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聴罪司祭と血みどろ判官(後編)

「お前ら全員、地獄行きじゃな」

 刑場に引き出され、処刑を待つばかりだった罪人たちは皆、おのが耳を疑った。

 先程まで親身になって慰めてくれた司祭の、魂の安息を約束してくれた司祭の、その言葉とはとても思えなかったからだ。

 しかしアンセルム司祭は畳みかける。

「さっきの儀式も全部、出鱈目でたらめよ。だって、虫が良すぎるじゃろ。さんざん殺して、奪って、犯しておいて。お前らを天国に送ったら、お前らに殺された者たちが浮かばれんわ」


 心の拠り所を急に失った山賊たちが、拘束されながらも発狂したようもがく。

「殺される覚悟もなしに人を殺すとは、片腹痛い」

 アンセルムは、パチンと指を鳴らした。

ってしまえ、ジェイコブ。ああ。いっぺんに首を落とすでないぞ。できるだけ小分けにするのじゃ」

 ジェイコブと呼ばれた覆面の処刑人は、黙って頷く。

「聞けばこ奴ら一人頭、五人くらい殺しておる。五人分の命をあがなうのに己の命ひとつ差し出して済ませようとは、勘定が合わんわい。五回殺すつもりで殺れ」

 鉄塊のような大斧が、ゆっくりと振り上げられた。


 ダーン!

 叩きつけられた斧が首の皮を裂き、肉と筋が露出した。罪人は痛みと恐怖で、猿轡さるぐつわごしに絶叫する。

 ダーン!

 頚動脈が断たれ、一気に血が噴き出した。呼吸が気道から漏れ出し、罪人の喉がブクブクと赤く泡立つ。急速な失血で意識が混濁し、手足の痙攣が始まる。

 ダーン!

 首はまだ繋がっていたが、頸椎けいついの大半が破損したため罪人はこの時点で息絶えた。

 ダーン!

 頭部が半回転し、あらぬ方を向く。もはやほとんど千切れかけた首が、数本の筋と皮一枚でぶら下がっている状態に過ぎない。

 ダーン!

 ようやく胴体から首が離れ、うりのように転がり落ちる。

「なかなか上手いぞ、ジェイコブ。じゃが、さすがに斧で小分けは難しいか。三回目でくたばりおったので、次はなるたけ死なぬよう工夫せよ」

 

