群狼と鉄仮面(後編)
暗殺者「鉄仮面」ことウィルマは、脱出する経路を探すために廃坑を彷徨っていた。
ファーガスは侵入者を閉じ込めようとして入口を崩落させたわけだが、冷静に考えればこれは複数の出入口がある証拠でもある。
侵入者を始末した後に自分たちまで出られなくなっては本末転倒なので、きっと隠された通路がどこかにあるのだろう。
しかしその抜け道の存在は、山賊団の誰もが知っているというわけでは無いようだった。
ウィルマは遭遇した山賊の首を搔き切る前に、指を何本かへし折ってから抜け道について丁重に質問してみた。
だが、反応は皆同じ。
苦悶に呻きながら「知らない」と口を揃えるだけだ。
潜入しての暗殺任務は、脱出までの時間が重要である。
今はまだ、山賊たちの大部分が状況を把握していない。
侵入者がいる事も、その侵入者が頭目のファーガスを暗殺した事も知らない。
彼らが知っているのは、何らかの理由で入口を崩落させる装置が作動した──という事実だけだ。
だが時間が経過すればするほど、知る者は増える。遭遇した山賊たちの死骸はなるべく人目のつかない位置に転がしてあるが、じきに誰かが見つけるだろう。
そうなればウィルマを捜索する者も増え、危険度は増す。
戦災孤児だった幼少期から暗殺の技を叩き込まれたウィルマにとって、少数の敵を相手にする事は容易い。
問題は、多数だ。
囲まれてしまえば、敵の攻撃を捌く手数が圧倒的に足りない。身体能力に長けた暗殺者とて、腕は二本なのだ。
「まあそうなっても、せいぜい死ぬだけだし」
ウィルマにとって死はいつも身近にあって、特別なものでは無い。
誰も彼も殺してきたのだから、自分もいつか誰かに殺されて終わるのだろうと思っている。
そこには諦観や達観とも違う、あたりまえの因果としての死生観があった。
そんな事をぼんやり考えながら一人の山賊を拷問していると、指を折られる直前に「抜け道を知っている」と言い出した。
脂汗を流して山賊が語った内容は「地下牢の大部屋から外に抜ける仕掛けがあるらしい」とのことだった。
ウィルマは礼を言ってから山賊の首を掻き切り、坑道から地下を目指す。
姿を見られた者は殺すよう指示されているので、情報を話しても話さなくても結局は殺すのだ。
床に転がった牢番の心臓から剣鉈を引き抜いて、鍵を奪う。
ウィルマがやって来たのは、山賊から聞き出した地下牢だ。
話にあった大部屋の扉を開けると、中には囚われていた大勢の女たちと、夢中で彼女らを犯している数人の山賊たちがいた。
死んだ魚のような目をして男を受け入れている女。体液に塗れて廃坑の天井を眺めている女。
垢と汗と体液の混ざり合った、嫌悪感を覚えずにはいられない臭い。
そこは山賊たちが攫ってきた、生きた「戦利品」を捉えるための場所だ。
戦利品は飽きるまで弄んだ後、奴隷商人に売って金に変える。
ウィルマはまず、下半身と阿呆面を晒している山賊たちを弩級で射抜いた。
弩級は一般的な長弓よりも構造が複雑なぶん再装填に時間がかかるが、それでも腰を振り続ける油断しきった男たちを撃つ余裕は充分すぎる。
急所は若干外しておいたので尋問してみたが、隠し通路の事は誰も知らないようだったので止めを刺した。
突然の事で呆気にとられていた女たちの目に、幾許かの光が宿った。
「……もしかして、助けに来てくれたの?」
「帰れるの? 家に帰れるんですか?」
「ありがとう! 何とお礼を言っていいか……!」
囚われ、虐げられていた生活から抜け出せる喜びに感極まったのか、一人の女がウィルマに駆け寄る。
感涙に咽びつつ、解放してくれた恩人に抱きつこうと両手を広げ、そして、女は息絶えた。
剣鉈で首を掻き切られたのだ。
倒れた女から、噴水のように血液が飛び散る。
何が起こったのか理解できず、囚われていた女たちに動揺が走った。
「助けてくれるんじゃ……ないの?」
その問いに、喜びも悲しみも存在しない表情で暗殺者が答えた。
