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優しい闇  作者: 早野 紫希
第1章
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第1話

 「どうするの?やる?」

 「どうするって言われてもねぇ」

 夜の闇に紛れ、街灯の届かない小高い山の上にある神社の境内に潜む女と狼。

 女は華奢な体に黒衣をまとい、その腰には護身用程度の短剣を携えていた。

 傍らの狼は人間ほどの大きさで、瞳の色が緋色。飄々とした性格の主をたしなめ、数十メートル先の『標的』に闘志を剥き出しにしている。

 その『標的』は月明かりでようやっと見えるもので、はっきりとは女の目には映らないが、狼にはその姿を違えることなく捉えている。『標的』の身長はおよそ二メートル、少し痩せている。餌を求め、人里に現れて来てしまった、哀れな『妖怪』。

 「ああ、めんどくさい。今日は見逃さない?」

 「ここまで来ておきながら…そんな事言うんだもんな…」

ぐうたらな主を叱り付け、一瞬『標的』から主へと視線を逸らす。その視線が戻ると、そこには奴の姿が無い。だが、匂いで奴がどこに潜んでいるのかが分かる。

 主が居る木の、真上の枝――――――。

 「真菜穂、上だ……っ!避けろ!」

 狼が主の名を呼び、危険を回避させようとするも失敗に終わる。叫んだ瞬間には『標的』は枝から飛び降り、真菜穂の背後に居た。主は簡単に『標的』の腕に捕らわれ、地面に叩きつけられる。

 「くあ…っ」

 「真菜穂!」

 『標的』が主の、真菜穂を絞め殺そうとしている。否。自らの腹の足しに、餌にしようとしている。人型のそれは、信じられないほどの大口を開けて真菜穂に迫る。

狼は瞬時に主を守ろうと『標的』に牙を剥く。その鋭い牙で『標的』の首に噛み付く。闇色の血が噴き出し、真っ白な毛が黒く染まっていく。

 深く埋め込まれた牙は肉に食い込み、そのまま引き千切ろうとする。しかし、『標的』は片腕一本で狼を振り払う。

 「オ前、邪魔。オレノ食事ノ邪魔、スルナ」

 振り払われた勢いで木に衝突した狼は、酷い打撲傷を負い、それでもよろよろと立ち上がり、再び『標的』に向かう。奴の下で苦しんでいる主を救うために。

 そんな時、聞き慣れた『言霊』が狼の耳に届く。

 「我が声……、聞き届けるは、闇の覇王…。我、闇の賢者、名を……真菜穂。王の力を借り、彼の者を……闇の世界へ……」

 『言霊』とは、真菜穂が必ず『標的』を倒すときに使用する呪文。その言葉を聞いた『標的』は必ず神隠しの如く、目の前から去っていくのだ。

 だが、この呪文は真菜穂の精神力を大幅に削り取る。戦闘が終わると必ず眠気が襲い、誰かの介助なしではその場から動けない。下手をすれば命が無いのだ。なのに、真菜穂はこれを好んで使う。危険だと止める狼を無視して。

 「貴様、何ヲシタ?我ノ体ガ、消エテイク……ッ!」

 ゆっくりと闇に消えていく『標的』の体。最後の右腕が、真菜穂を締めていた腕が消えると咳き込み、肩で呼吸をする。

 涙を浮かべ、天を仰ぐ真菜穂に歩み寄り、狼は小声で「ごめん」と謝罪した。自分の油断で真菜穂を危険に晒した。罰は受けねばならない。主を危険に晒すなど、絶対にしてはならない失態なのだ。

 「どうか、どうか俺に罰を与えてくれ。俺のせいだ、俺が気を抜かなければ、こんな事にはならなかった……!」

 自らの罪を悔い、主の傍で辛そうな顔を浮かべる。真菜穂はその光景に、心が痛んだ。真菜穂の失態でもあるのに、どうしてそこまで悔いる必要があるのか。どうして自分ひとりで解決しようとするのか。

 罪を与えろと願う狼には、それ相応の罰を与えねばならない。だが、真菜穂はどうしても与える気にはなれず、項垂れる狼の頭を自らの顔に近づけ、撫でる。

 「罰はね、『ずっと、私の傍から離れないこと』だよ?……緋雨」

 緋雨――――――。

 それが、真菜穂が与えた狼の名。その名がある限り、緋雨は真菜穂の傍を離れる事ができない。『式神』の契約最大の掟であるそれが、真菜穂が緋雨に与えた『罰』だった。

 「いつもそうやってお前は……!」

 苦しそうに緋雨が唸る。当然のことだ。緋雨が欲しいものはそんなものじゃない。ただ、少しばかり己の失態を叱り付けて欲しかっただけなのに、真菜穂はそれをしてくれない。それが、彼女の心の優しさだった。

