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「……誰でござるか?」
「聖賢教団の人間です」
牢屋の並ぶ廊下、その向こう側から声がする。
気配感知により、勇衛の牢より向こう側に居ることは最初から分かっていたが、その姿はここからでは全く見えない。
声だけで判断するなら、若い女性―――あるいは少女の声だ。
勇衛やリメルより若く、おそらくフィアと同じくらいか。魔力は高いが肉体的な戦闘力は普通程度に感じる。
牢番も伴わずに一人でこんな所へ来るとは、権力があるのか、無鉄砲なのか。判断に迷うとこだな。
人質にされるとか、逆に囚人を逃がしてしまうとか、色々考えられると思うんだがなぁ。
「本当だ。
でも、本当だと言ったところで、教団の人間は信じてくれないんだろ?」
「……教義の全てを否定するような内容ですから、信じろと言われても難しいことは確かです」
オレの言葉に、言葉を選びつつ躊躇うような少女。
少しの沈黙を挟んで、それでも彼女は教団としてではなく自分の意見を口にした。
「ただ、あた……私自身は、嘘ではないと認識しております。
あなた方の話も、フィレーア様の言葉も」
「フィアと話をしたのか?」
「はい」
「それは、フィアが捕まる前と後、どっちのことだ、ですか?」
「フィレーア様が捕まる前です。
おそらく、この世界に顕現なされてから最初にお会いしたのが私だと思います」
フィアが降り立った場所は、確か大聖堂の、祈っている人間のいる部屋だったはずだ。
つまり、フィアが来た部屋で祈っていたのが彼女ということになる。
「フィレーア様のお話を聞いた後、私は―――その内容を一人では抱えきれず、人を呼びました。
その者の判断により、結果としてフィレーア様は捕まってその存在はなかった事にされました」
「フィアはあなたに、何を話したんですか?」
「自分が女神の使いであること、今が邪神の結界が弱まる700年に一度の機会であること、三日間で魔王を倒すべく遣わされた勇者に協力して欲しいこと。
要約すれば、こう言ったお話をされました」
「そこで、フィアからオレの名前も聞いて、オレを捕らえたってわけだな」
説明自体は、ちゃんとしてくれていたようだ。
フィアよ、へっぽこなりに仕事をしたようでお兄ちゃんは安心したぞ。
「フィアが今どうなっているか、教えてもらえますか?」
「すみません、私にも教えてもらえず分からないのです。
より厳重な牢なり、いずこかに幽閉されているものと思うのですが……」
無事が、確認できない。
強く拳を握りながら、出来るだけ冷静に尋ねる。
「大体の事情は分かりました、ありがとう。
それであなたは、これからオレ達をどうしたいんですか?」
「あなた方に協力したいと、思っております」
「脱獄の手助けをする、ってことか?」
この女性の目的が何なのか。味方か、敵か。
再び、言葉を選ぶように彼女が言った。
「目を瞑るなり情報を与えるなり、表立って教団に反抗しない範囲であれば、手助けいたします。
ですが私には、あなた方を解放する術がありません。
フィレーア様を探したいけれど、その当ても手立てもありません」
消極的協力者ってことか。
そこを疑ってては話が進まないし、今は協力してくれる前提で考えよう。
「人質としての価値は?」
「人質、ですか?
―――なるほど。フィレーア様の所まで案内させられるかは分かりませんが、責任者と話をするくらいは価値があるかと思います」
敵対したり騒ぎ立てるではなく、淡々と価値を語る彼女。なかなか話が早い。
「ですがそれも、牢から脱出できてこそでしょう。
私が鍵を取ってきたり、牢の中から腕を伸ばして人質だと語ったところで騙せるかは難しいと思います」
「やっぱり、脱獄は最低条件か」
前回は……メイド先生が助け出してくれたけれど。今回の牢屋からは、自力で脱出しないといけないようだ。
どうして二回連続で投獄されてるんだろうな?
考えると泣けてくるから、気にしないようにしてるんだが。
「勇衛、出れるか?」
「大丈夫と思うでござるよ。
師匠はどうでござる?」
気楽なオレの質問に、事もなげに答える勇衛。
どこまでも気負わぬ様子は、こういう状況では実に頼もしく感じられた。
「オレは、やってみないと分からないかなぁ。
まあ、試してみるよ」
「了解でござる」
早速ごそごそとやりだす勇衛を、一旦制止する。
まだ、気になることがある。これは確認しておかなければならない。
「で、教団の方」
「なんでしょうか?」
「こちらの目的やら理由やらは、ほぼ全部話したつもりだ。
あなたがオレ達に協力しようと思う、その目的と理由を正直に教えてくれないかな?」
「……」
協力してくれることを疑ってるわけじゃない。
でも、目的や理由が分からぬまま、信頼することはできない。
彼女のもたらした情報はありがたいが、彼女が居なければ脱獄できないってわけじゃないんだ。
同行するか、人質にするか。
本当に人質にするか、演技として人質にするか。見極めなければならない。
「オレ達は、この国にもこの教団にも未練はない。
フィアさえ助け出せれば、魔王を倒すのにこの国と関わる必要はない」
装備の調達や旅の準備など、色々な意味で不便は残る。
それでも、このディルエニアで過ごす事は、魔王を倒すために必須じゃない。
「時間が惜しいから、腹の探り合いをする暇はないんだ。そんなことに時間をかけるぐらいなら、すっぱり切り捨てる。
話を疑うつもりはないし、協力関係を築けるならそうしたい。敬語も何もいらないから、正直に話してくれると助かる」
選んで交渉するだけの手札はないし、情報の確認さえ取れれば後は行動するだけ。
ここから先の展開に、彼女が、この国と教団がどう絡んでくるのか。あるいは、絡まずに離れるのか。
薄暗く、黴臭く。陰気な廊下に、幾ばくかの沈黙が降りる。
少々性急ではあるが、今この場で決めたい。
そんな想いを込めて伝えたオレの言葉に。
「わかりました」
彼女は、意志のこもった声で頷く。
「―――いや、わかった。
あんたらは嘘をついてないし、あたしに対しても誠実であった。
教団の、自称『聖職者』様達よりも、遥かにな」
おそらく、彼女本来のしゃべり方なのだろう。
先程までよりも随分と砕けた、威勢のいい声でそう言うと牢屋の薄明りの下に姿を現した。