「見られたら、口封じしないといけないんだ」
その後の暗殺者「鉄仮面」は、まさに兎小屋に放たれた狼だった。
逃げ惑う半裸の女たちを、斬って斬って斬りまくった。
抵抗する者もそうでない者も。歳若い者もそうでない者も。
やっと全員を斬り終えた頃には、噴き上がった血煙によって室内の視界が悪くなっていた程だ。
さて隠し通路を探そう──と思った直後、ウィルマは室内に無傷の生存者が一人残っている事に気づいた。
隠れていたわけではない。その少女はただ、片隅の長椅子に腰掛けて、じっとこちらを見ていた。
なぜ見落としたのか、鉄仮面自身も理解できない。
「みんな死んだのね?」
涼やかな声で少女は問う。年の頃はウィルマと同じくらいだろう。
「うん。死んだよ」
そう答えて歩み寄ると、暗殺者はいつものように勢いをつけて剣鉈を振り下ろし──。
少女の喉に触れるか触れないかの距離で、剣鉈の刃をぴたりと止めた。
「おっと危ない。うっかり、任務で指示されてない人を殺す所だった」
少女の瞳は、靄がかかったように白く濁っていた。盲目なのだ。
指令を字義通り解釈するなら、見られていない者を口封じする必要はない。
「殺さなくていいの?」
「私は殺すのが仕事。指示されてない人を殺しても、只働き。それは勤労意欲に結びつかない」
そう言いながら、ウィルマは死体だらけの室内を物色する。聞き出した情報が確かなら、ここに隠し通路があるはずだからだ。
意味ありげな壁掛織物を捲ると、何かの装置を作動させるためのダイヤルが壁に取り付けられていた。
このダイヤルは、外に通じる隠し扉を開けるための仕掛けに違いないだろう。左右に適切なぶんだけ回転させると、扉が開く仕組みである。
しかしその時、無情にも無数の足音と絶叫と怒声が坑内に反響して聞こえてきた。
時間切れである。
仲間の死体を発見した山賊たちが、恐怖と怒りに駆り立てられながら侵入者を探すべく奔走しているのだ。
ほどなく地下牢にも手が伸びるに違いない。
一刻を争う状況で出鱈目にダイヤルを回して正解を見つける事は、盗賊神でもなければ不可能と言えるだろう。
「ああ。詰んだ」
鉄仮面に、後悔はない。
遅かれ早かれ、人間はいつか死ぬのだ。それがたまたま今日だったというだけだ。
あとは自分が殺られるまでに、何人殺れるか試してみよう。
今までに退路を断たれた状態で戦った事は無いので、意外と良い記録が出せるかもしれない。
盲目の少女が唐突に申し出たのは、ウィルマが決死の意思を固めようとした時だった。
「殺し屋さん。私の頼みを聞いてくれるなら、ダイヤルの回し方を教えてあげるよ」
暗殺者がまず考えたのは「この娘が知っている筈はない」だった。
地下牢に囚われている者が脱出方法を知っていたら、すぐに抜け出してしまうだろう。
そう確信していたからこそ、鉄仮面は囚われていた女たちを鏖したのだ。
それに、ダイヤルは壁掛織物の裏に隠されている。必然的に、ダイヤルを操作する者は壁掛織物によって覆い隠される。
第三者が盗み見る事はできない。
それでも事態が現状より悪くなることは無いのだから、聞くだけ聞いてみるのも一興だろうと暗殺者は思った。
「わかった。開け方は?」
「目盛りを右に七、左に四、右に八、左に八」
指示された通りにダイヤルをカリカリと回すと、作動音と共に隠し扉が開いた。
「驚いた」
そう言ったウィルマの表情は、全く驚いていない。
「言ったでしょう? それじゃあ次は、こっちのお願いを聞いてよね。殺し屋さんの行く所に、私も連れて行ってほしいの」
予想もしていなかった申し出だが、躊躇っている暇は無い。
暗殺者は、盲目の少女の手を引いて駆け出した。
隠し通路を抜ければ、廃坑から脱出できる。
「私、目が見えないけど耳は良いの。こうして、たまに役に立つのよ」
操作の手順は隠せても、ダイヤルを回す音は壁掛織物では隠せなかったようだ。