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少女は双頭獅子と笑う(前編)

 限りなく黒に近い濃紺の馬車が、街道を走っている。

 四頭立ての大きな馬車だ。

 側面には、双頭獅子の紋章が金色の浮き彫りになっている。

 車内はかなり余裕があり、二人の女性が席についていた。


 一人は、黒子ぼくろが印象的な艶っぽい美女。

 もう一人は、笑顔を絶やさぬ少女である。

 美女は舶来品の「煙草」という干し草を喫煙具に詰めて火を点け、ゆっくりと吸い込んだ。

「はあぁーっ、帰りたい。私、なんであんたの面倒を見る事になっちゃったんだろう……」

 文句と共に、甘い香りの煙を吐き出す。

「なにそれヴァネッサ! 面白い!」

 少女は口から出る煙を見て笑い転げた。

「笑い事じゃないっての」

 馬車の行き先は、王都である。


         * * *


 王都では年二回、御前ごぜん会議が催される。

 御前会議とは諸侯が集い、王の御前にて領内で起きた事の報告や、今後の政策を検討する定例行事だ。

 慣例的に、春分と秋分が会議の初日に当てられている。

 そのため城内で貴族がまつりごとの会議を行なっている頃、城下では国民が祭事まつりごとに興じている格好だ。


 それは今年も例外ではない。

 豊穣母神キュレーニ神輿みこしが大通りを練り歩き、収穫祭が最高潮に達する一方で、城内では貴族達が舌戦を繰り広げていた。

 現在の議題は北方遠征についてだ。

 ギルバート侯爵は和平派を代表して北方連合との講和を主張したが、カノーヴィル公爵を中心とする主戦派はこのまま押し切って領土を拡大すべしと力説する。

 意見が平行線を辿ったので、会議は翌日へ持ち越しとなった。

 長時間の会議に疲れた出席者は護衛つきの馬車に乗り込み、各家に割り当てられた賓館ひんかんや離宮へ散って行く。


 賓館の豪奢ごうしゃな続き部屋で安楽椅子に座ると、侯爵は苦々しげに吐き捨てた。

「茶番だ。今回もまた、現状維持だ。何も変わらん」

 食糧の浪費。兵士の消耗。税率の上昇。経済の低迷。治安の悪化。

 問題の源が全て北方遠征であるにも関わらず、和平派の訴えは軽視され続けてきた。

 主戦派は北方連合を叩く事によって得られる資源と、国防の二正面状態を避けられる利点を説く。


 確かに、友好関係にある西の帝国はさて置き、南の平原民は不気味な存在だ。

 国境付近での散発的な小競り合いは度々起こっており、全面衝突への戦端がいつ開かれてもおかしくはない。そもそも王国それ自体が平原民を南へ駆逐して建国された経緯もあり、連中の悲願は国土の奪還である。

