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A.U.O  作者: 餡御萩
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黒い思惑と英雄の胎動

 大通りを一歩、足を踏み出すたびに、身にまとう金属が擦れる音が耳に響く。うるさく思っていたのは最初の間だけで、今となっては、安心感を与えてくれている。

 頭の天辺から、足の先まで、黒い鎧、顔も見えないほどの重装備を身に纏う自分のような男は少ないながらも、この町では特別珍しい格好というわけではない。

 目線を左に向けると、皮の胸当てと、背には弓と矢筒を下げた男が薬屋の前で商品であろう、何かの根と、葉を指さしながら、年老いた店主と話をしている。

 足を進めながら、今度は右を見ると、鍛冶屋の前におかれた盾、木製の縁が金属によって補強がされているそれを見つめながら、ぶつぶつとつぶやいている男がいる。その手には頭をすっぽりと覆う、兜があり、飾りっ気がない全身鎧に身を包んでいる。

 そして、この歩みの先に、そういった、物騒な連中が集まる建物がある。

 見えてきたのは、剣と杖、その後ろに羽があしらわれた旗であり、それがたなびく下には、素朴ではあるが、周りよりも一回りも二回りも大きい建物だった。

 まだ、肌寒い季節ではあるが、両開きの扉は開きっぱなしになっている。誰でも受け入れる、という表れでもあるらしい。旗にある羽も、どの国にも属さず、誰にも屈しない自由な翼という意味があるらしい。もっとも、そのことを知ったのは昨日のことで、本当かどうか知らないし、知ってどうにかなるわけでもない。

 扉をくぐると、カランカランと、ベルが鳴り、来客を知らせる。中では同じ制服に身を包んだ女性が数人、あわただしく走り回っていた。まだ、朝早く、自分以外の客はいないようだ。


「今日から初仕事ですね! 記念すべき1回目なのですから、ドラゴン退治当りがいいとおもうのですよ!」

「…ああ」


 頭に響く、甲高い声に適当な相槌を打つと、緑の印の入った書類とにらめっこしている、制服の女性が座り、受付と書かれた木札を立ててあるテーブルへと向かい、仕事のできる男を意識して声を出す。


「おはようございます。アリサさん」

「お、おはようございます!」


ガタン、と木でできた椅子が倒れるのも構わず、慌てて立ち上がる初々しい彼女の姿に、鎧兜の中で軽い笑みを浮かべてしまう。


「あーえっと、ヴェルさん!」


多少考えてからではあるが、ちゃんと自分の名前を憶えていてくれたことに、少し安堵した。彼女曰く、仕事で初めてのお客さんが私だったらしく、それで記憶に残っていたのかもしれない。

  鎧も含め2メートルを超える自分と、頭2つ分あまり背の小さい彼女が、2回目とはいえ、大男にひるまず挨拶できることは、始めて間もないにしては、十分な業務態度ではないだろうか。


「はい、早速仕事を受けようと思います」


「そんなに畏まらなくても良いんですよ? それにヴェルさんは私の初めての人ですし、気楽にいきません?」


 そばかすの残る顔で、そんなことを口走るのは、若さ故なのだろうが、自分のためにも彼女のためにも誤解は解かないといけないだろう。


「初めて担当した冒険者ということで、うれしいのはわかりますが、特別扱いは他の冒険者の方々に示しがつかなくなりますよ」

「それはそうですけど、そんな丁寧に話されとこっちがやりにくくなるって、先輩達も言ってますよ?」

「ふむ、なるほど。それならば、多少は崩して話そうか」

 見つからないように、言わないで、と唇に人差し指を当てている先輩を横目に見ながら、冒険者としてはこちらのほうが普通なのだろうと、話し方を変える。

「はい。その方がきっといいですよ。それと、忘れてましたけど」

と、1度、深々と頭を下げた後、


「ようこそ! アルフリード王国の冒険者ギルド本部へ! これからよろしくお願いしますね、マーヴェルさん!」


今日は私の冒険者ギルドの受付嬢としての初仕事でした。それも本部のあるアルフリード王国で、です。アルフリード王国といえば、初代アルフリード様が魔物におびえる人々を守護するために建国したことで知られています。基本的に魔物を相手とする冒険者のギルドが本部を置くことになったのも、そういった背景があるからのようです。

それはさておき、何もかも初めてで不安がいっぱいの1日でしたが、なんとか無事に終えることができました。依頼する人、それを受ける冒険者といろいろな人に出会う1日でした。そんな人たちの中でも一際不思議な人が最初のお客さんでした。

 長く考え込む人なので無茶はしないと思いますけれどね。



「ああ」

「ちょっと、うれしくないんですか!? やったー、とか、これで俺も冒険者だー、とか、なにかないんですか、ヴェルさん!」

「ああ」

「ああ。じゃ、ないですよ! もう、張合いがないですね」

「そんなことはない、ちゃんと喜んでるよ。ありがとう、アリサさん」

「ふん、どうですかね」


 この世界には魔法が存在する。だからなのか、魔物と呼ばれるものがあらゆる自然の中で生きている。冒険者というものはそういった存在から人々を守り、糧としており、人々の生活の一部となっている。

 そんな冒険者、というものに憧れがないわけではない。むしろ、人一倍冒険者という職業に思い入れがあるともいえる。感じ入るものもあるが、大の大人がそんな風に、はしゃぐわけにはいかないだろうとも思っているから、大げさなアクションはしないだけで。


「それよりも、駆け出しの冒険者に見合う依頼を見繕ってくれないか」

「うーん、そうですね。実は、昨日ヴェルさんが手続きを終えてから、いろいろと聞いてみたんです。新人さんには、基本的に、落し物を探してもらったり、庭の雑草取りなんかをお願いするようなんですけど…」


 チラッと、身長の関係もあるが上目づかいでこちらを伺うのは、こちらに気を使ってのことなのだろうが、想定していなかったわけではない。


「気にすることはありませんよ。何事も初めは簡単なことから覚えていくもの、でしょう?」


 職業は違えども、同じ新人であるアリサさんに同意を求める。


「ふふ、そうですね。そうでしたね」


最初は驚いていたようだが、何が面白かったのか、くふふ、と笑いを堪えながらもうなずいてくれた。


「何かおかしなことを言ったかな」

「いえ、なにも、大丈夫ですよ」


 常識というものが欠けていると自覚しているところであるから、間違ったことがあれば教えてほしいとは思っているんだが、なかなか、堂々と聞くのもはばかれる。それに、先ほどから、頭に響く声のせいで深い思考もできていない。


「何でですか! カプーとヴェル様の初仕事、記念日なのですよ!? 最低でもドラゴン種じゃないとダメです。落し物とか庭の掃除とか、そんなの見合ってないのですよ!」

「……今は抑えるべきだカプレッチ。初心者である、ということはそれだけで武器になる。今はそういった細かい仕事をこなすことが、私たちの目的への近道にもなる」

「そうなのですか?」

「ああ、そうなんだ」


 フルフェイスの兜は脱いでいないから、口元は見えないだろうから、外に音か漏れないように小声で適当に答える。騒がしいのだけ何とかしてくれれば言うことはないんだがな。


「どうかされましたか?」

「いや、なんでもない。それよりも依頼についてだ」

「そうでしたね」


 こういう風に周りに変に思われることがあるから。


「えーっとですね。ヴェルさんは素晴らしい装備を身に着けているようではあるのですが、冒険者のランクに装備の良し悪しはあまり関わってきません」


えへへー、とさっきまでの不機嫌はどこにいったのか、照れている様子だったので、コツンと軽く叩いて窘めた。


「プレートの色に対応する依頼書があちらに貼ってあるので、あちらの掲示板をご覧になられるのが早いかと思います。昨日お渡ししたプレートはお持ちでしたか?」

「ああ」


 首から下げ、胴当てに入れていたプレートを掲げる。その色は淡い緑。


「はい。それが受注の際の確認に必要になります。依頼書にある色と同じものが基本的に受けられるものですね」

「それも今、受けられるのかな」


 そして指さす先にあるのは、先ほどアリサさんが難しい顔で眺めていた依頼書である。紙の左上には、緑のマークがされている。


「これ、ですか」

「何か困っていたようだったので、助けになればと思ったんだけどね、話を聞くだけでもどうだろうか」

「んー、少し変わった依頼なんだそうです。先輩にどうするべきか考えなさいって言われてたんですけど、ヴェルさんに頼むのが良さそうですね」

「変わった依頼、というと?」

「まず、グリーンの冒険者に支払われる金額がどの位がヴェルさんは知ってますか?」


先ほどのプレートの話も併せて、昨日基本的な部分は聞いていたから、多少は依頼書にも目を通していた。


「1日で終わる依頼が、たしか、多くても銅貨で10枚ほどだったか」

「この依頼に関しては、報酬が銀貨で20枚支払われます」


成程、確かに変わった依頼だ。硬貨はそれぞれ、銅貨、銀貨、金貨、白金貨と、それぞれ、100枚ずつ価値が変わっていく。食事もサービスもなく、最低クラスの宿泊所で1泊するだけでも銅貨が10枚は必要になる。プレートの色がグリーンの冒険者には、宿泊だけでも、手痛い出費となるため、なるべく良いものを斡旋してもらおうとダメ元で話してみたのだが、予想以上だった。むしろ、


「危ない依頼か?」


 グリーンの冒険者に依頼するには、異常な金額である。怪しむのが普通であり、訳ありかと疑ったのだが、アリサさんは先ほどとは打って変わって、笑顔を浮かべた。


「いえいえ、そんなまさか、そんな危険なことをグリーンの冒険者に頼むようなギルドではないと思います」

「ほう、ではなぜそんな金額がかかっているのかな」

「今回の依頼人はとある貴族様らしいんですよ」

「貴族、ということは、まあ、お金があるんだろう。それにしても、破格すぎやしないか?」


 自分で話していて馬鹿らしい答え方だなと思いつつも、検討がつかない。


「今回は特に金額が大きいらしいのですが、こういったことはよくあることなんだそうです」

「よくある?」

「はい。なんでも、冒険者への先行投資が目的らしいですよ」

「先行投資。なんでそんなことをするか聞いても?」

「はい、大丈夫です。このアルフリード王国の貴族は、成人する際、魔物を討伐する決まりがあるそうなんです。その時、魔物を狩るエキスパートである、冒険者を護衛に付けることが多いのですが、その護衛は掟を受ける本人が選ばなきゃいけないらしいんです」

「それじゃあ、今回のこの依頼もそういったものなのか。自分の命のためにある程度は金に色目はつけないし、代わりに依頼を受けた方は、将来そういった事情を踏まえ、納得の上受ける必要がある、と」

