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迷惑な溺愛者  作者: 安芸
番外編 バカな犬ほどかわいい
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犬と現状・3

十一


 宮殿の廊下の先に中央階段がある。そこをたったいま軽やかな足取りで下って行ったのは、カッセラー国第二王子ユアンだ。

 そのユアンの後ろ姿をちらっと目撃した上位貴族二名はそれまでの会話を打ち切り、どちらともなくユアンを話題にした。


「……近頃のユアン殿下は健やかにお過ごしのようでなによりですな」

「左様でございますなぁ。第一王位継承者を拝命してからこちらは立ち居振る舞いも堂々となさって、以前とは比べものにならぬほど積極的に帝王学を学ばれているとか」

「ほほぉ、それは頼もしい」

「小耳に挟んだところによれば、ユアン殿下の元に全土より縁談話が殺到しているらしいですぞ」

「はっはっは。それはまた殿下も悩ましいですな」


 空笑いをした貴族はふと黙り、てくてく歩いた後、おもむろに口を開いた。


「……ときに、当家の姫は今年社交界デビューでして、ぜひユアン殿下と最初に踊っていただきたく準備を進めているところでしてな」

「なるほど。コホン、そういうお話でしたら、我が家にも気立てのよい器量よしの年頃の姫がおりましてなぁ、次の夜会で殿下にご紹介しようかと思っておりましたところですぞ」

「……」

「……」


 冷たい沈黙が落ちる。

 どちらも算段を巡らしながら狡猾そうな眼つきで相手を見遣り、別れ際ではにこやかに挨拶したものの、踵を返すや否やそれっとばかりに駆け出した。


 ――次期国王の妻となるユアンの正妃の座を巡って、戦いのゴングは鳴ったばかりである。



 午後、ユアンが側近のヴィトリーを伴い訪問したのはキャスの屋敷だった。見るからに人の出入りが激しく、騒然と慌ただしい雰囲気だ。

 いつも通り愛想の欠片もなく、表情筋の動かない、死神のような風体の執事が恭しくユアンを出迎え、ミレの部屋へと通してくれる。


「こんにちは、ミレ義姉上殿!」


 ユアンが元気よく挨拶しながら入室すると、部屋の中央で四人の女性に囲まれていたミレがゆっくりと視線をこちらに向けた。


「殿下」


 場の空気を読み、ミレの周囲からスッと女性たちが離れる。

 ユアンは全身があらわになったミレの姿を見て感嘆の声を漏らした。


「わあ、とてもきれいですね」

「ありがとうございます」


 ミレはドレスの裾が身長より三倍も長い純白の花嫁衣装を身に纏っていた。上質の絹で拵えられたドレスは光沢も質感も素晴らしく、無駄な装飾のないデザインは上品で、それを纏ったミレはこの上なく眩い。

 ユアンはうっとりと眼を細め、惚れ惚れと溜め息をついた。


「本当に美しいです。兄上が羨ましい」


 ミレの花嫁衣装の最終チェックがあることをユアンが知ったのは、今朝の朝食の席だった。無論アーティスは同席するとのことでいてもたってもいられなくなったユアンは、急遽学習時間を繰り上げ、予定を前倒しにこなして、ヴィトリーを供にキャス邸を訪れたのだ。

 だがユアンもいつまでも見惚れていられなかった。早々に作業は再開され、ユアンは問答無用で部屋の隅を示された。

 そこにはシャレムをはじめ、聖職者、闇騎士、芸術家、大商人、それにアーティスを含め、「男は邪魔」と言わんばかりに部屋の隅に押しやられている。


 シャレムは壁に凭れかかり、わかりやすくふてくされていた。

 今日は早朝から王家御用達の衣装屋が多勢で押し掛け、ミレにドレスを着せ、ああでもない、こうでもないと延々、ビスカと衣装屋は揉めている。主役のミレはといえば完全に諦めの境地に到ったようで、おとなしくされるがままだ。


