百芸の鉄腕(後編)
夢を見ていた。曖昧な夢だ。
実家に居た頃や、学院で生活していた頃の場面がもやもやと浮かんできた。
別に愉快な記憶ではない。
実家では家族関係が微妙だったし、学院では皆が余所余所しくて友人と呼べる人間は居なかった。
入学当初から公爵の娘という事と、血縁はあっても形だけの親子という事が、広く知れ渡っていたせいもある。
そうでなくとも、あまり他人と打ち解けるのが好きな性格でないのは自覚していた。
研究に没頭している方が、孤独を忘れられるので良い。
そう思っていた。
目を覚まし、石壁で囲まれた寝室を見回して、ヴァネッサは自分が置かれた状況を思い出す。
本を読みながら、机に突っ伏して眠っていたのだ。外を見ると、まだ宵の口といった時間帯だ。
何が「良き縁談をご紹介しましょう」だよ──と腹を立てる。
その部屋は、領主の城館に備え付けられた塔の天辺に位置していた。
戦乱の時代には平原民族の襲来を監視する役目があったが、今は前線が遠退いて久しい。
塔にとって今の役割は「役立たずだが秘密を知りすぎているので放逐できず、かと言って貴人の娘なので口封じに殺すのも躊躇われる厄介者」を幽閉しておく事だけだった。
「研究や読書は捗るけどね」
近年独り言が多くなった錬金術士は、それが腑と暮らし始めてからだと気付く。
離れてから思うのは、自分はあの自由奔放な少女が嫌いではなかったという事だ。
喜びの感情しか持たないが故に、少女にだけは気を遣わず何でも話せた。
「会いたいな……」
そう口に出してから、慌てて否定する。
少女は自分と一緒に居ない方が幸せなのだから。
今、腑は何をしているだろうか。
ヴァネッサが塔の窓から暗い空を見ながら考えていた頃、暗殺者は文官の自室に呼び出されていた。
細い目をした男は、文官たちの会議で話し合われた事柄を思い出す。
ナサニエルが置いて行った人間兵器の処遇だ。
錬金術士に運用させた報告書が溜まっていたので精査したが、どうやら万能では無い事がわかってきた。
身体能力に秀で、高い戦闘能力は持つものの、戦場で叩き上げた歴戦の戦士と対峙すると力負けする。
潜入目的の暗殺者としては優れているし、普通ならあの年齢で手に出来ない強さを得られるのは魅力だが、北方の戦地で早急に求められているのは純粋な戦力なのだ。
殺処分の決定は妥当だと、文官レナードも同意する。
生かしておいても、情報漏洩の危険しか無い。
少女を殺すのは簡単だ。
命令には絶対服従するのだから、ただ「自決せよ」と命じるだけで良い。
簡単ではあるが──レナードは舌舐めずりした。
化け物にしては、愛らしい容姿をしている。殺す前に少々楽しませてもらおう。
「命令だ。服を脱げ」
「あはは、良いよ。裸になればいいの?」
腑は文官の言葉に従って、少女は一枚、また一枚と釦を外して着衣を脱ぎ捨てていく。
ついには最後の下着も脱ぎ捨て、肘まである長手袋と、太腿に固定した剣鉈だけの姿になった。
「武器も捨てろ。手袋は……つけたままで良い。義手が見えると興が削がれるかもしれん」
全裸になった少女を寝台に呼び寄せ、自分の膝の上に座らせる。
腑を後ろから抱きすくめると、小ぶりだが柔らかな胸を揉みしだいた。
「あんっ、どうして急に抱こうと思ったの?」
レナードは腑の首筋に舌を這わせながら、胸を揉んでいた手を下半身に移動させる。
「いや何、お前の殺処分が決まってな。その前に楽しんでおこうと思ったのだ」
「さつしょぶん? 殺すって事?」
「そうだ。気が散るから、少し黙っていろ」
文官は、少女の秘所を指で擦るのに忙しい。
「あはは! そっか。私、殺されるのか」
腑は、レナードの指を迎え入れるように手を重ねる。
「どうした。お前も楽しむ気になったか……ぎゃっ!」
