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海運商家の嫁(中編)

「ところで。もう一つ、別件でご提案があるんですが」

 謝肉祭カルナバルの幹部代理は、用意しておいた話を切り出す。

「ふむ。何でございましょう」

「幹部オフィーリア・モーリオンブランドは、あなた方の秘密の商売に興味を持ちました。そこで、出資させて頂きたいのです。手始めに、金貨一万枚。この意味、おわかりですよね?」


 やられた。知っていたのだ。

 痛恨の呻きを漏らしつつも、ガイウスの頭脳は猛烈に回転していた。

 この申し出を受ける場合の、利益と危険。


 やがて明晰な頭脳は、一つの結論に辿り着く。

 よくよく思索を巡らせてみると──この話、そう悪い条件ではない。

 利害が一致している間は、秘密の共有が約束される。

 密輸の規模を拡大せざるを得ないが、毒を食らわば皿までだ。

 どうあれ罪状が変わるわけでもないので、出資を受けて手広くやったほうが良い。


「わかりました。つまり、私どもの商売について、最初からご存知だったのですね。いいでしょう……申し出に応じますよ」

「賢明な判断です、ダマススさん。細かい取り決めや契約についてはクラリッサに一任してあるんで、そちらの担当者と話を詰めさせましょう」

 会主は担当者を呼びに行かせたと思われたが、呼ばれて来たのは──武装した一団だった。

 荒くれ者たちは手斧や段平だんびらを見せつけながら、客人が逃げられぬよう広間の出入り口を固める。

 彼らが何者なのかはガイウスも知らない。今まで雇っていた私兵とは明らかに違う。


「どういう事ですかねえ。脅すのはあんまり得意じゃないんですが、商会にとって良くない判断だと思いますよ。なあ、クラリッサ」

「私たちの口を封じても、あんまり意味ないよね。本部はもう知ってるんだし」

「あいつら強そうだな。頼りにしてるぜ、罠師さんよ」

「知らないよ。私は戦うために来たわけじゃないんだ。事が始まったら、あんたとウィルマに任せるからな」


 二人の掛け合いを見たダマススは、興奮して怒鳴る。

「悪びれない盗っ人め! 私がお前らなど恐れると思ったか! 証拠の書類さえ押さえれば、何と言われようと言いがかりに過ぎん。蒼玉都市で力を持っているのは謝肉祭ではない。商会を守ってくれるのは、コンラドゥス海賊団だ!」

