人形遣い(前編)
王都の北門は、通称「戦勝門」と呼ばれている。
なぜなら、かつてこの地方一帯を支配していた平原民族を南へ駆逐した折に、戦勝の記念として初代国王が建てた物だからだ。
そんな輝かしい栄光も、今は昔。
栄光とは無縁の、ただの老朽化した大門だ。
夜も深まってくると、ただでさえ少ない人通りがぱったりと途絶える。周囲には墓地が多いし大監獄も近く、薄気味悪い。
三年前に始まった北方遠征の騎士たちは戦勝門を通って出征して行き、その多くは戦地の露と消えた。
「けっ。何が戦勝だっつーの」
その場所で人を待っていたエリックは、無精髭を一本引っこ抜いてから小声で悪態をつく。
以前のエリックもまた、功名心に燃えて戦勝門を潜った一人だ。
だが彼が戦地で目にしたものは、地獄だった。
長期化から欠乏する食料、断裂した補給路、無謀な指揮官の突撃命令。
たまに街や村を解放しても、市民に偽装した連合国兵士が必ず紛れ込んでいて多くの将兵が命を落とした。
王国騎士に、市民と偽装兵を見分ける手段はない。
殺されたくなければ、疑わしきは斬るしかないのだ。
エリック自身も、無辜の市民の返り血を浴びた経験は二度や三度で済まない。
そんな状況が続けば、嫌気も差す。軍務を放棄して逃げる脱走兵が続出したのも、無理からぬ事だった。
さりとて、敵前逃亡は重罪である。
郷里にも帰れず徒党を組んで山賊になる脱走兵もいたが、エリックは街で盗賊になる道を選んだ。
やがて犯罪組織「謝肉祭」に拾われ、剣技の腕を買われて今ではそれなりに重要な仕事も任されるようになっている。
裏社会で「剣折り」のエリックと言えば、少しは知られているのだ。
「あなたがエリックか」
戦勝門に寄りかかっていたエリックはそう尋ねられ、フード付き外套を身につけた子供を見降ろした。
盗賊が頷くと、少女は先に立って歩き始める。
「ついて来て」
噂には聞いていたが、実際に見たのは初めてだ。
感情を持たない暗殺者「鉄仮面」というものを。
鉄仮面が案内するのは、「人形遣い」の二つ名を持つ闇医者、ナサニエルの診療所だ。
ナサニエルは謝肉祭の幹部会に属する、四人の幹部の一人である。
幹部と言えば、会長から直接指示を受ける雲の上の存在だ。
下っ端の盗賊がおいそれと会える相手ではない。
にも関わらずエリックが呼ばれたのは、鉄仮面の運用上の都合だという。
詳しい事は現地で説明されるそうだ。
「入って」
案内された先は、庭木の手入れもされていない屋敷である。
背の高い雑草を泳ぐように掻き分けながら、やっと建物に辿り着く。
軋む扉を押し開けると、屋敷の中は一つの大広間になっていた。
構造上、必要な最低限の柱だけを残して、すべての壁を取り払ってある。
大広間には様々な研究機材、治療器具、患者用の寝台、資料だらけの書棚などが一望できる。
こんなに広いのに、部屋に居るのは白衣の男が一人だけだ。
エリックが周囲を見回していると、陰気で顔色の悪いその男が歩み寄ってきた。
「ある地点から別な地点まで最短で移動したい時、動線は直線になる。壁が無いのは、合理的帰結なのだ」
それが謝肉祭の幹部、「人形遣い」のナサニエル医師だった。
「よく来てくれた、エリック。君は私の子供達について、何を知っているかな」
裏社会では「鉄仮面」で通っている連中を、ナサニエルは「子供達」と呼ぶ。
「凄腕の暗殺者って事と、愛想が無いって事くらいです、先生」
盗賊は、自分をここまで案内した少女を見ながら言った。
「結構。その二つは、実は密接に関係している。子供達は強さの代償として、様々なものを支払っているのだよ」
医師はエリックに、事の経緯を語り始めた。
ナサニエル医師はもともと犯罪組織とは関係なく、彼の研究も軍事目的であったという。
とある主戦派貴族が出資者となって、戦争のために強力な兵士を作り出すのが目的だった。
強い肉体を求めて薬物投与の人体実験を繰り返したが、やがて薬物に頼った肉体強化は副作用から限界を迎える。
壁にぶち当たった天才医師が次に取り組んだのは、精神を操作する研究だった。
帝国でも研究が開始されたばかりの「暗示療法」なる最新医療を取り入れ、精神が肉体に及ぼす影響について独自研究を重ねた。
結果、暗示療法は少年少女を被験者にした場合に、最大の効果を発揮する事が判明する。
だが研究が新たな段階に昇ろうというその時。出資者が突然、協力に難色を示すようになる。
子供を戦士に「改造」したことが露見した際に、自身の醜聞に繋がるのを恐れたのだ。
当時、資金調達に困ったナサニエルに手を差し伸べたのが、謝肉祭だった。
優秀な暗殺者を擁しておきたい犯罪組織と、研究を続けたい背徳の天才医師は、まさに利害の一致を見たのである。
ナサニエルは「研究成果は謝肉祭が独占する」という条件を呑み、研究は続行される事になった。
被験者として集められた少年少女は、戦災孤児である。
