少女は双頭獅子と笑う(後編)
「大丈夫。心配ないって」
色男は、シルヴィアの肩にそっと手を置いて元気付ける。
「……そなたは、何を根拠に言っているのだ」
侯爵の身を案じる衛士隊長の唇が、微かに震えていた。
「根拠ならあるさ。僕はゼンクロウに、侯爵から目を離すな──と命令したんだ。そして女給と侯爵は姿を消し、ゼンクロウも見当たらない。だから心配ないのさ」
隊長は実直な性格の、腰に二本の曲刀を差した東瀛人を思い浮かべ、少しだけ落ち着いた。
一方その頃、衛士たちが追っている女給はとうに裏口から建物を抜け出し、暴れる侯爵を塀に押さえ付けていた。
離宮の敷地を取り囲む、高い塀である。
「離せ、私を侯爵と知っての狼藉か! くっ、苦しい、何たる馬鹿力だ!」
ギルバートの言葉を聞いた女給が大笑いする。
「なにそれ面白い! 当たり前だよ。侯爵を殺しに来たんだもん」
スカートの中に手を入れ、腿に固定しておいた剣鉈をくすくす笑いながら取り出す。
女給は剣鉈を振り上げて、「それでは左様なら……」と言いかけ、瞬時に転がって回避した。
自分が「何を」回避したのかは知らない。
殺気を感じた身体が反射的に動いたのだ。
顔を上げると、斬撃が塀の煉瓦に筋を刻むのが見える。
侯爵は唖然としたまま声も出せない。
「素早い女給じゃな。旨い飯屋で働くと重宝されると思うぞ」
立っていたのは、見知らぬ剣技を使う東瀛人だ。
「おじさん面白いね!」
「ふうむ。お前さん、あれじゃろ? なんちゃらの子供達とか言う奴。感情が薄いと聞いておったが、聞いた話と大分違う」
ゼンクロウも謝肉祭に身を置く者として、鉄仮面については聞き及んでいる。
「あはは、ナサニエルね!」
女給姿の暗殺者は笑顔を崩さない。
「合ってるよ。他の子達も、表情を変えたりしないでしょ。私は変わらない表情が、笑顔ってだけ!」
少女はニヤリと目を細めるが、目の奥は笑っていない。
虚空に開いた深い穴のような、底知れない瞳だ。
笑顔の鉄仮面は前に居る敵をどうやって殺そうか考え、考え、考えたが──答えが見つからない。
ひと振りの曲刀を正眼に構えてぼさっと立っているだけの剣士に、隙が無いのだ。
何通りもの攻撃方法を考えてみたが、どれを選んでも良くない結果にしかならないのが予見できる。
試しに侯爵の方に視線だけ向けてみると、それに反応して敵の爪先が向きを変えるのが見て取れた。
やはり間違いない。相当な手練だ。
かと言って、このまま手を拱いていれば、衛士が集まってくるかもしれない。状況は悪化するだけだ。
少女は自分の手が汗ばんでいる事に気付き、初めての経験に喜ぶ。
「あはは! 凄い、こんなの初めて。私、興奮してる!」
「そうか。良かったな」
「ねえ、おじさんの名前を教えて。私は腑って言うの」
「なんじゃ、冥土の土産か? 某の名は禅九郎。渡瀬禅九郎と申す。」
「ゼンクロウ・ワタラセ。覚えた。私、ゼンクロウを殺したいの」
腑は自分の胸に手を当て、頬を染める。
「ゼンクロウを殺そうと思うと、興奮して胸が高鳴るの。これって恋だよね?」
「違うと思……」
地を這うほどに姿勢を低く沈めていた暗殺者は、ゼンクロウが答え終わる前に、矢の如き疾さで突進してきた。
キキーン! キキキキーン!