「……」


 シャレムは心中複雑だった。ミレの花嫁姿は素晴らしく、忠犬としては鼻高々な一方で、その装いが他の男のためだと考えると実に面白くない。

 ましてや、もうまもなく、ミレが自分だけのミレでなくなってしまう。

 とてもではないが、心穏やかでいられるはずがない。

 シャレムは拗ね顔のままナイフを手の中で弄びつつ、陰惨な呟きを漏らす。


「……殺したい、殺したい、殺したい、ああ殺したいー」

「わかる、わかるぜー。殺したいよなー、殺したいぜー」

「そんなときは、天然毒素の中でもモーレツなカエル猛毒がおすすめ。瞬時に神経を侵すスグレモノ。いまなら超大特価販売!」

「いいねぇ。僕、買っちゃおうかなー。大商人君、お友達価格で売ってくれる?」

「……毒など使わなくとも、ナイフでひと突き延髄を切断すれば即死だ」

「待て」


 シャレム、闇騎士、大商人、芸術家、聖職者の物騒な会話を真横で聞いていたアーティスは引きつった顔で闇の住人たちを眺め、問い質す。


「……まさかと思うが、暗殺対象は私ではあるまいな?」

「なにを言ってるんです」

「そうだよな。よかった」


 アーティスがおもむろに安堵すると、シャレムはしれっと答えた。


「あなたの他に誰がいるんです」

「そこは嘘でも違うと答えておけ!」


 命の危険を察知して怒鳴るアーティスを尻目に、シャレムは小さく肩を竦める。


「だって疎ましいんですもん。ご主人さまに僕以外の男が近づくなんて嫌すぎます。邪魔です。目障りです。いっそ排除したいです。してもいいですか?」

「ダメに決まっているだろう!」


 シャレムはチッ、と舌打ちし、ナイフを指に挟み軽く構えつつ視線を流す。


「じゃあ、ちょっとだけ?」

「ちょっとナニするつもりなんだ、おまえは!?」

「……つつく?」

「どこを!?」


 シャレムがどこと答えぬままアーティスの心臓をじーっと見つめると、アーティスはぞっと身震いし、なにを思ったか、不意に手を伸ばした。


「頼むからやめてくれ。落ちつけ、話し合おう。私は(ミレ)だけじゃない。妻の愛犬であるおまえも等しく大事にすると約束する」


 無造作に伸ばされたアーティスの腕はシャレムに警戒心を抱かせる時間を与えることなく彼の首に巻きつき、手はシャレムの髪をグシャグシャに乱した。


「げっ」

「ひょえええ」

「うわぁお。命知らずな兄王子君だねぇ」

「……」


 シャレムはあまりの突飛な事態に思考停止し、闇騎士・大商人・芸術家・聖職者が怖いもの知らずなバカを見る眼で呆気にとられる最中、アーティスはシャレムにヘッドロックをかけたまま熱く語り続ける。


「ミレを妻に迎えたからといって彼女を一人占めするつもりもおまえの行動に規制をかけるつもりも毛頭ないし、これまで通り、耳かきも膝枕も昼寝も散歩も『あーん』もしてもかまわない。いや、本当はものすごくかまうのだがそこは私も度量の広さを持ってグッと我慢する。なんといってもおまえはミレの大事な犬だし、私にとっても同じだ。だから、コホン。その、い、いつもじゃなくていい。時々――たまにでいいから、ミレとイチャイチャするときは私も混ぜてくれ」