「そうらしいですね。貴族の方の面接も含めてその依頼料なんだそうですよ? 面接如何によっては失敗扱いになっちゃうらしいんですけど、冒険者の選定はある程度ギルドに任されていますから、よほどのことがない限りそんなことはほとんどないらしいですよ」

「そんな大事を新人のアリサさんが決めても大丈夫なのか?」

「恐らくですけど、私にこの資料が回ってきて、そういった経緯を教わったってことは、これも業務に入ってくるから早めに経験させよう、ってことなんだろうと思います。それに、今回の人選は間違い様がないですから」

「なるほど、それだけ、私は期待されていると受け取ってもいいのかな?」

「そうですよ!今回は貴族様の依頼ですから、強さもそうですけど行儀作法なんかも大事なんですよ。ヴェルさんは話し方も丁寧でしたから、先輩方なんかは、どこかの貴族様なんじゃないかって話してるくらいなんですよ!」

「貴族、ね」

「お、否定しないってことはそういうことですか?」

「どうだろうね」


 クックッと、兜の奥で笑って見せると、彼女も、アハハと笑った。


「フフッ、話がずれちゃいましたけど、どうしましょう。この依頼、受けてもらえませんか?」


 貴族の依頼なんて、冒険者を初めて間もない自分に話が来たのはタイミングが良かったといえる。ただし、この国の貴族の行儀作法なんかを言われると、全く知らないというのが本音だが、貴族とのつながりを持てるというのは、願ってもない事だ。


「ああ、こちらからお願いしたいくらいだ」

「ありがとうございます。それでは日程が決まり次第お知らせしますね」

「…すぐにではないのか」

「あ、そういえば、すぐに受けられる依頼を探していたんですよね。ごめんなさい」

「いや、構わない。こちらから、その依頼を希望したのだから、謝ってもらう必要はないよ。今日受けるものは、何か適当なものを探してくるとしよう」

「そう言っていただけると助かります。それでは、お待ちしていますね」


 グリーンの依頼がある掲示板へと向かうと、他の冒険者もちらほらと見かけるようになっていた。掲示板を眺める者もいて、横に立つと、全身鎧のこちらを見て、ぎょっとしたようだったが、すぐに掲示板へと目を戻す。依頼は基本的に早い者勝ちなので、より割りのいい仕事を取られまいと、15ほどであろうか、幼さが残る顔で必死に探しているようだ。気後れしないのは、さすが冒険者というところか。もっとも、今日は適当なものを受けようと思っているので、彼が急ぐ必要はない。腰の後ろに短剣を差した男は、掲示板から依頼書を雑にはがすと、連れなのか、同じ年頃の少女の元へ小走りに持っていく。

 自分も適当なところで、力仕事と書かれた依頼書をはがして、アリサの元へ持っていく。プレートの色を確認し、受領のハンコをもらい、依頼書を受け取る。ふと、先ほどの依頼について、重要なことを聞きそびれていたことを思い出した。


「ところで、先ほどの依頼主は誰になるのかな」

「そういえば、お教えしていませんでしたね」


 確認のためか、改めて依頼書を机に出すと、こちらに見えるようにしてくれる。


「モンド・ブラマンジェ様。Bの貴族様です」



その成り立ちは、一人の勇者が関わっていた。

 世界には魔物が溢れている。獣に近い姿をしている獣人や、魔物のような特徴を持った魔人とも、亜人とも呼ばれる種族が存在している。それらは、猿人類である人間を虐げる存在であった。牙も爪も持たない人間は対抗するすべも持たず、資源の少ない平原へと追いやられていた。森も山も海も空も人のものではなかった。



 アルフリード王国は周りを城壁に囲まれた、世界でも有数の大都市である。その壁は厚く、高く、いかなる者をも通さないという威圧感がある。

初めての依頼主はアルフリード王国の城壁の外にいるらく、城門までの間、一人で大通りを歩く。


「カプレッチ、Bの貴族とは何のことかわかるか?」

 

 先ほどから疑問に思っていたことを、人が増え、活気にあふれた声々に聞こえないのをいいことに声にだす。


「だいぶ前の記憶なのですが、分かるのですよ」

「それで構わない、教えてくれ」

「貴族はAからEまでの頭文字でランク付けがされているのですよ。Aが王族とそれに近い血筋の者、Eは1代貴族や重要な役職を持たない者がなるのです。ですから、Aの次のBは高位の貴族なのですよ。」

「伯爵や侯爵などの爵位はないのか?」

「しゃくい、とはなんのことなのですか?」

「わからないなら構わない」貴族のあり方が、こちらとは大分異なっているようだ。「ブラマンジェについては何か知らないか?」

「剣と交わったことはあるのですが、相当に腕がいいことくらいですかね。ずいぶん前のことなので、今はどうなってるかわからないのです」


 カプレッチが褒めるほどだ。人間の中でも上位の力量を持っていたのだろう。それが受け継がれていない、と思うほどに楽観はできないだろう。


「今わかるのは、武門の家系で、腕が立つかもしれないということか」

「これくらいしか知らないのですよ。ごめんなさい、なのです」


 声だけしか聞こえないが、いつものような元気がない。いつも耳元で騒がれるのは勘弁してもらいたいが。こちらも、それほど多くの情報を求めていたわけではない。


「いや、十分だ。それに、貴族位のことを知ることができたのは大きい。常識に疎い私を、助けてくれていることには、毎回感謝しているのだよ」

「そ、そんな! 感謝なんて勿体無いのですよ! 私は知ってることをただお伝えしているだけなんですから!」


 カプレッチは頭が悪いわけではない。事実、私よりも物事を知っている。多少、頭の回転は遅く、感情的なのがたまに傷だが、元々主人を補佐する役目も持っているのだ。性格は大目に見るべきだろう。

 それに、沈んでいるよりも、頭に響く声で慌てている今の方が、よほど彼女らしい。


「それよりも城門が近づいてきた。また、静かにしていてくれ」

「は、はい!」


 未だ慌てた様子ではあったが、耳元から声がしなくなり。大通りを歩く人々の喧騒が戻ってくる。

 城門をくぐる際、直立不動でいる番兵に見られたが、冒険者のグリーンのプレートを手に掲げると別な人物へと視線が動く。受付の際だけでなく、こういった場所でも、自身の証明に使えるのが、プレートのいいところだ。まだ、グリーンであるとこういった都市の出入りくらいにしか使えないが、ブロンズ、シルバー、ゴールドとランクが上がっていくと、より融通が利くようになる。プラチナや、さらにその上のミスリルまでいくと、禁忌と呼ばれるような、重要な図書の閲覧も可能になるらしい。

 街道を進む人波から外れて、城壁を右に、時計回りに歩いていると、程なくして大量の袋が乗った大きな荷車を見つけた。そばには男ばかりで10人ほどの集団が、荷を下ろしている。依頼書を取り出し、内容を確認すると、大体の場所が一致していることから、依頼主はあの中にいるのだろう。急いで現場へ向かう。

足を踏み出すごとに鎧の金属同士が打ち合い、音が鳴るのも構わず駆ける。これから仕事をする相手のもとに、ゆっくり歩いていくのは、少し気が引けたからだ。

集団の一人がこちらに気付いたようで驚いた顔をし、周りに声をかけて、皆の視線が集まる。全員が私を確認するころには、彼らと後数歩のところまで来ていた。最後は歩みに変えて止まる。皆一様に怪訝な表情を浮かべ、何かに身構えているようだった。ここでようやく、全身鎧の男が駆けて向かってきたのだから、不安にもなるのだろう、と思い至った。急いで依頼書を彼らの前にかざす。


「私は冒険者ギルドから依頼を受けて来たマーヴェルです。ここの責任者は居られるか!」


 間髪入れずに自分の目的を全員に聞こえるように声を挙げると、多少彼らの緊張が緩んだ。その中から、口髭を生やした40代に見える男が前に出てくる。力仕事によって鍛えられたであろう筋肉は、上着を破らんばかりに膨らんでいる。


「俺が責任者だ」先ほどまでの様子とは異なり、ひるむことなく、さらに一歩踏み出す。「依頼書はしっかり見たのか? 土木作業だぞ? 魔物退治はよそでやってな」


 鎧姿を見て、冷やかしかそれとも使えない馬鹿が来たとでも思ったのか、来て早々、辛辣な言葉をかけられた。しかし、何も間違ってはいない。


「服装は自由にしていいと書いてあるぞ?」

「そんな重いもん着てたらすぐにへばっちまうだろうが! 働くんならさっさと脱ぎな! ほら、お前らも早く仕事に戻れ!」怒声のような支持を受けて、それぞれが慌てて動き出し、荷を下ろし始める。本人も手を動かしながらこちらに声だけ向ける。「そのまんまでいいんなら、そこにあるのをもって、そいつを連れてあっちへ行け。同じように砂を運ぶんだ。後で人を向かわせる」


 荷車の一つと、働いている男を指さし、支持をだす。頭ではまた、甲高い声で「何なのですかあの男は! さくっとヤッちゃうのですよ!」と物騒な言葉が聞こえている。


「わかった。仕事を始めよう」


 初めての依頼主は少々強引な性格なようだが、向こうはクライアントである。思うことがないではないが、仕事とはそんなもんだろうと、意識を切り替える。

 こうして、冒険者とは名ばかりの、私の初仕事が始まった。



指をさされた男につれられるまま、町から少し離れたところまで、荷車を引っ張ってきた。何度か、男に「手伝うか?」と聞かれたが、依頼を受けたのだから、私一人で出来ることはやってしまいたい。グリーンの依頼で給金が少ないとはいえ、仕事の手を緩めるのもはばかられる。頼まれた仕事は完璧にこなす必要も私にはある。

ついた先は切り崩された砂場のようなところだった。そのそばには中身の入った袋が山のようになっている。持ってみると、砂のようだった。


「さっさと終わらせちゃうのですよ!」


どれも1つが一抱えほどの大きさだが、うまくバランスを取り、5つほどを一気に両手で持ち上げる。「おお、あんちゃん力持ちだな」という男の言葉に、「どうも」とだけ返して、荷台に積んでいく。5つずつ積んでいくと、10回ほど繰り返したら荷台が一杯になった。そして、来たときと同じように、荷車の取っ手を持ち、気合を入れる。「よしっ!」

 すると、別な作業をしていた男がこちらに気付いて、慌てて駆け寄ってくる。


「あんちゃんさすがにそいつは無理だ。5人は集まらないと動かねえよ!」

「大丈夫ですよ。力には自信がありますから」


力を込めると、それに応じて車輪が回る。辛うじてではなく、踏み出す足は軽やかで、重さを感じさせない。この荷車を運ぶくらいなら、冒険者としての範疇に収まる。わざわざ大変そうな演技も必要ないだろう。「おおっ!?」と声まで出して驚いている男を後目に、先ほどの集団の元へと引き返す。

