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裏路地のジレンマ

 黒い扉を開くと、そこは薄暗い路地裏だった。左右を見ると、車のヘッドランプが大通りをせわしくなく行き交う。扉を閉め、上を見上げる。扉は古びたビルのものだった。以前にも、似たようなところに来た記憶があるが、それが『部屋』だったのかどうか、はっきりしない。俺はなんとなく右に進むことにする。

 数歩歩いたところで立ち止まる。後ろを振り返る。誰もいない。しかし、確かに視線を感じる。

 これが子供の好奇心に満ちた視線や女性の熱い視線だったならば、そんなには気にならなかった。見られていることに恐怖を感じる。殺気というものだろうか。今まで一度も殺気というものを感じたことがないにもかかわらず、しっかりとそれと分かる。

 これは本能なのだろうか?本能という言葉で解決しようとするのはどうも気が進まなかったが、今回ばかりはそう言わざるを得なかった。俺は歩く速度を速める。

 あと少しで大通りに出ると思った瞬間、後頭部に何かを押しつけられる。拳銃だろうな。今まで拳銃を突きつけられたことがなかったが、俺はそう確信した。これは本能ではない。単なる状況判断だ。

「両手を上げて、こっちを向け。」

 低音で威圧感のある声を想像していた俺は、その声の幼さに驚いた。声からすると高校を卒業したくらいか。そう思いながら両手を挙げ静かに振り向くと、またしても驚くことになった。中肉中背で顎ひげを生やした男が立っていたからだ。どう見ても、40歳過ぎだ。

「クソ、また外れたか!」

 男は舌打ちをし、怒りのあまり銃口を俺から逸らす。今の瞬間、逃げてもよかったのだろうが、俺は逃げなかった。俺は気が付いていた。おそらく、こいつの相手をしないと次の『部屋』には行けない。結局、ここも今までと同じ、『部屋』の中なのだ。

 俺はまず、状況を分析することにする。拳銃を持っていることから、目の前の男は殺し屋か何かだろう。おそらく、警察ではない。ビルから出てきたときに殺し屋にターゲットと間違われる確率の低さを考えると、これはそうなるべくしてなったシチュエーションということだろう。

「残念だったな。俺はおまえのターゲットじゃない。」

 男はようやく、銃口が俺から逸れていることに気が付いたのか、慌てて銃口を俺に向ける。俺は反射的に手を上げる。

「いや、まだそうとは断定できないな。」

 男がニヤリと笑みを浮かべる。中年のおっさんの笑みにもいろいろあるのだろうが、少なくともこの男の笑みは気味が悪かった。気味が悪いというより、格好悪いと言った方が正しいかもしれない。

「おまえが変装しているかもしれないだろう。整形したというのも考えられるな。」

「そうだな。大いにあり得るな。それで、おまえはどうやってそれを見分ける?」

「見分ける必要ねえじゃねえか。おまえを撃ってしまえばいい。」

 男はそう言うと、再び気味の悪い笑みを浮かべる。少しは頓知の効いた答えを返してくれるのではないかと期待していた俺は、目の前の男に幻滅した。笑い飛ばす気にもなれなかった。

 撃たれる恐怖を感じたのは、その次だった。どんな状況にいようとも、死に対する恐怖はあるものだ。それでも俺は、冷静に対応することにする。

「それはまずいんじゃあないか?俺が本当にターゲットかどうかも分からないのに殺してしまったら、ターゲットが実は生きているのか、本当に死んだのか分からなくなってしまう。」

「そのときはまた撃ちに行くさ。」

 男が引き金にかけている指に力を入れる。おいおい、本当に撃つ気かよ。幻滅と恐怖心が入り混じり、わずかな焦りが生まれる。

「ちょっと待て。だったら、おまえは出会った人を片端から撃っていくっていうのか。」

「そうは言っていないだろ。ターゲットを撃つ。ただ、それがターゲットではなかったときにはターゲットは死んでないから、ターゲットを探してまた撃つと言っている。」

「分かった。つまり、おまえは人に会う度に、整形しているかもしれないという根拠のない屁理屈を作り上げては拳銃で撃つ。でも、それは当然ターゲットではないわけだから、ターゲットを始末するという理由で、後日改めて別の人を撃つわけだな。」

