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バルタザールは淡々と説明したが,所々で見せる表情には新たな司教に対する複雑な感情を伺わせた.彼の説明によると,長年旧教の力が強かった北側で正教の影響力が増加.20年前に正教の教会の建設が認められる.アテア騎士団の影響力も強まり,今では街の半数ほどが正教徒であるらしい.バルタザールら旧教の聖職者はあまりよい思いではなかったが,正教側は旧教徒の信仰に口出しせず干渉を避けたので表面上は共存していた.しかし,この十年ほどの間,高まった宗派間の軋轢と重なって旧教の勢力復権運動が展開された.各地から有力な司教が訪れ説教を行なったり,陰で正教の悪事の噂を広げたり色々画策したらしい.
しかし,騎士団という存在が大きく,思ったよりも成果が上がらなかったという.そこに先の司教の死去が重なった.穏健派として知られた彼は各地の司教が街に来る事をよく思ってなく,政策に非協力的だった.そこへ新たに赴任したのが,サントス・エクスデーロだ.旧教の中でも強硬派として知られる彼は,本格的な正教の追い出しにかかる.対象はアテア騎士団,騎士団との関係が深い聖アテア修道院,正教会司教,そして正教徒の有力商人だ.まず彼は対象者を調べ上げ,騎士団と修道院に対する異端審問を教会本部に依頼した.そして異端審問官が騎士団と修道院の男女1名を魔女として告発した.
魔女狩り自体は各地で行なわれており,騎士団員がその対象となる事もあった.その為騎士団の対応は早く,旧教側でも尊敬を集める騎士団セネシャルのアルトゥルが直接アテア=ポルテ北側へ赴き,拘束者の解放を要請した.サントスはアルトゥルの訪問に合わせ伏兵を配置.教会内で審問官にアルトゥルに対する魔女の告発をし,その場で取り押さえた.
正教側にとってこれは不測の事態だった.次期総長候補に対する魔女疑惑.全力で疑いを晴らすべく,騎士団のみならず正教会も協力し裁判に臨んだ.互いに根回しに走るが,裁判官ケヒクトリはどちらにも靡かず公平な立場を堅持.両陣営がやきもきしながら見守る中,アルトゥル初め全員の魔女疑惑を破棄,拘束時に兵士に怪我を負わせたとして,アルトゥル他2名に笞打ちの判決を下した.正教側が安堵する一方,旧教は激怒.ケヒクトリにも魔女容疑をかける.脅しも含めた根回しが功をなし,ケヒクトリを魔女として処刑する事に成功.続いて有力商人,司教,修道院長ら関係者についても再度尋問し魔女であるという自白を引き出し
有罪を勝ち取り,次々と処刑した.そして今回,アルトゥルらに有罪判決が下ったのだ.
何故北側に刑吏がいないのかの説明もあった.処刑された面々は正教徒ではあるものの,旧教徒の間でも人望が厚かった.処刑を担当した刑吏への負担も大きく,彼らは次々を処刑に失敗した.具体的には斬首の際に首を一撃で落とせず,罪人に不要な苦痛を与えてしまったのだ.処刑する相手が相手の上,群衆の見る目も厳しかっただろう.刑吏にかかった重圧を考えれば,熟練の刑吏が失敗しても不思議ではない.そして,罪人を不必要に苦しめた刑吏への群衆の怒りは相当なものだっただろう.兵士も兵士で,サントスの子飼い意外は群衆と同様の思いだったようだ.刑吏へと向いた群衆の怒りの矛先を見て見ぬ振りをし,暴行を止めようとはしなかった.刑吏が兵士に助けを求めて近づくと,兵士自身も暴行に加わったらしい.結局刑吏は死亡し,遺体は壁外に埋められた.
そんな事が起こったことで,残された刑吏達にはよりプレッシャーがかかった.上手くいっても群衆達の怒りは変わらず,失敗すれば自分の命が危険に晒される.そしてまた一人,また一人と失敗し殺されていく.この悪循環が続き最終的には刑吏がいなくなってしまった,という事らしい.刑吏の中には禁止されているにも関わらず,酒に酔った状態で処刑を行なった者もいるそうだ.自分を騙さなければまともではいられないほど追いつめられたのだろう.その者は剣自体をまともに振れず,首を落とすどころか体に当てる事すらままならなかったという.
「だから首落としに処刑の依頼を行なった,という訳だ.裁判所の希望では明日処刑したいそうだ.」
合点がいった.首落とし.シキンがそう呼ばれるのはそれだけの理由がある.アテア=ポルテ南側を中心とした地区において,執行した処刑は数しれず斬首では必ず一撃で首を落とす.そんな仕事ぶりから付けられた呼び名だった.首落しなら重圧に負けず,残りの処刑を執行してくれる.そんな思いのようだ.そして処刑日まで時間がない.近隣の街から急ぎで来られる刑吏はそもそも多くなかっただろう.
自分の仕事が評価されて悪い気はしない.しかも今回は尋問等,面倒で細かい作業は必要の無い仕事だ.さらに今回の処刑は12名が慈悲を持って減刑され,立った状態での斬首,後火刑.アルトゥルが火刑という事で,収入も平均以上だ.一日で処刑するという事で,滞在にかかる費用も少なくなる.
「引き受けて下さいますか?」
バルタザールが遠慮がちに聞く.彼は元々穏健派の司教の下に居ただけあり,サントスの強引な手法には疑問を持っているのだろう.それに失敗すれば命を落としかねない仕事であるため,シキンが引き受けるか心配しているようだ.事実上シキンに拒否権は無い.あっても使う事は無いだろうが.
