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伯爵の行動学

 新米騎士ジョエルは、自分が臆病な人間だと自覚している。

 剣を振り回すより書物を読んでいるほうが、どう考えても楽しい。

 できれば古書肆こしょしにでもなって、日がな一日本を読んで暮らす生活が送れたら、どんなに素晴らしいだろうと思う。

 しかし不幸にも彼の家は代々、武門の家系だった。

 父や祖父は勿論のこと、兄たちも皆、騎士団に所属している。


 彼の望んだ生き方は家族から理解が得られず、なし崩し的に騎士団に放り込まれてしまった。

 絶対に落ちるだろうと思って気軽に受けた入団試験も通過パスしてしまい、縁故採用の恐ろしさを痛感している。

 せめてもの救いは、遠征隊などではなく憲兵隊に配属された事だ。

 憲兵とは市中を巡邏じゅんらしたり、法を犯した不届き者を捕える仕事である。

 前線送りでなくて良かったと喜んだのも束の間、憂鬱な役目を仰せつかってしまった。

 犯罪現場の保持である。


 数日前、峠道に出没する山賊団の討伐が行なわれたのだ。

 敗残兵を含む大規模な武装勢力だけに慎重な作戦が展開されたが、いざアジトに踏み込んでみれば赤子の手を捻るようなものだったと聞く。

 内部抗争でもあったのか頭目は既に討たれ、指揮系統もバラバラだったそうだ。

 混乱した山賊たちの大半が捕らえられ、投獄された。

 ジョエルの任務は討伐が終わったアジトに誰かが入り込まないよう、入口に立って見張る事である。


「……嫌だなあ。この廃坑の中ってまだ、屍骸がごろごろ転がってるんだろう?」

「今日か明日には検分官が来るって言うから、片付けるのはその後だろうな」

 配属されて日が浅い同期の憲兵と駄弁だべるくらいしか、ジョエルにはやる事が無い。

 時折、風に乗って坑道内から血腥ちなまぐさい臭いが漂ってくるたび、若い憲兵たちは身震いした。

 来訪者が訪れたのは、そんな時だった。


「やあ、こんにちは! お務めご苦労様だね」

 現れたのはひょろっと背の高い、身なりの良い紳士だ。眼鏡なんて贅沢品を身につけている所を見ても、一介の市民ではなさそうだ。

「我々は山賊団のアジトを保持しているところです。失礼ですが、貴方は?」

「僕はハミルトンと言う者です。この中を見せてもらいに来ました。正式な許可は取ってあるよ」

 男が取り出して見せたのは、王立騎士団の印章がある正式な許可証だ。

 ハミルトン伯爵が学術目的で犯罪現場に立ち入る事を許可す──とある。


 ハミルトン伯爵。

 父や兄たちが噂していたのを思い出した。

 曰く、先祖の手柄で広大な領地を所有しながら、益体もない学問や研究に没頭する奇人。

 曰く、貴族でありながらろくに供の者もつけず、辺境や蛮地へも一人で出向いてしまう変人。

 噂に尾ひれは付き物だが、変わった御仁ではあるのだろう。


「伯爵……であらせられますかっ⁉︎」

 憲兵二人が直立不動で敬礼すると、伯爵は「そういうのはいいから」と言ってジョエルを指差した。

「君。角灯ランタンを持って僕についてきて」

 心の底から安堵している同僚を恨めしそうに横目で見ながら、ジョエルは灯りを掲げてハミルトンにつき従う。

 坑道を進むにつれて、血の臭いも強くなるようだ。

「あの、本件の検分は、伯爵閣下が行なうのでしょうか」

「違うよ。この後、正規の検分官が来るはずさ。僕は行動学について研究していてね。調査のために特別な許可を貰っているんだよ」

 行動学。耳馴染みがない分野の学問に、ジョエルは持ち前の知識欲が刺激されるのを感じた。

「伯爵閣下が研究されている行動学というのは、いったいどのような……ウエッ!」

 

 新米騎士は、貴人の眼前で嘔吐する失態だけはなんとか回避したものの、涙と鼻水がとめどなく流れた。

「大丈夫かい? えーと……」

「騎士ジョエルです、伯爵閣下」

「よろしい、ジョエル君。大量の惨殺死体を初めて見た場合、君の反応は極めて正常だ。気にする必要はないよ」

 坑道の先にあったのは牢屋のような場所で、囚われていたであろう女たちの死体が大量に転がっていた。山賊の死体もいくつか混じっているようだが、ジョエルはあまり直視したくない。