北方遠征の影響で、戦地の村には兵士になるか体を売らないと生きていけない子供達で溢れていたからだ。
ナサニエル医師は催眠術と薬物投与を併用。少年少女を優れた暗殺者に仕立て上げた。
驚異の身体能力と反射神経。恐怖も罪悪感も覚える事なく対象を抹殺し、命令には絶対服従。
引き換えとして子供達は感情に乏しくなり、寿命も大幅に縮まった。
こうして暗殺者の短期育成に成功した「人形遣い」の功績は、幹部会で認められる事になる。
表舞台で賞賛を浴びる機会を手放したナサニエルは、裏社会で幹部の椅子を手に入れたのであった。
「それで俺は何をすれば良いんですか、先生」
「子供達は私の命令しか受け付けないように設計されている。でもそれでは柔軟な対応がとれなくて困ると幹部会で議題に上ってね。現場に潜入してから臨機応変な対応ができるようにしたい」
そう言ってから医師は振り向いて、無人の屋内に向かって「隠密状態を解除」と呼びかけた。
すると今まで自分たちしか居ないと思っていた屋内に、亡霊のように十数名の子供達が滲み出してきた。
「……驚いた。気配が全く感じられなかったぜ」
「普段は身を隠すように命令しているのだ。この中から、一人選びたまえ。その子と君の二人組で、任務を遂行する実験だ。現場に着いたら、君が司令塔となって命令してもらう」
「頭脳労働と肉体労働を分業させようって腹積りですかね」
「君は見かけによらず飲み込みが早いな。子供達の脳の大半は身体能力を高めるために使っているから、余計な事を考えるのが苦手なのだよ。命令の移譲も、第三者による運用も、初めての試みだ。実験成功の吉報を待っているよ」
「了解しました。余計な事を考えるのは俺が引き受けましょう」
エリックはぐるっと室内を見回し、どの子を選んだものかと思案した。
「初期作品の牙は身体能力こそ高いが、命令の理解が若干遅い。後期に行くほど命令への順応能力は上がっているので、連携するなら鱗あたりが使いやすいかもしれんな……」
子供の名前に「牙」とか「鱗」とか、どうなのだろうとエリックは思う。
「俺には良し悪しがわからないので、案内してくれたこの子でお願いします」
「爪か。比較的初期の部類だが、問題なかろう。まずは命令権の移譲実験をする。それが済んだら、連れて行きたまえ」
ナサニエル医師は「爪」という名の少女に蝋燭の炎を凝視させ、小声でボソボソと囁いてから吹き消した。
「これで爪は、君の命令には絶対服従だ」
こんな事で命令権が移るとは、暗示とやらの効果は凄いものだとエリックは舌を巻く。
「へえ……この子がねえ……」
少女をじろじろ見ているエリックについて何か思う所があったのか、医師は咳払いをした。
「そっち方面で使いたいのか? どう使おうと別に構わんが、終わったら洗ってから返してくれ」
誤解されている事に気付いた盗賊が慌てて否定する。
「い、いや、そんな趣味は無いですぜ、先生。俺の好みはもっと、乳も尻もデカい大人の女なんです」
自分の体型についての話題だとわかったらしく、爪は自らのささやかな膨らみを確認した。
「君の好みは私が関知するところではない。すでに命令権の移譲を終え、任務の内容は説明した。ならば君がすべきは、こんな所でぐずぐずしている事かな? 時は大河の流れと同じ。ただ流れ去るのみ、だ」
そう急かされ、エリックは爪を連れて診療所を後にする。
目指すは、高利貸しリンフォードの屋敷だ。
リンフォードは、謝肉祭への上納金を誤魔化している疑惑がかけられている。
まずは屋敷に潜入して帳簿を調査し、不正の有無を探らなくてはならない。
不正の程度にもよるが、悪質だと判断された場合はリンフォードの妻子をどちらか一人、殺すようにとのお達しだ。
「帳簿なんか読めない」
歩きながら爪が無表情な顔で見上げてくるので、エリックは「心配するな」と答えた。
盗賊は、ナサニエル医師の言葉を思い出す。
人形遣いは確かに「命令の移譲も、第三者による運用も、初めての試みだ」と言った。
ならば、なぜ検証しなかった?
爪への命令権をエリックに移譲した後、それが正しく機能しているか確認せず任務へ送り出したのはなぜだ?
決まっている。初めてではないからだ。
奴は幹部でありながら、謝肉祭を裏切っている。
独占契約で研究資金を受け取っておきながら、鉄仮面を他所へ卸している。
裏切り者には──死を。
それが「剣折り」のエリックが幹部会から受けた、真の任務だった。
「心配するな。リンフォード邸への侵入任務は中止だ」
「わかった。任務は中止」
「その代わり、暗殺任務を与える。こっちはちょっと難しいから気を引き締めろよ。暗殺対象は、ナサニエル医師だ」
「わかった。ナサニエルな。診療所に引き返せばいいのか」
曲がりなりにも養父のような存在を殺すというのに、鉄仮面に動揺はない。
「ちょっと待て。まず手筈を説明する。周囲に尾行している者は無いな?」
「大丈夫。誰もつけて来てない」
そこでエリックは、幹部殺しの計画について話し始めた。