25
「ふう」
悠夜は軽く息を吐く。
目の前に倒れている巨大鼠は、攻撃や速度はたいしたことはなかったが、予想以上にタフだった。
だが、それも今は完全に事切れている。
周りを見渡すが、子鼠の生き残りは全て逃げ出したようだ。とはいえ、群れの大部分はこの場で倒したので、たいした数は残っていない。何より親玉がもういない。あれくらいであれば放っておいても、さほど問題にはならないだろう。
近くに危険な気配がないことを確認してから、悠夜は刀を鞘へ納める。キン という小さい音が、静まりかえった森では随分とよく響いた。
それと同時に割れんばかりの歓声が上がる。
振り返ってみると、狩人達が拍手をしたり、口笛を鳴らしたりと大騒ぎしていて、悠夜は少々面食らう。
何人かは、悠夜の方へ駆け寄ってきた。
「お前すげえな!こんな大物一人で仕留めちまうなんて!」
斉藤が興奮した様子で話し掛ける。
「全くだよ」
「風霧が、悠夜君にソイツの相手をさせるって言ったときは、頭がおかしくなったのかと思ったけど、まさか実際に倒しちゃうなんて」
北島と高野もそれに続く。
悠夜は意外感を禁じ得なかった。いくら使用する魔法を既存のものに限定したとはいえ、悠夜の年であれだけのことをやってのけるのは、かなり常識はずれな光景のハズだ。もっと異常なものを見るような目を向けられると思っていたのだが、悠夜に向けられる視線は、全て悠夜を賞賛するものだった。
「(ここの人達は、こういったことに対する拒絶反応が少ないんだな)」
これは悠夜にとって、かなりありがたい。
「動ける者は、負傷者を運ぶのを手伝ってくれ。すぐにここを離れるぞ」
橘の指示に皆が我に返り、慌ただしく負傷者の応急処置や素材の回収を始める。
「悠夜君、アレは君の手柄だよ」
北島が巨大鼠を指差す。
「だいぶ焦げちゃってますけどね」
悠夜の仕留めた巨大鼠は、二度にわたる高出力雷魔法によって、かなりひどい状態になっていた。毛皮は完全に没、仕方がないので、大きな前歯だけ回収する。大量に転がっている子鼠の素材は、持って帰っても使わなさそうなので他の人達に譲り、怪我人の手当を手伝う。
大量の鼠に取り付かれた者もいたが、一匹当りの持つ力はたいしたことがなかったので、幸いにも死者は出ていなかった。
まあ、全身を鼠に寄ってたかって齧られるなんて、某猫型ロボット以上のトラウマものだと思うが。
「よし、撤収!」
まだ手を付けていない鼠の素材を惜しそうな目で見る者もいたが、先ほどの巨大鼠のような魔獣がまた出てきてはたまらないので逆らう者はおらず、悠夜達は速やかに引き上げていった。
「風霧くん」
巨大鼠と戦闘を行った場所からだいぶ離れ、もうすぐ森の外というところで鳴宮が話し掛けてきた。
「どうかした?っていうか話しても大丈夫?」
現在悠夜は背中に鳴宮を背負っている。鳴宮は肋骨にヒビが入っているので、声を出すのは辛いと思うのだが。
「ああ、まだ少し痛むが大丈夫だ。遅くなってしまったけど、さっきは助けてくれてありがとう。風霧くんが助けてくれなかったら、たぶん私は死んでいたと思う」
「どういたしまして。次からは、戦う相手の力ぐらい測れるようになっといた方がいいと思うよ」
「精進するよ。あの……それと……」
鳴宮は急にモジモジとし始める。
「?何か言いづらいこと?」
「い、いや……」
しばらく逡巡すると、鳴宮は意を決した様に顔を上げた。
「もし、風霧くんさえ良ければ、これから先、私とチームを組んでくれないか?」
チームとは、光夜が斉藤達と組んでいる、供に依頼を受ける仲間のようなもので、これを組んでいると、単独では受注させてくれない依頼を受けたいとき、チームが規定人数を満たしていればわざわざメンバー集めをしなくて済むのだ。
「それくらい別にかまわないよ。僕はそれ程頻繁に、依頼受けたりしないと思うけど」
「そ、そうか!」
鳴宮がパッと明るい表情になる。
