毒花の系譜(前編)
あたしは子供の頃から、村から村へ渡り歩いていた。
母ちゃんと婆ちゃんも一緒だ。
それが普通で、それが当たり前だった。
物心がついてから一度だけ婆ちゃんに理由を聞いたけど、婆ちゃんはただ笑って「私らァ、国持たぬ民じゃもの」と答えたのを覚えている。
母ちゃんが体を売って金を稼いでいる間、あたしと婆ちゃんは森で薬草採りだ。
金になる薬草、ならない薬草。食える山菜、食ったら死ぬ茸。
採り方も調合も、みんな婆ちゃんが教えてくれた。
婆ちゃんも、そのまた婆ちゃんに教わったという。
あたしの家族だけが知ってる、よく効く薬。よく効く毒。
たくさんの村の中には、あたし達に優しい村と、そうでない村がある。
悪餓鬼どもに石を投げられて「やあい、やあい、毒婦の子!」と囃し立てられるのも、しょっちゅうだ。
あたしには、何で母ちゃんが蔑まれるのかわからない。
娼婦は山賊や野盗みたいに、無理矢理に金を巻き上げたりしない。
事前に料金と内容を説明して、売るほうも買うほうも納得ずくだ。
相手を喜ばせる仕事をして、その代わりに金を貰ってる。
普通の商売と、何が違う。
品物を売ってるわけじゃないけど、それなら吟遊詩人や坊さんだって同じだ。
しばらくすると、あたしも体を売れるようになった。
あまり体の強くない母ちゃんに無理させるしかなかったから、一人前に家族の助けになれることが嬉しい。
あたしが稼げば、少しは母ちゃんの負担も減るはずだから。
そう思って仕事を頑張って、いろいろな客を取った。
前に、あたしに石を投げた奴が来た事もある。
ざまァ見ろと思った。
あんたが蔑んだ奴を、あんたは必要としてるんだ──って。
あたしを抱いて蕩けたような顔になる男たちが、滑稽だった。
でも、母ちゃんの具合が悪くなった頃から、渡り歩くのが難しくなってきた。
旅は体に障るからだ。
あたしらが同じ村に長居しても、碌な事にならない。
流れ者だから目を瞑ってもらえるのに、居着くとなると話は別だ。
一度なんか、客の嫉妬深い女房に水をぶっかけられた事もある。
捨てる神あれば拾う神ありで、母ちゃんの病が治るまでという条件で、置いてくれる村が見つかった。
山深い寒村だが、贅沢は言えない。
あたしと婆ちゃんは森に入って薬草や山菜を採り、それを畑の野菜と交換して貰っていた。
母ちゃんはほとんど寝たきりで貧しかったけど、居場所があるのはそれだけで嬉しかった。
逃げるように、追い立てられるように、村々を旅する生活にあたしは疲れていたのだろう。
その年の秋は、不作だった。
夏が涼しかったせいで作物が育たず、村に食べ物が無い。
不作の年は森の実りも少ないから、熊が村の近くまで降りて来るようになる。
そうなると、あたしも婆ちゃんも森に深入りできない。
村の住人は皆、餓えていた。
餓えていたけれども、何か出来る事があるわけでもなし。遅かれ早かれ、皆が餓えて死ぬんだろうと覚悟していた。
そんな時、母ちゃんが死んだ。
食事も喉を通らなくなって衰弱していたから、飢饉じゃなくても母ちゃんは死んだはずだ。
あたしと婆ちゃんも近いうち同じ道を辿るしかないのが、せめてもの慰めだと思う。
神の恵みは、唐突に訪れた。
正教会の無償奉仕がやって来て、たくさんの食糧を置いて行ってくれた時の事は、今でもよく覚えている。
これで村が滅びなくて済むと、お祭り騒ぎだった。
あたしは神様について考えた事なんて無かったけど、神様って良いものだと思った。
腹が膨れるのなら、何であれ良いものに違いない。
母ちゃんが死んだから、あたしと婆ちゃんは村から出て行かなくちゃならない約束だ。
だけど、村人は誰も出て行けとは言わなかった。
畑を作るための利水権は相変わらず貰えなかったけど、そんなのを望んだらバチが当たる。
あたしと婆ちゃんは、森に入って生計を立てていた。
次の年の秋も、不作だった。
どうしたものかと気を揉んでいたら、また正教会の人達が来てくれた。
金も受け取らずに助けてくれる無償奉仕って、なんて素晴らしい連中なのだろう。
雲行きが変わったのは、三年目の秋だった。
冬も近づいてきたのに、無償奉仕が来ないのだ。
これは大変なことになったと、村人たちは頭を悩ませていた。
村に残された蓄えでは、どう考えても冬が越せない。
そこで誰か遣いを出して、厚かましいけど正教会まで催促しに行く事が決まった。
村人たちは村から出た事がなく、旅慣れていない。
催促する役目は当たり前のように、あたしになった。
なけなしの食糧を持たされて、無償奉仕の拠点がある町を目指す。
向かう道すがら、あたしの気持ちは沈んでいた。
あんなに気前の良い、無償奉仕の連中が来ないのだ。
事情があるに違いない。
きっと村だけでなく、町も飢饉で食べ物が無いのだろうと思った。
困っている連中の所に行って「食べ物を分けて下さい」なんて、どんな顔で言えば良いのだろう。
町に着いてみたら、あたしの不安は吹き飛んだ。
活気があって、店には肉も野菜も溢れている。
今にして思えば黒檀都市とは比べ物にならないほど小さな町だったけど──当時のあたしには大都市のように輝いて見えたんだ。
喜び勇んで教会に行ったあたしは、信じられない言葉を耳にした。
「御免なさいね。今年の無償奉仕は、別な村に行ったのよ。困ってる村は幾つもあるし、あなたたちの村は二年続けて貰っているから、もう良いでしょう?」
「そこをなんとか! お願いだよ! 本当に食べ物が無いんだ!」
「困ったわねえ。そう言われても、無償奉仕に充てられる予算はもう残ってないし。無いものは仕方ないのよ」
無い? 「無い」と言ったのか、この尼は。
活気に満ちた町で、店には肉も野菜もあって、それでも仕方ないと言うのか。
教会で尼さんの胸ぐらを掴んだあたしは羅卒に捕まって、町から放り出された。
悔しくて涙が出た。
連中は、善い人なんかじゃ無かった。
他人がどうなろうと知ったこっちゃなくて、気まぐれに善い事をして悦に入るだけの奴らだった。
これが逆恨みなのは、あたしでもわかる。
あいつらはただ気の向くままに、安全な場所からあたしらに食糧を投げ与えただけだ。
いつ与えようが、いつ止めようが、あいつらの自由だ。
神様が天気を良くしたり悪くしたり、作物を実らせたり枯らしたりするのと似ている。
村やあたしが、どうこう言える権利はない。
でも、それならば、村に夢なんて見せないで欲しかった。
母ちゃんが死んだ三年前、あたしも村も静かに滅びの時を待っていた。
地面に倒れ伏して死のうとしていたあたし達に、無償奉仕の奴らは手を差し伸べ、高みに引っ張り上げ、そして手を離した。
どうせ滅ぶのは同じだから、別に構わないでしょう? と言わんばかりに地面に叩きつけた。
腹立たしい。
何より苛つくのは、こうして腹を立てる事すら、連中から見れば「筋違い」にしか見えない事だ。
道理は、正義は、そして食べ物は、あちらにある。
あたしらには何も無い。