サプライズ・プレゼント/後編
聖ドレジー、当日。
ガーデナー家当主、キャス・ル―エシュトレット・ガーデナーとその娘ミレは、不機嫌な犬を伴い、王家主催による降臨祭の祝宴に招かれて参上した。
宮殿大広間は華々しく飾り立てられ、大広間の中央には大きなジョエルの木が置かれて、てっぺんに黄金の天秤飾りをのせている。まわりには手焼きのアイシングを施したクッキーが吊るされ、色どりを添えていた。
黒の燕尾服を纏ったキャスは深く頭を垂れ、折り目正しく挨拶した。
「本日はこのような特別の祝いの席にお招きいただきまして誠に光栄至極でございます、国王陛下」
「う、うむ。よくぞ参ったな。今宵はご令嬢共々ゆるりと楽しむがよい」
眼をウロウロと泳がせて、ぎくしゃくした態度で出迎えた国王にキャスは慇懃無礼な微笑を向けた。
「ありがとう存じます。本来ならば我が屋敷にて愛する妻の忘れ形見である娘と二人、慎ましく祝いの杯を傾けるつもりでおりましたところ、思いもがけず我が敬愛する国王陛下並びに王妃陛下、お二人の王子殿下、ご一族の皆さまとご一緒することができまして、なんとも嬉しい限りでございます」
丁寧な言葉の端々に静かな怒気が見え隠れし、国王は内心冷汗を拭った。
「……なにゆえだろう。余の耳には『せっかく愛娘と二人きりで心静かに祝いの酒を楽しむつもりだったのに、邪魔しやがったなクソ国王』と聞こえたのだが」
「気のせいでございましょう」
「そ、そうか。気のせいか」
「気のせいでございますよ」
あくまでも丁重な物腰を崩さずに佇むキャスに国王は降参して言った。
「……冷気をしまえ、キャス。余が悪かった。その、息子たちがどうしてもミレ嬢も共に降臨祭を祝うのだと申しおってな。余はそなたの迷惑になるだろうからよせと散々止めたのだが、だ、だから、その氷の笑顔で余を見るなっ。悪かったと申しておるだろう」
しばしの沈黙を守った後にキャスは底冷えのする声音で告げた。
「……一つ貸しでございますよ」
「……わかっておる」
国王が憮然と頷く。
一見控えめで物静かに見える男は、裏の顔を持っている。その道の実力者たちを冷酷無比に束ねて闇の政府の舵を取り、陰ながら王政を支えている。国王が即位する以前からの数少ない友人である。
敵は皆殺し、と不言実行で通してきたキャスがまさかの恋愛結婚をしたときには、卒倒し泡を吹いて丸一日寝込むほどの衝撃を受けた。愛妻が病死した折には涙の一滴も流せぬほど深く悲しみに暮れる姿に、国王の方が耐えきれず号泣した。
そのキャスが眼に入れても痛くないほど溺愛しているミレを妻に、と息子が望んだときは二の句が継げなかった。
なんと命知らずな……! と本音が喉元まで出かかったが、押し殺した。反対もできた。だがしなかった。キャスが認めていたためだ。
世界一恐ろしい男の娘の義父……気も遠くなる恐怖を覚える一方で、我が息子があのキャスの眼に適ったという事実が、親としてはなんとも誇らしい。
なにより正統なる第一王位継承権を持つ息子が弟にその座を譲ってまでも、キャスの後継者に名乗りを上げ、娘婿となろうとしているのだ。
それほどまで惚れきっているならば、認めるほかはない。
国王はキャスの視線を追った。その先には恥ずかしげもなく頬をバラ色に染めている息子とキャスの娘、そして狂犬が一匹、傍目にも仲よく談笑している。
「なんてかわいい人だ……」
アーティスは白いイヴニングドレス姿のミレにうっとりと見惚れながら呟いた。
「……」
対してミレはどうにも居心地悪そうに口をモグモグと動かす。
ミレはシャレムを連れてキャスと共に国王夫妻に挨拶した後、まっすぐにごちそうのあるテーブルを目指した。
食事は立食形式で、目移りするような素晴らしい料理が並んでいる。
アーティスはミレが眼をキラキラさせながら食事しているところを発見し、以降は付きっきりで世話を焼いていた。
