海運商家の嫁(後編)
心臓を貫かれ、死体になって間も無い身体が三つ、音を立てて倒れた。
レナータの後ろから迫っていた海賊の背中に、飛んで来た三本の刃が立て続けに刺さったのだ。
その直後、刃を放った者が窓から転がり込んで走り、刺さっていた武器を引き抜いて構える。
内向きに屈曲した短剣──剣鉈を。
「あれ。爪だ。どうしたの」
レナータは思わず声を発する。見知った顔が突然現れて、自分を苦境から救ったからだ。
「久しぶり、荊。五年ぶりくらいか」
ウィルマは「同類」の背後に立ち、互いに背中を預ける。
「そうなるね。今あなた何してるの」
かつて「荊」と呼ばれていた暗殺者の鞭が唸り、海賊の顔を掠めた。反射的に閉じた瞼もろとも、両眼が刮げ落とされる。
「まだ謝肉祭に居るよ。あっそうだ、結婚おめでと」
祝福の言葉と共に、血だらけの顔を覆って絶叫している海賊の後頭部に、剣鉈を埋めるウィルマ。割れた頭蓋から脳の一部が零れる。
「有難う。他の子たちは元気?」
敗色が濃厚と見て尻込みする海賊たちの脚を、レナータは重点的に狙う。骨を折り腱を裂いて、逃げられないように。
「あらかた私が殺した。ナサニエルも」
近くの敵は剣鉈で、遠くの敵は弩弓で射抜いて止めを刺す。
「あら、そう」
表情を変えず、淡々と言葉を交わす二人の少女。
鉄仮面たちが奇妙な旧交を温めているうちに、邸内のコンラドゥス海賊団は一掃されていた。
「こんな事をして、貴様、商会を滅ぼす気か!」
脚に包帯を巻かれながら、ダマススは息子を咎めた。
「逆だぜ、父上。あんたが危うく滅ぼしかけた商会を、俺が助けた。と言っても、あんたに理解できるとは思わんが」
「なんだと、この親不孝者め! 私を裏切りおって!」
「商売は裏切られた方が悪い──とか言ってたよな? 本日この時を持って、バルビローリ商会の会主は俺が引き継ぐ。全権を譲り渡す書類に署名してもらうぜ」
「誰がそんな署名など……ひいっ!」
レナータが鞭を構えただけで、ダマススは息子の要求を渋々受け入れる。
「大人しくするなら、不自由のない隠居暮らしを約束しよう。だが妙な画策をするなら、倉庫の地下にでも軟禁させてもらう」
項垂れた前会主は、私兵隊長ブノワに連行され退場した。
「見ての通りだ、お客人。身内の恥を晒してしまったが、会主はこの俺、ガイウス・バルビローリが引き継いだ」
「そのようだ。早速だが会主さん、さっきの話がまだ途中だった。返答を聞かせてほしい」
「了解した。バルビローリ商会は、オフィーリア・モーリオンブランド氏の申し出を受けるぜ。謝肉祭からの出資、金貨一万枚で更なる事業の拡充を約束しよう」
かくして商会の秘密は守られた。
謝肉祭が出した資金で手広く密輸を行ない、その利益から配当を返す形になる。
持ち込んだ違法な品物についても、裏社会で培った販路を提供するという。
犯罪行為が露見する危険は相変わらずあるものの、これについては先代会主が元凶なので仕方がない。
強請り集りでは短期的な利益は得られても、時間を追うごとに反感が肥大するため長くは続かない。
長期に渡り甘い汁を吸う秘訣は、時に甘い汁を分け与える事だ。
オフィーリアは、相手のしてほしい事としてほしくない事を察するのに長けている。
その洞察力を人心掌握に活用して、「泣き女」は幹部にのし上がったのだ。
彼女の思惑が、商会と謝肉祭を互いに最も望ましい落着へ導いたと言えるだろう。
良好な関係が築けた記念に「ささやかだが宴席を用意する」と会主が言うので、謝肉祭の面々も言葉に甘える事にした。
私邸は海賊の血と屍骸で汚れているため、場所を商館に移しての親睦会である。
館の使用人たちは突然の会主交代に面食らった様子だったが、ダマススのやり方には思うところがあったのだろう。
皆、笑顔で祝福した。