少女に手首を捩じ上げられ、文官は悲鳴を上げた。
「何故だ! 抵抗など許可してないぞ⁉︎ 命令だ、その手を離せ!」
「ふふ、どうしよっかなあ。じゃあ離してあげるよ」
人間兵器はその怪力で、手首を極めたまま文官を背負い投げた。
ぼきり、という音を確認してから手を離す。
「ぐああ! 骨が!」
レナードは混乱していた。化け物が命令に従わず、勝手に行動を始めたからだ。
痛みに転げ回っていた床で、剣鉈が目に入る。
これだ。
相手は武器も持たない全裸の小娘である。
今なら不意を突いて、自分にも殺せるのではないか──と、咄嗟に考えた。
「死ね! 化け物めぇ!」
文官が出鱈目に振り回す剣鉈を、腑は新しい武器で弾き飛ばした。
鉄腕から伸びた、鋼の刃で。
その構造は、折り畳み式の短刀とさほど変わらない。
義手の右手首を支点にして、鋼鉄の刃が直角に飛び出していた。
「あはは! 便利だなあ、ドルダーナは」
少女は満足げに笑って「でも今度からは、先に手袋を取らないと破れちゃうな……」などと呟いている。
「や、やめろ! 命令だ! 権限を持つ者の命令が、き、聞けないのか⁉︎」
レナードは部屋の隅に追い詰められ、細い目を閉じてがたがた震えた。
「あはは、笑える! あんた、権限なんか持ってないのに!」
「馬鹿な! あの時、確かにヴァネッサは宣言したぞ。権限を移譲すると!」
文官が顎を殴られて失神する直前に聞いた言葉は「移譲できるのは権限を持ってる人だけだよ?」であった。
* * *
ぎゃりっ、ぎゃりっ。
角灯の明かりで読書していたヴァネッサは、金属を擦るような規則正しい音に気付いた。
耳障りな音である。
訝しんで階下に降りて行くと、錬金術士を閉じ込めていた鉄扉の留め金が、鑢で削り壊される所に出くわした。
「あはは! 助けに来たよ!」
入って来たのは、腑だ。鋼鉄の義手からは鑢が飛び出している。
「あんたが来ない事を祈っていたのだけど……やっぱり殺されそうになったのね」
「うん。やらしい細目をぶん殴ってやったよ! すっきりした!」
再会を喜ぶ暇もなく、階下が騒がしくなってきた。複数の足音が階段を上ってくる。
「面白くなってきたね。さあヴァネッサ、逃げるよ!」
鉄腕の暗殺者は、錬金術士の手を引いて塔の上に向かって走り出した。
最上階に行き着くと、窓から身を乗り出す。
「え? あんた何やってるの?」
眼下には、城館の裏手に広がる木立ちが見えている。
こんな所から落ちたら、地面にぶつかって死ぬ前に、樹木に刺さって死にそうだ。
それでもお構いなしに、ヴァネッサを抱えて飛び降りようとする腑。
「無理無理無理! 私、絶対飛ばないわよ! 命令です、腑。飛び降りるのは止めて、他の脱出方法を考えましょう? ね?」
腕の中で怯える錬金術士を楽しげに見ていた腑は、人間離れした脚力で窓枠を蹴って跳躍した。
「!」
そうだった──と落下しながらヴァネッサは思う。
命令する権限を手放した以上、腑は止められない。事前に下しておいた命令を、忠実に実行するだけだ。
腑は落ちながらも高い木の枝に鉄腕を向け、手首から鉤爪つきの鋼線を発射した。
強力なバネで射出された鉤爪は見事に枝を捉え、鋼線が限界まで伸びきる。
それは落下の勢いを軽減しながら、振り子のように二人を跳ね上げた。
小枝や葉が密集していた樹間を、全身で突破する。
身体中が細かい擦り傷だらけになったが、それによって更に勢いが弱まった。
最終的に落ち葉だらけの地面に落ちて、抱き合ったまま一つの玉のようにごろごろ転がってから漸く止まった時、ヴァネッサは奇跡を信じる気になっていた。
「えへへ、計算通り!」
「嘘ばっかり。あと鉤爪つき鋼線は、こんな無茶するために取り付けたんじゃねーから!」
