罠は心の裏側に(前編)
黒檀都市の町外れにある修道院は、犯罪組織「謝肉祭」の拠点の一つである。
そこは修道女を装った悪党たちが、唯一安心して身を休められる伏魔殿だ。
罠師クラリッサもまた、そんな修道院に棲みついた一人である。
彼女の仕事は、罠を作る事だ。
作ると言っても鍛冶職人や細工師ではないので、よっぽど簡易な罠でない限りは自作しない。
クラリッサ自身は図面を引いたり、複製するための木型を作ったりするだけだ。
それを元に作られた罠は商品となり、盗賊に入られたくない富裕層の屋敷などに設置される。
特定の回し方をしないと、針が飛び出すドアノブ。
張られた糸に触れると矢が放たれる仕掛け。
鍵をこじ開けようとすると自動的に発火する書類箱。
そういった類の品々である。
悪党を嵌めるための罠を悪党が作っているのだから、事情を知ればとんだお笑い種だ。
クラリッサが作った罠の仕組みは、謝肉祭に籍を置く盗賊には公開されている。
身内はひっかからないが、別組織や無所属の盗賊には脅威となるわけだ。
たまに不注意から身内が罠に嵌る事も無いではなかったが、かかった当人は絶対に口外しない。
構造を知っている罠で手傷を負うのは盗賊にとって恥でしかなく、とても不名誉な事だからだ。
罠師が鑢で木型を削っていると、自室の扉がノックされた。
「お疲れ様です、クラリッサさん。夕食が冷めちゃいますよ」
「あれ……もうそんな時間か」
削り屑に塗れた厚手の前掛と、眼鏡を外して作業台に置く。
扉を開けた戸口に立っていたのは、修道服を着た少女だった。最近ここに来たばかりの新入りである。
「有難う、トリシラ」
そう言いながら、両手を高く上げて大きな伸びをする。
「今夜は根菜のスープとミートパイなんですよ」
クラリッサの先に立って歩くその少女は、全く目が見えない。
そのせいなのか、だからこそなのか、トリシラは視力以外の感覚が異常に優れていた。
まず、盲目なのに殆ど杖を使わない。
外出する時などは使っているようだが、修道院の中はまるで見えているかのように歩く。
間取りを覚えてしまったから、杖は要らないのだと言う。
また、先日などは道具を使わず聴覚だけを頼りに、精巧な細工箱を開けてしまったのだから感服する。
本職のクラリッサとて開けられない事はないが、あの細工箱なら聴音器を耳に当てながら数日がかりの大仕事になる筈だ。
嫌になるほど根気が要求される作業だからやりたくないし、やるなら少なくとも金貨三十枚は貰わないと割に合わない。
行商人ロレッタはそれを知っていたから、あえて罠師に依頼しなかったのだろう。
奴の目的はあくまで儲ける事であって、箱を開けて赤字になるくらいなら開けない方が良いのだ。
「罠を作るお仕事って難しそうですね。複雑な装置を考えたりするんでしょう?」
「複雑なのも考えるけど、目的を果たせるなら装置は単純な方が優れているんだよ」
席についてスープを飲みながら、古株の罠師は素人に噛み砕いて説明する。
「装置に歯車がひとつ増えると、故障する恐れのある箇所がひとつ増えるってわけ。だから罠師は、なるべく少ない部品で望んだ動作をするように考えるんだ」
設置したまま長く放置されても、いざという時にきちんと動作しないと役に立たないからね──と、クラリッサ。
「やっぱり難しそうです。故障が少なくて性能が良いのが、効果的な罠の条件ですか?」
新入りは新しい環境で刺激を受けたのか、多方面の知識を貪欲に吸収しようとしていた。
まるで糸瓜の干乾しみたいだ、と罠師は思う。
でも、何にせよ良い事だ。向学心は長生きに至る道である。
少しの知識が盗賊の生死を分けた──なんて逸話は、この世界では掃いて捨てるほどあるのだから。
「出来合いの罠の良し悪しなんて、性能云々はあんまり関係ないんだけどね。買って行った人が、どんなふうに仕掛けるかのほうがよっぽど重要なのさ」
「見つからないように仕掛けるコツがあるんですね」
「そうだね。上手な罠は、相手の心の裏側に仕掛けるんだ」
「心の裏側……ですか?」
「例えば、一箇所に二つの罠を組み合わせて置くのも良いね。ひとつ見つけて解除して、ほっと安心したところで二つ目に引っかかるんだ」
