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箱の中身は(後編)

 黒檀都市の町外れにある、修道院。

 清貧な修道女たちの祈りと生活の場とは仮の姿で、実際は犯罪組織「謝肉祭カルナバル」の活動拠点だ。

 その修道院の広間ホールに集まった女たちが、小箱を囲んでいる。

 細かい装飾が施された、自鳴琴オルゴールくらいの大きさの頑丈な箱だ。

「これを、トリシアちゃんに開けてほしいっス」

 予想外な頼み事に、盲目の少女は困惑する。

「開けるって言われても、私、鍵を開けるような技術は持ってないですよ……」

「この箱は、そういうんじゃないから大丈夫。耳が良くて手先が器用なら、きっと開けられるっス」


 行商人のロレッタによると、これは「細工箱」と呼ばれる工芸品だと言う。

 周囲に施された装飾がそれぞれ独立した可動部品で作られていて、それらを正しい手順で動かすと箱が開くらしい。

「誰も開けられなくて埃を被っていたのを、私が買い取ったっス」

 なんとか開けられないものかと手を尽くしてみたが、根気が尽き果てたそうだ。

「でも色々と試しているうちに、気付いたっス。正解の手順と不正解の手順で、細工を動かした時のカチっていう音に違いがあるっぽいんですよ。本当に微妙な違いですけど」

 もしその仮説が当たっているなら、耳の良い人間なら開けられるはずだとロレッタは考えたのだ。


「ふうん、細工箱ねえ。で、中にはどんなお宝が入っているんだい?」

 昼過ぎになってようやく起きてきたアドリアナが、大きく伸びをしながら尋ねた。

 暗殺者アサシン「毒婦」の二つ名を持つだけあって、そんな何気ない仕草にも妖艶な色香がある。

「さあ? 出処でどころも不明だし、振ってみても音がしないですからね。最悪、空っぽかもしれないっス」

「あんまりそそられない話だねえ」


「こんなの簡単。トリシアがやるまでもない」

 そう言って、腰のベルトから剣鉈ククリを抜いたのは、暗殺者「鉄仮面」ことウィルマだ。

 箱は鋼鉄製なので簡単には壊れないだろうが、ウィルマが剣鉈を何度も叩きつけていれば、いずれ耐久力の限界を超えるはずだ。

「待って! 待ってウィルマっち! それじゃ箱と一緒に中身まで壊れちゃうっス!」

 ロレッタは箱の中身に過剰な期待は抱いていないものの、だからと言って壊すのは惜しいらしい。


「あの、私、やってみましょうか? お役に立てるかはわからないけれど」

 トリシアが進み出ようとすると、院長のグエンダが口を挟んだ。

「安請け合いする前に、報酬の取り決めをしないといけませんね」

 盲目の少女は「そんなの別に……」と言いかけたが、ウィルマまで「只働きは、駄目」と主張するので、素直に従った。

「じゃあ、こういうのはどうっスか? トリシアちゃんが箱を開けられたら、中身が何であれ均等配分はんぶんこしましょう」

 分けられないような品物なら、売却査定額の半分を報酬として支払うという。

 トリシアに異存はなく、細工箱への挑戦が始まった。


「ロレッタさんの言う通り、音に違いがありますね」

 初めのうちこそ順調に進んでいたように見えたが、操作が八手目を越えたあたりから雲行きが怪しくなってきた。

 間違った操作をすると、最初からやり直しになる仕掛けが登場したのだ。

 可動する部品は、二十箇所以上。

 それを、音を頼りに総当たりで試すのだ。休憩を挟みながら、作業は夜半まで続いた。


 興味を持って見守っていた観客も一人減り二人減り、残ったのはロレッタとウィルマだけだ。

 ロレッタは正解の手順を書き留めている。成功したら、あとで自分も同じ手順で開けてみたいのだと言う。

 ウィルマは相変わらず言葉少なだったが、応援してくれているのがトリシアにはわかった。

 やがて遂に、その時はやって来た。

 六十四手目にしてパチンと小気味良い音を立てて留め金が外れ、細工箱が開いたのだ。


 入っていたのは、古ぼけた指輪が一つ。

 箱を振っても音がしなかったのは、台座に固定されていたからだ。

 中身が気になった者たちが集まってくる。

「値打ち物かい?」

さびの黒ずみ方でわかる。材質は銀だね。磨きゃ光るだろうが、たいした価値は無いよ」

「やれやれ、とんだ骨折り損だ」

 周囲の反応をよそに、トリシアは達成感で満足していた。

