第4話
ひとり母屋の書斎で古びた巻物を見る祖父。手に取る巻物全て、禁呪に対するものだった。禁呪の術式の跳ね返りの回避の仕方、心得、禁呪が原因で起こる呪詛の解縛法について書かれており、煌々と灯りを灯しながら読み耽っていた。
そもそも、禁呪とはありとあらゆる言霊の中で最強と謳われるもの。言霊と言霊による呪術の融合。それが禁呪。言霊に呪術を乗せれば、己の意志の強さにもよるが、理論上倒せない敵などいない。
しかし、それを制御するためには揺らぎない意志の持ち主でなければならない。苦し紛れに発動させれば呆気なく術の跳ね返りに遭い、最悪の場合死ぬ。故に、知識としては憶えておいても実際に使う狩人はいないだろう。
それを証明するかのように、古来でも、狩人は禁呪を使って妖怪殲滅をしてきたという記録は残っていない。
真菜穂は禁呪の跳ね返りでその身を蝕まれている。しかし、巻物には解縛法・対処法は書かれていなかった。そもそも、禁呪を四六時中無謀に使う狩人など想定されていない。このような状況に陥ることなどない。
床に転がる数個の巻物は、全て祖父に読まれており、片付けられることは無い。だが、ひとつの巻物が宙に浮き、仕舞われるべき箱に収められる。
「遥か。久しいの」
「久方ぶりでございます。当主様」
名を呼ばれると、その場に姿を現したのは祖父の式神、遥。幼げな顔つきで祖父を一瞥し、にこりと笑う。そして散らかっている巻物を箱に詰め始めた。一つ一つ丁寧に仕舞う遥は、やはり女性らしい一面を持つ。仕舞う時にその箱にどんな巻物が入っているかが分かる様に、巻物の表面を上にしている。
仕舞い終えると祖父の隣に正座し、祖父が読む巻物をまじまじと見る。式神はあまり記録を残さないので、文字を書く機会は無いが、読むことなら出来る。
「当主様。もしやこれは、禁呪の……」
何事においても鋭い観察力を持つ遥は、ひと目見ただけでその内容を把握する。その言葉に祖父は苦笑する。
「その通りじゃ。お前さんならもう言わなくても分かるじゃろう」
遥は祖父と目線を合わせて頷いた。祖父がここまで心を砕く相手は、孫娘である真菜穂以外に他は無い。修行のときは厳しく接するが、終えた後では「ちときつかったかのう」と親バカならぬ爺バカを遥の前で披露していたものだ。
遥は真菜穂の身に何かがあった。そしてその原因は禁呪である。その図式を頭の中で手早く組み立てた。
しかし、あれ程才能豊かだった真菜穂が禁呪で身体を穢すなど考えられない。遥は緋雨と同じく式神であるから、それが分かる。いくら適当で不真面目さが目立つ真菜穂とはいえ、次期当主となる身。己の力量は分かっているはずである。故に、このように蝕まれてしまうという事態に陥ることはないと確信していたのだが…。
「どうしてこんなことになっているのじゃろうな」
祖父がそう零す。遥はそれをただ聞くだけしか出来ない。齢三千年を優に超える遥でさえ予測していない事態であり、また見たことのない出来事だったからだ。
そもそも、何故真菜穂が標的になるのだろうか。狩人なら吐いて捨てるほどいるというのに、何故真菜穂だけなのだろうか。
真菜穂の殲滅の特徴と言えば、武器は一切用いず言霊や禁呪で相手を葬ること。護身用に短刀は持って出ているようだが、それでも対妖怪用に鍛え上げたにしては余りにお粗末な物で、実質かすり傷程度のダメージしか与えられないだろう。
さらに緋雨が同行しているため、何も武器を持たずとも身の安全は最低限保障されているし、それ以前に敵に捕獲されるなどといった初歩的なミスはないだろう。……真菜穂が油断していない限りは。
さらに問題なのが、影法師が残した『あの御方』の存在感。一体、『あの御方』とは何者なのだろう。何か良からぬことを計画し、その計画実行のためには真菜穂や緋雨が邪魔であることは、影法師の言葉から明白になっているわけなのだが…。
「当主様」
遥が祖父を呼ぶ。背の低い遥は見上げるように老人を見つめていた。
「おお、すまんな。ちと考え事でな」
そう言うと祖父は遥の頭をぽんぽんと撫で、穏やかに笑った。それを見た遥は心を決めたかのように進言した。
「畏れながら、今お持ちの情報では彼らの核心には辿り着けないと思います。つきましては、私めに情報収集を申し付けくださいませ。必ずやお望みの情報を持ち帰って御覧に入れます」
「出来るか?」
――――一歩間違えれば、ただでは済まない。それが分かっていて、やると言うのか?
口には出さない祖父の問いかけに、遥は首肯で答えた。遥の決意は固かった。揺るぎのない意志を宿した瞳が、そう物語っている。
ならば。
「行け。必ず奴等の思惑を暴き、わしに伝えよ」
「仰せのままに。当主様」
遥は一礼すると、即座に去った。狩人最強の式神だ。そうそうやられることはない。分かってはいるが、それでも不安は拭えない。今回はただの情報収集ではない。真菜穂と緋雨の命が掛かっている。
「頼んだぞ…」
祖父の言葉が宙に消えた。だが、言霊を扱う者の言葉は運命をほんのわずかでも変える力があると、 祖父は信じている。故に、誰も聞いていなくても言葉に表したのだ。
最愛の孫とその孫の唯一無二の相棒のため、遥に頑張ってもらうために…。