百芸の鉄腕(中編)
学院内の厩で、初老の男が愛馬の世話をしている。
つい最近、王都からここ紅柱都市までの道程を走ってくれた頼もしい馬たちだ。
男の名はノーマンと言う。
馬丁の中でも特に馬の扱いに長けており、ヴァネッサの四頭立ての馬車を操る専属の馭者でもある。
元々は貧しい家の出だったが、勉学で身を立てようとして紅柱都市に来た。
しかし難解で知られた賢哲学院の入学試験を通過できず、さりとて学問と全く関係の無い仕事に就く気にもならず、以来こうして学院で馬丁をしている。
休日は学院内の図書館で過ごし、暇そうな学生が居れば声をかけて教えを乞うという、向学心に満ちた変わり者だ。
「お疲れ様、ノーマン」
「おや、ヴァネッサお嬢様。珍しいですな、朝っぱらから厩にいらっしゃるなんて」
「気分転換よ。歩くと、新しい発想が生まれるかもしれないから」
錬金術士は隈がある目を閉じて、大きく伸びをした。
「長旅だったけど、馬たちに問題はない?」
「はい、頑丈な奴らですから。ご要望があれば、すぐにでも旅に出られます」
馭者は太鼓判を押す。
「良かった。でも、私は学院からお払い箱になるかもしれないわ」
「本当ですか。そいつは何と申し上げて良いやら……お嬢様が居なくなると、寂しくなりますね」
「それでね、ノーマン。あなたにお願いがあるのだけれど」
「自分にできる事なら、何だって致します。お嬢様には、何度も学問を教えて頂いたご恩がありますから」
ヴァネッサは人の良い馭者に、込み入った話を始めた。
* * *
紅柱都市に戻ってからと言うもの、錬金術士は殆どずっと研究室に籠っている。
たまに散歩に出る事はあったが、それ以外は机に向かって図面を引いていた。
図面が出来たら出来たで、今度は鍛造技師の所に持ち込み、料金を上乗せして大至急で仕上げて貰う。
彼女には、急がねばならない理由があった。
暗殺に失敗した責を問われ、任務から外される可能性が高いからだ。
そうなる前に、作り上げねばならない。
仕上がった部品を組み合わせて鋼鉄の義手が完成したのは、カノーヴィル公爵が御前会議から帰還した日の昼だった。
「あはは、凄い! 少し重いけど私にぴったりだよ!」
腑は、肘に取り付けた新しい右腕をしきりに褒めた。
義手は少女の肘関節と連動して、手を握ったり開いたりも出来る。
流石に指の一本ずつを個別に動かすような真似は無理だが、日常生活と暗殺任務に支障は出ないだろう。
少女は新型義手を何気なく扱っているが、常人ならば訓練なしでは使いこなせない。
腕を切断されて日が浅いにも関わらず、重い義手を装着しても痛みを感ないのは、腑が常人ではないからだ。
精神と肉体に夥しい負荷をかけて作り出された人間兵器でなければ、こうはいくまい。
「ドルダーナ?」
小柄な暗殺者は首を傾げた。
「そう、ドルダーナ。その腕の名前よ。百芸の鉄腕という意味なの」
ヴァネッサが作り上げたのは、多くの機能を盛り込んだ義手である。
「剥き出しだと目立つでしょう。これを着けるといいわ」
機能を一通り説明し終えてからヴァネッサが差し出したのは、肘まで隠せる長い手袋だ。
暗殺者が目立つのは宜しくないだろうという配慮である。
「うん。良く似合ってる。小さな貴婦人って感じよ」
「貴婦人! 嬉しい!」
ひと仕事終えた錬金術士が、仮眠を取るべく寄宿舎へ戻ろうとした時、来客があった。
「御機嫌よう、ヴァネッサ様。私が来た意味はおわかりでしょうね?」
訪れたのは、目の細い文官だ。
カノーヴィル公爵の腹心である。
「こんにちは、レナード。二度も任務を仕損じた私は、第九学舎から追い出されるのかしら」
賢哲学院の第九学舎は、公爵が私費で運営する秘匿性の高い研究機関だ。
主な目的は、カノーヴィルが求める軍事技術の研究と運用である。そこには当然、暗殺任務も含まれている。
「とんでもない。公爵閣下のご息女を追い出したりできるものですか」
ただ──と言って文官は続ける。
「穏健派を総崩れにさせる計画が失敗したのは、実際困るところなのです。主戦派である公爵閣下のお立場は、次第に悪くなりつつある。今直ぐ戦争が終わりはしませんが、半年後の御前会議ではどうなる事やら」
主戦派の貴族たちは「まだまだ戦争で甘い汁を吸いたい」と考えているわけだ。
「つきましてはヴァネッサ様も、そろそろ身を固められても良いお年頃。いえ、貴族の血筋としては遅すぎるくらいです。ですから、寄宿舎は引き払って公爵閣下の城館にお移り下さい。追って、良き縁談をご紹介しましょう」
「なんだ。言葉を変えただけで、結局は任務失敗の責で追い出されるんじゃない」
「どのように解釈されるかは個人の自由です」
レナードはくるりと身体ごと振り返った。
「支度もある事でしょうから、城館へは先に参ります。私物を纏めたら直ぐにお越しください。……おっと、忘れる所でした。その化け物に命令する権限を返して頂きましょう」
化け物、と文官は言った。
腑の事を。
「今の権限はあなたにあります。私へ移譲して下さい」
「……嫌だ」
「あなたには不要な物ですよ、ヴァネッサ様。そいつは生きた機密です。第九学舎から出る者には預けておけません。渡さないのであればそれでも構いませんが、衛兵を集めて再訪する事になりますよ?」
大勢の衛兵を嗾けて、腑を殺させるという意味だ。
制御できない兵器など、あっても困るだけである。
衛兵にも大量の犠牲者が出るだろうが、衛兵ごときいくら死のうともレナードの腹は痛まない。
「くっ……。私、錬金術士ヴァネッサは、腑に命令する権限を──文官レナードに移譲する」
不本意な宣言が終わると、文官は少女に命令した。
「よし。ついて来い、化け物」
「あはは! わかった!」
文官は一礼して、部屋から出て行った。
腑は振り向きもせず、レナードの後に付き従う。
これで良かったんだ、と錬金術士は思い込もうとした。
最初は成り行きで、やりたくもない暗殺任務をやらされたのだ。
もっと向いている人間が相棒になった方が、腑を上手く使いこなしてくれるだろう。
何だかどっと疲れた気がする。
今はただ、ゆっくりと眠りたい。