「さあ、こちらのオードブルもおたべ。近海で取れた旬の魚でいまが一番脂がのっておいしいよ。ほら、口を開けてごらん」
にこにこ、にこにこ、しながらアーティスがフォークに絡めた白身魚のカルパッチョをミレの口元に運ぶ。
「……」
軽く迷惑そうなミレの表情すら愛しくてならない。
アーティスは眼元を赤く火照らせ、ちょっとはにかんで言った。
「……そんなにじっと見つめられると、私も柄にもなく緊張してしまうよ。どうぞ、遠慮せずに召し上がれ? きっと気に入る味だよ」
ミレは小さく首を振る。
「……自分で食べられます」
「そう言わずに。私が君に食べさせてあげたいのだよ。ね?」
だがしかしミレは頑なに首を振り、助けを求める視線をシャレムに注ぐ。
ミレの背後にむっつり顔で控えていた狂犬シャレムは主人の一瞥に即座に応えた。すい、とミレの前に身体を差し入れ、壁となって言った。
「ご主人さまは嫌がっています」
「では代わりにおまえに与えよう。食べなさい。あーん」
間。
瞬間凍結したシャレムは数秒氷像のように立ち尽くしていたが、「はっ」と我に返ると同時に脊髄反射でナイフ攻撃を仕掛けようとした。
「待て」
シャレムはピタリと静止した。
ミレの命令がなければ一秒後にはアーティスの頸動脈は血飛沫を上げていただろう。
「……あーびっくりした。僕、思わず刺しちゃうところでした」
「刺すな! まったく、おまえときたら手の早い……っ。私は親切にも恋人の愛犬に手ずから餌を与えようとしただけだぞ!? それでどうして死に目に遭わねばならんのだっ」
シャレムはポカンとした。
「は? 僕に……餌?」
「そうだ。ほら、こっちの皿はおまえの分として取り分けたものだ。たくさんあるから思う存分食べなさい。おかわりが欲しければ私が取ってやるから」
「……」
アーティスは珍妙な顔で凝固したシャレムの手からナイフを奪い取り、代わりに料理を盛った皿とフォークを持たせた。
それからアーティスはシャレムの背後に隠れるミレの近くに寄り、再度挑戦を試みた。
「さ、君も召し上がれ。あーん」
アーティスがにっこり笑って差し出したフォークをミレはついに口に含んだ。
「おいしいかね?」
「はい」
ミレがこっくり頷くと、アーティスは一気に紅潮した顔で言った。
「よし! ではどんどん食べなさい。君の犬から聞いた助言を受けてね、君の口に合うようなおいしいものをたくさん用意したのだ。あちらのデザートテーブルには君の好物ばかりを揃えた。足りないようであればなんでもすぐに追加させよう。遠慮なく私に言いなさい」
ミレに「あーん」で一口食べさせて気が済んだアーティスは、料理をのせた皿とフォークをすんなりとミレの手に渡し、まめまめしく給仕を務めた。
ほどなく国王の合図で祝杯が挙げられ、額にキスを贈り合う。
宴もたけなわとなった頃、ユアンがヴィトリーを連れてやってきた。
「こんばんは、義姉上殿! 本日はようこそいらっしゃいました」
アーティスは色めき立った。だがすぐに興奮を抑え、コホンとわざとらしく咳払いし、弟王子を諫めた。
「ユアン、残念ながらミレはまだ私の妻ではない。義姉上と呼ぶにはいささか気が早すぎる」
「でも兄上、私は一日も早くミレ殿を義姉上とお呼びしたいのです。それに遅かれ早かれ兄上と結婚すれば私の義姉上になられるのですから、いまからそう呼んでも差支えないのではないでしょうか」
このよくできた弟は無邪気な笑顔を浮かべてミレにおねだりする。
「いかがでしょう、ミレ殿。私が義姉上殿とお呼びしてはいけませんか……?」
そしてミレは純真なユアンの上目遣いに滅法弱い。
「かまいませんよ」
「よかった! ありがとうございます、義姉上殿! ええと、遅れて申し訳ありません。聖ドレジーのご挨拶をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「はい、もちろんです。ユアン殿下に聖シリンの祝福がありますように」
「義姉上殿にも聖シリンの祝福がありますように」