硬質な音を立てて、剣鉈と刀がぶつかり合う。
残響音のように聴こえるのは、瞬時に幾度も斬り結んでいるからだ。
近付いては離れ、離れては近付きながら両者一歩も譲らぬ刹那の攻防を繰り返す。
「手数だけは多いのう!」
刀で剣鉈を捌きながら、剣士は敵の動きを完全に見切っていた。
故郷の東瀛国で、このような暗殺者とよく戦ったのを思い出す。
彼らの多くが己の強さを過信して剣士に挑み、敗れて行った。
ゼンクロウは酒を呑むと、「武士より忍びが強いのは、芝居や絵草紙の中だけじゃ。もし真実であれば、合戦場は忍びで埋め尽くされておらねばならん道理。だが某は、戦場で武士の首級しか獲った事が無い」と機嫌良く語る。
対する腑は、完全に圧されていた。
東瀛人との殺し合いは彼女に快感を与えており、この多幸感が永久に続けば良いとさえ思わせたが、任務も忘れてはいない。
途中で何度か、「侯爵の首を落としてやろう」と試みてはいるのだ。
腰を抜かして怯えている男を殺すなど、笑いが出るほど簡単な筈なのに。
剣士がギルバートから注意を逸らさないので、擬かしいまでに近寄る事が出来ない。
任務を達成するには何か策が必要なのは感じているものの、湧いてくるのはゼンクロウへの熱い想いだけだ。
頭が良くて頼りになるヴァネッサは、この場には居ない。
女給に変装する作戦を考えたのも、囮の暗殺者を手配したのも彼女だ。
そもそもナサニエルの子供達は、基本的に頭を使うのが苦手である。
例外的に、ごく少数だが得意な子も居たが。
もしここに嘴が居たら、どんな奇策を練っただろう──と、腑は思った。
衛士たちの声が近付いて来るのが聞こえる。
もう猶予は無い。
これが最後の攻撃になる。
暗殺者は剣士に向け、突進した。
そして剣士の横を抜く軌道で剣鉈を投げる。
屈曲した短剣は回転しながら目標──侯爵の頭蓋──を襲う。
続いて、止まる事なくスカートから二本目の剣鉈を取り出し、ゼンクロウに斬りかかる。
「くふふ。さあ。どう動くの、愛しい人」
苦し紛れに思いついた方法だが、暗殺者は剣士の反応が楽しみすぎて笑い声が漏れた。
飛ばした剣鉈を処理しようと動けば、その隙を突いてゼンクロウを殺す。勿論その後、侯爵も殺す。
剣鉈を放置するなら、突進は中止して逃げよう。侯爵は頭蓋を割られるので任務達成だ。
どちらに転んでも損は無い。
二つの結果を較べると、どちらを選んでも侯爵は死ぬので「ゼンクロウは後者を選ぶのではないか」と腑なりに考えていた。
だから剣士が大刀を振るって剣鉈を弾き飛ばした事を、少し意外に思った。
それならそれで構わない。突進を継続して肉薄するだけだ。
左手に掴んでいる剣鉈に力を込めた暗殺者は、愛しい人の隙だらけの心臓に突き立てようとして──剣士が二本目の刀に手をかけているのを見た。
拙い。
頭の中で警報が鳴る。
どちらかを殺せれば良いと考えていたのに、このままではどちらも殺せず終わりだ。
全身で急制動をかけたせいで、関節と筋肉が悲鳴を上げる。
痛覚が弱い鉄仮面の特性が、こんな時に役立つ。
足が止まった凶賊を狙って、剣士が脇差を抜刀した。
「!」
右腕で身体を庇いつつ、転がって刀の間合いから離脱する。
立ち上がって武器を構えると、肘から先の右腕が無くなっていた。
断面から赤い血が止め処なく流れ落ちて行く。
任務は失敗だ。
「覚えておけ。王手飛車取りなぞ、盤上の空論。戦場では通用せん」
東瀛人は故郷の盤上遊戯を引き合いに出したが、当然、腑の知るところでは無い。
でも、迂闊な策を指摘されたのは、なんとなく理解できる。
「あはは! ごめんね、ゼンクロウ。私ばっかり気持ち良くなっちゃって。これじゃ恋人失格だよね」
「だから、恋人ではないと言っておろうが」
暗殺者は煉瓦塀の隙間に剣鉈を差し込んで足場にすると、一気に塀の上まで跳躍した。
「次はもっと頑張って、気持ち良くしてあげる。その腕は贈物だから、大事にしてね。抱いて寝たり舐めたりしても良いよ」
「こら、待て!」