依頼主の元へ戻ってくると、案の定、その顔には驚愕が見て取れる。周りの男たちも、手を止め、同じような表情を浮かべている。手元には砂と水と混ぜ合わせた泥のようなものができていたが、何に使うものなのだろうか。


「こりゃあ、驚いた。グリーンの冒険者に頼んだつもりが、クラスを間違えて頼んでいたか?」


 グリーンの依頼を上級の冒険者が受けるのはいいだろうが、ゴールドの依頼をグリーンが受注するようなことがあったら、ギルドのとんでもない失態になるだろうな。


「ちゃんとグリーンのプレートですよ」


 首元から取り出して見せ、間違いがないことを証明して見せる。


「ああ、そりゃよかった。金貨なんか求められたらどうしようかと思ったわい。」


ガハハ、と声を出して笑う様子から、私はからかわれていたのだと気付いた。さっさと次の荷車を運んでしまおうと、動くが依頼主の男に呼び止められる。


「お前、名前はなんて言ったか?」

「……マーヴェル」


 依頼を受ける前に名前を名乗ったのだが、どうやら聞いていなかったようだ。


「いや、悪い悪い。俺の名前はダグワーズだ。周りの奴らは、ダグって呼んでる。」

「私のこともヴェルで構いませんよ」

「そいじゃ、ヴェルさんよ、もう一往復頼んでいいか?」

「構いません。疲れてはませんから」

「これは良い掘り出し物だったな」また、ガハハと笑う。すると突然こちらを向くと一言。「悪かったな」

「何か?」


突然の謝罪に、何のことかわからず、聞き返してしまった。


「いや、来た時のことだ。ただの世間知らずかと思ったが、ちゃんと仕事をこなすやつで良かったよ。むしろこっちの仕事が楽になって助かってる。あんがとな」

「構いませんよ」……世間知らずというのはあってるしなあ。「それじゃ」

 そうして、次の作業へと移る。案内の男は一緒に来なかったが、先ほどと同じように手早く袋を詰め、運んでしまう。それが終わると、今度は砂と水を混ぜ合わせる手伝いだった。すべてが終わったのは、朝から仕事を初めてから、まだ、太陽が真上に来る前だった。


「ヴェルさんよ。また、仕事を受けてくれると助かる」

「ダグさんは初の依頼主ですから、こんな自分でよろしければ、お受けしたいと思います」

「おお、そりゃよかった。それと、仕事が早く終わりそうなのは、あんたのおかげだ。報酬を増やすわけにはいかねえんだが、何かできそうなことがあったら言ってくれ」


ダグも含め、午後からは砂と水を混ぜ合わせたものを使って、城壁の補修を行うそうだ。さすがに素人の私では足手まといにしかならないから、依頼はここまで。それにしても、できそうなことか、


「それなら、モンド・ブラマンジェ貴族について何か知りませんか?」

「まあ、有名な貴族だからな」


 不思議な表情をされるが、深く聞くつもりはないようだ。「続けてください」と話を促す。


「変わったことを知ってるわけじゃねえ。当主はアルフリード王国一の剣の使い手って言われているような男らしいな。頭も相当切れるって話で、前のタタン帝国との戦いでも一役買ったそうだ」


確か、タタン帝国とは、魔法研究に力を入れている国だったはずだ。アルフリード王国と領土をめぐり、長い間小競り合いをしているらしい。カプリッチと出会ったのもそんな争いに巻き込まれている、領境の小さな村でのことだった。


「領主としても、悪い噂は聞かねえし、良い貴族だと思うぞ」

「成程、大体理解できました。ありがとうございます。」

「そんな礼を言われることじゃねえよ」

「いえ、私にとっては貴重な情報でした。それに、また仕事を作ってもらえるのなら、グリーンの冒険者としてはうれしい限りです」

「そういってもらえると助かるがな。それにしてもとんでもないのがグリーンにいたもんだ。こりゃあ、上に行っちまう前に仕事を頼みまくるか」


ガハハ、と笑いながら、「それじゃあな」と言い残し、背を向け仕事仲間のところへ戻っていく。これで私の初仕事は終わった。出来は中々によかったのではないかと思う。しかし、これで銅貨5枚か、一泊の宿泊費にもならないんじゃ、グリーンの冒険者とはつくづく割に合わないな、ダグさんには悪いが、さっさと冒険者ランクを上げてしまおう。確か、1週間もすれば次のブロンズになれるだろうって、アリサさんは言っていたな。と、今はそれよりも、冒険者ギルドに仕事が終了したことの報告をしに向かうか。

 ダグさんの仕事場に来た時のように、今度は城門を左に見ながら、ギルドへと続く道を帰っていく。




「2匹の子供が群れから離れる。牙は17本。鋭いのは前の1本だけだ」

「了解した。狩りの準備をしておこう」




ゴミ拾いや庭の草刈など、地味な仕事をカプレッチの小言を聞きながら10数回と、初日に受けた依頼主のダグさんの依頼をもう2つ受けると、ついに、モンド・ブラマンジェ貴族が指定してきた日が訪れた。依頼を受けた日からちょうど7日後の今日、アルフリード王国都市にある、ブラマンジェ宅へ訪れることになっている。

あれからブラマンジェという貴族についてダグさんを含めた依頼主や、ギルド員になどそれとなく聞いてみた限りでは、人となり、まではさすがにわからなかったが、平時においては善政を敷き、戦時においてはその知略と剣技において勝利に導く、という私が思う貴族の模範ともいえる人物なようだ。


 アルフリード王国は、北にある王城から扇状に町が広がっているのだが、王城に近い東の丘には貴族街が広がっている。王都に訪れている貴族が一時期の滞在に使う建物が並んているらしい。

 貴族街は城下町と切り離されるように塀で囲まれており、城壁内からの入り口は1つだけあり、王国兵士が常駐している。平民とのいざこざや、犯罪防止の意味合いもあるのだろう。私はいつもの鎧姿のまま、入り口にいる兵士の元へ向かう。いつもは入れないグリーンの冒険者でも、依頼の際にはギルドがあらかじめ許可を申請してくれている。後はプレートを兵に見せるだけで入れるはずだ。

 入り口に控える若い兵士は、椅子がすぐそばにあるにもかかわらず、ピンと背を伸ばし、休めの格好で立っている。今の時期、気候が穏やかだとはいえ立ったままだというのは体にこたえるだろうに、職務に真面目なのだろうか、それとも新任で気合が入っているのか、どちらにしろ、その兵士が女であることに理由がありそうだった。通常の兵士とは異なり、王国騎士団特有の装飾がされた鎧だが、その胸当ての上からでもわかる膨らみと、肩まで伸びている髪が女性であることを主張している。腰には刺突用の片手剣であるレイピアと短剣が下がっている。

 町中からくるこちらを見つけて、敬礼でもって迎える様子を見ると、単純に根が真面目なだけかもしれない。

 私は入り口に来ると、その女騎士にグリーンのプレートを掲げて許可を求める。


「冒険者のマーヴェルです。本日はモンド・ブラマンジェ貴族の依頼を受け、その確認に向かうところです。」

「グリーンの冒険者、マーヴェルだな。黒い鎧に2メルを超える身長と、確かに一致するようだ」


 元々呼ばれて来ているのだから、簡単なやり取りをして通れると、ギルドの受付嬢であったアリサさんに言われていたのだが、この兵士―騎士といった方が正しいか―はこんな口調で貴族を相手にするのか、と少し彼女の将来に不安を持ったが、もしかしたら、貴族相手にはこういったやり取りもないのかもしれないなと、一人納得した。


「それでは通ってもいいかな?」

「そうだな」


 何とはなしに、本当に通れるのか不安に思っていたが、大丈夫なようで安心した。「それでは」と足を進めようとするが、彼女の片手で持って進路を遮られてしまう。彼女に顔を向けると、話し出す。


「確かに特徴はあっているが、顔を見せてもらってもよろしいか?」


 ……ここにきてか。平静を装ってはいるが、思わずドキッと胸が波打った。気づかれなかったのは助かったが、鎧の中をさらけ出すのはまずい。


「顔を見せる決まりでもあるのか?」

「ない。しかし、何か起こされた後に顔が分からないんじゃ探すこともできないだろう? グリーンの冒険者では顔も知られていないから、こういう抜け道ができるんだ。確認は必要だろう。それとも、なにかやましいことでも?」


 真面目すぎるのも考え物だな、どうしたものか。こういった場合のためにいくつか方法を考えていないわけではないが、確かな方法ではない。「無礼な人間はやっちゃうのですよ!」と兜の中で相も変わらず騒がしい輩の物騒な提案は却下しておくとして、リスクが一番低いであろう方法をとるしかない。ここで断り続けても入れてはくれなさそうだ。

 やれやれと肩をすくめて見せて、休憩所や周りに人がいないか確認する。幸いほかの兵士は休憩所から出てくる気配はないし、町は背になっており、塀のおかげで貴族街からみられる心配もない。

兜のスリットを開けようと手を上げ、よく見えるように彼女の目の前に顔を近づける。

 そして、2つの魔法を唱える。


「ダブルスペル、イリュージョン・ジセンド・アーマー、さらに、イリュージョン・アミリオ・アイ」


 兜の陰で暗くなっているスリットの隙間から覗くのは、炎のように煌めく赤い目が二つ。女騎士はそれを見た途端、自我を持たない虚ろな目となり、背を伸ばし後ろに組まれていた手は、だらんと力なく垂れた。


「これで、通っていいかな?」

「はい、構いません」


先ほどのように通行の許可を求めると、彼女は抑揚のない声で了承してくれる。「ありがとう」というと、入り口を抜ける。ふと、あることを思いつき足を止め、彼女を振り返る。


