「神が大地を創ったとき,世界の底はあったと思うかね?」
喧々諤々の議論が続く.
「神のいる天界が存在する以上,世界の底は当然存在した.底が無ければ天は存在できないだろう.」
「創造の直前には世界の底はない.そこには神のいる世界が存在し,そこは完全な世界だった.大地の創造と共に世界の底が生まれたのだ.」
「何故完全な世界から,不浄な存在が生まれるのだ?何故わざわざ不浄を生む必要がある.」
神のみぞ知る.そんな出来事を人間が解き明かし,少しでも天界に近づこう.普及した教えの枠に囚われない考え方をする者を,人は隠者と呼んだ.彼らは神の考えや教典・聖書の内容を考えるだけでなく,領主の抱える問題についてもどうすれば天界に近づけるかを考えていた.隠者は表にでないが多くの領主は城内に彼らを住まわせ,保護する代わりに政策作成の作業の一端を担わせていた.
ここで議論しているのはそんな隠者達に加え,旧教・正教の司教も含まれていた.長年続く考えの違いから生まれた争い.どうにか争いを避ける事は出来ないか.そう考えた領主の意向で,立場を超えて人々が集まり議論を重ねていた.まずは互いの考えを知り,互いに整理する.そしてどこに問題点があるのか,すり合せられる内容は無いか,譲れない内容でも相手に干渉する事を避けられないか.議論は数百年にわたって続いているが,両者の溝はあまり狭まらなかった.
しかしこの地区が事実上の緩衝地帯となり,両者が戦争は減っていた.その影響か,人口は増え街は広がった.さらに外界からの異教徒も交わり,より多様な文化の交わる異文化都市へと発展した.貿易も盛んになり,どこの宗教にも属さず,しかし対立せず立ち回る.従来からの役割も加わり,その勢力を確かなものにしていた.
街の抱える諸問題について助言を頂きたい.そんな依頼が入ったのは,ある夏の日だった.早速隠者数名と兵士,奴隷が準備を整え街へと向かった.船で港へ入り,城内の広場にて現地の有権者らと議論を重ねた.隠者らは従来の慣習に囚われない意見を出し,結果的にその意見に集約される形で問題は収束した.有権者らは問題解決を祝い,隠者らを招いて宴会を開いた.問題が街全体を巻き込んだものだったため,宴会も街をあげて行なわれた.
そして,物語が始まる.
布袋を掛けられた男達が車に乗せられ,川にかけられた橋の中央に運ばれてくる.彼らは魔女の疑惑を掛けられ,これからその判断が下される所だった.連れられた者の数は12.全員が膝を抱えて踞る形で,今後の事態に備え心を落ち着かせていた.全ての車が到着すると,異端審問官が川辺に集まった群衆に向かって高らかに宣言した.
「これより,魔女判定を行なう.」
群衆の表情は複雑だった.街を救ってくれた人々が,街を導いてくれた人々が魔女だったのか.これから信じたくない事実が明らかにされるかもしれない.もし魔女だったなら.その意見を受け入れ,彼らに従った市民達にも神の裁きが下されるだろう.誰に祈るでも無く,ただ目の前で起こる事を見守るしか無かった.
審問官の言葉に続いて,拘束された男達が担がれて橋の袂へと運ばれる.彼らは両手両足を縛られていた.踞っていたのはその体勢以外の取り用が無かったからだ.袂に並べられると,審問官はその後ろに立ち資料を見ながら問いかけた.
「隠者カール・アールストレーム.汝は先日の裁判において魔女ではないと主張した.改めて問う.汝は魔女であるか否か,神に誓って答えよ.」
布袋が取られ顔が周囲に晒される.カールと呼ばれた老人は,落ち着いた,しかし力強く響く声で答えた.
「神に誓って私は魔女ではない.」
「それではそれを示してみせよ.」
審問官がそう告げる.カールは天を仰ぎ,そして目を閉じた.
役人二人がカールの体を持ち上げ,そして,川へ投げ入れた.
水しぶきをあげカールは川へと落ちる.群衆は水柱のあがった水面を見つめていた.静寂が街を包み,川の流水のみが音を鳴らしていた.暫くすると,審問官は次の男に対しても同じ問いかけをした.男もカールと同様の解答をする.そして川へ投げ入れられる.そして暫く時間を空ける.これが一人一人に行なわれ,とうとう最後の一人になった.
最後の一人はそれまでの男達と比べ明らかに小柄であった.審問官はそれまでと同様に問いかける.そして群衆はざわついた.解答の内容にではない.その声と顔にである.解答はカールらと同様の魔女ではない事を誓うものだった.ただ,その声と顔はそれまでの男達とは明らかに異なり,まだ若い,というよりも幼い少年のそれであった.——あんな子供が….そんなざわめきが群衆内に広がる.これまで異端審問において子供が審議にかけられることは稀であった.
「それを示せ.」
審問官の宣告の後,役人によって川に投げ入れられる.これまでより小さな水柱がたつ.これで12名が川に投げ入れられた.未だ浮かんできた者はない.暫く後,聖職者が橋の中央に向かい,群衆に宣言した.
「疑惑のあった者達は皆神に誓って魔女である事を否定し,また川からも浮かんでこなかった.従って彼ら12名は全員魔女ではない.彼らの魂は天界にて安らかに眠るであろう.」
苦い顔をする審問官を除き,群衆は胸をなで下ろした.街は救われた.彼らは魔女ではなく,街を救った賢人達だ.彼らの魂に祈りを捧げる.祈りは日が落ちるまで続けられた.日没とともに戸締まりを促す兵士に促され,一人,また一人と家路に着く.
翌日,日が昇るとそこには日常が戻っていた.橋の上は両替商でにぎわい,多くの人々が行き交っている.その日も12名の体が浮かんでくる事はなかった.その次の日も,またその次の日も.翌年になっても体が発見されたという報告が上がることは無かった.