魂に幸あれかし(後編)
「そんなわけないでしょう、ハミルトン卿」
一家四人が惨殺された現場で、新米憲兵が異論を唱える。
当然ながら、ジョエルには納得いかない。
連続猟奇殺人犯の性格を、伯爵が「優しい」などと評したのだから。
「無差別に殺した相手をバラバラに解体するような奴ですよ。人でなしとしか言いようがない」
「後学までに、根拠を教えて頂きたいものですな」
帝国憲兵のモーリスも、ジョエルと同意見のようだ。
殺人現場に残った大量の血痕と検分記録を見比べつつ、伯爵はモーリスに確認する。
「切断するために使われた鋸の外傷以外で、死体についた傷はあったかな?」
「背後からの心臓または延髄部への刺し傷だけです、閣下。いずれも、それが致命傷と判断されています」
「だよね。殺された人達には防御創が全く無いんだよ」
防御創──。
「って、何ですか?」
つい口から質問が飛び出した後に、新米憲兵は後悔する。もしこれが初歩的な用語だったら、モーリスの手前とても恥ずかしい。
「凶器から身を守ろうとして、被害者につい傷痕の事ですよ。犯人の刃物を払い除けようとして掌を切ったり、顔や身体を庇った時に腕の外側を切ったりします」
案の定、同業者に答えられてジョエルは耳まで赤くなる。
「模範的回答だね。死体に防御創が無い場合、考えられる事例は幾つかある。例えば、顔見知りによる犯行」
「それは無いと思います、閣下。血まみれ判官による過去六件の犯行は無差別で、接点がありません」
「よろしい。他に防御創がつかない事例として挙げられるのは、被害者が酔っていたり眠っていたりした場合」
「遺体の着衣は寝巻きの類ではなく、全員が普段着でした。家長のラザレス氏だけは寝室で発見されていますが、眠っていたとは考えにくい状況です」
ハミルトン卿は情報を整理した。
「つまり、こういう事だ。館に忍び込んだ犯人は、普通に生活している人間の不意を打ち、まったく抵抗する暇さえ与えず家族四人を背後から襲って即死させている。こんなの相当な訓練を詰んだ者でなければ、できない芸当だろう?」
──人を殺す、訓練。
モーリスが最初に思い浮かべたのは聖騎士団の特殊任務分遣隊「告死天使」だったが、頭を振ってその考えを追い払う。
「そして、血まみれ判官は殺した後に鋸で死体の四肢と頭部を切断してるわけだよね。これって、どんな理由があるのかな」
「猟奇殺人犯がやることに、理由なんてあるんですか?」
呆れているジョエルの鼻先に、ハミルトン卿は人差し指を突きつける。
「異常な人間の異常な行動原理を考えるのも、行動学だよ」
伯爵は腕組みをした。
「一般的には、死体を分割するのは隠し易くするためだ。小分けにすれば運ぶのにも便利だし、発見された時に身元も判別されにくい」
だが血まみれ判官はいつも、分割した死体をその場に置いて行く。隠すつもりは毛頭なさそうだ。
「怨恨が理由で死体を損壊する場合もあるけど、それなら滅多刺しにするから、急所に一撃しか入れない手口と矛盾するんだよね」
もし僕なら、恨んでいる相手はできるだけ苦しめて殺したいねえ──とハミルトン卿は無邪気に笑う。
「妙な話だけど、血まみれ判官に嗜虐的な傾向は見られないんだよ。殺した後にどれだけ損壊しようと、死体は痛みを感じないから」
そういう理由で僕は、一撃で楽にした後に解体する血まみれ判官は「優しい人物」だと思う──と伯爵。
「他の家族を呼ばれたら困るという理由で、背後から一撃で殺したんじゃないですか? 本当は痛めつけたいけど、必要に迫られて即死させていたとは考えられませんか?」
「それは無いねえ。もし嗜虐傾向があるのなら、最後の一人を殺す時は甚振ってから殺る筈だよ。泣き叫ばれても助けは来ないから、安心して愉しめるだろう」
伯爵は、えげつない人の気持ちを想像するのが上手い。ジョエルがちょっと不安になるくらいに。
「あと気になるのは、血文字で『無罪』と書き残す事なんですけど」
憲兵は素朴な疑問を口にした。
「なんで無罪なんでしょうね。有罪だから殺す──と言うのなら、まだわかるんですが」
「無罪以外の文言が書かれていた事例が無いから、推測しにくいねえ」
「無罪ですら殺されるのだから、重罪でも微罪でも殺されそうな気がします。今回殺されなかった生存者は、無罪よりも善良という裁定なのでしょうか」
モーリスが生存者について触れたことで、皆の興味がそちらに流れる。
「血まみれ判官が唯一殺さなかった生存者は、どんな状況で発見されたの?」
「事件の翌朝、二階の部屋で拘束されていた所を憲兵隊が保護しました。通いの家政婦が出勤してきて異変に気付き、すぐに憲兵詰所に駆け込んだのです」
「二階の部屋ねえ……ちょっと行ってみようか」
一行は場所を変えて話を続けた。
「ここ長女の部屋で、生存者は寝具を裂いて作った即席の縄によって縛られていました」
「捜査記録によると、生存者はこの家の次男だね。正教会の侍祭として王国へ派遣されていて、帰って来たその日に殺人事件に鉢合わせたのか」
「ところで、この部屋にも死体があったんでよね?」
「長女の死体です」
「うわっ。縛られたまま一晩中、解体された姉の死体と同じ部屋で過ごしたのか」