「そうだ、あなたの名前を教えてもらえませんか?」

「エスターシャ・エレクト、です」


 エレクト……、Eの貴族か? しかし、それはそれで構わないか。むしろ良い材料になるか。


「エスターシャ、今度仕事が休みの日に食事に行きませんか? ゆっくりとお話しがしてみたい」

「はい」

「そうですか、それは良かった。仕事の休みはいつになるだろうか?」

「光の日、です」


次の光の日は2日後だったか。ブラマンジェ貴族の依頼がどれほどかかるかわからないから、ある程度は余裕を持っておきたい。それでも一周もかからないだろうと思う。


「それでは、その次の光の日に、小鳥の囁き亭に、10の鐘が鳴ったら集まりましょう」


 適当に目にしたことがある看板の名前を口にして、約束を取り付ける。「はい」という声を最後に聞くと、手を振って、魔法を解くのとともに別れを告げる。


「ありがとう。仕事に戻ってください」


そうして無事貴族街へと足を踏み入れる。




 とある貴族の屋敷では、一人の少女がそわそわと、淑女にあるまじき、落ち着きのなさで、男の子と手をつないで、廊下を進んでいた。

手をつなぐというよりは、散歩を渋る犬を引っ張るような様子であったが、昇叙にとって、今日は楽しみに楽しみに毎日を数えながら、待っていた王都へ向かう日だった。


「早くいきますわよ、ベリル!」

「ベルナ急ぎすぎ、そうせかさないでよ」

「だって、久しぶりにお父様に合えるのですわよ! ベリルはお父様に早く会いたくないの!?」

「それは会いたいけどさ、急いでも、シュミットたちの準備ができていないよ」


 以前から何度も王都へ行きたいと話していた少女だったが、中々、その機会が来ることはなかった。しかし、今回、男としては華奢で、女である自分に瓜二つな兄、ベリルの成人の儀に立ち会う冒険者の試験も併せて王都へ呼びたいという手紙が数日前に来ていた。何分急なことではあったが、おっとり屋の兄をせっつきながら、今日の出発にこぎつけたのだった。


「ああ、王都なんて久しぶり! 新しい物語が私を待っているのよ! 早くしましょう!」

「父さんにというより、本に会いたいっていうのが目的じゃないの?」

「そんなことはないわ。物語と同じくらいお父様は好きよ?」

「物語が先に来るあたりね」


何よりも、勇者とか王子様とか、Bというそれらの現実に限りなく近い貴族であるのに、英雄譚や恋愛物語が好きな自分そっくりな妹の勢いに飲まれている兄ではある。しかし、父親に会えるというのは13歳となった今でも嬉しいもので、素直に手を引かれながら、まだ、シュミット達が準備しているであろう馬車へ急ぐのだった。




「ううむ」

「どうかしたのですか? ヴェル様?」

「いや、少しな」


 貴族街を目的のブラマンジェ貴族の屋敷を目指す道すがら、先ほどの出来事を思い出しながらちょっとした後悔の念に苛まれていた。


「あれではまるでデートに誘っているようではないか」


 生まれてからまともに女性と付き合ったことがないヴェルにとっては、少々考えさせられるやり取りだった。もっとも、必要なことであったとも思っているのだが、何かほかの言い回しが出来なかったものか。

その理由まで知らないカプレッチは純粋に疑問を投げかけてきた。


「さっきの女には何をされたのですか? おそらく魅了系の魔法だったと思うのですよ」

「惜しいな、正しくは幻惑魔法の基本魔法と同じ幻惑魔法にカテゴライズされる魅了の魔法を二連で唱えたのだ。もっとも、1つ目の時点で効果があったようだが、念のためにな」


 1つ目は自身の姿をごまかすためのもので、怯えた表情を浮かべなかったことからしっかりと効果はあったのだろう。ほかの人間で試したことがあるとはいえ、装備による抵抗(プロテクション)や精神力による解呪(ディスペル)を警戒していたのだが、杞憂だったようだ。


「二連の唱えなのですか!? 宮廷魔術師にも使える者が数えるほどしかいないというスキルなのですよ! さすがヴェル様なのです!」

「そんなこと……、も、あるのか」


 興奮しているせいか、いつにもまして、キンキンと頭に響く声で騒がれる。スキルとは、魔法とは異なり、練習と鍛錬の末に獲得できる技術とされている。魔法は先天的な才能が必要だが、スキルは後天的な努力によるものであるらしい。もっとも、後天的に魔法の才が芽生える者や、スキルをもって生まれてくるものも少なからずいるらしいが……。

 カプレッチの言う、宮廷魔術師とは、そんな魔法を使える才を持っていながら、努力によってスキルを得ているような、国でもトップの魔法使いを言っているらしい。今回はうまくいったが、人目のつく場所で使うのは控えることにしよう。今の私は、剣士であるグリーンの冒険者、マーヴェルなのだから。


「魔法については分かったのですよ。それで、どうしてあの女とあんな約束をされたのですか?」

「ああ、幻惑魔法を純粋な人相手に使うのが初めてだったのでな、後に記憶しているのがどの程度なのか気になっていたので、ついでにな」

「なるほど、そんな考えを持たれていたのですか! さすがはヴェル様なのですよ!」


 さすがといわれるのには、そのあたりばったりで穴がありすぎる計画である。後々のことを考えれば、私の魔法がどの程度の効果を持っているのか、実際にかけてみて、検証していくしかない。本当であれば、後日合う約束を取り付けるのではなく、そこら辺から攫って閉じ込めておくのが手っ取り早いのだが、リスクが多すぎる。しかしまあ、場合によっては仕方ないかもしれない。効果を知っておくことでいざというときに助かるかもしれない。

 一人、黒いことを考えながら、今まで過ごしていた城下町の一般の家とは異なる、どこもそれぞれの家紋の旗を掲げた大きな家々を両脇に見ながら進んでいると、目当てのBの貴族の屋敷を見つけた。

 旗には甲冑を付けた熊が描かれていた。

なんで熊なのだろうか、と貴族らしくないその意匠に疑問を持ったが、そんなタイミングで、「それにしても」と突然カプレッチが話しかけてきた。

「今回はどうして貴族の依頼を受けられたのですか?」

「分からないか?」

「貴族のお願いであれば、カプーも受けるのもやぶさかではないのですよ?」

「それだけか?」と問うと、「はい!」と元気よく返されてしまった。

私が間違えていた時のことを考えれば、すべてを鵜呑みにするのではなく、多少は考えることを覚えてほしいんだがな。突然、依頼を受けた理由について尋ねてきたということは、カプレッチ自身もこちらも期待に応えようとしているのかもしれない。今はただ、説明をする。

 今回、本性が知られてしまうリスクを冒しても貴族とのつながりを持とうとすることには、貴族の技術やアイテムなど、その実態を探る目的があってのこと。トラの穴に入らなければ、分からないことは多い。先ほどの女騎士のように一人であったならいいが、大勢の人間の前でいちいち魔法をかけるのも、リスクがあり、何より面倒だ。そのため、どこまで姿をごまかせるのか、どの程度の力があるのか、この国で特別なアイテムや技術を有している者に合って確かめる必要があったのだが、運がいいのか、こんなに早くその機会が回ってきた。目的地が近いだけに、そんなことを口早に説明してしまう。

「さすがなのです!」という声が聞こえるが、その言葉はすべてが無事に終わってからにしてほしい。言葉の端々から伝わってくる尊敬の念にこたえるには、自分の器は小さすぎる。せいぜいが割れない様に山のように盛り付けてごまかしていくしかない。

つまりは今回の依頼は、金額が高いばかりに受けるのではなく、それ以上に意義のあることである。マーヴェルという男が大きく踏み出す第一歩と思ってもいいだろう。ここからは敵地と思い気合を入れていく。

 Bという高貴な貴族であるため、周りより一際大きな屋敷であった。入り口には私兵と思われる若者が1人と執事と思われる服に身を包み、白い髭を生やした老齢の男性が1人、こちらをうかがっているようだった。

 そちらに向かっていることに気付いたのか、執事の方が深々と礼をして迎えてくれた。


「ようこそおいでくださいました。わたくしは、モンド・ブラマンジェ様お付きの執事でございます」

「私はグリーンの冒険者のマーヴェルです。本日は依頼を受けてまいりました。礼儀を知らない無作法者ですが、よろしくお願い致します」


 礼には礼で返すものだろうから、グリーンのプレートを見せた後、こちらも一礼する。隣の兵士は憮然とした態度を崩さないが、執事の顔は多少ほころんでいた。


「ここまで歩いてこられて疲れておいででしょうが、早速ですが、旦那様の元へご案内いたします。時間はかけない方がよろしいでしょうから、こちらへどうぞ」


何か意味ありげな言葉を残して屋敷へと向かってしまった。とりあえず、考えるのは後にして、すぐに執事についていく。


屋敷に入っても、あまり見回すのは相手に失礼かと思い、執事の背中を見ながらただ歩く。魔法やスキルを用いていれば別だろうが、どうせそのまま見たところで価値が分からないのだ。魔法やスキルを感知する方法がないとは言い切れないし、貴族の屋敷なのだから、そういった機能があっても不思議ではない。敵対行為と捉えられる行動は控えるべきだろう。

チラリと目を向けたツボへの感想は、何も入れないツボの価値とは何なのか、と哲学的な何かにとらわれそうになるぐらいに、教養が深いとは言えない。たとえば、どこの誰々が作ったツボなんですよ、と話をふられても、そうですか、としか返せないだろう。知らないものはしょうがない。マーヴェルである以上、万能であることを演技する必要は多々あるし、学ぶべきかとも思うが今は時間がないな。

そんなことを考えていると、執事が一つの扉の前で止まる。


「こちらが応接間になります。すでにモンド様がいらっしゃいますので、失礼の無いように」


 先ほどから、ずいぶんと早い対応だなと思う。詳しく貴族の礼儀を知っているわけではないが、それでも、いくつかの段階を飛ばしているような違和感がある。客である、それもただの冒険者相手に家主が待っている状況は不思議でしょうがない。ボロを出さないため、早いに越したことはないが、何か裏があるんじゃないかと疑ってしまう。

 こちらが頷くと、執事がノックをし、「どうぞ」という言葉が聞こえると扉を開ける。中にはソファーがテーブルを囲むように置かれており、窓側の席には一人の男が座っていた。

 笑顔で出迎えた男は、年は30ほどだろうか、座ったままではあるが、背は私に迫るほどの高さがあるだろうか、服の上からでもわかるほどに筋肉が発達しているのを見るに、剣を扱う、それも相当な実力の貴族だという噂は確かなものかもしれない。

 観察するのもほどほどに執事が話を進める。


「モンド様。グリーンの冒険者である、マーヴェル様をお連れいたしました」

「ご苦労、下がっていいぞ」


 執事は、ささっと礼をして扉を閉めて出ていってしまった。握手が必要なのか、これからどうすればいいのか、立ったまま数秒ほど考えこんでしまったが、モンドと呼ばれた、今回の依頼主から声がかかる。


「マーヴェルくん、だったかな。そちらへ座りたまえ」


 特に断る理由もないため、依頼主の正面のソファーに掛ける。


「失礼します」

「楽にしたまえ、鎧のままでは疲れてしまうだろう?」


 手を2回打ち鳴らすと、依頼主ばかりに目がいって気が付かなかったが、部屋の隅に控えていたメイドが二人動き出した。恐らく鎧を脱ぐのを手伝おうとしているのだろうが、こちらとしてはまずい。メイドに手を挙げて拒否を示す。


