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図書館の魔物1

 古びたスライド式の扉を開く。本がびっしり詰まった本棚が目に入る。スライド式の扉がカタンと音を鳴らし閉まる。右を見ても左を見ても、同じように本棚が続く。

 埃っぽいその部屋は、まるでモノクロ写真のように鮮やかさにかけながらも、独特の味を醸し出していた。高い位置にあるステンドグラスの大きな窓から光の筋が流れ込んできていた。どうやら、ここは図書館らしい。

 俺は本棚に近寄り、本の背表紙を見てみる。そこには何も書かれていなかった。俺は一冊の本を手にとり、開いてみる。どこの国の言葉なのか、解読できないアルファベットの列が目に入る。本の最初のページを開いてみる。そこには何も書かれていなかった。この本にはタイトルがなかった。ためしに他の本も開いてみたが、どれも同じだった。

「お兄さん、どこから入ってきたの?」

 声のする方に顔を向ける。そこには、制服なのか黒い上着を羽織い、大学の学生帽のようなものをかぶった少女がいた。少女はまだ子供のようで、身長が俺の胸の下辺りまでしかなかった。大きい瞳で、俺を見上げている。

「どこって、そこの扉だ。」

 俺は指を指そうと上げた腕の動きを止めた。扉のあった場所には、いつの間にか本棚が立っていた。薄々、予感していたことなので、別段驚くことはなかった。

「ここには扉なんてないよ。」

 少女はそんなこと当たり前でしょと言わんばかりの訝しげな顔をした。そうだった。部屋の住人に扉という概念はない。こいつらにとって、この部屋が全てで、他に部屋があるなんて思っていない。最初の部屋にいた、あいつ以外は。

「おまえは、ずっとここにいるのか?」

「そうだね。私はずっとここにいて、本を読んでるよ。」

 少女はそう言うと、本棚からタイトルのない本を取り出す。

「ずっとってことはないんじゃないか?家に帰ってお母さんの手料理を食べたりしているだろう。外で友達と遊んだりしているだろう。」

 少女は目を丸くして俺を見る。なにかおかしなことを言っただろうか。俺は自分の言ったことを反芻してみるが、何らおかしなところがない。

「お兄さん、何を言っているの?お母さんって何?友達って何なの?」

 俺は呆気にとられる。そうか。この少女の中には母親や友達という概念がないのか。それらの概念がないのは、きっと必要ないからだろう。部屋の住人であるということは、そういうことなのだ。

「ここで何をしているんだ?」

 俺はとりあえず少女の質問は聞き流し、この部屋の全体像をつかむために少女に質問する。少女は質問が受け流されたことを不快に思ったのか、眉間にしわを寄せたが、質問には答えてくれた。

「ここで本を読んで、知識を身につけて、また本を読んで真理を知る。それ以外に一体何をする必要があるの?」

「なるほどな。その通りだ。」

 少女の自信満々の口調に、思わず同意してしまう。次の瞬間、俺は過ちに気が付き、口を抑え、首を左右に振る。

「あのなあ、本を読むことも大事だ。本にはその筆者の考えが、つまりは長い人生の経験が簡潔に書いてある。でもな、それだけだったら、本を読む意味なんてないんだよ。」

 少女はしかめ面をし、首を傾ける。明らかに、不快感を示している。

「おまえはおまえの経験を積む必要がある。そうじゃなきゃ、いくら本を読んで知識を積んでも、何の役にも立たない。」

「真理を知るために、知識を得るんでしょ。そして、真理を知るためにはたくさん本を読まなきゃいけない。いつまでも絵本ばかり読んでても、そこから得られる真理なんて高が知れているでしょ。」

「違う。本から得られるのは、知識だけだ。おまえは知識で知識を得ているにすぎない。それはそれで立派なことだ。けど、それだけだったら、おまえはおまえの真理を見つけられない。」

「お兄さんはいま、『おまえの真理』と言ったけど、それはおかしいでしょ。真理はひとつなのよ。いつ、誰にでも当てはまるものなの。いくつもあったら、それは真理じゃない。」

「事実はひとつだが、真実はひとつじゃない、って言えば分かるか。」

 そう言うと、息をつく暇もなく返答していた少女の言葉がつまった。その言葉の意味を考えようとしているのか、それとも全て理解をし、拗ねているのか、少女は視線を逸らした。

「たとえば、陽が沈んで夜になったとしよう。俺たちは大抵、夜は活動を停止する時間帯だ。夜になれば、寝る。ところが、蝙蝠にとって、夜は活動時間だ。夜になれば、飛び回る。分かるか?陽が沈むという事実が存在する一方で、その意味は俺たちと蝙蝠では違う。真実は、捉え方によって変わるんだ。」

 少女は口に手を当て、考える仕草をする。少し分かりにくかったかもしれないな、と思いつつも、さらに例をあげる必要もないと思っていた。生きていれば、そのうち分かると思ったからだ。

「じゃあ、私がやっていることは無駄なの?」

 少女がこちらを向く。その目には涙が浮かんでいた。

「無駄じゃないさ。むしろ、いいことだ。俺が言いたいのは、たまには本から離れて外で遊べってことさ。そこでおまえはおまえの真理を見つける。そうして初めて、おまえがここで身につけたことが役に立つってことだ。」

 俺はしゃがみ込み、少女の肩に手を置く。少女は俯き、何かを小さくつぶやいている。

「―ないの。」

「何?」

「私は、ここから出られないの。」

 少女の声がようやく聞き取れたとき、図書館の埃が舞った。俺は立ち上がり、振り返る。そこには影が立ち上っていた。


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