「違う。ターゲットを始末するんだ。他の人は撃たない。」

 男がやや声を大きくして反論する。唾が飛び、俺の顔にいくつか付着する。俺は袖で顔を拭う。こういうところに気が回らない奴だから、きっと他の人を殺しても平気なんだろうな。

「それはおまえがそう思い込んでいるだけだろう。実際、おまえがやっていることは無差別殺人だ。おまえはそれを正当化しようとしているだけだ。」

「うるさい!どのみち、顔を見られたんだ。おまえは撃つしかないだろ。おまえこそ屁理屈こねて命乞いしているんだろう。」

 俺は思わず溜息が出る。初めのうちは殺し屋なのかとも思っていたのだが、話しているうちにそうではないことがはっきりしてきた。そもそも、人殺しというハイリスクなことをしているのに、ターゲットを間違えるなんてこと自体が信じられなかった。

 ようするに、この男にはハイリスクなことをしているという自覚がないのだ。だから、ターゲットを間違える。つまりこの男は、ただ自分の欲求を満たすためだけに人を拳銃で撃っているのだ。ターゲットというのがただの言い訳なのだとしたら無論そうなのだが、それが本当だったとしても、この男は人を撃ちたくて撃っている。欲求に従っているとき、人の頭の中からリスクのことなどなくなってしまう。

「分かった。じゃあ、撃てよ。ただな、一つ忠告させてもらうと、俺の体には爆弾が仕掛けられていて、心臓が停止すると爆発するようになっている。」

 俺は子供でも信じないような出まかせを口にする。しかし、あくまで冷静にかつ深刻に告げる。これがポイントだ。

「嘘をつくんじゃない。そんなこと言って、上手く逃げようとしているんだろ。」

 まるで小学生が先生に反抗するような口調だった。男の顔がわずかに引きつる。それを見た俺は、笑みが浮かぶ。こうも簡単にいくものなのか。

 爆弾が仕掛けられているという到底ありそうもないことを信じ込ませる。その方法は簡単だ。認知的不協和状態を作り出し、こちらに同調させる。つまり、こちらの嘘が本当なのではないかと相手に思い込ませる。単なる心理学的なテクニックだ。

「嘘かどうかは撃てばわかるだろ?どうした?撃てよ。顔を見られたんだから、撃つしかないだろ。まあ、おまえの命の保証は出来ないがな。」

 俺は男を刺激しすぎないように言葉をたたみかける。銃口の先が震え始める。明らかに、男は動揺している。

「撃てないのか?だったら、俺が代わりに撃ってやるよ。」

 俺は男の手に握られている拳銃を奪い取る。奪い取るとはいっても、動揺していたからなのか男はあっさり拳銃から手を渡した。その銃口をこめかみに擦りつける。男の瞳孔が開く。

「てめえ。やっぱり嘘だったのか。」

 銃口が男のこめかみを狙っている。形勢逆転だ。あまりにもあっさりしていた。

「嘘かどうかはまだ分からないだろう?俺が死んでみないことには、真偽は判定できないはずだ。おまえが俺をターゲットだと主張する理屈と同じだ。」

 男の目の下がピウピクと痙攣している。次に出てくる言葉はすぐに分かった。この状況に置かれた人間が発する言葉など決まっている。

「助けてくれ。」

「断る。」

 俺は引き金にかけている人差し指に力を入れる。男の目が大きく見開き、目が涙で潤んでいた。

 乾いた音が響く。男の後ろに目の焦点を合わせると、いつの間にか木でできた扉が現れていた。男は膝をつき、糸の切れた人形のようにゆっくりと前のめりになって倒れる。

 引き金はまだ引いていなかった。どうやら、男はあまりの恐怖で気絶してしまったらしい。

「運がよかったな。」

 俺は拳銃を投げ捨てると、木製の扉に向かって歩き出す。扉の前に立つと、俺は振り返り、地面にうつ伏せになって倒れている男を見る。

 

 俺は本当に、この男を撃つつもりだったのだろうか?何のために?わずか数十秒前のことなのに、そのときの自分の心情が分からなかった。覚えていなかった。

 まあ、どうでもいいか。いや、よくない。よくないな。


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