 誰かの期待に応えられたのが、素直に嬉しい。

 ウィルマもロレッタも、トリシアの成功を喜んでくれた。


「あとは報酬の件っスね」

 そう言って指輪を摘み上げた行商人の表情が曇る。

「……これ、金銭的な価値は皆が言う通りの二束三文です。でも、指輪に入ってる刻印がちょっと厄介っス」

「厄介と言うのは?」

 図案化された、王冠と蜥蜴とかげの刻印。

 目を細くして指輪を睨んでいた行商人は、深い溜息をつく。

「正教会ペラギウス学派の聖印っスよ。こんなの、とても売り物になりません」

 ロレッタは職業柄、こうした品物にも造詣が深いようだ。


「なんとかギウスって何」

 トリシアも思っていた疑問をウィルマが口にする。

「ペラギウス。破門された一派で、正教会では異端とか邪教とか言われている教えっス。帝国ならこの指輪を持ってるだけで牢屋行きですよ」

 そんな物騒な代物だったとは。

「というわけで、自分は分け前を放棄します。この指輪は、報酬としてトリシアちゃんにあげるっス」


「え! これを持ってたら私、捕まっちゃうのかな?」

「王国は信教に寛容だから、大丈夫っスよ。この国なら、たとえ破壊神ダルテオン盗賊神ディコンスを拝んでも法には触れません」

 それを聞いて、ひとまず安心するトリシア。

「でも、見る人が見れば危険思想の持ち主だと思われて白眼視どんびきされるから、オシャレ感覚で身につけて歩くのはお勧めしないっス」

 彫金屋にでも持ち込めば、かして別な物に変えてくれるっスよ──そう言い残し、ロレッタは自室に戻って行った。

 用も済んだので、明朝、また旅に出発するそうだ。


「ペラギウス学派ですか。懐かしい名前ですね」

「院長は知ってるの」

「まだ駆け出しだった頃の話です。国境を破って、ペラギウス学派の助祭を帝国から逃す仕事をしました。帝国では異端とされていますが、尊敬できる人物でしたよ」

 その学派の教えは先進的すぎて、保守的な正教会では受け入れ難いものだったのだろう──と、グエンダは遠い目をする。

「砕いて話すと、他人が決めた法律や規則なんかは守らなくて良い気という教えでした。その代わり、自分が正しいと思った信念は曲げるなと、その助祭は言っていましたね」


「なんとかギウス、わりと良い事を言う」

 ウィルマたち暗殺者にとっては、馴染みやすい教えかもしれない。

 彼女たちの住む世界の価値観と、世間一般の価値観は、あまりにかけ離れているものだから。

 当初は厄介な品を押しつけられたように感じていたトリシアだったが、指輪に少し愛着が湧いた気がした。

 

         * * *


 トリシアが目覚めた時、ロレッタは既に旅立った後だった。

 早朝には出て行ったというから、行商人とはかくも忙しいのだろうかと心配になる。

「せっかく足を運んでもらったのに、残念な結果になっちゃった。ロレッタさんを儲けさせてあげたかったな」

「トリシアが悪いわけじゃない。運がなかった」

 落ち込むトリシアを元気づけるウィルマ。

 その光景を見たアドリアナが、呆れたような声を出した。


「傑作だね。あんたら、ロレッタが儲かってないと思ってんのかい? 今朝なんか、小躍りするほど喜んでここを出て行ったよ」

「そんなはずない。箱の中身はガラクタだった。その取り分もロレッタは放棄した」

「ふん。わからないかい? あいつが一番欲しかったのは、中身なんかじゃない。箱の開け方だったのさ。手順を控えていただろう?」

 確かにロレッタは、昨夜遅くまでトリシアに付きっきりで手順を書き留めていた。

「あんなに珍しい細工箱だ。金庫や宝石箱として買い取りたい貴族や金持ちは、すぐに見つかるだろうねえ」


「……あっ! 細工箱を売るために、開け方が知りたかったんだ!」

「そうさ。あんたは金貨十枚貰っても安いくらいの情報を、しょぼい指輪ひとつで売っちまったんだ。お目出度めでたい話だね!」

 トリシアの悔しがる顔を期待したアドリアナだったが、安堵の笑顔を見て拍子抜けしてしまった。

「良かった。私、ロレッタさんの役に立てたんだ……!」


「やれやれ。調子狂うね、まったく」

 今日は朝帰りだったから、そろそろ寝るよ──と言い捨てて、アドリアナは寝台ベッドに向かったのだった。


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