 長い長い悪夢のような時間が終わって目を開けると、穏やかなアンセルム司祭の顔があった。

 思わず抱きついて、司祭の胸に顔を埋めてしまう。

「泣いておるのか、イネス。優しい子じゃ。心配ない。あの者らの魂は皆、神の御許みもとに召されたよ」

 司祭に頭を撫でられポロポロと涙を落としながら、侍祭は決意する。

 帝国に戻ったら正教会本庁で頑張って、きっと偉い聖職者になろう。

 偉くなって他国に働きかけ、この凄惨せいさん極まりない蛮習ばんしゅうは必ず廃絶しなければならない──と。


         * * *


 大監獄の件から半月後。

 イネスは王国から何度も馬車を乗り継いで、帝国まで帰り着いていた。

 正教会本庁が直轄する琥珀都市は、彼の生まれ故郷でもある。

 今夜は久しぶりに実家へ泊まり、家族と積もる話でもするつもりだ。


 兄は父を支えて家業を上手くやっているだろうか。

 母からの手紙には、近々姉の婚礼が決まったと書いてあった。

 話したい事が沢山ある。

 今宵は存分に語って英気を養い、明日から始まる本庁での新生活に備えよう。

 立派な聖職者を目指すにあたり、アンセルム司祭の元で過ごした月日はかけがえのない財産となった。

「お前なら、本庁に行っても何の問題も無いじゃろう。応援しておるぞ」

 そう言って笑顔で送り出してくれた司祭様に報いるためにも、全力を尽くそうと思う。


「イネスです。ただいま帰りました!」

 侍祭は門をくぐって実家の玄関で呼びかけるが、返事はない。

 今夜訪ねる事は前もって連絡しておいたはずだが、どうしたのだろうか。

 ドアを押すと施錠されておらず、簡単に開く。


 誰か居ないか呼びかけながら居間リビングまで進むと、不意にあの嫌な場所の臭いがした気がした。

 石造りの大きな建物の、中庭の臭いが。

 苦い記憶に顔をしかめつつ食堂ダイニングに向かうと、真っ先に目についたのは食卓に乗った空の大皿だった。

 赤いソースで白い大皿に「無罪」と書かれている。意味がわからない。

 卓上には他にも、今しがた用意されたばかりであろう湯気の立つ料理が並んでいた。

 バラバラに切断された、人体と共に。


「ああ、神様……!」

 香草のスープ。パスタ。母の腕。水挿し。兄の頭。母の胴体。ライ麦パン。兄の脚。生野菜。母の──。

 それ以上見ていられず、イネスは激しく吐いた。

 吐いて、吐いて、吐いて、泣いて、獣のように絶叫して、走った。

「父様! 姉様! 誰か! 誰か居ないの⁉︎」

 階段を駆け上がった二階の寝室では、かつて父を構成していた部品が無造作に散らばっていた。

 壁に血文字で「無罪」と書かれている。

「神よ! 慈悲を!」

 聖なる名を叫んで姉の部屋に飛び込むと、あろうことか姉の遺体が解体されている最中だった。


「なっ……」

 なんだお前、と言おうとして言葉が出てこなかった。

 それほど異様な光景だった。

 道化師ジェスターの格好をした人物が、目の細かいのこぎりで姉から腕を切り離そうとしている。

 つばの広い帽子を目深に被っているため、顔はよく見えない。

 こいつが──こいつが血みどろ判官か。


「やめろォォ!」

 激昂したイネスが、目についた燭台を掴んで道化師に突進する。

 しかし、武器など扱った事もない侍祭の攻撃である。

 簡単に身をかわされて、反対に鋸の柄で殴られ昏倒してしまった。

 道化師の帽子についた鈴が、しゃん、と鳴った。


 どれだけ時間が経っただろうか。

 激しい頭の痛みと共にイネスが目を覚ますと、身動きが取れないよう縛りつけられていた。

 道化師は鼻唄まじりに、姉の遺体に鋸を当て続けている。

「……殺す。殺してやる。絶対に殺す。どこまでも追い詰めて殺す。殺す。殺す殺す殺す殺す殺す……」

 目の前で徐々に姉が解体されていくというのに、傍観しかできない弟は憎んだ。

 ただ只管ひたすらに憎んだ。

 狂おしいまでの道化師への憎しみで、自身を染め上げる。


 やがて満足いくまで姉の体を切り刻めたのか、血みどろ判官は作業の手を止めた。

 仕上げとして、壁に姉の血で「無罪」と書き記す。

 歩み寄って来る猟奇殺人犯を前にして、弟は「今度は自分の番か」と思ったが、恐怖はない。

 怒りと殺意以外の感情がつけ入る余地がないからだ。

 道化師はおどけた様子で一礼すると、なぜか縛られているイネスの横をすり抜けて部屋から出て行った。

 すれ違いざまに、ぼそりと囁く。

「有罪」


 どこか遠くで鈴が、しゃん、と鳴った。


         * * *


「そうか。イネスは帽子屋に殺すと言うたか」

 配下の信徒から報告を受け、アンセルム司祭は嬉しそうに目を細めた。

「応報は駄目だとか、教会法は死罪を禁じているとか、青臭い戯言たわごとさえずった口でよく言うわ」

 それから司祭は、白く伸びた髭を撫でる。

「奴に足りんかったのは、想像力よ。身内を殺された者の気持ちさえ分からん癖に、聖職者気取りで罪を赦せと語る。自覚が無いぶんたちの悪い嘘吐うそつきじゃ。これで自分のあやまちを痛感したじゃろう」


 信徒は頭を垂れて尋ねた。

「司祭様。なぜイネスを始末しなかったのですか。帽子屋は奴に姿を見られています」

「勘違いするでない。イネスは愚かじゃが、見込みがあるやもしれん。例えるならこれは入門の試験じゃよ。もし奴が応報を果たしたい信念の元に、神の教えも教会法もかなぐり捨てられるのなら、試験は合格ということじゃ」


 細く枯れたアンセルム司祭の指で、銀の指輪が鈍く光った。

 王冠と蜥蜴とかげの聖印が刻まれた指輪である。

「さて。入門できるかな、優しき子よ?」

 ──我ら、正教会ペラギウス学派へ。


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