「いえ、お気使いなく。疲れるという理由で鎧を脱ぐぐらいなら、全身鎧など初めから選びませんから」

「なるほど。戦争を知らない貴族なんかは見栄ばかりで全身鎧を選んだりするんだが、君はそういった人間ではないようだ、まあ、そればかりが理由じゃないんだろうがな」


 こちらが失礼ともとられる発言をしているにもかかわらず、くっくと笑うモンド・ブラマンジェ。一当てしてみた印象は、聞いて想像していた通りの貴族だった。しかし、予想できていたとしても、すべてのことがうまくいくわけではない。最悪の場合は、アルフリード王国一の剣士を相手にしないといけないわけだが、はてさて、


「と、いいますと?」


今のところ相手が魔法を発動したそぶりはないため、さすがに鎧の中身まではばれていないとは思う。先ほどのように魔法を発動すると敵対行動と思われる可能性もあるため、この場に来るにあたって装備している、認識阻害や偽装などのアクセサリとカプレッチ頼りである。

 私の発言に対して、Bの貴族、モンドが指さしたのは、黒い鎧であった。


「私が見たところそれは魔法の鎧だろう。腕力と防御力の増強、それにまだ何かありそうだ。そんなスキルをいくつもつけているその鎧は、私でも手に入れるのは難しいような、アイテムの最上級であるミスリル級の装備だ。なぜグリーンの冒険者である君が持っているのかは分からないが、それを他人に預けるのは気が引けるんじゃないか?」

「……そこまでわかりますか」

「私は目がいいのでね。喉は乾かないか?」


 それも結構、と断りを入れる。モンド氏がメイドの一人に自分の分を頼む間に今の話を整理する。

 冒険者のプレートと同様にアイテムにもランクが存在しており、プレートのランクと同じ呼び方をされる。ミスリルは最上級の称号であり、最下級のグリーンの冒険者が持っていていいものではない。鑑定の魔法で調べられることとはいえ、魔法の発動もなしにそこまでわかるのかと、驚いている。正しいスキル名が出てこないあたり、詳しい効果までは分かっていないようだが、早くにその事実を知れたことだけでも、今日この場に来た意味があっただろう。やはり、私の知らない技術がこの国にはある。


「その鎧の価値を知っているからこそ、私は無礼とは言わないが、他の貴族の前では控えた方がいい。さすがに武器の類は持ち込んではいないようだから、分かってはいるのかもしれないが、一応忠告だけはしておこう」

「忠告、感謝します」

「素直なのはいいことだ。初代の王も愚直なまでの素直さで、比類ない力を得たそうだからね」


 モンドという貴族は笑顔ではあるが、肉食獣のような迫力がある。顔に似合わない、といっては失礼だが、頭が回るというのも、何も戦いの場ばかりではないのだろう。少々厄介だと思いながら、これ以上ここに居てもボロを出すだけだろうから、そろそろ本題に移ろう。


「初代アルフリード国王について、近しい人物から話を聞ける機会はそうありませんが、何やらお急ぎなご様子でしたから、そろそろ本題に行きましょう」

「おっと、これは失礼した。いやなに、急ぐべきなのは私ではなく、君の方なのだがね、思わず長話になるところだったな」

「急ぐ、というと?」

「端的にいうと、君への依頼は、私の子供たちとともにこの屋敷に戻ってくること、だよ」


 口の端をさらに吊り上げて、それが面白いというように話しを続ける。


「君が依頼を受けると決まった日には息子たちに王都に来るように、という手紙をだしてね。君にはその際、息子らとともに屋敷に戻ってこられたら、依頼の完了としよう」

「ご子息の護衛ということですか?」


 まさか、と苦笑とともに否定する。


「この依頼が貴族の伝統によるものだというのは聞いていると思うが」


「はい」と肯定する。依頼日を聞くのと同様に、簡単に説明を受けていた。貴族の次期当主が成人する際には、冒険者を付けて、人型の魔物を狩るのだそうだ。冒険者は信頼のおける者を選ぶ必要があり、そのために、子供が小さいころから冒険者を見つくろうことが多いらしい。

成人の儀が終わった後も、貴族に選ばれたという箔がついて、名指しの依頼や、他の貴族からの依頼も受けやすいため、冒険者としては安定した生活が送れることになるだろうということだが、もちろん、お眼鏡に叶えばの話で、選ばれない者も多いらしい。技術を探る上でも、つながりを保っておきたいため、すべてはこの依頼にかかっている。

 モンドの話は続く。


「今回の依頼は、すでにわが領地を出立した息子らを探し出して、彼らの信頼を得て共に敷居をまたぐということだよ」

「私が彼らを探しているということは、向こうには?」

「知っているとも」


 なるほど、しかし簡単な依頼ではないな。こちらのことを知っているとはいえ、賊の可能性もないわけではない。気を張り詰めた彼らに認められ、子息に認められなければ、共に戻ることはできないわけだ。例えば、帰ってきたところを王都の門で出迎えても、貴族街へ入ることが許されるとは思えない。許可を今回のみしか認められていない私は、彼らへの同行を許してもらわなければ、貴族街に入ることができないだろう。それに、認められるという言葉が何よりも足かせになる。

 まずは探し出し、それから、信頼を得ると、時間が必要か。それで、急がなければならないのは私の方、ということか。

すでに、収穫はあった。次の行動にすぐにでも移るべきか。

考えがまとまったところで、席を立つ。


「了解しました。お心遣い感謝いたします。私はこれで失礼させていただきます」

「ずいぶんとせっかちなのだな。もう少し、こちらから話を引き出そうとはしないのかね?」


 ……その考えはなかった。ずいぶんと焦っていたようだが、ここで座りなおすのも格好が悪い。余裕を見せておくことで印象よくしようという、思いもある。それに、すでに探し出す方法は思いついている。信頼を得る方も何とかなるだろう。


「もっともなお言葉ですが、策はあります」

「そうかい? それじゃあ、期限だけ教えておこうか、後3日だ。すでに領地を出立し、王都につくのは3日後になるだろうとのことだ」


 3日間。普通であれば不可能ともいえるが、モンド氏は可能だからこそ、依頼としているのだろうし、金銭をケチるくらいなら最初から依頼などしないだろう。何とかして見せるしかない。

 再び別れの挨拶をし、扉に向かうと執事が待っていた。つれられるように屋敷の外へと出る。上を見ると、まだ太陽の位置は高い。


「なんとかなるか」と一人ごちると、「ヴェル様なら何でもできるのです!」と、元気のいい声が帰って来て、一人苦笑するのだった。




「あの冒険者についてどう思う?」


窓から、黒い全身鎧の男、マーヴェルといったか、が帰ったのを見送ると、すぐに帰ってきた執事に問う。


「足の運び、身のこなしを見るに、只者ではないかと」


 手をそろえて直立の姿勢を崩さず、主従の礼を取りながら、執事の男は心配が見て取れる主からの言葉に返す。


「鎧も見事なものでありますが、それを着こなし、重さを感じさせない歩みはグリーンの冒険者とは思えませんな」

「その鎧も私の見たところ、ミスリル級の防具なようだ。それも踏まえて、どれほどとみる?」


 驚きを顔にするが、すぐに表情を戻す。


「旦那様が見られたというのならばミスリル級というのも確かなのでしょう。そうなると、ふむ」


 顎に手を当てて逡巡したあと、思ったことをそのまま口にする。


「わかりませんな」

「そうか」


 質問をした貴族の、モンドもその答えに不満があるようではなかった。むしろその答えを待っていたかのように、口の端を釣り上げる。その笑みは、先ほどのような外交的なものではなく、野獣そのもの、とても人に見せることができないような、相手を食い殺すような嬉々とした戦士の顔だった。

 長い付き合いになる執事にとっては見慣れた顔であり、変なことをしでかすのではないかと、先ほどの男に憐れみを覚えるに留まった。


「おそらくはゴールド以上というのが私めの見立ててはありますが、その先の限界までは、計り知れません。旦那様の見立てではどうなりますかな?」

「俺もわからん」


 先ほどまでの貴族然とした態度、言動からいつもの様子にかわっていたが、平時であれば、そのことを正そうとする執事の顔は先ほどよりも深い驚愕の色を浮かべていた。


「その眼でも分からないとなると、王国一と謳われる剣士である旦那様と同等かそれ以上となりますか」

「それがどうもわからん。自分より強い奴は見られないはずの眼だが、装備品であるはずの鎧は見ることができた。そんな話は先代からも聞いたことがない」

「隠蔽のスキルでしょうか?」


 隠蔽とは真っ当なことをして得られるスキルではなく、暗殺や諜報を生業にする者に現れるものである。


「そんな感じでもなかったが、あいつなら何かわかるかもしれん」


早まった考えを持ち始めた、殺気が溢れる執事をなだめるように口にすると、再び、窓の外を見る。

話しの男であるマーヴェルが探す先にいる、子供たちの中でも、自分以上の眼を持つ一人を思い浮かべながら、先ほどよりは若干柔和な笑みを浮かべる。

帰ってきたら話しをしてみようと、希望の持てる規格外の男の登場と、久々に会う子供たちを思いながら窓に踵を返して、いつもの仕事に戻る。顔はすでに貴族のものになっていた。




「なっのでっすよー! なっのでっすよー!」


 いつもの口癖で歌うカプレッチの不思議な調子の歌を聴きながら、貴族街から抜けて、この町に来てからお世話になっている宿へと向かう。貴族街を抜ける際には突っかかってきた貴族の女騎士であるエスターシャの姿はなく、別な男が相手をした。


「ずいぶんとご機嫌だな」


 どうしてそこまで元気なのか、不思議に思って聞いてみることにした。


「それはそうなのですよ! 今まで地味な仕事ばかりで不満爆発寸前だったのですよ! やっと街の外にでられるのですよー!」

「それはすまなかったな」


 そこまでストレスが溜まっていたのかと、依頼を選んでいた自分は素直に謝っておく。すると慌てたように、


「そ、そんな、ヴェル様が謝られることはないのですよ!? ヴェル様はヴェル様のお考えがあってのことで、カプーのはただのわがままなのですから!」


 そうは言っているが、仕事に連れ出しているのは私の方だから、今後依頼を受ける際はカプレッチの意見も聞くことにしよう。

 わたわたと慌てる様子のカプレッチはそのままにして、ベッドとその上で眠っている羊が描かれた宿屋へと入る。“羊の眠る宿(スリーピング・シープ)”というその宿屋はマーヴェルたちが王都に来てからずっとお世話になっている宿屋だった。価格は相部屋で銅貨10枚と格安ながら、そこそこにきれいで、朝食もついている。個室もあって、そちらは銅貨20枚と通常の倍もするが、収入のなかったはじめの頃ならまだしも、体の都合もあって、今は、個室を借りている。昼間は料理屋もしており、それなりに繁盛しているようだった。

