百芸の鉄腕(前編)
王都の北西には、埋蔵量の豊富な鉄鉱山と、冷たい海流に育まれた良質な魚場を有する公爵領がある。
領主の城下町として発展した紅柱都市は、それらの産業で建国当時から国を支えてきた要地だ。
公爵家の紋章である双頭獅子の浮き彫りが入っている四頭立ての大きな馬車は、紅柱都市へ続く街道をひた走る。
馬車の前面にはガレー船を思わせる衝角が、そして後部には寒冷地用だろうか暖炉が備え付けてあった。
錬金術士ヴァネッサと暗殺者「腑」が王都を脱出してから、数日が経過していた。
ヴァネッサは自身が設計した馬車を気に入っており、たびたび暗殺任務への足として使用している。
実行犯である腑を回収して逃げるには少々目立ちすぎる車体だったが、検問を簡単に通過できるのが良い。
公爵家の馬車を停められる権限は、一般憲兵には無いからだ。
今回の一件でも、大いに役立ってくれている。
貴族の暗殺に失敗して逃亡する状況でありながら、容易に市壁を突破して王都を脱出できた。
双頭獅子のご威光には、頭が下がる思いだ。
カノーヴィル公爵の妾の子であるヴァネッサにとって、この紋章には愛憎半ばする複雑な感情が付き纏う。
しかし暗殺に手を染めている以上、利用できる物は何でも利用しないと生き残れない。
「あ。雪だ。あはは! 雪だよヴァネッサ!」
馬車に同乗している少女が、窓の外を見て無邪気に声を上げた。その右腕は肘から先が無く、包帯が巻かれている姿が痛々しい。
ギルバート侯爵が雇った東瀛人の護衛によって、斬り落とされたのである。
「本当だ、道理で冷えると思った。今年は早いわね」
風に吹かれて、小さい花弁のような雪がちらちらと舞っている。
地面に落ちればすぐに消えてしまうので、積もるような雪ではない。
腑を作り出した男の事は、よく知っていた。
ヴァネッサと同じ賢哲学院で学んでいた特待生で、強靭な兵士を作り出す研究をしていた奴だ。
結果が出せなかった上に人攫いまでやらかして、放校になったと聞く。
その後、彼は新たな出資者を得て研究を推進し、専門分野だった薬学と精神医学を結集することに成功した。
精神が未熟な子供達を材料に、強烈な暗示と薬物漬けで作り出した凄腕の暗殺者。
それが「ナサニエルの子供達」と呼ばれる存在だ。
ナサニエルは、放校になった事を相当腹に据えかねていたのだろう。
研究が成功した旨を伝えるために少女を同伴してわざわざ学院を訪れ、暗殺者の身体能力が如何に優れているか実演して見せた。
その後「もっと欲しければ売ってやるぞ」という意思表示のため、商品見本として腑を置いて行ったのである。
私費を投じて学院の特待生を支援しているのは、他でもないカノーヴィル公爵だ。
主戦派である公爵ならば、喉から手が出るほど「完成品」を欲しがるに違いないと考えたのだろう。
事実、あと一歩で購入する直前の段階でまで話が進んだ。
そうならなかったのは、公爵の右腕である文官のレナードが強硬に反対したからである。
正常な感覚だ。
いくら強いからと言って、薬漬けにした少年兵を戦場に投入した事が知れれば、容認した公爵は国内外から猛烈な批判を浴びかねない。
主戦派の中心人物が失脚すれば、北方遠征は一気に講和に傾く可能性もあるのだ。
こうして公爵が子供達を戦場に駆り出す事は無くなり、関係者周辺を無駄に引っ掻き回したナサニエルは、ほどなくして死んだ。
王都で火災に巻き込まれたと聞くが、詳細はヴァネッサも知らないし興味もない。
ただ、置いて行かれた腑の処遇については公爵も文官たちも頭を悩ませた。
得体の知れない凄腕の暗殺者を、どう扱ったものか持て余したのだ。
「ねえ、腑。あんた、私の所に来た時の事、覚えてる?」
馬車の窓から左手を出して雪を掴もうとしている少女に、錬金術士は尋ねた。
「どうしたの、急に。あはは、変なヴァネッサ! 覚えてるよ、レナードが引き合わせてくれたよね」
暗殺者は、指で目尻を引っ張って見せた。文官の細目を真似したのである。
そう。あの時、腑は第九学舎の中を盥回しにされていた。
ナサニエルが残した暗殺者を、運用を前提とした研究を行なうこと──。
それが、公爵が第九学舎に課した命令であった。
軍学や諜報術が専門分野の者たちに白羽の矢が立ったが、暗殺など専門外だと拒否され、巡り巡って錬金術を学んでいたヴァネッサの所に連れて来られたのだ。
「ヴァネッサ様ならば、公爵閣下もご安心でしょう。生きた重要機密も、実の娘なら信頼してお任せできますから」
レナードは、細目をさらに細めて言ったのだった。
娘とは言えカノーヴィル公爵とは年に一度会うか会わないか程度の付き合いしかなく、とても信頼を受けるような間柄ではない。
それを知っていて、さらっと言うのだから嫌味な男である。
彼女が十四歳まで育った家庭は、母が公爵の妾として得た金で支えられていた。
家族は自分と母、母の両親である祖父母、叔父の五人。
しかし大人たちは誰も収入を得ようとせず、母の金を当てにするだけの穀潰しだ。
