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悠夜が駆け出す少し前、森の中では皮や金属の鎧に身を包んだ一組の男女と二人の少女が二メートルほどの人に似た形の体躯に鋭い歯と爪と二本の角を持ち上半身は筋骨隆々、下半身は毛むくじゃらのまるで鬼や悪魔のような姿をした魔獣の群れと交戦していた。
「クソッ! 後退するぞ!」
リーダーらしき鋼の鎧を纏った、黒髪黒目の精悍な顔をした、見た目三十代ほどの男が先頭で刀を振るいながら声を張り上げる。
「二人とも頑張って、もうすぐ街に着くわ!」
その後ろでは、金色の髪を紐で束ねた碧眼の二十代半ばほどの女性が、二人の少女を庇う様に立ち、水の魔法で敵を牽制している。
そして、その女性に庇われる形で女性と同じ金髪碧眼で髪をサイドで纏めた少女が、薄茶色の髪と黒い瞳を持つショートカットの少女に肩を貸していた。
彼らは親子であり、両親が将来狩人を目指す二人の娘にも、そろそろ実戦の経験を積ませようとこの森に入り、この森の比較的弱い魔獣を狩って帰る途中だったのだが、この森の先にある山に生息している凶暴な魔獣の群れが下りて来ており、運悪くそれに遭遇してしまったのだ。
こういったことはたまに起こるのだが、タイミングが悪すぎる。
男と女の二人だけなら逃げきることも可能だったが、今はまだ一度しか狩猟を経験したことのない二人の娘がいる。さらに運の悪いことに、その片方が木の根に躓き足を挫いてしまい絶望的な状況にあった。
{男}
「(全員で逃げるのは不可能か)」
先頭で刀を振るう男は、相手の攻撃を捌きなが心の中で舌打ちした。
娘の片方である一葉が、足を挫いた時点で予想はしていたが、目の前の敵と戦い、改めてその事実を突きつけられた。
敵の数は六体、それがこちらを取り囲もうと、じりじり距離を詰めてくる。今は、妻の援護のおかげでなんとか対処できているが、このままでは街に着く前に妻の魔力が底を突く。
向こうもそれが分かっているのか危険を犯してまで攻めようとせずに、こちらが消耗するのを待っている。
目の前の敵、通称悪鬼。この魔獣は、知能も身体能力も高く、集団で狩りを行い連携すら駆使する非常に厄介な魔獣であり、この魔獣が出た時は少なからぬ犠牲が出る。
群れを討伐するには、その群れの倍の人数の手練れが必要と言われている。
自分一人が殿に残っても、他の三人が生き残れる確率は0に等しい。
「けどやるしかねえ」
そうつぶやき、指示を出そうとしたとき。
「私を置いて逃げて!」
一葉が震える声でそう叫んだ。
「なっ! バカなこと言ってんじゃねぇ!!」
「そうよ! なんてこと言うの!」
男は戦闘中だというのも忘れて振り向いた。そして見た。
一体の悪鬼が背後から二人の娘に襲い掛かろうとしているのを。
「「後ろ(だ)!!」」
叫んだがもう遅い。悪鬼は振り向いた二人の少女に飛び掛かり、
鮮血が宙に舞った。
{一葉}
「私を置いて逃げて!」
できるだけ気丈に振舞おうと思っていたが、声が震えていた。
でも言わなければならない。みんなが逃げられないのは、私の所為なのだから。
隣で肩を貸してくれている血の繋がっていない、しかし、とても仲の良い妹の雪菜が驚いた顔をしていた。
「(ごめんね)」
心の中で謝罪する。実際言葉にすると泣き出してしまいそうだったから。
振り向いた両親の顔は怒りに満ちていた。しかしそれはすぐに驚愕に変る。
「「後ろ(だ)!!」」
そう言われて後ろを振り向くと一体の悪鬼が眼前に迫っていた。
「あ……」
恐怖に体が硬直する。
思考が止まり、時間がとてもゆっくりに感じられる。
こんなときに頭に浮かんだのは昔、同じ剣術道場に通っていた幼馴染の顔だった。
気まぐれで、自分勝手で、興味のないことにはまったくの無関心。でも、とても優しくて、困っているときはいつも助けてくれた幼馴染。道場が閉鎖してからは一度も顔を会わせていないが、その顔は今でもはっきりと思い出せる。
「(たすけて)」
そんな言葉が脳裏をよぎった。
ここにはいないと分かっていても、叫ばずにはいられなかった。
「悠夜っ!!」
一葉は雪菜を抱き寄せると、幼馴染の名前を叫んで、ぎゅっと目をつむった。
だが、いつまでたっても痛みは来ない。代わりに何か重い物が地面に落ちる音がした。
おそるおそる目を開ける。するとそこには首から上のなくなった悪鬼が倒れていて・・・
「久しぶりだね。一葉、父さん、こんなところで逢うとは、思わなかったよ。」
「ゆう、や……?」
少女が今、一番逢いたいと思っていた少年が立っていた。