随分と久しぶりに、腑の破天荒な行動に苦言を呈した気がする。死にかけたと言うのに、不思議と嫌な気分では無かった。
「……だ、大丈夫ですか、お嬢様がた」
打ち合わせ通り、馬車と一緒に木立ちに隠れていた馭者が驚きの声を上げる。
「有り難う、ノーマン。あんまり大丈夫じゃないけど、傷の手当は中でやるわ。とりあえず馬車を出してもらえる?」
ひと先ず、城館から離れるのが最優先だ。
「私たちが逃げた事は、まだ城下まで伝わっていない筈。市壁を越えたら馭者を交代しましょう。あなたは学院に帰りなさい」
ノーマンが逃亡に加担した証拠は無い。そ知らぬふりをしていれば、罪には問われないだろう。
馭者の身を案じる錬金術士に、小窓を通して初老の男が答える。
「それには及びません。私も、ご一緒致します」
「駄目よ、ノーマン。私たちだけでなく、あなたまでお尋ね者になってしまうわ」
「私は家族もありませんし、構いませんよ。常々、学院に長居しすぎたと思っていました。書物だけでなく、様々な土地を巡って自分の経験から学びたいのです」
馭者は落ち着いた口調で言った。
「それに、お言葉ですが……私が降りたら馬たちの世話は誰がするのですか?」
ヴァネッサはノーマンの厚意に感謝する。
市壁を抜け、紅柱都市が見えなくなってから、馭者は懐中から書き付けを取り出した。
細かい字で、箇条書きが幾つも連ねてある。ヴァネッサが書いた物だ。
「そうそう。これを読み上げるんでしたな」
馭者は角灯の明かりに紙を翳して、末尾の一行を音読した。
「私、馭者ノーマンは、腑に命令する権限を、錬金術士ヴァネッサに移譲する──これで、宜しいので?」
「完璧です。お陰で助かりましたよ、ノーマン」
書き付けには、他にも細々と書かれている。どれも先日、少女に向かって音読した台詞だ。
例えば三行目には「ノーマンが命じる。腑は、ヴァネッサが移譲を宣言した場合、あたかもその者に権限が渡ったかのように振る舞え」とあるし、八行目には「味方が腑に向けて殺意と取れる言動をとった場合、本来の権限を有する者だけに従い、自己を防衛せよ」とある。
なんの事やらさっぱりだ──と、馭者は肩をすくめる。
錬金術士は、少女と顔を見合わせて笑った。
「仮初めの権限でも、あんたを大事にしている間は問題なく機能するよう仕組んでおいたのにね」
「あはは! 私を大事にしてくれるのは、ヴァネッサだけだよ! それで、この後どうするの?」
そうだ。行き先を決めねばならない。
公爵側と言うか、主戦派にはもう戻れない。かと言って、このまま穏健派に寝返って大丈夫なのか自信が無い。
既に数名、穏健派の関係者を暗殺している経緯がある。情報を漏らしたからと言って、赦免されるとは限らないのだ。
何より、今後は公爵からの援助が無い。生きる為に金を稼ぐ必要があった。
「活気があって他所者が目立たない街なら、蒼玉都市ね。他には、主戦派でも穏健派でもない中立な貴族の領地で保護を求めるって手もあるわ」
「ゼンクロウ! ゼンクロウの所に行こうよ!」
「その東瀛人って、どう考えてもギルバート侯爵の衛士じゃないわよね? 侯爵の城に行っても会えないかも知れないわよ」
「あはは! そうなのか。恋は障害が多いほど燃えるね!」
こうして行き先を思い悩むのも、楽しいものだとヴァネッサは思う。
人生を振り返れば、自分が何かを決めてきた事があっただろうか。
祖父母の言いなりだった母親を軽蔑していたのに、自分だって同じだ。
言われるがまま学院に来て、言われるがまま暗殺の片棒まで担がされて。
もう誰かの言いなりは止めよう。
生きるも死ぬも、自分だけの人生だ。道半ばで野垂れ死ぬにしても、自分で選んだ道の上なら納得もできよう。
前途は多難だったが、ヴァネッサの面持ちは爽やかだった。