「ああ、気が緩む時を狙うんだ!」
「その通り。人間の集中力というのは、角灯の油みたいなものでね。使えば使っただけ減っていく。個人差はあれど、無尽蔵には続かない。油が切れて──油断する時は必ず訪れる」
「なるほど。相手の気持ちになって考えて、油断しそうな所で罠を仕掛けるのか……」
「うん。そういう意味では、性格悪いほうが罠師に向いてるよ」
だから私はあんまり罠師に向いてないと思うんだよね──と、クラリッサが冗談めかして肩をすくめる。
「そう言えばトリシアは、ここで何か技術を身につけるつもりなのかな?」
「はい。自分にもできそうな分野があるかどうか、いろんな人にお話を聞いてる段階なんです。もっとも、ウィルマみたいに一人で潜入して目標を暗殺するような仕事は、もし目が見えていたとしても務まりませんけど」
「あの娘はちょっと特別だからなあ……」
クラリッサが推察するに、ここに居る謝肉祭メンバーの中でウィルマが一番強い。
個人戦なら恐らく、院長とも互角以上に戦えるだろう。
しかし、多人数を相手に戦うなら鉄仮面の弱点が露呈する。
惜しむらくは体の軽さ、細さ。
院長とウィルマが仮に、戦闘で同じだけの傷を負って同じ量の血を失った時、より死が近いのはウィルマだ。
だから不特定多数から襲われる護衛任務は不向きで、単独で潜入する暗殺任務に特化している。
「謝肉祭の皆さんは全員、武器が扱えるんですか?」
「全員って事はないさ。でもまあ、荒事に巻き込まれるのが多い商売だから、多少は短剣を使える人が大半かな。私は使えないけどね。使う必要もないし」
短剣以外の武器では、ウィルマの剣鉈、院長の籠手、アドリアナの吹き矢などが変わり種だ。王都の謝肉祭本部には「剣折り」という特殊な短剣の使い手も居る。
夕食後のお茶を飲みながら罠師とトリシアが話に花を咲かせていると、グエンダがやって来た。
グエンダは筋骨逞しい平原人の老女で、修道院の責任者だ。厳しい性格だが、物腰は柔らかい。
クラリッサ、ちょっと頼まれてくれませんか──と院長は切り出した。
「ロレッタが怪我をして、ドリアン先生の所に匿われているようなのです。行って様子を見てくる事は可能ですか」
あの行商人が怪我とは、どんなヘマをやらかしたのだろう。罠師の好奇心が擽られる。
普段なら闇医者への遣いはアドリアナの役目だったが、生憎と仕事で不在なので仕方が無い。
「いいですよ、院長。丁度、懇意の店に罠を届ける用事があったので。ついでに顔を出してきましょう」
クラリッサは自室に戻って、部屋に転がっていた商品を選び取った。それらを無造作に背嚢に詰め込んでくる。
「そうだ。トリシアも一緒にどう? たぶん罠の仕掛け方を実演するから、参考になるかもよ」
「有難うございます! 行ってみたいです!」
久しぶりに外出用の修道服を着た罠師と、盲目の少女が乗った馬車は、下町地区に向かう。
診療所に着いた時、辺りはすっかり暗くなっていた。
「いやー、面目無いっス。買い取った盗品に面倒な物が紛れ込んでいたみたいで、この様っス」
軽い口調とは裏腹に、寝台に横たわる行商人の顔色は紙のように真っ白だ。
膏薬を塗った包帯でぐるぐる巻きにされた脇腹から、今もじわじわと血が染み出している。
「ロレッタさん、大丈夫ですか⁉︎」
「わざわざ有難う、トリシアちゃん。姐さんにまでご足労かけさせて申し訳ないっス」
新鮮な血の匂いに動顚するトリシアを、古株の罠師が落ち着かせる。
「診療所に居るんだから安心だよ。人里離れた場所だったら、大丈夫じゃなかったかもしれないけど。それにしても、誰にやられたんだ?」
「たぶん、盗品の持ち主が飼ってる私兵っスよ。関わった人間を全員殺して奪い返そうとしていましたから。交渉してくれれば、金額次第で売ってあげたのに。とんだ横紙破りっス!」
行商人は憤慨する。
返せと言って交渉されたら、際限なく値段を釣り上げるつもりだろ──とは思ったがクラリッサは口に出さない。
「で、私兵はどんな連中だった?」
