは恐れ入ったワ」
「どうでもいいから急いでくれ! 凄え力だ!」
やれやれ、だらしない男だワ──と吐き捨てて闇医者は続ける。
「それで、初めて会ったお医者さんに何て言われたのかナ?」
「先生は……私、なさにえるヲ攻撃デキナイ……って言った……」
「あらそう。じゃあ、そんな命令は忘れちゃいましょうネ。これから私が三つ数えて蝋燭の炎を吹き消したら、あなたは何の抵抗もなくナサニエルを攻撃できるワ」
いち。に。さん。
フッ。
炎が吹き消され、室内に静寂が訪れた。
* * *
犯罪組織「謝肉祭」の幹部であり「人形遣い」の二つ名を持つ天才医師ナサニエルは、理解できないといった表情で盗賊を睨めつけた。
「任務を放棄して一人で帰って来るとは、いったいどういう了見かね。説明してもらうぞ、エリック」
「いえ、何と説明したものか。放棄したわけではなくてですね、まだ途中と言ったらいいのかな……」
盗賊は幹部会から預かった書き付けを取り出し、読み上げる。
カノーヴィル公爵。バルビローリ商会。マティアス大司教。レックス傭兵団。ダウズウェル将軍。
「これらの名前に聞き覚えはありませんかね、先生?」
天才医師の不健康そうな顔色が変わった。
「知っていたのか。君はとんだ食わせ者だな。まあ、いずれ知られるとは思っていた。知られた所で、私を害するような力など幹部会は持ち合わせていないしな。謝肉祭と袂を分かつ時が来たようだ」
「売った先がカノーヴィル公爵だけなら酌量されたかもしれませんね、以前の出資者だから義理も立つ。でも、他はいけませんぜ。中でもダウズウェル将軍なんか、北方連合の重鎮だ。そんな所に鉄仮面を売るなんて、あんた、王国にいつまでも戦争を続けさせる気かい?」
「盗賊風情が道義を語るか。これは私の研究が世界を変革する、壮大な実験なのだよ。子供達よ、行け。行ってそいつを殺せ!」
十数人の暗殺者たちが、一斉にエリックを襲う。
「踏ん張れよ、俺。一瞬でも気を抜くと死ぬぞ……!」
エリックは迫り来る剣鉈の一撃を「剣折り」で受け止め、手首を返して武器を弾き落とした。
それを見た暗殺者たちがほんの一瞬、攻撃の手を止める。
「へへっ。ドリアンの予想通り、見慣れない武器は苦手みたいだな。子供のくせに頭が固い」
だが人数、戦力においてエリックには端から勝ち目などない。
防戦しながら機材や書棚の間を逃げ回っているが、あと二、三回呼吸し終えるまで生きていられる自信はない。
絶え間ない斬撃を捌きながら限界まで時間を稼いだと確信した瞬間、エリックが叫ぶ。
「今だ! やっちまえ!」
盗賊の指示に呼応して、奥の窓をぶち破って黒い人影が飛び込んで来た。
爪だ。
その位置は、ナサニエルの目と鼻の先。
エリックが囮となって子供達を目一杯引きつけていたので、人形遣いの周囲に護衛はない。
もしナサニエルが僅かでも危機感を抱いていたら、その時点で子供達に自身を守るよう命令していただろう。
驚異の身体能力を持つ暗殺者なら、一人か二人くらいは駆けつけられたかもしれない。
しかし人形遣いは最後の機会を逃した。慢心していたのだ。
「どうした爪よ。突っ立っていないで、お前も奴を追え」
暗示のせいで、爪は自分を攻撃できない──そう思い込んでいたが故の油断だった。
「なるほど、お前の命令権は移譲したままだったな。取り戻すとするか……」
爪が剣鉈を一振りすると、ナサニエルは自分の右手が蝋燭を掴んだまま床に落ちるのを見た。
直後、手首の切断面に焼けるような痛みが走り、血が迸る。
人形遣いは恐怖した。
理由はわからないが、暗示が解除されている。
子供達を敵に回した時の恐ろしさを、彼ほど熟知している人間は他にない。
「ひ、ひいっ! お前たち、私を守れ! 爪を殺すのだ!」
今更命令した所で、もう遅い。時は大河の流れと同じ。ただ流れ去るのみ、だ。
この局面でナサニエルを守れる暗殺者など居ない。
深く考えず全員をエリックに向かわせた、司令塔の落ち度である。
剣鉈が閃き、「非凡な開発者」かつ「凡庸な運用者」の首が、ごろりと転がった。
人形遣いは死んだが、生前の命令は今尚有効である。
エリックの元に集まっていた暗殺者たちが、今度は攻撃目標を爪に変更した。
十数名の鉄仮面が武器を持って襲いかかる。
一瞬で針鼠のような姿にされるかと思われた爪だったが、鉄仮面たちの刃はどれ一つとして届いていなかった。
「……ドリアン、お前の読みは正しかったぜ」
奇抜な闇医者が爪に授けた、奇抜な秘策。
それは、人形遣いの首を「盾」にする事だった。
子供達が一番最初に受ける暗示は「ナサニエルを攻撃できない」というものだが、この暗示はナサニエルの生死に言及していない。
死体だろうが死体の一部だろうがサァ、それだってナサニエル先生には違いないのヨ──とはドリアンの言葉である。
生暖かい血液が滴る盾を掲げた爪に、攻撃できる者はない。
こうなると、勝負は一方的だった。
命令に縛られているため攻撃も逃走もできず、十数人の暗殺者は瞬く間に十数体の死体となっていた。
「ご苦労さん。ごめんな、仲間を手にかけさせちまって」
「?」
感情が無いのは、時に残酷だ。エリックはやり切れない気分になる。
敵を全滅させたので早々に撤収したいところだったが、「ナサニエルの研究記録は持ち帰れ」という幹部会の意向だ。
エリックは、どうしたものかと思案する。
持ち帰れば当然、幹部会は研究を続行するだろう。人形遣いの後任を据え、不幸な境遇の子供を連れてきて鉄仮面に養成する。
盗賊が暗い気持ちで目を伏せると、転がっているナサニエルの手首が視界に入った。
握っている蝋燭には、お誂え向きに火が残っている。
黒煙を上げ続ける建物から出ると、ドリアンが待っていてくれた。口は悪いが情に厚い奴だ、とエリックは思う。
「えーと。俺たちは裏切り者の暗殺と、敵勢力の掃討に成功。しかし、ナサニエルが自ら放った炎により、研究記録は建物と共に焼失した。そういう事でいいな?」
「わかった」
「いいわヨそれで。さっさと帰って一杯やりたいワ」
「あー。それと、爪。俺はお前に命令する権限を持っているわけだが、その権限を──お前自身に移譲する」
「意味わかんない」
「俺はもうお前に命令しないって事だよ。これからは自分で勝手に考えて動け」
無表情だからわからないが、たぶん爪は困っているのだろうと思う。でも、それでいい。人は皆、困りながら生きるものだ。
「ところで、あんたいつまで爪なんて呼ぶつもりヨ。折角だから、もっとカワイイ名前で呼んであげなさいヨ」
「面倒臭えな、何でもいいだろ名前なんて。じゃあ、お前は今日からウィルマな」
「ウィルマ。私の名前はウィルマ」
「適当ネェ。アタシ知ってるわヨ。それ、あんたが前に飼ってた白鼬の名前じゃないの」
「おう。部屋から溝鼠を追っ払ってくれる、可愛い奴だった」
「爪ちゃん。本当にそんな名前でいいの?」
「いい。私はウィルマ」
「気に入ってるんなら、いいけどネェ……」