ミレとユアンは互いの額にキスをかわし、微笑んで離れる。
ユアンは脇に控えていたヴィトリーに合図し、彼に持たせていた包みを受け取ってニコッと笑いながらミレに差し出した。
「これは義姉上殿に私からの贈り物です」
「ありがとうございます。開けてもよろしいですか?」
中身はミレとアーティス、それにキャスとシャレムが描かれた細密画だった。寄り添うように描かれた四人は誰もが幸福そうに微笑んでいる。
ミレは驚き顔でユアンを見つめた。
ユアンはちょっと照れてはにかみ、言った。
「私が描いたものです。気に入っていただけましたか」
珍しくミレは顕著な喜色を浮かべて笑った。
「嬉しいです。大切にさせていただきます」
場の雰囲気がほわんと和やかさに包まれた。
そろそろ頃合いか、と空気を読んでアーティスは言った。
「私も君に贈り物がある」
アーティスはまだ嬉しそうに絵を眺めているミレの耳元に囁いた。
「運ばせるから、少しの間目隠ししてもいいかね?」
「目隠し?」
「少しの間、だよ。眼を瞑って」
僅かに怯んだミレの背後からアーティスはそっと眼元を手で覆った。壁際に控えていた従僕に合図し、速やかに用意を促す。
「……まだですか」
「もう少し待って」
腕の中でじっとしているミレは素直でかわいい。小さくて、華奢で、柔らかくて温かそうで……衝動的に抱きしめたくなった。
アーティスは不意に暴れる機会を窺う恋情を抑え、代わりに告げた。
「君の白いイヴニングドレス姿、よく似合っているよ」
すると思わぬ言葉が返ってきた。
「……殿下も、黒の燕尾服がよく似合っておいでです」
眼が点になる。
ミレから容姿を褒められるという珍しい事態にアーティスは狼狽した。
気が昂って頭にカーッと血が上り、自然と顔がにやけてしまう。
「そ、それは……その、どうもありがとう……」
まずい。ミレがかわいすぎて困る。
このまま抱き上げて部屋に連れ去り閉じ込めたい、という欲求になんとか打ち勝ち、アーティスは準備がすべて整ったのを確認した。
「手を離すよ。ゆっくり瞼を開けて」
ミレが閉じていた眼を開けたその瞬間、
「聖ドレジー!」
拍手喝采といくつもの祝福の掛け声がわっと上がった。
眼の前にはビスカ、芸術家、闇騎士、聖職者、商人、それに墓掘り人ジェイハとゾリスが正装姿で揃っている。
そして彼らが囲んでいるのは、大きな丸テーブルにのせられた、見上げるほど巨大なお菓子の家だ。
アーティスは口を開けて棒立ちになっているミレの肩を抱き寄せ、額に優しく唇を押しあてた。
「……聖ドレジー、ミレ。これは私から君への贈り物。驚いた?」
ミレは完全に眼を見開きながら、コクコクと小さく頷いて訊いた。
「……私の家、ですか?」
「そう。なかなかいい出来だろう? すべておいしく食べられる。壁と屋根はビスケットで、煙突はチョコレート、窓はマカロン、中は――」
アーティスの言葉を不思議そうな声でミレが遮った。
「――どうして、皆をここに?」
アーティスは笑って答えた。
「今日は聖ドレジーだよ。家族や愛する人と過ごす日だ。君やキャス殿にとっては彼らもなくてはならない大切な人たちなのだろう? 呼ばないわけにはいかな――え?」
突然、ミレからキスされた。一瞬だけ甘く重なった唇にアーティスは面食らい、茫然とする。
「……です」
「は? え!? い、いまなんて言ったのかね、ミレ!?」
空耳か。
いま、はじめてミレの口から告白の言葉を聞いたような気がする。
「もう一度聞かせてくれないか」
必死の形相でアーティスは恋人の腰を引き寄せ、ミレにぐっと顔を近づけて問い質した。
一同は「見てない、見てない」「聞こえない、聞こえない」とわざとらしくも知らんふりをしてくれている。
アーティスが黙り込むミレに恋情を募らせ催促しかけたそのとき、耳元で内緒話をするように、こそっと一声囁かれた。
MaryXmas! 皆様に祝福がありますように!