 毒をもって毒を制すだ──と会主はわらう。


 会主の不良息子は、頭を抱えた。

「……悪手だ」

 考えもつかなかった程の悪手である。

 これまで想定された最悪の状況は、密輸が露見して商会が取り潰される事だった。首謀者は投獄。一族郎党が路頭に迷って、働き口を探さねばならない。

 しかしこれで、バルビローリ商会の関係者が、路頭に迷った上に命を狙われる危険が加わった。

 二つの犯罪集団の抗争を焚きつけておいて、無事で済むわけがないのだ。

「終わりだ。不良息子の店仕舞みせじまいだ」

 目の前が暗くなるのを感じながら、ガイウスは妻の名を呼んだ。


「レナータ。居るな?」

 柱の陰から、異国風らしい薄手の衣をまとった少女がすっと体を出す。

「はい、ガイウス様」

「客人を守れ。傷ひとつ付けさせるな。海賊どもは残らず殺してしまえ。ちょいと人数が多いのが心配だが……できるか?」

「問題ありません。義父様おとうさまはどうなさいますか」

「逃がすな。父上のほうは傷つけても構わん。命と、書類に記名する利き腕が残っていれば良い」

「承知しました」

「面倒をかけて済まないが、商会存亡の瀬戸際だ。頼む」

 一陣の風が吹いたと思った時、新妻の姿は既になかった。


「俺的には、歴代二位くらいの危機ピンチだぜ」

 串状の峰を持った特異な短剣を構えながら、エリックはクラリッサをかばうように立つ。

「一位は?」

幹部ナサニエルりに行って、十人以上の鉄仮面に追っかけられた時」

「一位と二位の差が大きくない?」

 罠師は首を傾げながら、腰の革小袋ポーチに手を突っ込んで探った。

「煙幕くらいは焚いてあげる。あとは丁度いい頃合いでウィルマを呼びなよ。もっと敵の頭数を削ってからじゃないと、あの子の負担が大きすぎる」

「俺の負担は関係なしかよ⁉︎」

 海賊たちが襲いかかってくるのと、広間に煙が拡散するのは、ほぼ同時だった。


「ゲホゲホッ! なんじゃこりゃ!」

「見失うな! 居たぞ、殺せ!」

 逃げるクラリッサの背後に迫った海賊が、斧を振り上げる。

 振り下ろそうと力を込めた瞬間、それを床に落とした。

「ギィヤァッ!」

 手の甲の皮膚が裂け、折れた骨が傷口から飛び出している。これでは物が掴めるわけもない。


 その叫びを皮切りに、広間のあちこちで乾いた打撃音が響き、激痛に悶える悲鳴が上がる。

 煙が散って視界が晴れつつある広間では、レナータが走り回って鞭を振るい、海賊どもをしたたかに叩きのめしていた。

 ただの革鞭ではない。

 蛇のように長くしなやかな表面には、細かくった硝子ガラスが埋め込んである。

 打たれれば骨が砕け、かすっただけでも皮膚がごっそり持って行かれる恐るべき代物だ。

 レナータにとっては、数少ない「嫁入り道具」でもある。


「ひいっ、何をしている! は、早く謝肉祭の二人を殺さんか! 後は任せたからな!」

 逃げようとするダマススの脚に、鞭が巻き付いた。

 そのまま引き倒され、やすりのような硝子片が脚の皮を裂いて肉をえぐる。

 痛む脚を抱えて胎児のような姿勢でうずくまる会主に、レナータは顔色一つ変えず告げた。

「義父様、逃げないでください。逃げたらもう一本の脚も同じようにします」

 事もなげに言う息子の嫁に恐怖したダマススは、涙を流して何度も何度も頷く。


 短剣「剣折り」で身を守りながら、エリックは少女の戦い方に見惚れていた。

 鞭による敵の無力化を優先し、もう片方の手に持った短刀で無力化した敵にとどめを刺す戦法スタイル

 しかも鞭の長さを活かして、剣や斧より遠い間合いで戦える。

 エリックに手伝えるのは倒れて喚いている海賊の喉をき切って、静かにさせる事くらいだ。


 乱戦は開始直後こそレナータとエリックが優勢だったが、混乱が収まってくると多勢に無勢。潮目が変わった。

 海賊団もやられてばかりではない。

 荒事に慣れた者たちは、対処法に思い至った。

「鞭使いだ。あの鞭使いを囲め! 一斉にかかるぞ!」

 取り囲んで一度に襲えば、必ず誰かが背後に回れる理屈だ。

 相手は一人。仲間の犠牲を覚悟して臨めば、怖い相手ではない。

「今だ! れッ!」


不味まずい! 間に合わねえ!」

 エリックは海賊の意図をいち早く悟ったが、いかんせん場所が悪い。

 鞭使いの少女を守るには、途中に立ち塞がる邪魔な海賊をあと二、三人倒さないと行き着けない。


 一方のレナータも、包囲された時に一斉攻撃を察してはいたが、明確な対処法は無かった。

 少女は思う。

 背後からの攻撃とは言え、上手く動けば急所を外させる事ができるかもしれない、と。

 恐らく酷い傷を負って大出血するだろうが、この任務を全うする間くらいは生きていられる。

 充分だ。


 ただ──。

 死ぬのは構わないが、一点だけ残念な事がある。

 それは、身体に大きな傷をつけてしまう事だ。

 ガイウスが商船一隻に匹敵する大枚をはたいて購入した所有物を傷つけてしまうのは、申し訳ないと思った。

 絶命の危機に際して少女の脳裏に蘇るのは、主人と共に過ごした時間の記憶だ。


 周りの出来事が、ゆっくりに見える。

 殺到する海賊たち。

 間合いを詰められると鞭は使えないから、短刀で応戦するしかない。

 夜市でガイウスが買ってくれた短刀だ。

 囲んでいる正面側の海賊は、殺せると思う。

 背面のほうは無視だ。

 剣折りを持った客人が助けに来ようとしているが、間に合わない。

 ご主人様が手を伸ばして、何か叫んでいる。

 聞き取れない。


 そして無防備な背中に、鋭い刃が突き刺さる。

 刃は深々と心臓まで到達し、その動きを永久に停止させた。


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