「じゃあまたね、大好き! あはは!」
凶賊は塀の向こう側へ、ふわりと飛び降りた。
笑い声と共に、馬車の音が遠ざかって行く。
ゼンクロウも後を追って塀を越えようとしたが、刺さった剣鉈が体重を支えきれず抜けてしまった。
足場なしに塀は越えられないし、門まで遠回りしていては追いつけない。
「またね、か」
剣士は転がっていた腕を拾い上げる。女給服の袖がついた右腕は、血流が無いので青白く見える。
「み、見事であった! 流石は暗殺者退治の専門家である!」
危機が去ったため安心したのか、ギルバートが這ったまま剣士の元へやって来た。
ゼンクロウは肩を貸して、立たせてやる。
「其方だけではない。王女様にも、何と御礼を申し上げて良いかわからぬくらいだ……ひいっ!」
剣士が持っていた女給の腕を見て、侯爵は本日二度目の腰を抜かした。
* * *
限りなく黒に近い濃紺の馬車が、郊外を走っている。
四頭立ての大きな馬車だ。
側面には、双頭獅子の紋章が金色の浮き彫りになっている。
床に血溜まりが出来た車内で、二人の女性が脂汗を垂らしていた。
一人は、笑顔を絶やさぬ少女。
彼女は右腕を失ったばかりで、座席に横たわっていた。
もう一人の、艶っぽい美女が腕を縛って止血している。
「ねえ聞いてる? ヴァネッサ。ゼンクロウって、本当に素敵なの。もう、笑いが止まらないよう」
鋭い殺気に一目惚れした運命の恋人を想い、にやにやしながら脚をバタつかせる少女。
「何度も聞いたって。手当てし難いから暴れるんじゃないわよ。切り口を酸で焼くからね」
泣き黒子が印象的な美女は、車内の座面を開いた。
座席の中が長櫃になっていて、中には薬品や実験器具でびっしり埋め尽くされている。
斬られた腕の下に洗面器を置いて薬品をかけると、傷口から白い煙が上がった。
「あはは、面白い! これ知ってるよ。魔法でしょ?」
「違います。魔法なんて、この世に存在しません」
「えー。錬金術士なのに、何言ってるの。ヴァネッサの冗談はいつも最高だよ!」
大量に血を失って顔色が悪い癖に、腑が大笑いする。
錬金術士は、錬金術が魔法ではなく科学の分野である事を説明しようと思ってから、考え直した。
どうせ説明したってわかるまい。
この少女だけでなく、世界の大半から同じような誤解を受けているのだ。
訂正する労力が無駄なので、誤解させたままにしておこうと思う。
「ああ。ゼンクロウ大好き。今すぐ殺したい。恋って良いなあ……」
「お前のそれは、恋じゃねえから!」
「恋人が居ないからって、僻むのはどうかな。ヴァネッサも恋をしようよ。えへへ」
「え、あ、うん……」
恋じゃないと理解しているのに、妙な敗北感で気持ちが沈む錬金術士。
「よし、とりあえず止血は終わり。骨の処置は馬車の中じゃ出来ないから、落ち着ける場所に着いてからね」
焼けた傷口に化膿止めの膏薬を塗り、包帯を巻く。
「んっ……。くっ……。あはっ……ゼンクロウ……好き」
返事をせずに、変な声を漏らす腑。
傷の手当てに集中していたヴァネッサは、暗殺者が何をしているのか横目で見てから──驚いて二度見した。
少女は切なそうに恋人の名を呼びながら、片足を立ててスカートをたくし上げ、下着の上から股間を弄っている。
「おおぉいハラワタァ‼︎ 何やってんの⁉︎」
「あんっ……ゼンクロウを殺したいって想うと……お股が熱くなって……ムズムズするよう」
「ああ⁉︎ それひょっとして本当に恋なの? いや、殺意か? もう、わけわかんないわ‼︎」
気まずいから、女子の大事な部分を人前で弄るのは止めるように言いつけるヴァネッサ。
「なんで……? 私は気まずくないよ……?」
「私が気まずいんだよ‼︎」
双頭獅子の血統を持つ女は、窓の木戸を半分開けると煙草に火をつけた。
腕は良いのに言動が自由すぎる少女と同行するのは、尋常ではない心労が溜まる。
暗殺が失敗に終わった日なら、尚更だ。
なんと言って申し開きしたものか、頭を悩ませるヴァネッサだった。