有れば有るだけ使ってしまうので、貯えなどできるわけもない。
いつも酒臭い祖父母の言いなりになって金を渡し、ニコニコと笑顔を絶やさぬ母親。
ヴァネッサは内心、そんな母を軽蔑していた。
なぜ毅然とした態度で接しようとしないのか、理解できない。
もっとも、母親が家族の歪みを全て引き受けていたので、家庭が崩壊せず成り立っていたとも言える。
良くも悪くも、懐が深いのだ。
公爵が妾に選んだのも、ただ容姿が美しいというだけでなく、そんな理由があったのかもしれない。
彼女の父であるところのカノーヴィル公爵は、週に一度くらいやって来て母と逢瀬を重ねていた。
ヴァネッサは、父の事を「公爵様」としか呼んだ事はない。
血縁上の父であっても、それは必ずしも人間関係としての父親を意味しないのだ。
公爵は、妾である母に逢うためだけの目的で家に来る。
だから家に居る母以外の人間は、カノーヴィルにとって空気のような存在だ。
祖父母たちも、その事は弁えている。
公爵が来ると挨拶もそこそこに、外出したり奥の部屋に引っ込んだりして、なるべく顔を合わせないようにしていた。
娘である彼女とて例外では無い。
父親が来ている時、彼女はいつも叔父の部屋に置いてもらっていた。
好感が持てない大人たちに囲まれて育った彼女にとって、唯一、気の許せる存在が叔父だ。
収入も生活能力も無い駄目人間ではあったが、心根が優しく、いつも彼女と遊んでくれた。
殆ど外に出ようとせず、家に引き籠って錬金術の実験ばかりしていた叔父なので、遊び相手に丁度良かったせいもある。
基礎的な学問や錬金術の下地となる知識は、この頃に教わった。
だから彼女が叔父の影響で錬金術士の道を目指すようになったのは、自然な事だったのかもしれない。
そして彼女が十四歳になった年の冬、生活は一変する。
父の部下である目の細い文官がやって来て、公爵との関係を解消するよう母に迫ったのだ。
解消するのであれば纏まった額の金貨を払うと共に、婚外子であるヴァネッサを公爵家に迎え入れるという条件つきだ。
祖父母は目先の手切れ金に喜び、母はその決定に従い、叔父は困ったように苦笑いするだけだった。
ヴァネッサは、まるで家族に売られたような気持ちになったのを覚えている。
彼女の新しい住居になったのは、賢哲学院の寄宿舎だ。
紅柱都市は教育に注力している事で知られ、国内唯一の専門的な教育機関である賢哲学院は多くの学者、賢者、文官を輩出している。
名君と謳われた三代領主が「国家繁栄の礎は、まず教育から」の信条から、建設を命じたのが学院の始まりだ。
以降、学院は税金だけでなく、歴代公爵の私費も投じられ運営されている。
そこで学ぶ者は、概ね二種類。
富める者と、貧しい者だ。
前者は高額な学費を支払えるだけの余裕がある、貴族や豪商の子弟など。富める者ではなかったけれど、ヴァネッサもこの枠に含まれる。
後者は狭き門である一般入試を突破して、学費と生活費を免除された奨学生である。
学舎と寄宿舎は専門分野ごとに分けられ、第一から第八まである学舎の何れかに割り振られ、そこで勉学に励むのだ。
例外として、そのどちらでもない入学経路「領主推薦」で入って来る者は、特待生と呼ばれる。
彼らは第九学舎に集められて独自の研究を行ない、他の学生と交流する事は無い。
特待生は奨学生と同じ学費と生活費の免除に加えて、研究成果に応じて報奨金まで支払われる。
彼らがそれだけの特別待遇を受けるのは、領主にとって有益な研究者だからだ。
軍事転用できる知識や技術が中心となるので、内容の大半が機密事項である。
第九学舎はそれぞれの分野での成功者が入って来る場合も少なくないので、他の学舎よりは年齢層が高めだ。
後年、錬金術で研鑽を積んだヴァネッサは領主推薦を受けて、第七学舎から第九学舎への編入を果たしている。
一時期は学舎内で最年少だったので、親の威光などと陰口を言われる事もあった。
悲しくもあり嬉しくもあるのは、公爵が彼女を贔屓する筈が無いと誰よりヴァネッサ自身が理解していた事だ。
「……今度ばかりは、拙いかもしれないな」
外を舞う雪を眺めながら、錬金術士は独り言ちる。
御前会議の会期中にギルバート侯を暗殺する任務だったのに、二度に渡って仕損じた。
おまけに、腑に大怪我までさせてしまった。
「ヴァネッサ、クビになる?」
小声を聞きつけた少女が尋ねる。
「有り得るね」
ナサニエルのように、結果が出せず第九学舎を追い出された例もある。
「まあ、学院に帰って直ぐさまクビになる事もないでしょ。公爵様もまだ御前会議から帰ってないしね。その間に、あんたに腕を作ってあげる」
「腕ならゼンクロウにあげちゃったよ?」
「だから、代わりになる義手を作るの。錬金術士の技術を見せてあげるよ」
腑が腕を失ったのは、作戦を立案した自分にも責任がある。腑はそうは思っていないだろうが、少しでも埋め合わせがしたい。
だからヴァネッサは思う。
最高の義手を設計しよう──と。