その後の話によると、どうも鳴宮は一緒に依頼を受ける特定の相手などはいないようだ。
「(ひょっとして鳴宮って、ボッチ?)」
悠夜がそんな失礼な、しかし、的を射たことを考えているうちに街が見えて来た。
「やっと着いた」
「今日は大変だったぜ」
「誰だよ、危険性が低いとか依頼書に書いたヤツ」
街に入ると大半の狩人達がその場にへたり込む。
相当疲れている様子だ。
「君、名前を聞いてもいいか?」
悠夜が今回入手した鼠の前歯の使い道を検討していると、討伐隊リーダーの橘に声を掛けられた。
「風霧悠夜です」
「そうか、風霧君、今日はありがとう。死者が出ずに済んだのは、君のお陰だ。君の活躍は私から会長に話しておく」
「ありがとうございます」
「それと一つ聞きたいことがあるのだが」
「なんですか」
だいたい予想はついているが
「君が使った強化魔法についてだ。雷魔法と風魔法は、その年では考えられないほどの威力だったが、ありえないといったレベルではなかった。だが、君が見せた速力や跳躍力はなんだ?いくら肉体を強化しているといっても、あんなことが可能になるとは思えないのだが?」
他の狩人達と背中の鳴宮が、そろって頷く。
初めから隠すつもりはなかったので悠夜は種明かしをした。
「強化する能力を、特定のものだけに限定すれば可能ですよ」
「特定のものだけに限定?」
橘がよく分からないといった風に聞き返す。
「ええ、本来なら強化魔法の術式に、満遍なく行き渡っている魔力に偏りを造ってその状態を維持し、強化を足のバネや腕の筋肉といった特定の部位に集中させ、跳んだり、走ったり、殴ったりといった特定の行動に特化した強化を行う訳です。僕はこれを集中強化と呼んでいます」
呼び名を決めたのは今ですけど。と心の中で付け加える。
「そんなことが……」
橘や周りの狩人達たちが、目を丸くする。
術式には満遍なく魔力を行き渡らせるのが基礎だと教えられてきた彼等には、考えたこともないことだった。
「なあ、それって俺達にもできるのか?」
斉藤が、興味津々といった感じで聞いてくる。
「たぶんできると思います」
「マジか!」
斉藤や他の強化魔法使いが、ざわめき目を輝かせる。
「でも、かなりリスキーですよ」
しかし、悠夜の言葉に再び静まる。
「リスキーってのは?」
「簡単なことです。特定の能力に強化を集中させるということは、他の能力の強化を疎かにすることと同義です」
皆がハッとした表情になる。
「仮に速力を集中強化したとすれば、普通に強化魔法を使う場合とは比べ物にならない速さで移動することができますが、それ以外の能力は通常時より少し上ぐらいです。当然そこには、肉体の耐久力も含まれるので、木にぶつかったり、石に躓いたりすれば、それだけで重症になりかねません。僕も慣れないうちは、かなり危ない目に合いました」
この技術の原型でもある『俊駆』を、障害物の多い森の中で練習するのは大変だった。
「それに術式内部の魔力の流れに偏りを造るだけならともかく、その状態を維持するのは慣れていないと神経を擦り減らしますから尚更ですね。生半可な熟練度で使えば高確率で自滅します」
「ただ便利なだけじゃないんだな……」
斉藤が少し残念そうに呟いた。
「でも使い方次第では、風霧くんのようなこともできるようになるのだろう?」
鳴宮の言葉に、全員が森の中での出来事を思い出す。強大な魔獣を単独で圧倒してみせた悠夜の姿は集中強化に対するマイナスイメージを一瞬で払拭した。
「そうだよな、要は使い方だ。よし悠夜!今度その集中強化のやり方教えてくれ!」
斉藤がいきなりそんなことを言いだし、他の強化魔法使い達もそれに続く。
「(やり方さえ教えれば、後は個人のセンスと努力次第だし、それほど時間は取られないだろうから、別にいいか)」
しばし逡巡してから、悠夜はそれを承諾した。
その後、悠夜の名前は集中強化の第一人者として狩人達の間に広まることとなる。