「謹んでお受け致します.バルタザール様.」
シキンは跪き,了解の旨を伝える.
「すまないな.よろしく頼む.」
バルタザールは明らかにほっとしていたが,すまないな,という言葉はどうやら本心のようだ.聖職者によくいる,自分の頼みが受け入れられたときに出る満足感たっぷりの表情は無い.もしかしたらバルタザールは本当にシキンを心配しているのかもしれない.たとえ賤民であってもその命を気にかける.聖職者としても器の広い人物だ.説明の間彼の後ろに控えていたフリアンら裁判官も,バルタザールこそ司教にふさわしい,そう思っているような気がした.サントスを見る目とバルタザールを見る目は明らかに違う.
つくづく権力というものは面白い.神が与えた権力を行使するのは,大抵は神に近づこうとする者ではない.神の言葉を告げる者ほど,天界から遠ざかるような行動をとりたがる.
裁判所を出ると3人の兵士がパシーの周りに待機しており,シキンが出てくると宿への案内を申し出てきた.サントスあたりに護衛を命じられているのだろうか.入る時と比べこちらを見る群衆は減ってはいたが,まだその数は少なくない.ありがたく案内を受ける事にした.
「案内を頼む.ただ行き先は宿ではない.刑吏が宿に泊まれないのは知っているだろう?この街の刑吏が住んでいた家に連れてってくれ.」
刑吏の家は城壁の外にあるのが一般的だ.刑吏が夜街の中にいると聞くと,嫌悪感をあらわにする市民も少なくない.その一方,壁外にあり閉門時間以降も刑吏の家に立ち寄る事は出来る.その利点を生かし,刑吏は賤民らを泊める宿や,酒場,娼婦の斡旋などの仕事をすることもある.刑吏の消えたこの街では,期待できるものは無いだろうが.
実際,案内された建物は荒れ果てていた.記録を読んだ限りでは最後に処刑が行われたのは先月.住民の消えた家はわずか1ヶ月でこうも荒むのか.兵士達に感謝し謝礼を渡し,家に入る.兵士はどうやら家の前で寝ずの番らしい.家の中には明らかに何者かが物色した後が残っていた.窓の扉は打ち壊され,家具はほとんど残っていない.寝台が残っているのは幸いか.一晩なら我慢できる.蝋燭なども残っていないので,急ぎ手に入れないと暗闇の中で過ごす事になってします.扉跡の前に立っている兵士の一人に銅貨を渡し使いを頼む.刑吏に使われるのは心外だろうが,彼らはまだ若く金に困っているのだろう.年は15くらいだろうか.3人合わせて銅貨20枚のチップをやると伝えると,誰が買いに行くか,取り分をどうするかなどの相談を始める.シキンは刑吏の助手として働き始めた頃を思い出し,懐かしい気持ちになった.
兵士の一人が使いに走って行くのを見送った後,荷をあまり広げないよう気をつけながら砥石とナイフ,剣を床に並べる.これらの手入れをする事がシキンの日課となっていた.調理から食事,護身用に使えるナイフと,首落としを支える剣.木の器にスプーン,水筒.日記とインク入れ,羽ペン.そしてパシー.シキンが普段持ち歩くものはこれが全てだ.手入れをしながら蝋燭を待つ事にした.
兵士の帰りは城門が閉まる日没直前だった.どうやら夕食用のパンも買ってきたらしい.シキンは蝋燭を受け取ると駄賃を与え,自身も夕食の準備をする.シキンは刑吏という立場を利用して,時折狩りを行なっては肉と皮を得ていた.普通市民や農奴たちは特別な許可が無いと狩りが出来ない.狩りは貴族や領主達の娯楽として特別な意味も持っていた.シキンは普段から狩った獲物を薫製にしており携帯食にし持ち歩いている.先ほどの駄賃で,兵士達が夜襲ってくるという可能性は減っただろう.兵士は基本的に騎士道を重んじるよう教育され,それを守る事は神に仕える事と同義だと考えている.シキンはこの街にとってある意味では招かれた客人である為,彼らの騎士道の対象内に入るだろう.念のため薫製の肉を一塊彼らにくれてやった.兵士はシキンが刑吏である事を忘れたのかしきりに感謝の言葉を述べ,仲間とともに肉に噛り付いた.この年代を過ぎた兵士はこうはいかない.賤民からものを受け取る事は断固拒否するし,当然使いなど頼まれてもくれない.彼らが寝ずの番で助かった.
翌日,朝日の昇る少し前に目を覚ました.木板がむき出しの寝具に横になった為節々が硬くなっていたが,おおむね快適な睡眠を取る事が出来た.扉の外の兵士に挨拶をし,家の周りで軽く体を動かす.パシーは朝に弱い.危険が迫っている時には飛び起きシキンを起こすよう訓練されている.そしてその感度は非常に高い.ただ何も無い朝となるとシキンが起こすまで寝ている.どうやら今日,今は何の心配も無いようだ.
処刑の前には罪人と共に食事をとるのが習わしだ.異教徒にはこの食事を拒否する者もいるが,騎士団員は正教徒であるからそれはないだろう.食事の費用は罪人の家族や身元引受人が負担する.今回は騎士団が負担するはずなので,それなりに期待できる.処刑は昼過ぎに行われる.軽く朝食をとったら裁判所に出向き,資料でも読んでいよう.シキンは夕食の残りの薫製肉を咥え,荷物をまとめ始めた.