 モンド氏からの依頼で急いでいるとはいえ、3日は確実に街を離れることになるため、挨拶がてら、荷物を取りに戻ってきた。

入ってすぐのカウンターには、宿屋の主で、よく来る客には若旦那と呼ばれている30代手前の男性が受付に立っていた。こちらをみて、すぐに声をかけてくる。


「マーヴェルさんお帰りなさい。冒険者の仕事の方はどうですか?」


 若旦那とはいくつか世間話とともに冒険者になった話などもしており、ここずっと依頼をこなしていることも知っている。王都に疎い私にとって、知識を得る貴重な存在でもあった。


「実は仕事で少し離れることになってね、勘定をお願いしたい」

「そうか、話し相手がいなくなって寂しいな」


 若旦那は話し好きで、よく泊り客と世間話をしているのを目にしていた。むしろ喋るのが仕事なんじゃないかと思うくらいに、誰とでも話している。


「離れるといっても、3日後には戻ってくる。その時はまた世話になる」


 残念そうな顔から一転、嬉しそうにして、金庫から取り出した鍵と銀貨を1枚差し出してくる。ここの宿泊が寄合で6日、個室で8日、長期宿泊ということであらかじめ銀貨で3枚払っていたので、少し多い。


「若旦那、これは」

「それくらいはおまけさせていただきますよ」

「ありがとう。急いでいるので長話はできないが、必ずまた伺おう」

「まいど」

 

1階は4人掛けの丸テーブルが置かれていて、食事と酒が頼めるようになっており、宿泊はその奥と、2階に部屋があり、借りていたのは2階になる。

1階には、まだ昼前ということもあり、隅のテーブルでグラスを傾ける無精ひげをはやした男が一人いるだけだった。壁には独特の反りを持った剣が鞘に入れられ、立てかけられている。

2階に上っても、廊下の両脇にある部屋から人の気配はしない。ドアにはしっかり鍵がかかっており、相部屋であれば、4、5人が一緒の部屋となるため、鍵のついた箱が一人に一つずつ設置されており、最低限のセキュリティは確保されている。

10数日過ごした自室へと入る。ベッドと椅子が2つと机が一つ置いてあるだけの部屋ではあったが、泊まる分には不都合はなかった。椅子に掛けていた、地味な土色のマントを羽織、そんな部屋の片隅にまとめておいた数少ない荷物を革袋に詰めて背負ってしまう。ほとんどが王都に来る前に使っていた道具ばかりだったが、身は軽い方が冒険者としては都合がいい。

荷物のほとんどは袋に入れたが、とても入りそうにないものが壁に立てかけられて残っていた。マーヴェルの慎重に負けないそれは、一枚の板と見間違うほどに大きく、太い、黒い剣であった。普通の柄の2倍はありそうな握り手が唯一剣であることを強調している。

貴族への謁見と、街中ではあまりに悪目立ちするため持って歩くことはなかったが、街の外には魔物も多い。街道を歩く分にはその心配も少ないが、部屋を開けるためにも、用心のためにも、今回は持っていく。

邪魔にならない様に荷物の上にさらに背負うと、椅子に掛けてあった地味な厚手の土色のマントを羽織り、隠してしまう。それでも柄の部分だけは外に見えているが、それはもうどうしようもない。


再びカウンターにいる若旦那へ鍵を返しながら挨拶をして、宿の外へ出る。向かう先は街の外、さっさとブラマンジェの子息を探してしまおう。後はどうとでもなるだろう。


 街の門から外に出るころには、太陽も西に傾き始めていた。これから向かうのは、ブラマンジェ領地方面となる。道は陸路のみで道も複雑ではない。何もなければ1本道を遡っていくだけで会えるはずである。

門から出る際、今度は門兵に止められることもなく、プレートを見せるだけで外に出られた。そのまま太陽を目指して、西へと足を向ける。その先、普通の馬車であれば3日かければ着く位置にブラマンジェ貴族の領地がある。

モンド氏の言葉を信ずるならば、探す相手方も今朝出立したものと考えられるが、ここまで早く準備できたとすると、貴族というのは案外暇なのか、それとも前々から王都に来る予定でいたのだろうか。

3日という期限がブラフということも考えられるが、そこまで意地悪なことはしないだろう、というのが、彼の貴族に対する評価である。今思えば、旗の紋の体を表している熊のような男であったが、それ以上に紳士なイメージを持った。戦場では獰猛さも見せるのであろうが、高位のBという名に恥じぬ高潔な貴族であった。

 対抗して、というわけではないが、ああいう上に立つ者を目指しているだけに、保身のためだけでなく、依頼を通して、支配者としての技量も学べればいいなあと思っていたりもする。


歩く人も多いが、ほとんどの人が馬車や、時々、鱗を持った4足歩行の生き物に荷を引かせる姿を見る。さすが王都への道ということもあり、人の行き来が多い。

少しの間、その流れに乗って歩いていたが、目新しいことも減ってきたため、一人、道から外れる。商人と思われる馬をひく男から、そっちは危ないぞ、と注意を受けるが、手を振ってそのまま、木々の間を縫って、男の視界から消えるように、奥へ奥へと向けて歩いていく。


「そろそろいいか」と、道から外れてしばらく経った頃にようやく口を開く。


「これからどうするのですか? 歩いていくのですか? それともそれとも、魔物をバーッと倒しちゃって、お金をガッポガッポで宿屋もランクアップなのですか!」


 カプレッチもようやくいつもの調子でしゃべりかけてくる。人の多いところではあまり話しかけない様に言ってあるために、ようやく自由になったと気が緩んでいるようだ。散々羊の眠る宿での暮らしに文句を垂れていたので、なにか期待をしているようだったが、しばらくは、宿屋を変えるつもりはない。質素倹約である。

 そのことを伝えると、「ガーン!」と口にするあたり、それほどショックを受けていないのかもしれない。思わず口の端が上がってしまったが、先を急がなくてはならないから、話を進めよう。


「おそらく、貴族のご子息は、先ほどの街道を通るだろうと予想できる。依頼から間もない話であり、3日の猶予であることも考えると、最短ルートを通るだろう。それでだめなら、最悪の手段をとる必要があるが……、まあ、十中八九そうはならないだろう」

「なぜなのですか?」

「この依頼は元々、出会ってからのやり取りを重要視しているように思うからだ。でなければ、3日という短期間で信頼を築けというのは無茶が過ぎる。ある程度顔を覚えてもらうのが目的なのだろう。共に帰ってくるというのはそんな中で、多少の試験の意味合いを含んでいるということだろう」


 モンド氏との会話の後、出来の悪い頭なりに考えてみて、そういった結論に至った。会話の直後は難しい依頼だと思ったが、ひも解いてみると、案外簡単な内容であった。もっとも、本当に正しいのかは定かではないが、その時はその時、あきらめるほかない。


「しかし、そんな中でも、自身の評価は上げておくに越したことはない。魔法による強化を施した後、走って今夜までに合流したい。ついてこられるか?」

「はいなのですよ! まっかせて下さい!」

「限界が来たら遠慮なく言ってくれ、別にそこまでこだわることではないからな」

「いえいえ、それくらいはなんてことないのです! やるときはやるカプレッチなのですよ!」

 

 それはこちらのセリフだろうに、唯一彼女の疲労が心配だったのだが、この分なら大丈夫かもしれない。一応、細目に彼女のステータスの様子を見ながら後のことは決めるとして、今日行けるとこまで行ってしまおう。


「それでは行くぞ。アルタレーション・ア・マヘッカ・マーヴェル・チコー」

「能力開放! なのです!」


 共に魔法の発動を確認してから、駆けだす。全身鎧と、巨大な大剣の重さによって、土を蹴り上げながら走ることになる。初めは駆け足ほどのスピードであったが、体の調子を確かめながら、徐々に速度を上げていく。徐々に上がっていく速度は、すでに馬の全力を超え、少しずつ、しかし速く、ついには空を飛ぶ鳥すらもおいていくほどの速度となった。


「カプレッチ、調子はどうだ?」

「問題ないのです!」


 そんな速さではあるが、まだ余裕があるようで、息が切れることもなく、会話をする余裕があった。試しにステータスを見てみると、体力の減少は見られず、このままの速度を保っていられそうだった。予定通り、日が暮れる前にはモンド氏の子息にも会えることだろう。

 今になって、子供の名前を知らなかったなと思うが、後の祭りで、せいぜい出会ったときに、失礼にならない様にうまくやろう、と簡単に考える。

 その間にも、街道を見失わない様に気を付けながら、西へ西へと、沈む太陽を目印にひたすらにかけていく。




日が傾き、夕焼けにより、一面赤い色の平原に、猛々しい熊の絵が描かれた旗がたなびく、1台の馬車が佇んでいた。金や銀で飾られた馬車は、日の光を受け、輝いて見える。しかし、絢爛豪華なそれを引くはずの馬はすでに息絶えている。首には一本のナイフが刺さっていた。

 その馬車を守るように馬から降りた騎士が3人、自身の馬を内側にして周りに剣を向けていた。馬車の降り口から覗くのは、13歳になったばかりのまだ、幼さの残る男の子であった。それを背中に、中にいるのは、肩から流れる血を押さえつけている傷を負った執事と、その腕の中で身を震わせる、男の子と同じく、間もなく13歳を迎える少女の姿がある。

それを狙うのは深緑のローブを身にまとった10人もの集団。手にしているのはナイフや杖、目深に被ったフードのせいで顔のほとんどは分からないが、端から覗く肌は、褐色であった。その包囲網は完成しつつある。


「早く囲め! 残りは3人だ!」「ブラマンジェ様達に近づけるな! 指一本もだ!」「左はやったぞ!」「ベリル様ぁ!」


 静かな均衡の中で放たれた言葉は、次々に連鎖し、守るべきものの名を口にした男が倒れたことで、また静寂が訪れる。

 馬車の中で震える少女は後悔に苛まれていた。なぜ、王都に行きたいなんてお父様に頼んでしまったのだろう。そんなわがままがなければ、いつも通り、心躍る物語の世界に浸れていたかもしれないのに。

最初は何が起きたのか分からなかった。外の護衛の様子を見ていた執事が、突然身を翻したかと思うと、その肩から血しぶきが上がった。馬車の外からはいつにも増して、怒鳴るシュミットの声がした。それからは、執事が扉を閉めてしまって、外の様子を見ることができなかったが、悲鳴や、それに混じって自分を護ろうとする騎士の声が聞こえてきて、震えが止まらなかった。

姫を護る騎士の話は好きだったし、憧れたこともあったが、自分がその状況におかれるとこんなにも恐ろしいものなのかと、場違いな思考は留まることはなかった。きっと私たちの騎士が悪を打ち払ってくれると、勇者が魔王を倒してくれると、王子様が悪い魔法使いから助けてくれると―――。

しかし、騎士は倒れるばかりで、勇者はいないし、王子は頼りにならないし、「ハハハッ……」乾いた笑い声が漏れる。目には涙が溜まり、執事が庇ってくれているせいで、うまく涙が拭えない。私の騎士はどこにいるのだろう?