 伯爵は転がっている死体をいじくりながら、「興味深い。実に興味深い」と繰り返している。


「見てご覧。女たちは皆、鋭利な刃物で喉を切られて即死しているよ。山賊は即死じゃないね。いったん鉄矢クォレルが刺さった後に息の根を止められている」

 正直目を背けたくなる光景だが、伯爵の角灯を任されている都合上、まったく見ないわけにもいかない。

「さあ、次だ。物知らずな検分官が引っ掻き回す前に見物できるなんて、僕は幸運に恵まれているよ」

 こうして伯爵はジョエルを引き連れて廃坑をうろつき、死体という死体をまさぐった。

「報告書によると騎士団がアジトに踏み込んだ時、既に幾つもの死体が転がっていたそうだね」

「そう聞き及んでおります、伯爵閣下。仲間割れの可能性があるとの見解でした」


 やっと調査を終えて出口に向かう道すがら、ハミルトンは仲間割れ説を否定した。

「内部抗争や仲間割れだとしたら、複数対複数の争いになる筈だよね? でもあの場に転がっている死体の大半は、単独の人物によって殺されている。内部抗争だとしたら、一人対全員という争いだ。不自然だろう?」

「伯爵閣下が単独犯だと思われる根拠は何ですか?」

「傷を見ればわかる。傷口の深さに特徴があって、直刀ならこうはならない。僕が知る中で、これに一番近い傷跡を作る武器は剣鉈ククリだよ」

「同種の武器を持った、複数犯の可能性はありませんか」

「良い着眼点だね。ところでこの種の刃物は、右利き用と左利き用で研ぎ方が違うのは知っているかい」

 ジョエルが首を横に振ると、ハミルトンは機嫌が良さそうに続けた。

「刃物を正面に見て、どちら側を研ぐかで使い易さが変わるんだ。君たち騎士団が使うような長剣は、重さで叩き斬る武器だから研ぎ方で大きな影響は出ないけどね」

「それで今回はどちらだったのですか、閣下」

 新米騎士は、伯爵の話に完全にのめり込んでいた。


「左右どちらも研いであった。両利き用だったのさ。傷口から推察できる刃の軌跡から言っても、剣鉈を両手に持って戦うスタイルなのは間違いないと思う。それと弩級クロスボウも併用していた」

「複数犯だとして全員が偶然両利きだったと考えるのは、統計的に厳しい話ですね」

「もう一つ。死体についた傷跡の角度から、重要なことが分かった。犯人は結構、小柄な男だ。身長に応じて、自ずと斬ったり刺したりする位置や角度が変わってくるのさ」

 なるほど。伯爵が傾倒している行動学とやらの魅力の一端を、ジョエルも垣間見たような気がした。

「……それなら、犯人が女という可能性もあるか」


 角灯の前を歩いていた伯爵が、ジョエルが発した独り言を聞いてぴたりと歩みを止めた。

 それから、腹を抱えて大笑いする。

「面白い! 面白い発想だね、ジョエル君! 山賊団のアジトに単身で乗り込んで剣鉈を振り回し、男も女も容赦なく切り捨てるような人物が、女性とは!」

 新米騎士は、うっかり妙な事を口走ったのを後悔した。

「いや、気を悪くしないでくれたまえ。僕が笑ったのは、自分でも無意識のうちに犯人が男だと決めつけていた予断を笑ったのだ。誓って、ジョエル君を笑ったのではない」

 なにやら気遣われてしまったので、「はあ」と曖昧な返答でお茶を濁す。


「君は柔軟な思考の持ち主のようだな。気に入った。助手として採用しよう」

「助手……とは、どういう意味でしょうか、閣下?」

「騎士団の籍は憲兵隊に置いたままで良いように手配しよう。助手と言っても、僕と一緒に殺人現場を視察するだけの簡単な仕事だ」

「……伯爵閣下。そのような大役、自分には務まりません」

「謙虚な男だな、ジョエル君。それと、僕のことはハミルトンで良いぞ」

「光栄です、ハミルトン卿。しかし自分に向いているとは思えません」

「自らの可能性を決めるのは自分自身ではない。人生は何事も挑戦だよ、ジョエル君!」


 こうして新米騎士は、ハミルトン伯爵の道楽に巻き込まれたのである。


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