 アーティスの切実な訴えを聞き、ここぞとばかりにユアンが便乗する。


「兄上、そのときはぜひ私もご一緒させてください!」

「なっ……」

「義姉上殿と兄上とシャレムだけ仲よしなんてずるいです。私だって混ざりたい」

「ず、ずるい? い、いや、しかしだな。これはあくまでも夫婦の問題で――」

「よろしいでしょう、兄上? それとも、やはり図々しいお願いでしょうか。わ、私は邪魔……?」


 シュンと悲しげに俯くユアンを前にアーティスは大仰にかぶりを振った。シャレムをポイとばかりに放り出し、ユアンの両肩に両手をのせて言う。


「そんなことはない! おまえはかわいいたったひとりの私の弟だ。邪魔でなどあるものか。よかろう。ユアン、おまえも堂々と私たちのイチャイチャに混ざりなさい」

「わあ、本当ですか? 嬉しいです、兄上! 大好きです、兄上!!」

「ユアン!」

「兄上!」


 がしっと抱き合い、ほのぼのと兄弟愛を再確認する二人。

 壁際に控えていたヴィトリーが悦に入ってパチパチと拍手する。


「ご兄弟仲麗しくておおいに結構です」

「断っておきますけど、僕はあなたがたとイチャイチャなどしません」


 シャレムが素っ気なくそう述べると、アーティスとユアンが二人揃って勢いよく振り向き、言った。


「なぜだ!?」

「どうして!?」


 どうもこうも、真顔で訊くことか。


 シャレムが返答に窮していても、他の連中はただ面白がってニヤニヤするだけ。どの顔も隙あらば茶々をいれてやろうという魂胆が透けて見え、なんとも気に障る。


「犬君、モテモテじゃないかー」


 まぜっかえす芸術家に殺意が湧く。


「いよっ、男殺し!」


 はやし立てる大商人へ絶対零度の微笑とは()くやという形相を向ける。


「俺たちはなーんにも言ってないぜぇ。なあ聖職者?」

「……」


 笑いを噛み殺す闇騎士を冷やかにひと睨みし、我関せずの態度を貫く聖職者を一瞥するとシャレムはアーティスとユアンに無言で背を向け、スタスタとミレのもとへいった。


「ご主人さま、きれいですー」


 ミレがシャレムを振り向き、小さく笑う。


「似合う?」

「うん」

「これとこれ、フェイスベールとマリアベールだったら、どっちがいい?」

「えーと。僕、顔が隠れた方が好き」


 そこですかさずアーティスが二人の会話に割って入り、ミレに待ったをかける。


「君はどうして夫たる私ではなく犬に意見を訊ねるのかね?」

「いけませんか?」

「いけなくはないが、物事には優先順位というものがあるだろう」


 ミレはちょっと考え、シャレムを見てからアーティスを見てなにか言いかけ、言葉を紡ぐより先にアーティスの掌で口を塞がれた。


「なんでもない。いまのは聞かなかったことにしてくれたまえ」


 そうミレに言い含めると、アーティスは軽くよろめいて沈痛な面持ちで壁に片手をつき、ブツブツ言った。


「……大丈夫だ、なにも気にすることはない。ふふふ。そうとも、ミレが私より犬を優先するのはいまに始まったことではないだろう。ドレスは私が決めたのだし、ウェディングベールの種類を選ぶ権利ぐらい犬に譲ったってどうってことは……なくもなくはないが、しかし、はあああ……」


 肩を落とすアーティスに駆け寄り、ユアンが励ます。


「兄上、お気をしっかり!」

「そうさ、兄王子君。お嬢さんに君が犬君より格下に扱われたってどうってことない。僕なんて毎度そうさ!」


 と、誠意に欠ける慰めの言葉をかけたのは芸術家だ。更に続けて喋る。


「それはそうと、お嬢さんの身体的特徴を引き立てるなら僕はマーメイドラインのドレスを推奨するね!」

「バカ言ってんじゃねぇ」


 と、鼻を鳴らして即否定したのは闇騎士だ。


「やっぱり姫には華やかなプリンセスラインだろ」

「いやいやいや」


 と、大商人が横入りし、身振り手振りを交えて曰く。


「姫さんはもとがいいからなにを着ても様になるけどさぁ、俺としてはもっとこう露出が多いスレンダーラインを希望したいなあ、なんて。ぐえっ」

「……退け」


 と、聖職者が大商人の首を絞めて脇に排除し、ミレを見つめ静かに述べた。


「……美しいな。いまからでも遅くはない、やはり教会の――」

「花嫁にはさせないよ」


 と、シャレムは殺気を帯びた声で聖職者のセリフを遮った。


「ご主人さまは、僕のもの」


 この発言を耳にしたアーティスは壁際から一気にシャレムとの距離を詰め、相対して反論した。


「待ちなさい。ミレの夫は私だぞ!? おまえのものというのはおかしい。それではまるでミレを占有しているように聞こえるではないか。いいかね、百歩譲っておまえがミレの最愛の犬だとしても、最愛の男はこの私だ!」

「えー」

「えーじゃない! 誰がなんと言おうと――」


 アーティスはムキになったものの、最後まで言い終えないうちにビスカの喝が屋敷中に轟いた。


「あんたら、邪魔よ!!」


 しーん。


「退場」


 殺気立った彼女は仁王立ちとなり、有無を言わせぬ迫力を持って扉を示し、関係者以外を部屋から閉め出した。

 ビスカの眼がミレを捉えて獰猛に輝く。


「さあ姫さま、続きにかかりましょう。このビスカ、腕によりをかけて姫さまを世界一美しい花嫁に仕立てて見せますわ!」


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