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優しい闇  作者: 早野 紫希
第2章
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第3話

 明くる朝。

 真菜穂は鳥のさえずりで眼を覚ました。離れには時計が無いから正確な時刻は分からないが、陽の光の明るさから推測するに、午前九時を回っている頃だろう。

 起き上がると、隣には規則正しく呼吸する緋雨の姿があった。安らかな寝顔を浮かべ、今にも起き出しそうな程だ。

 しかし、もう緋雨は目覚めないのだ。そう思うと涙が止まらない。ぱたぱたと白い布団に若干の染みを作った。

 「緋雨……」

 早く起きてよ。

 真菜穂の心はその感情で占められている。ぽっかりと穴が開いた心を埋める存在が起き上がらないのだ。思い出に縋っても、所詮それは過去の記憶。縋る必要は無い。

 端整な顔を撫で、布団の中の手を握る。両方暖かさを感じる。

 大丈夫。緋雨は生きている――――――。

 心を落ち着けると、ふと若干の変化に気付く。緋雨の指が微かに反応している。ゆっくりではあるが、少しずつ真菜穂の手を握り返している。

 「緋………雨?」

 その瞬間、涙が止まる。緋雨が意識を失くしてから四日目。その間の三日間はこの様な反応は示さなかった。

 何故だろうか。いや、それ以上に真菜穂自身嬉しく思う。意識が無くともちゃんと思いは伝わっている。今はそれだけでいい。

 涙を拭い、緋雨が大好きだった己の笑みを向ける。いつか目を覚ました時に、この笑顔を、曇りの無い笑顔を緋雨に見せてあげたい。そのためには、今から笑っていないと、きっと緋雨はがっかりするだろう。

 背後の襖がゆっくりと開く。真菜穂はその人間の気配を感じた。そして、その人間が誰であるかも理解した。

 「じい様」

 若干後ろに視線を送る。そこにいるのは間違いなく祖父だ。何年もこの気配を感じてきたから分かる。(たが)えることは、一生無い。

 「おお、やっと気付いたか。昨日は気付かなかったのに、大変な進歩じゃのう」

 のん気に笑う祖父はゆっくりと真菜穂の近くに腰を下ろした。綺麗に正座をして、『式神』である緋雨に敬意を表している。

 元々『式神』は神格化した存在だ。つまり、神の末席に名を連ねているということだ。それが狩人に力を貸してくれている。緋雨は『妖怪』から転じたが、それでも『式神』と名が付くのだ。『神』であることには変わりは無い。

 緋雨を見ていた眼は静かに祖父へと動いていく。視線の先の祖父は、とても厳格な顔をしていた。修行の時ですら見たことがない目つきだった。

 「じい様?何かありました?」

 不安そうに祖父に問いかける真菜穂。祖父は一瞬、躊躇した。あまりに真っ直ぐ己の目を見てくる孫に、どう伝えればよいのか分からなくなったのだ。

しかし、伝えねばならない。伝えなければ、この状況は変わらない。予測の域を出ない話だが、伝えないよりましだろう。そう思い、祖父は閉じていた口を開いた。

 「これはわしの予測じゃがの。緋雨は、どうやら真菜穂、お前の身代わりとして呪を受けたようじゃ」

 真菜穂は祖父が告げている言葉の意味を正しく把握できていない。祖父はそれを知っていた。だが、言わねばなるまい。祖父は続けた。

 「お前さん達が四日前の夜、神社の境内で仕事をしておったろう?あの時の妖怪は囮だったのじゃ」

 「……え?」

 真菜穂はようやく自体を飲み込めてきた。あの日の標的が、囮だったということは…。

 「まさか……」

 真菜穂は全てを察した。青ざめた顔で祖父の目を見、驚愕する。

 祖父もまた同じ。孫娘の顔を見つめ、こくりと小さく頷く。

 「そのまさかじゃ。お前さん達を殺そうと画策する、何者かが放ったものじゃ。本来その呪の標的は真菜穂だったが、思惑違いで緋雨に呪が染み付いたのじゃろう」

 真菜穂の視界が真っ暗になった。何故緋雨が殺されなければならないのか。自分の身がどうなってもいい。けれど、緋雨に罪はない。生業として妖怪を殲滅する自分とは違う。なのに、何故緋雨も狙われなければならないのか。

 妖怪を殺し尽くしてきたこの手は、きっと妖怪の血で紅く染まっているだろう。心すらその血で穢れているだろう。だから、いつか罪に問われる時は真菜穂ただ一人だけ。そう信じて、言霊を使って殲滅してきたというのに。

 真菜穂は狂ったように、口の中で『禁呪』と言われる言霊を口ずさんだ。言霊の中で術者の意志を最大限反映でき、同時に己の命を一瞬でも脅かす要因ともなりえる――最強の術式を。

 「我、闇の賢者。彼の者の呪詛を解き放つ言霊よ。我の意思に沿い、我が式神の呪詛を解き放て。……我の式神、名を緋雨。古の契約に基づき、我の意を叶えよ」

 唱え終えると、緋雨の身体が一瞬だけ光に包まれる。しかし、その光は真菜穂の意思を叶えてはくれず、失敗に終わった。光が掻き消えたとき、真菜穂の口からどす黒い、闇色とでもいうべき血が吐き出される。その血は容赦なく床を穢し、信じられない速さで真菜穂の身体を内部から蝕んでいく。

 祖父はその異変を気取った。真菜穂が今の一瞬で何をしたかを。

 「真菜穂、お主……まさかとは思っていたが、『禁呪』を使っていたな?」

 祖父の問いかけに答えられる気力など、真菜穂には残っていなかった。祖父は幼い頃から『禁呪』という『言霊』を真菜穂には教え込んでいた。しかし、それは自らの命を削り取り、身体を蝕み、さらには一歩踏み間違えれば『妖怪』にもなりかねないものだ。

 万一、己の身に命を危険に晒すようなことがあっては危険だと思い、身の安全を確保する最終手段として教え込んでいたものが、今目の前にいる孫娘の身を急速に穢していく。

日常的に命の危険に晒され、使っていたらこの様な事態になることは予測していた。

 しかし、祖父は緋雨がいれば心配することは無いと決め付けていた。緋雨は真菜穂よりしっかりしているし、何かあったらそれなりの対応をするだろうと。

 だが、それは狩人としてはあるまじき思考だった。常に気を張り詰め、危険を予知しなければならないのにも関わらず、それを怠った。相原家の当主としても、狩人内で崇拝される存在としても、そんな初歩的な過ちをしてはならなかった。

 口元を押さえ、それでも指の隙間から黒色の血が流れ出る。苦しそうにもがく孫娘をどうしても叱り付けることが出来なかった。

 「真菜穂や」

 祖父が心配そうな目で真菜穂を見つめ、苦しそうに喘ぐ身体を抱き締めた。祖父は真菜穂の体内を蝕む速さを極力遅め、強引に眠りに着かせる言霊を唱えた。

 掌を黒く染め、苦しそうに眠る姿を見ていると痛々しく、辛そうに見える。だが、ここで甘やかしてはいけない。真菜穂はいずれこの相原家の当主となる狩人。これ位の困難から脱却できなくては、いつまで経っても祖父を安心させることは出来ない。

 「苦しいのう…」

 祖父は膝の上で眠る真菜穂の顔を見て、一言零した。


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