29
悠夜がこの街に来てからもうじき一か月が過ぎようとしていた。
鼠王の討伐と集中強化を広めたことによって、協会の職員達に実力を買われ、神谷からこっそり回して貰った高難易度の依頼だけでなく、通常の依頼も数多くこなした悠夜は、第三級狩人に昇格し、狩人で悠夜のことを知らない者はほとんどいなくなっていた。
そして悠夜は今、神谷から新しい依頼を持ち掛けられていた。
「紅角鹿?」
この辺りでは、聞き覚えのない名前に悠夜は首を傾げる。
「ああ、その魔獣の角は効力の高い漢方薬になるのだが、生息域が不規則に変わり、獲れる時期と獲れない時期で差が激しい。そして、ここ一、二年は生息域がこの街から離れた所ばかりで、ほとんど獲れていなくてね、備蓄が残り少ないのだよ」
「漢方薬なら他にもあるんじゃないですか?」
ここ最近は、悠夜が「死の森」を初めとする危険地帯から、様々な素材や薬草を獲ってきているため、今まで滅多に出回らなかった品々が市場に並び、この街は今、過去にない活気を見せている。
悠夜の持ち帰った薬草類の中には、漢方薬の材料も複数あったはずだ。
すると神谷は、悠夜の問いに苦笑しながら答えた。
「確かに、君が危険地帯から様々な物を取ってきてくれたおかげで、街は今までにないほど活気づいているが、君の取ってくる物は高級品ばかりで、庶民にはなかなか手が出せないものが多いのだよ。紅角鹿はそれほど強力な魔獣ではないため、その角も昔から効力の割には、比較的安価で取引されていて庶民には馴染み深いものなのさ。他の街から取り寄せることも出来なくはないが、それをやると値段が上がって本末転倒になってしまう」
「だから僕に取ってきてくれと?」
「そういうことだ。他の街の情報で生息域は既に分かっていて、危険地帯を横切らなければならないのだが、君なら問題ないと思ってね。
もちろん君にもそれなりの報酬は用意するが、それを差し引いても君一人に取ってきてもらった方が、他の街から取り寄せるよりだいぶ安く済ませられる」
そう言って神谷は、悠夜に依頼書と地図を渡す。
「往復四日、狩りに一日掛ければ五日ぐらいですか」
「相変わらず規格外だな、普通は合計十五日以上掛かるのだが…………」
神谷は溜息をつく。この少年を見ていると、自分の中の狩人に対する評価基準が狂ってしまいそうでならない。
そんな神谷を置いて、悠夜は脳内にカレンダーを思い浮かべる。
光夜と雪子はまだまだだが、一葉と雪菜は順調に魔力密度が上昇してきている。後は魔力精度をある程度上げさせれば、多式魔法を習得するための最低条件は満たせる。
そのため、二人が春休みに入れば、本格的に多式魔法を教えようと思っていたところだし、もうじき怪我の完治する桜とチームで依頼を受ける約束もしている。
春休みが明ければ悠夜も学校に編入するので、それ以降は忙しくなるだろう。
「わかりました。この依頼引き受けます。ただ、遠出はこれを終わらせたらしばらく休むことにします」
「そうか、やはり学校へ行くのだね」
「はい」
「君ほどの人材が、あまり依頼を受けなくなるのは残念だが、こればかりは仕方がない。二年間頑張ってきてくれ」
「ありがとうございます」
悠夜は依頼書と地図、ついでに神谷が用意してくれていた紅角鹿の好む匂いを放つという餌(鹿笛でおびき寄せるという手もあるが、それをやると他の魔獣まで寄ってくる場合があるので、どんな魔獣が周辺に生息しているか分からない状況でそれ使うのはあまり好ましくない)を懐に仕舞って部屋を出た。
「兄さん、今日はどんな依頼もらったの?」
悠夜が自分の部屋で旅支度をしていると、学校から帰ってきた雪菜が入ってきた。
「危険地帯突っ切って、紅角鹿とかいう魔獣の角集めてきてくれってさ」
雪菜に神谷から貰った地図を見せる。
「これってけっこう遠いよね」
「移動から狩りまで、全部含めて五日ぐらいかな」
「ねえ、兄さんは少し働き過ぎだと思うよ」
雪菜がジトッとした視線を悠夜に向ける。
それは、悠夜のことを心配しているというより、なかなか構ってくれないことに拗ねているといった感じだった。
「そんなに拗ねた顔するなよ」
「す、拗ねてなんかないよ!」
そう言って頬を膨らませる姿は、「拗ねている」という以外に表現のしようがないのだが、軽く頭を撫でてやるとそれも幾分マシになった。
「遠出の依頼は、これが終わればしばらく休むよ。雪菜と一葉が春休み入ったら本格的に多式魔法教えるつもりだしね」
そういえば、このことをまだ言ってなかったな。などと思いながら悠夜は、今後の方針を話す。
「ほんと!?」
それを聞いて、雪菜が目を輝かせる。
「ああ」
頷き、もう一度雪菜の頭を撫でてやると、今度は上機嫌に目を細めた。
どうやら機嫌は治ったようだ。
部屋がほのぼのとした雰囲気になるが……
「ちょっと!なにやってるのよ!」
そこへ、雪菜より少し遅れて帰ってきた一葉が乱入してきて、次は一葉の機嫌をとらなければならなかった。