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職員室。
それは読んで字のごとく、学校の教職員がいる部屋。
基本的にその中にいるのは教職員のみで、生徒がこの部屋に入ってくる場合は何らかの理由がある。
たいていの場合、その理由は大きく分けて二つ。
一つは、授業で分からなかったことなどの質問に来る、という真面目で能動的な理由。
もう一つは、何かをやらかして呼び出される、という不名誉で受動的な理由。
前者はともかく後者の理由では、あまり職員室のお世話になりたいとは思わない。
そしてここにも、職員室に対してあまりいい思い出を持たない少女が一人。
「……なあ、悠夜。やっぱり行かなきゃダメなのか?」
家を出たときのイキイキとした雰囲気は見る影もなく、どんよりとした空気を纏った梓が、駄々をこねる子供のような顔で尋ねる。
職員室が近付くにつれて、いつもは太陽の光を浴びてキラキラ輝いている黄金の髪は、心なしか輝きに曇りが生じ、髪そのものもなんだか萎れてきているように見える。
「そりゃあ、行かないのはマズイだろ。そもそも悪いことしたわけでもないのに職員室行くのか嫌なんて、そんなに苦手なのか?」
「いや、苦手っていうか…………」
口ごもる梓。
職員室に行くのが嫌なのは、職員室にトラウマがあるからではない。
ただ職員室に近付くにつれて、以前グレていたときにやらかした、いろいろな黒歴史を思い出し、身悶えしたくなってきたからだ。
「(……ヤバイ、恥ずすぎて死にそう……)」
職員室に近付けば近付く程、鮮明に思い浮かぶ黒歴史。
「ま、特に理由がないなら行くこともないし、僕も一緒なんだから少しの間我慢しろって」
そんな梓の心情には気付かず、悠夜はいつものように飄々としている。
悠夜も元いた世界では自己防衛のためとはいえ、しょっちゅうケンカをしていたので、人目に着く場所でケンカをした次の日には、よく職員室のお世話になっていたのだが、こちらは全く気にしている様子はない。
「はあ……、わかったよ」
梓も決心がついたのか、それとも諦めがついたのか、重そうな足取りで悠夜の後をついてくる。
そんなテンションダダ下がりの梓を引き連れて職員室に到着。
「失礼します」
元いた世界の職員室に入るときと同じような感覚で、悠夜が職員室に足を踏み入れ一番初めに抱いた感想は、
「(入るとこ間違えたか?)」
だった。
それほどに目の前の光景は、かつて悠夜が何度もお世話になった職員室という場所からかけ離れていた。
まず目につくのは、いかつい顔と大きなガタイ、人によっては体のどこかにデカイ傷痕を持ったオッサン達。
そして、そのオッサン達の近くには日本刀を始めとする様々な刃物や、相手を撲殺することを目的とした鈍器の数々。
服装は全員スーツ姿。
一言で言うと
どこのやーさん?
職員室ではなく、ヤクザ事務所と言われた方がしっくりくる。というかそうとしか見えない。
悠夜はすぐに自分の斜め後ろにいる梓の表情を窺う。
梓は居心地の悪そうな顔をしていたが、別に驚いているという感じはない。
どうやら、ここが職員室で間違いないようだ。
「(一葉、生徒は同じなのかもしれないけど、職員の雰囲気は似ても似つかないと思うぞ……)」
まあ、ここは主に戦闘技能を教えることが目的の学校なので、「先生」というよりは「教官」という呼び方が似合う体育会系の者が多くの割合を占めているのは当然のことかもしれない。
確かこの学校の教師は、半数以上が実技の授業の担当であり、座学の授業の教師は、あまり人数が多くはなかったと思う。
そして座学などの知識が重要視される分野は、十分な知識さえあれば若者にも務まるかもしれないが、優れた戦闘技能は一朝一夕で身に着くものではないので、戦闘技能を他人に教えることができるのは、それなりの経験を積んだ者に限られてくる。
経験不足の半端者に生徒の指導を任せ、将来狩人となる生徒達に質の悪い教育を受けさせては学校の信用に関わってくるし、街を守護する狩人の質が低下しては、いつ街が魔獣によって滅ぼされるか分からないからだ。
そういったことを考慮すれば、歴戦の猛者みたいな威圧感を放つ教職員が職員室に大勢いても、なにもおかしいことはない。
「(けど、なんで一葉は何も言わなかったんだ?)」
自分のことを驚かせたかったのかとも考えたが、すぐにその可能性は低いだろうと切り捨てる。