「それどころか……」
心なしかモーリスは小声になる。
「見ていたらしいのです。姉が犯人に切り刻まれる様子を」
伯爵と行動を共にしているせいで、少しは残酷な事件に耐性がついてきたジョエルの胃液が喉まで出かかる。
一方、伯爵は相変わらず伯爵だった。
「素晴らしい! 目撃したのかね、犯人を!」
「はい。目撃した──らしいのですが……」
帝国憲兵の返答は煮え切らない。
「保護されてから、ずっと錯乱状態が続いておりまして。今は入院させていますが、医者が言うには精神を病んだ可能性があると」
うわ言のように「殺してやる、あの道化師を殺してやる」と繰り返しているそうです──とモーリス。
「お気の毒に……」
「ふむ、道化師ねえ。何か派手で珍妙な衣装でも着ていたのかな。探すのに骨が折れるだろうね」
「なぜです? 派手で目立つなら見つけやすいのでは?」
「人間の頭脳っていうのはね、ジョエル君。人物の特徴を記憶する時に、他人と違った目立つ部分を優先的に覚えてしまう習性があるんだよ。例えば君は、僕の外見を説明するときに何て言う?」
「そうですね。眼鏡をかけていて、身なりが良くて、背の高い人……でしょうか」
憲兵が挙げた特徴を、伯爵は鼻で笑う。
「駄目だなあ、三十点だ。君は道を覚えるとき、曲がり角に咲いている花を目印にするのかな? 眼鏡は外せるし、服は変えられるんだよ。三つ挙げた中で、使える情報は一つだけだ」
「ああ……そういうことか……」
「着脱可能な特徴が多ければ多いほど、顔立ちなど身体的な特徴は覚えにくいものなんだよ。だから君がもし、止むに止まれぬ事情で犯罪に手を染めることになった場合、頭に海藻を被って、胸に真っ赤な薔薇でも挿して行けば良いよ」
本気とも冗談ともつかぬ口調で、ハミルトン卿は犯罪の助言をした。
「しかし有力な犯人の特徴が掴めず、肝心の目撃者も錯乱したままとなると、これ以上ここに居る理由も無いかな。引き上げるとしようか。僕らに付き合う手間を取らせて悪かったね、モーリス君」
「とんでもありません、閣下。ところで、もし宜しければ帰る前に少しお時間を頂いても構いませんか。簡単ではありますが、殺された犠牲者たちの魂に祈りを捧げたいのです」
敬虔な帝国憲兵の申し出を受けて、二人は頭を垂れる。モーリスは聖典の一部を暗唱した。
神は赦したもう、天に召される魂に幸あれかし──。
「聖典の第八章二十節だねえ」
「ハミルトン卿は聖典を全て記憶しているのですか……?」
「まさか。これは有名な一節だからだよ」
聖餐を六つに分かちて捧げよ、其は愛、其は信、其は勇、其は霊、其は生、其は法なり──。
「聖モンタヌスが、死者を悼んで祈る場面なんだ。処刑場で聴罪司祭が捧げる祈りでも使われているよ」
ジョエルは、今後恐らく活用することの無い蘊蓄を聞かされ辟易する。
汝、葡萄酒をもって証を記さん、尊き魂に罪なし──。
モーリスによる祈りが終わる。
だがこの時、ジョエルは「似ている」と感じていた。何が何に似ているのかは、自分でもわからない。
一同は階段を降り、玄関広間に向かった。
そして扉から出ようとした時、不意に「わかった」と新米憲兵が呟いた。
「……今の祈りと、遺体の損壊方法が似てるんだ」
助手の独り言を、伯爵は聞き逃さない。
「面白い! やっぱりジョエル君は実に面白いね。モーリス君、気づいた事があるから屋敷の中へ戻ってくれないか」
ハミルトン卿は興奮気味である。
「僕の助手が、とても良い事に気付いたんだよ。これはお手柄だ」
当の本人は、何を褒められているのか理解していない。
「ハミルトン卿。自分は何となくそう思っただけで、確たる根拠があったわけでは……」
伯爵は耳を貸さない。
「モーリス君! 第八章二十節をもう一度、ゆっくりと大きな声で暗唱してくれたまえ!」
神は赦したもう、天に召される魂に幸あれかし。
聖餐を六つに分かちて捧げよ、其は愛、其は信、其は勇、其は霊、其は生、其は法なり。
汝、葡萄酒をもって証を記さん、尊き魂に罪なし。
「ほら! やっぱり! 犯人は嗜虐性がないどころか、死者の冥福を祈っていたんだ!」
モーリスが頭を掻いて、「もう少し具体的にお願いします、閣下」と説明を促す。
「ええ? どこがわからないの? 聖典で語られる葡萄酒と聖餐って、救世主の血と肉の比喩でしょ」
「はい。正教会ではそのように解釈していますね」
「それを死体で実行したのが、今回の事件さ。頭部と四肢と胴体で、人体は六つに切断されている。血液でもって、無罪を記されている。犯人の動機が見えてきたね」
人が人を殺す時、多くの動機が存在する。
金品を得るため。怨みを晴らすため。痴情のもつれ。数え上げたらキリがない。
「血まみれ判官の場合、善意で殺しているのだと僕は思う。被害者から見れば余計なお節介だけど、犯人は善良な人達を天国に送る手助けでもしているつもりなんだろう」
異常な犯罪者の異常性を改めて思い知り、二人の憲兵は言葉を失った。
静寂が包まれている館内に、慌ただしく羅卒が飛び込んで来たのはその時だった。
モーリスの部下であるその男は、息を切らせながら告げる。
「報告します! 病院にて保護していた本件の参考人、侍祭イネスが姿を消しました!」