「よく訓練された兵士でしたね。数は四、五人。裏通りで斬りつけられたけど、脇道に入って何とか撒いて、診療所に逃げ込みました。私に盗品を売った男はもうこの世にゃ居ませんが、蒼玉都市で手に入れたと言ってたっス」
蒼玉都市とは、王国の西海岸に位置する最大規模の港湾都市だ。
「どれが連中のお目当ての品かは知りませんがね。気になるなら行李を開けて勝手に見てもらって構わないっスよ、姐さん」
「はいはい! お喋りはそこまでヨ!」
パンパンと手を叩きながら部屋に入って来たのは、装飾過多な桃色の白衣に身を包んだ派手な男。診療所の主、闇医者ドリアンだ。
「このドジ踏んだ行商人の腹を今から縫うから、アンタたち手伝いなさいよネ!」
女口調の派手な男に指示されるまま、修道服の女たちが慌ただしく動き回る。
「痛い! 痛いっス!」
「腹に針を刺せば痛いに決まってるでショ。痛みがあるのは生きてる証拠なんだから!」
「……ぎゃっ! ……ぐあっ!」
煩いわネ、これでも噛んでなさい──と、ロレッタは口に襤褸布をねじ込まれる。
「アンタも運が無いわネェ。薬師が居る時なら、意識を飛ばす薬を調合して貰えたのにネ」
闇医者は毒婦アドリアナを「薬師」と呼ぶ。
流亡民に伝わる独自の知識で薬物を調合する彼女に、ドリアンも一目置いているようだ。
やがて「はい! 終わったわヨ!」の声と共に、奥の治療室から闇医者が出てくる。
「手伝ってくれて有難う。縫った後は暫く高熱が続くけど、熱が引いたら連れて帰っていいわヨ。アンタたち、今夜は遅いから泊まって行ったら?」
そう言われ、なし崩し的に二階の病床に案内される。泊まりの患者は居ないので、気兼ねなく使えるようだ。
「思ったより時間がかかったね。商品を渡しに行くのは明日かな」
罠師にとっては、商品である罠の納品のほうが主目的だった。行商人の様子を見に来たのは、そのついでである。
「そうですね。ところで……気になりませんか、アレ」
トリシアが指差したのは、背負って運搬できるように革紐のついた長箱──行李である。
側面についた血の跡からは、ロレッタの匂いがする。
「開けて見ようか。本人も興味があったら開けて良いって言ってたしな」
行商人が襲われた秘密が、そこにある。
そう思って心躍らせながら開いた行李には、二人が期待したような品物は入っていなかった。
揃いの茶器。螺鈿細工の手鏡。香辛料の瓶。象牙の置物。商船の航海日誌。
なるほど港湾都市から仕入れた盗品だと思わせるような異国情緒には溢れていたが、手段を選ばず私兵に奪還させるほどの品があるとはとても思えない。
肩透かしを食ったクラリッサが寝台に寝転がるも、トリシアは盗品の前から離れようとしない。
「……この匂い。気になりませんか?」
少女が不審に思ったのは、航海日誌だった。
しっかりした革表紙の上製本で、百年ほど前の商船が多島海を巡った時の記録だ。読み物としては面白そうだが、それほどの価値は無い。
「紙も洋墨も古い本なのに、表紙の接着剤だけ新しい匂いがするんです」
そう言われてからのクラリッサの行動は早かった。
背嚢から愛用の彫刻刀を取り出し、いつも木型を削っているのと同じ手際の良さで航海日誌から革表紙を綺麗に剥ぎ取る。
くり抜かれた表紙の内側に隠されていたのは、折り畳んだ紙の束だ。
「これが連中の目当ての品か。数字が並んでるな。よく調べてみないと……」
トリシアの耳がぴくっと動いたのは、蝋燭の前で罠師が書類を睨んでいる時だった。
「……クラリッサさん。この建物、囲まれています。足音の数は……たぶん五人」
行商人を襲った連中とみて間違いないだろう。
「ちっ、ロレッタめ。撒いたんじゃなかったのかよ」
「どうしよう。戦いになるんですか⁉︎」
「ははは、トリシアは戦えないでしょ。私も刃物は工具しか扱った事がない。ドリアン先生も同じような物だろうな、中身は乙女だから。唯一、少しは短剣を使えるのがロレッタだ」
味方の中での最大戦力がさっきまで傷を縫われていた怪我人だと告げられ、少女は気が遠くなるのを感じた。
「大丈夫だと思うよ、うん。トリシアは先生にこの事を知らせてきて。その間、私は手持ちの罠を仕掛けてくるから。足りるかな……?」