 「あ、そうそう」

 あっけらかんとした真菜穂の声が宙に響く。

 「緋雨、私歩けないから家まで連れて帰ってね」

 「あ」

 そうだ。たった今『標的』を倒すためとはいえ、一撃必殺の呪文―――『言霊』を行使してしまった。即ち、真菜穂はこの場から自力で動くことは不可能だ。

 緋雨は溜め息をひとつ吐き、その変化を解く。

 緋雨の正体は、今し方倒した『標的』と同じ、『妖怪』。とはいえ、そこらにのさばる奴らとは桁違いに強い。『妖怪』は人間と契約を交わす時、唯一無二の名前を貰う。その名が契約の証となり、『妖怪』の括りから抜け出し、主に絶対服従を誓う『式神』となる。

 緋雨の肩にかかる程度に伸びた漆黒の髪に、緋の両目がより一層白い肌を強調する。細いながらも逞しい腕に抱きかかえられ、真菜穂は意識を手放そうとする。

 しかし、緋雨が身体を揺らした瞬間に腹部に激痛が走る。咄嗟に腹を庇う様に身体を丸めた。かたかたと震える肩が激痛を物語っている。

 「つぅ!」

式神はそれを見逃すことはなかった。何せ、自分が唯一絶対服従を誓った相手の異変なのだから。

 「真菜穂?どこか痛いの?」

 心配そうな瞳が真菜穂を見つめる。―――言えるはずなんて無い。さっきの戦闘で怪我を負ったなんてことを。そしてその怪我は、緋雨が負うべき怪我であることも。肩代わりしたと分かれば、緋雨は即座に「返して」と詰め寄るだろう。真菜穂はそれがひたすらに嫌だった。

 「何でもない…。気にしないで、早く帰ろ……」

 青ざめた顔は明らかに苦痛を表している。しかし、声だけは普段と変わらない。曖昧な境界線上に立てば、判断しかねる様にすれば、緋雨が分かるはずもない、はずだった。

 「真菜穂、ごめんね……」

 優しい式神が涙を流し、抱えた主に頭を擦り寄せる。―――気付いていたのだ、最初から。戦闘が終わった時に、自らが負っていたはずの打撲傷の痛みが無かった。式神の傷を肩代わりする人間など、真菜穂しかいない。

 自分の傷を肩代わりしてもらうなど、あってはあらないのに、なのにそれをされている自分がいる。―――式神としては情けなかった。

 言霊を唱え、疲れている主のためを思えばその傷を早く返してもらうべきなのだが、真菜穂はそれを許さないだろう。他人の痛みも自分の痛みに変えてしまう主に反抗するなんて、心根の優しい緋雨にはできない芸当だった。

 式神の傷を肩代わりした優しい主は、涙を流す式神の頬に手を寄せ、その涙を拭う。

 「ほら、早く帰ろうよ…。みんな、待ってるから」

 大粒の涙を拭われ、心を切り替えて式神は山を降りていく。極力真菜穂の身体を揺すらないように、極力傷が痛まないようにと考え、ゆっくりと抱え直し、歩を進める。

 歩まねばならないのは砂利道の下り坂。進む度に真菜穂の身体が揺れ動き、無意識に痛がる。本来ならば狼の姿のまま、そのまま背に乗せ、走って帰れるはずだったのだ。だが、傷を負った主の身体は、その衝撃に耐え切れるはずもない。けれど、この姿で真菜穂を運ばねばきっと家に着く頃には、顔が苦痛で歪み、青ざめている事だろう。そう考えただけで己が情けなくなる。

 「ごめんね。なるべく早く家に戻るから、それまでがんばって」

 時折元気付けながら歩かねば、真菜穂は二度と目覚めぬかもしれない。そんな強迫観念に駆られ、そうせねばと自分を叱咤する。実際には起こる事はないのだが、今の緋雨にそこまでの状況判断力はない。己の不甲斐なさに落ち込み、心がそちら側へと流れてしまっているのだ。

 ようやっと現れた数十メートル先の舗装された道路。急いでいきたい気持ちを抑え、ゆっくりと足を進める。

 鳥居を潜り、アスファルト上に立った時、真菜穂は冷や汗を掻き、青ざめていた。今まで緋雨の肩に縋っていた腕は力なく垂れ、肩で呼吸している。

 「あと少しだよ、真菜穂」

 真菜穂にも、自分にも勇気付け、長い家路を辿った。


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