 後は押し込むだけで、どうにでもなる。しかし、残る騎士2人のうち一人は、ブラマンジェの(ベアークロー)とも呼ばれる、彼の貴族が持つ私兵団長のシュミットである。当主と同様に、細かい技のない剛の剣技を使うため、一撃の威力は侮れない。詰めの際にこそ慎重になるべきだ。

  それでも、もう失敗はないだろうと、モンド・ブラマンジェの子供である、ベリルとベルナデットの暗殺を命じられた男は、依頼の終わりを悟った。

 その男は、暗殺者の一党を束ねる頭であった。名前をロッカという。

その一党には名前がなく、存在自体は、アルフリード王国の建国後から徐々に知られるようになった組織であった。成り立ちはどこかの国の情報員が始まりではないかといわれている。それこそアルフリード抱えの組織だったのではないかと噂されるが、現当主のロッカでさえも知らない、代々受け継がれる中で失われていった記憶である。

食うに困ってか、いつからか暗殺業をはじめ、当主の名前から、ロッカ一族として、国や貴族に名の知られるようになってしまった組織であった。

 当代のロッカは、一族の子供として生まれ、高い身体能力の下に殺す術のみを学んできた、長い寿命は技を磨くために、黒い肌は闇にまぎれるために、生きるすべてを人を殺めることにのみ費やしてきた。状況さえ整えば、子供ではなく、親である、王国一の剣士、モンド・ブラマンジェさえも殺せると、冷静に判断している。順位づけのされない世界だが、冒険者風に言えば、ミスリル級であろう。

だからこそ、そのモンド子飼いの騎士シュミット(ベアークロー)であれば、簡単とはいかないまでも、リスクを少なく倒せるだろうと、17人の騎士に守られる子供二人の殺しの依頼を、人間ではない女から受けた。

若い騎士を中心に編成されていることは事前に知ることができていたため、若い騎士が管理する道具や食糧に細工をするのに苦労はなかった。

昼食ののち、体調を崩したのは3人、戦闘前に装備の不良で4人、不意打ちによる無力化が3人、慌てたところへのひと当てで1人、正面から数で押して3人、包囲網の完成までに1人、で、残り二人。後はこちらの10人で押しつぶしてしまえば、任務完了となる。

そろそろシュミットを仕留める必要がある。当主であるロッカ1人でも十分可能であるが、なにも1対1で戦う必要はない。我々は騎士ではなく、陰に生きる者なのだから。


「行け」


 その一言で、後詰の2人以外、自分を含めた8人で仕留めにかかる。騎士の馬で逃げられることも考えて、手の空いた者がいるに越したことはなく、最後まで気を抜くつもりはない。すべては金で飾った馬車のなかで震えているであろう、貴族を殺すために。




「今ですっ……!」


 いつも口うるさい執事で、逃げてばかりいたが、今ばかりは、その声に従って扉を蹴り開ける。手を伸ばすのは馬の鞍。足を掛けずに飛び乗った。執事が傷から血が溢れるのも気にせず、妹のベルナデットを抱えて僕の前へと座らせる。

 ナイフが頬を掠めて、背筋が凍った。2本目も飛んできたが、後ろに乗った執事が、腕でもってそれを撃ち落してくれた。帰ったら素直に言うことを聞こうと誓った。

 大人1人と、子供とはいえ13歳の2人を乗せてもびくともしないのは、さすがシュミットの馬だと思う。次の攻撃が来る前に、執事は馬の手綱を握り腹を蹴る。風を切る音が聞こえたが、すでに後ろに過ぎ去った後であった。

 逃げるにはフードの男達が、シュミットともう1人の騎士に群がった今しかない。目の前に立ちふさがったフードの1人が馬に蹴飛ばされると、後は遮るものはなかった。

 ギリギリのタイミングだった。唯一心残りなのは、最後まで護ってくれようとした騎士達を置いてきてしまうことだったが、自分たちが生きていなければ、その努力も失われてしまう。

 執事の腕の陰から騎士たちの最後を見届けようと、後ろを振り返る。……目に映ったのは、巨大な鉄の刃であった。

 屈強な馬の足を切り飛ばし、それは地面に刺さる。刃のように鋭いそれは、十字型をしていた。それを最後に、僕たちは馬から放り出される。その十字の刃を投げたのは、シュミットに対していた1人の男のようだった。




 痛い痛い痛い!

 空中に放り投げられた体は、勢いそのままに地面に叩き付けられる。地面を転がった際に、王都に行くということで、お気に入りの服をそろえてきたが、数か所が破れ、血がにじんでいた。

 ベリルが庇ってくれようとしたようだけれど、私と同じ歳の兄は、父に似ず、華奢な体をしており、抱き留めることはできなかったようだ。痛みに呻いているが、意識はないのかもしれない。足が折れているのか、変な方向に曲がってしまっている。

 執事は気を失ったのか、ピクリとも動かなくなった。

 シュミットは未だに、フードの男たちに囲まれていて、こちらに向かえないでいる。こちらに歩いて来るのは、フードの男。手には短いながらも本物の剣が握られていた。それは私たちの命を刈り取るもの。私が憧れた剣はどうやら間に合いそうにない。

 すでに死を覚悟した。ここは見渡す限り平原で人の姿は彼らと私たちの他にはない。ついに夕日も沈み、人が暮らす時間は過ぎ去った。星が瞬き、周りは闇に包まれる。助けなど、見込めるはずがない。後はせめて、瞳の裏に、私の思い描く本の英雄を思い浮かべよう。父よりも特別な眼を持っているといっても、こういう時には役に立たない。お父様のように剣の技でもあれば、違ったのだろうけれど……。

 瞳の裏に映る英雄は、父のように大きく、どんな剣も通さない鎧を身にまとっている。色は、そう、闇のように黒く、しかし、星の輝きが散りばめられた鎧。顔は、兜に隠れて分からないけれど、きっと素敵な人。剣は、すべての悪を切り伏せるような、大きな大きな剣。そしてその人はきっと、こういう私の危機に現れてこう言うんだわ。


「助けてほしいか…って」「助けてほしいか?」


 驚きに目を開いた。恐怖のあまり聞こえない声が聞こえてしまったのかと疑った。自分に都合のいい言葉を聞こえたと思い込んでしまったのだと。でも、暗闇の中でもはっきりと私の眼には彼が映っていた。

 その鎧は、闇のように黒く、しかし、装飾が星のような煌びやかさを持っている。背はきっとお父様よりも高い。風でひるがえったマントの下には、その背丈ほどの長さの幅の広い大剣が見える。顔は兜で隠れているけれど、きっと素敵な人。

 先ほど思い浮かべた人が、そのまま目の前にいる。死の間際の幻覚が見せたものではないのは、私の眼が働くことで確認できた。


「助けてほしいか?」


 再びその人は聴いてくる。思っていたよりも、優しくて、低い男の人の声。嬉しくて、思わず涙が出てしまう。


「……はいっ!」


 彼は深くうなずくと、しばらくの後、その大きな手で涙を拭いてくれる。


「私はマーヴェル。君の名は?」

「ベルナデット、です!」

「そうか、ベルナデット、少し待っていてくれ、すぐに終わらせる」


 彼こそ、私の思い描いた黒い綺羅星のような英雄、マーヴェル様。





 正直なところ、焦った。予想していたよりも、あの従者の腕が立ち、逃がすところだった。幸い、馬の足を切り飛ばし、逃走を阻止できた。

突然現れた黒いあいつがどこからやってきたのかは後で考えるとして、偶然居合わせただけだとしても、異分子は排除するに越したことはない。シュミットをほかの者が抑えるのは少々辛いだろう。元々、子供を殺すのが目的だったのだから、騎士は無視をしてさっさと貴族を片付けて、逃げてしまえばいい。

トドメを刺さんと一気に駆けだす。鎧の男が何者であれ、シュミット以上とは考えられない。情報に聡いロッカ達が知らないということは、上位の兵士、冒険者ではないだろう。


「戻れ、カグラ」


 地面に刺さった十字型の武器が自分の意思を持つかのように、投げられた時のように回転をしながら飛んでくると、手元に収まる。正しい名前を十文字・カグラというこの投擲武器は、代々のロッカに伝わっているもので、投げれば必中、呼べば手元に戻るという、不思議な武器であった。

 走っている勢いそのままにそれを再び投げつける。日が落ちて、光源は星だけとなっていたが、闇夜に適応している目を持つ種族であるロッカの狙いは正確で、黒い男に寸分たがわず飛んでいく。何も、カグラの性能ばかりでなく、自身の技量も確かなものである。

 風を切る音すらしないそれを、この暗闇の中でよけられるはずもない。鉄の鎧すらも切り裂き、いくつもの命を奪ってきた。

今回もその中の1人となる。胴体から切り離された頭が地面に転がる。後は、無防備な貴族だけとなる。……はずだった。

あろうことかその鎧の男は、首元に迫る勢いがつき、重量も相当なはずの、十文字・カグラを叩き落とした。弾いたとか受け流したとかではなく、ハエでも叩くようにあっさりとだ。

驚愕はしたものの、次の手に出る。走る足は緩めておらず、すでに相手の目の前に迫っている。片手にしたナイフを相手の鎧の隙間に走らせれば、それで終わる。狙うのは次も首である。

鎧の男はゆっくりと背中の剣の柄に手を伸ばす。正確なところはマントに隠れて見えないが、それでも両手で持つのもやっとな大剣に見える。おそらく上段からの一撃に特化したスタイルなのだろう。魔物相手ならば効果的だろうが、こちらは素早さが武器の殺し屋だ。

相手は大剣を両手に、だらんと斜に構える。なにか、ドロリとした違和感があるが、その手が上がりきる前にこちらの刃が届く、その首めがけて最後の一歩を踏み出す。

取った!