一葉は昔から嘘や隠し事が下手だ。何かを企んでいるときは、ついついそれが顔に出てしまう。
そのため、一葉は過去一度も悠夜に悪戯を成功させたことはない。むしろほとんどの場合は逆手に取られて自分が泣きを見てきた。
それは住む世界が変わった今もそのままだ。
これは一葉がこの学校に入学して間もない頃、初めて職員室に行ったときドアを開ける際に、ちょうど中から出てくるところだった、この学校で最も強面で筋骨隆々、その上スキンヘッドで、おまけに顔や頭に無数の傷がついている元第二級狩人にして、教員内でも屈指の実力を誇る大男、金剛力也先生と鉢合わせし、情けない悲鳴を上げて腰を抜かしてしまい(当然、後日そのことを知ったオレンジ色のポニーテールには散々いじられた)、それがトラウマになって、その後一切職員室に近付こうとしなかったため失念していた(あるいは無意識の内に自らの記憶に蓋をしていた)からだ。
そういう一葉の事情を知らない悠夜が現状に疑問を感じていると、オッサン達の中から一人の屈強な男が出てきた。
編入試験にて悠夜と梓の実技試験の相手役を務めた上田修平だ。
実技試験のときに見た動きやすそうな服装と違い、今は周囲のオッサン達同様スーツを身に着けている。
「二人とも久しぶりだな、まずは合格おめでとう」
「「ありがとうございます」」
「うむ、早速だが幾つか説明することがあるので、ついてきてくれ」
上田はそう言って、悠夜と梓を職員室の奥の方にある応接室に招き入れる。どうやら編入生二人の対応はこの教師の役割のようだ。
「さて、前にも一度やったが、もう一度自己紹介しよう。私は上田修平、強化魔法の教師であり、君達がこれから一年間所属することになる二年四組の担任だ。君達の家族の風霧一葉と同じクラスにしてあるので、慣れないうちは彼女を頼るといい。それから編入後の学校生活についてだが―――」
その後は、「武器の携帯は許可されているが、それで人を傷つけてはいけない」とか、「校内には魔法の使用が許可されているところと、禁止されているところがあるので気を付けるように」とか、「狩りをするなら協会に登録した上で、きちんと依頼に沿った狩りを行うこと」などといった注意事項を説明されたが、どれも一葉に見せてもらった生徒手帳に書かれていたことばかりだったので悠夜は適当に聞き流し、その隣に座る梓は、ずっと羞恥心を押し殺しているかのような居心地の悪そうな顔をしていた。
「まあ、おおまかな注意事項はこれくらいだ。後は生徒手帳を確認しておいてくれ」
やがて説明が終わり、上田は一葉が持っていたのと同じ生徒手帳を二つ懐から取り出して悠夜と梓に渡す。
「話は以上だ。あとは武闘館で入学式に参加してくれ、参加といっても君達は二、三年生用の席に座って必要なときに拍手するだけだがな」
「わかりました」
武闘館とは悠夜の元いた世界の体育館的な存在だ。
悠夜と梓が編入試験を受けた訓練場は、クラス単位で授業を行う際に使用することを想定して造られた場所なので、広さは道場程度のものだったが、武闘館は大がかりな集団戦も行えるようにかなり大きく造られているので、体育館よりずっと大きく、そして頑丈だが。
もうしばらくすれば雪菜の入学式が始まるので、悠夜は梓と共に応接室を出る。
職員室では、何人かの教職員がすでに武闘館に移動し始めていた。
改めて職員室内を見渡してみると、女性やインテリっぽい見た目の教員もそれなりにいた。
「(最初にやーさん達が目に入ったから、そればっかりに視線がいって、他があんまり見えてなかったみたいだな)」
悠夜が職員室をヤクザ事務所と間違えたのは、職員の座席は職員同士で好きに決めていいことになっているので、同じ分野の教員同士は自然と一カ所に集まる傾向があり、今回の座席配置は強化魔法の教師、それも熟練者組が入口付近の座席に集中しており、今日は入学式ということもあって、全員が普段はほとんど身に着けることのないスーツを着用していたからだ。
平常時は皆動きやすい格好をしており、そのときの姿を見れば、悠夜は彼等に対して「熟練の狩人達」といた印象を抱いただろう。
つまり、タイミングが悪かっただけなのだ。
しかし、一番初めに強く印象に残ったものは、なかなか消えることはない。
このとき既に悠夜の中では、
この世界の職員室≒ヤクザ事務所
という方程式が出来上がっていた。
そして、この失礼極まりない印象は編入後しばらくの間、悠夜の中から消えることはなかった。