私邸で何が起きたかは知らない筈だが「海賊団が押し入って会主様に怪我を負わせ、それが原因で引退を決意なされた」という噂になっている。
また「その際に海賊たちを打ち倒したのが、誰あろう若奥様だ。奥ゆかしいご気性なので、武芸の腕前を隠しておられたのだ」との武勇伝が広まっているので、人の口に戸は立てられない。
宴席には見た事もないご馳走が運び込まれ、思った以上に盛大な催しとなった。
新しい会主のための内祝いも兼ねているらしい。
皆が飲み、食い、楽しんだ。
特にウィルマは、使用人たちから手厚く歓迎された。
いつも無口で無愛想な若奥様の元に、同郷のご友人が訪ねていらした──と話題になっているのだ。
彼らから「若奥様といつまでも仲良くしてあげてください」と頼まれ、鉄仮面は無言で頷く。
「そう言えば、荊はレナータって名前なんだね」
「うん。結婚した時に主人がつけてくれたの」
「へえ」
「爪も、ウィルマって呼ばれてるね」
「うん。エリックが適当につけた」
「それって、求婚されたのかな」
「たぶん違う。何も考えてない奴だから」
その頃、風に当たりに露台へ出た「何も考えてない奴」は、ガイウスと共に夜の海を眺めていた。
「エリックさん。あんたは、知っていたのか? 俺が、ナサニエルの子供を買った事を」
会主は思い切って、気になっていた事を幹部代理に尋ねてみる。
「いや。記録では購入者の名義はバルビローリ商会になっていて、商会の誰が買ったかはわからなかった。だから最悪の場合、俺たちは鉄仮面と交戦する可能性も視野に入れて、窓の外にウィルマを待機させてたんだ」
そうならなくて本当に良かった──と、エリックは舶来品の酒を旨そうに呷る。
「ウィルマだけは荊──おっと、レナータさんの顔を知っていたから、若奥様と呼ばれているのが同類だと気付いたらしい」
「……そうか。俺は最初、一族への反骨心からナサニエルの子供を買ったんだ。ただの道具のつもりだった。結婚という形を取ったのも、そっちのほうが都合が良かったからだ」
不良息子は「安くない買い物だったけどな」と自嘲気味に笑って、続ける。
「海へ出て未知の島に上陸する時も、護衛として連れて行った。実際、役に立ってくれた。でも、そうやって一緒に過ごすうちに、いつの間にか掛け替えのない存在になっていた。名ばかりの妻は、名実ともに妻になっていた」
「レナータさんは幸せだな。あいつらは大抵、幸せから縁遠いってのに」
「あんたは、ウィルマさんをどう思っているんだ?」
「俺は、どうとも思ってないね。ウィルマだけじゃなく、誰にも特別な感情は持たない事にしてるよ。商売柄、別れが多すぎるからな」
「そうか。詰まらない事を聞いちまったかな」
「ただ……あいつらが暗殺者に成り果てた原因に、俺も関わってるんだ。できれば幸せに生きてほしいと思ってる」
「原因?」
「鉄仮面は皆、北方遠征の戦災孤児だ。俺も遠征隊の旗の下、多くの市民に剣を振るい、幾つもの村を焼いた。知らん顔を決め込むには、余りに殺しすぎた」
「だから幸せに生きてほしい、か」
ガイウスは、本当に知りたかった質問を切り出す。
「なあエリックさん、教えてくれ。ナサニエルの子供達は、本当に……二十歳までしか生きられないのか?」
長い沈黙を経て、幹部代理が答える。
「本当だ。鉄仮面は強さと引き換えに、あらゆる犠牲を払っている。寿命だけじゃない。知っての通り感情にも乏しいし、防衛本能や自己愛も希薄だ。それらは暗殺者にとって無用だからな。ついでに言うと、子孫も残せない」
残酷なまでに包み隠さず真実を伝える。
「気休めになるかはわからんが、今までに寿命で死んだ鉄仮面はまだ居ない。だから短命というのは制作者の推量ってだけで、本当かどうかは誰も知らないんだ」
奥さんが長生きできるよう、祈ってるよ──そう言い残してエリックが屋内に戻った後も、ガイウスは夜風に当たり続けていた。