 これらを踏まえると、主戦派の言う事にまるで道理が無いわけではない。


 だが、物には限度がある。

 夢見る時間はとうに終わりを告げ、現実を直視する局面に入っているのだ。

 七年もいたずらに「あと少し、あと少し」と戦争を続けてきた結果、もはや国力の疲弊は限界に近付いている。

 余力があるうちに講和しなければ、最後には相手の出す条件を丸呑みせざるを得ない。

 必ず勝てる戦争など無い以上、負けた時の損害が許容量を超える前に幕を引くべきなのだ。


 だからこそギルバートは、王国の存続を第一に考えて奔走してきた。

 時には財界の有力者に戦後復興の利益を熱弁し、時には北方連合の穏健派と密書を交わし、講和への道を探ってきた。

 しかし、それらの計画をことごとく阻止したのが主戦派である。

 彼らの多くは王立騎士団の将官であり、戦争状態が続けば自身の地位と発言力が高まると考えている者たちだ。

 ギルバートに言わせれば、貴族の身でありながら国や民草よりも自己の利益を優先させる愚物である。


 王は最初こそ開戦に消極的だったが、名門貴族が多く占める主戦派に押し切られる形が続いていた。

 ところが、ここに来て少し状況が変わってきている。

 さすがに一進一退の戦局がこう長く続けば楽観してもいられないと、王の気持ちが講和に傾き始めたのだ。

 和平派はまだまだ納得していないが、御前会議で北方遠征の議題が白熱して翌日に持ち越された事例も今回が初めてである。

 静かだが着実に、主戦派の勢いにかげりは見え始めていた。


 侯爵は立ち上がると、窓の鎧戸から下の通りを見渡した。

 通りに沿って篝火かがりびが焚かれ、往来する人々が露店の軽食などを楽しんでいる。

 普段は陽が暮れると軒並み閉まるような商店も、収穫祭とあって開いている店も多い。

「ぬ……?」

 室内で戸口を警護していた衛士シルヴィアは、主君の呟きを聞き逃さなかった。

 侯爵家に仕える衛士隊では隊長を務める彼女だが、実際のところ剣技を披露する機会などほとんど無い。

 専ら侯爵付きの秘書官のような役割だ。


如何いかがしましたか、侯爵閣下」

「シルヴィアよ。この宿から通りを挟んだ、向かいにある店が見えるか」

「はい。剣や鎧などを売る店にございます。王都でも指折りの高級店だとか。今宵は祭なので、まだ開いているようです」

「そのような事が聞きたいのでは無い。私の記憶が間違いでなければ、あの店の看板や旗竿にある双頭獅子の紋章はカノーヴィル侯爵家のもの。相違ないか」

「仰せの通りにございます。侯爵家御用達という事で、紋章を掲げる認可を受けているとの話です」


 ギルバートは苦虫を噛み潰したような表情で「やはりか……」と独り言ちた。

 主戦派の大物、カノーヴィル公爵の所領では良質な鉄鉱石が産出する。

 剣や鎧など鉄製品の需要が高まれば、鉄鉱石の価値も上がってカノーヴィルが潤うという寸法だ。

 民の血で私服を肥やす下衆げすめ──と吐き捨て、衛士に命じる。


「シルヴィア! 私は部屋を移るぞ。ここは寝室も客室も皆、通りに面している。御前会議の場だけならいざ知らず、宿に帰ってまで公爵家の紋章など見るに耐えん」

「はっ! 恐れながら申し上げます。当館には侯爵閣下に相応しい貴賓室が他に無く、階下の個室は一般客で満室にございます。また、警備の観点からも申し上げましても……」

 侯爵は「黙りおろう!」と一喝して隊長の苦言を中断させる。

「お前は私に休息を与えないつもりか。あのような紋章が見える部屋では、夢にカノーヴィル公が出てきそうだ。貴賓室でなくとも、通りに面してない部屋なら何処どこでも構わん。下に行って、私と部屋を替えてもよい者を探して参れ!」

 ギルバートの癇癪かんしゃくが爆発し、気の毒な衛士は階下に走ったのだった。


「そうだ、これで良い。双頭獅子の紋章が見えるくらいなら、殺風景なほうが気が休まる」

 個室に移り、満足げな侯爵。

 部屋の交換を持ちかけられた男は、快く応じてくれた。

 個室と同じ値段で貴賓室を利用できるのだから、大喜びだ。

 衛士たちの控え室として客間は利用させて貰うが、寝室だけでも交換前の倍以上広いのだから異存などあろうはずもない。

 不評だったのは、休憩のたびに上の階まで行かねばならない衛士たちだけだ。


 そんな衛士の一人が交代のため貴賓室に戻った時、異変に気付く。

 破られた窓から吹き込む風。

 折り重なるように倒れている、息絶えた衛士たちの変わり果てた姿。

 寝室で就寝中だった男も惨殺されていた。

 あきらかに、侯爵を狙った凶行である。

 ギルバートが難を逃れた理由は、偶然部屋を替えていたからに過ぎない。


 貴人の暗殺未遂という一大事に、深夜にも関わらず多くの憲兵が駆り出された。

 暗殺者は屋根からロープを垂らして窓を破って侵入し、凶行に及んだ。

 その後、同じ経路で屋根伝いに逃げたものと思われる。

 泊まり客には箝口令かんこうれいが敷かれ、不審者の検問が行なわれた。

 しかし犯人の行方はようとして知れず、ついには朝になり御前会議が再開されたのである。


 その日、ギルバートの弁舌が優れなかった事は言うまでもない。

 命を狙われただけでなく、犯人は姿をくらましたままなのだ。

 再び襲われるのではないかと思うと、会議が中休みになっても昼食が喉を通らない。

 それでも何も口に入れないわけにいかないので、王城の料理人に焼き菓子を用意させる。

 廻廊の長椅子に座ってボソボソと食べていると、高く澄んだ声で呼びかけられた。


「昨夜は災難だったようですね、ギルバート卿」

 現れたのは、まだいとけなさを残した少女だ。

 薄青色のドレスとすべやかな肌、流れるような銀髪。

 成長すれば比類なき美しさが約束されている彼女こそ、マルグリット。

 王位継承順位が第五位の王女である。


「も、勿体もったい無いお言葉です、マルグリット王女!」

 ギルバートは弾かれたように立ち上がり、それから慌てて片膝をつく。

「そんなにかしこまる必要はありません。第五位の王女なんて大した権力も無いお飾りなのですから、もっと気楽に振舞って良いのですよ。ここに座っても、よろしくて?」

 王女は侯爵の隣に座り、女給メイドに茶を申し付ける。


「貴方には期待しているのです、ギルバート卿。騎士団と関わりの深い貴族たちは口先ばかり勇ましく、民の苦しみが見えていません。是非とも講和を実現させ、王国に安寧あんねいを取り戻してください」

「お、おお……なんたる光栄、なんたる幸福。このギルバート、命に代えましてもマルグリット様のご期待にお応え致します!」

 王女から思わぬ言葉を賜り、感極まる侯爵。


「軽々しく命に代えるなどと申してはいけません。命を狙われている身なら尚更なおさらです」

「失礼しました。ところで暗殺未遂の件は、そんなに噂になっておりますか?」

「憲兵隊の初動が優れていたので、まだそれほど広まっていないようです。私はそちらの方面に多少顔が利くので、早い段階で知る事ができました」

 愛らしいだけでなく利発な王女に、侯爵は感心しきりだ。


「ところで、差し出がましいようですがギルバート卿。衛士に不安はありませんか? よろしければ、暗殺者退治の専門家を紹介しますけれど」

 正直、衛士が心許こころもとないのは事実である。

 昨晩部屋を替えてくれた男がみすみす殺されてしまったのも、衛士がもっと強ければ防げたかもしれない。

 いや、シルヴィアたちが弱いわけではない。贔屓目ひいきめに見ても、結構強いと思っている。

 それでも返り討ちにされたという事は、凶賊はよほどの腕前と見るべきなのだ。

「暗殺者退治の専門家とは心強い。何卒なにとぞ、宜しくお願い致します」

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