その瞬間、浮遊感とともに男の目の前は黒く染まった。それは飛び散った相手の血、ではなく、最後に目にしたのは、真横に走った斬撃であった。





「マーヴェル君。よくやってくれた!」


 再び、モンド・ブラマンジェ貴族の家に、無事ご子息とともに帰ってこられたわけなのだが、ブラマンジェ当主のモンド氏に感謝の言葉とともに手を握られながら、彼のご息女にマントの裾を、つかまれていた。

ベルナデットと呼ぶ彼女には、好きだという物語を散々聞かされながら、帰ってくるまでの2日間、お抱えの騎士に注意を再三されたにもかかわらず、寝るときまでも、チョコンと、どころかマントをがっしりつかんで離してくれなかった。

 後ろには執事が控えており、彼女の兄だというベリルが苦笑いを浮かべている。

どうしてこうなった。


「本来は、顔合わせ程度のつもりだったのだが、ずいぶんと、娘が懐いたようだな」


 モンド氏はにやりと犬歯の除く笑みを向ける。思わずゾクリと身震いを感じてしまうのは、人間の頃の名残であろうか、すぐに平静に戻るが、少しでも怯んでしまったのは情けない。

 ベルナデットが懐いたというのは、旅路に聞いた本の話、所謂英雄譚が好きらしく、特に姫を救う英雄に強い憧れがあったという。謀らずも、彼女の眼には危機に現れた英雄として、私の姿と自身の姿が物語に重なったようだ。モンド氏は王都で流行りの本をお土産によく持っていくため、彼女の今の吊り橋効果による恋にも気づいていて、意味ありげな笑みを向けてくるのだろう。こちらも大人であるから、間違っても手を出そうとは思わないが……。


「ベルナデット、ベリルこちらへおいで、改めて紹介しよう」


 ベルナデットは渋るが、それでも名残惜しそうに離れていく。


「こちらがベリル、そちらがベルナデット、私の息子たちだ。今回は、命を救ってくれてありがとう」


 深くお辞儀をするモンド氏に続くように、二人も頭を下げる。貴族がどこの馬の骨ともしれない冒険者に、頭を下げるというのは、そうそうあることではないのだろう。貴族としては問題だが、親として子供を大事にしていることが分かる。巷での良い領主という評判も、こういったところが関係しているのかもしれないな。もっとも、そのせいで、今回、襲撃されたという考え方もできるが、それを言うのは酷だろう。


「こちらこそ、間に合って何よりでした」


 魔法を使ってから、強引に探しに向かったわけだが、空の明るいうちに、予定通り一つの村に着くことができた。そこはベリル一行が宿泊するだろうと考えていた場所であったのだが、人に尋ねても、貴族が訪れた様子がなかった。そのため、日が暮れるのも構わず、さらに足を進めたところで、熊のエンブレムの入った馬車を見つけることができた。

 そこで、フードを被り、いかにもな敵に剣を向けられている、着飾った貴族とわかるベルナデットを助けるに至った。

 敵は上等な武器を使っていたわけではないが、あの投擲武器には少し驚かされた。それでも、一振りで終わってしまったのだから、それほどの脅威ではなかったのだろう。ほかの襲撃者も目立った能力の者はいなかったので、残った騎士とともに剣でもって片付けてしまった。その後は、傷を負っていても馬車に戻ってきた騎士たちとともに、ほとんどベルナデットの話しの聞き手として、その登場人物と私が比べられて評されながら、ブラマンジェ家へと帰ってきたのだった。

 モンド氏からの話もそこそこに、疲れているだろうからと泊まっていくことも勧められた。ベルナデットは非常に残念がっていたが、今日は久々にしっかりと休みたいと断っておいた。長くいすぎると、さすがに1日中鎧姿でいることに不信感を持たれるだろう。

 どうしても泊まらせようとするのを、躱しながら挨拶もほどほどに逃げ出すように部屋から出る。今回は依頼終わりで良かったが、相手は貴族でどうしても断れない場合があるかもしれない。懐かれすぎるのも困りものだな。

ここへ初めて来たときに案内してくれていた執事に連れられて、ブラマンジェ亭の門を抜けたときだった。


「マーヴェル殿、少し待ってくれ」


 屋敷の方から走ってくる人物に声を掛けられた。道中はベルナデットに構ってばっかりだったが、暇なときに一言、二言、言葉を交わした騎士だ。たしか、隊長だというのシュミットだ。


「何か?」

「護るべきベリル様を救ってくれたことに対して、改めて礼を言いたい。ありがとう」


 先ほどのブラマンジェ家族のように深く礼を取る。


「本来であれば、我々が、対処すべき相手だった。それを力不足により、マーヴェル殿を煩わせてしまった。この恩は必ず返す。いつもは騎士の訓練所にいるから、何かあれば声をかけてくれ、必ず力になろう」


 力強く話す彼に好感が持てた。主が主なら、その騎士も思い描いたような騎士である。


「恩を重ねることになるが、時間があれば、剣の相手もしてほしい。戦い方を御教授いただきたい」


 剣の相手ということは、騎士の強さを測るのには好都合だ。恩だなんだと畏まって渋られるくらいなら、もっと気軽に呼んでもらいたいところだな。


「そんなに大げさに考えずに、そうだな。こちらこそ、友として、剣の相手を頼みたいのだが、どうだろうか?」


 友、という言葉に驚いたようだが、それでも先ほどの険しい顔から多少の笑みが漏れる。


「貴殿の、いや、マーヴェルの相手をするのは疲れそうだな」


 気安く呼び捨てにしたということは、友として認められたということだろう。


「よろしく頼む。シュミット」

「こちらこそ。マーヴェル」


 その後、数回言葉を交わすと、別れを告げて岐路に着く。




 ブラマンジェの屋敷では、一人の少女が後悔に頭を悩ませていた。


「ああ、マーヴェル様のことを聞いていませんでしたわ」

「ずっと、ベルナが本の話をしていただけだもんね」

「ああ、マーヴェル様はいずこへ」

「冒険者らしいけどね」

「それですわ! ベリルお兄様! 早速依頼をお願いしてくるわ!」

「依頼の受理を待ってる間に、僕たちは領地に帰ることになるんじゃないかな?」

「ああ、そうでしたわ、マーヴェル様ぁ」


 今も窓から、マーヴェルの帰りを見つめ、肩を落とす娘と、それを励ます息子を端に見ながら、親であるモンドは、執事と声を小さくして話している。


「暗殺とはまた、物騒だな」

「以前話されていた、魔の王の仕業ですかな?」

「恨みも買いやすい。そればかりとは言い切れないな」


 以前、主の口から、魔の王という言葉が漏れたことがあった。なんでも、新しい脅威だという話だった。


「それにしても、あの冒険者が何者であれ、助かりましたな」

「本当に、運が良かった。彼がいなければ、ああやってふざけ合う姿も見られなかっただろう」


 貴族であることよりも、親であろうとする主に執事は笑みがこぼれる。本当に彼がいてくれてよかった。それも敵の思惑通りとも考えられるが、シュミットが、あの冒険者は信頼できる、と評価していた。そのまま鵜呑みにもできないが、今日はすでに帰った後だ。これから、じっくりと見極めていけばいい。

ここでふと、執事はシュミットの言葉で気になることがあったのを思い出した。


「そういえば、襲ってきた賊の遺体を調べたところ、指揮していた、十字の武器を持つ者の姿が見えない、とのことでした」

「逃がしたのか?」

「それが、マーヴェル様が切ったところを、戦闘時、遠巻きながらも見ていたそうなのですが」

「ふむ、しかし、今からでは確認しようがない。襲撃の警戒だけはしておけ」

「畏まりました」

「それと、遺体を確認したということは、何か手がかりはなかったのか?」

「さすがに手練れのようで、そのようなものは、しかし」

「しかし?」

「人間に交じって、ダークエルフがいた、とのことです」

「ダークエルフ、亜人か」


 敵の影がちらつくなか、今回の本当の思惑であった、対抗しうる、力のある冒険者を見いだせたのは唯一の救いか。眼を抑えながらも、魔の王の使いだという、女のことを思い出し、歯ぎしりする。


「貴様らの仕業だとしたら、脅しのつもりか。それならばただではおかん」


 内に流れる武人としての濃い血が、燃え上がる。




 手を封じるために撒かれた鉄の冷たさを感じながら、男は促されるままに歩みを進める。目には布が被せられているのが、暗く、何も見えない。魔法の発動は何かに疎外されており、効果が発現しない。

エルフ特有の長く、闇の中でも相手を見ることができる耳には、石のような地面をける、二つの足音が響いて聞こえるだけだ。長く、広い廊下を進んでいるらしい。

 その男、ロッカは考える。

 その生き方から、死ぬ覚悟はできているが、殺される気配がない今は、逃げる隙を伺っている。そのためには、魔法ない今は、音すらも重要な情報だ。ここがどこかは分からないが、一度外に出てしまえば、あらゆるところに潜り込ませたロッカの者たちが助けてくれるはずだ。一族の絆は、親子よりも固い。

 それにしても、ここは何処なのだろうか。

 切られた、と思った瞬間には意識を失っていた。辛うじて、黒いドロドロとした何かを見た記憶がある。

起きてから今まで、時間はたっておらず、同じような道を誰かに促されるまま歩いている。軽口を叩いてみるが、その何者かは一言もしゃべらない。

ふと、壁の前で立ち止まる。頬に風がふれるのを感じた。どうやら、扉だったようで、音もなく開いたその先には、いくつもの動く気配を感じる。開けた広場のような部屋のようだ。

そのまま、押されるようにして再び歩みを進めると、部屋の半ほどで再び立ち止まる。足を何かに打たれて、罪人のように両膝をつくように座らせられる。さらに頭を下げさせられると、頭のはるか上から声がかかった。


「布を取ってやれ」


 隣にいる者によってそれが取り払われる。地面が目に入る、石が目に入る。どうやって研磨したのか分からないほど、きれいな断面に少しの間、心とらわれる。頭上で声をかけたのがこの建物の主であるならば、相当な財力を持つ権力者とみるのが妥当だろう。今はこの姿勢のまま耐えるべきである。少しのことから、機嫌を損ねられて、すぐに命を取られないとも限らない。話から、相手との交渉を探るのが第一、ここがどこか分かれば、最低限良いだろう。


「表を上げよ」


 何者か見極めようと意気込んで顔を上げる。

 ぞわりと、今まで感じたことのない寒気が体を走り抜ける。次に湧きあがったのは恐怖だった。暗殺という仕事のために、捨て去ったはずの感情が呼び覚まされた。

 視界の端には、この世の者とは思えない、人の形をしたハエや、人とは思えない美しさを持った女性。ローブをまとった骸骨(スケルトン)。ロッカを切った鎧も見えるが、視線の先から目が離せない。逃げることも忘れて、ただ、目を心の自由を奪われる。椅子に掛けたその者こそ、この世界の主なのだろう。

それは、闇であった。

 触れればすべてを飲み込んでしまうような、その闇は、見えない口で言葉を発する。


「私たちは君を歓迎しよう。ようこそ、我が城へ」


 見えないはずのその顔が、笑って見えた。


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