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迷惑な溺愛者  作者: 安芸
番外編 バカな犬ほどかわいい
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犬と主人・3<シャレムの日記一部抜粋>

 次話より、ミレもシャレムも大きくなります。

    五


 シャレムがミレの犬になり四年が経ち、シャレム十歳、ミレ六歳の春に彼は突然現れた。


 うららかな日差しが射す午後の庭で、ミレとシャレムはなにをするでもなくゴロゴロと日光浴を楽しんでいたとき、第三者の存在に気がついた。

 七弁の濃紅色の鈴桜が満開の木に凭れかかり、だるそうに長い脚を交差している。不揃いの茶色の髪、温厚そうな琥珀色の瞳、中肉中背でまだとても若い男だ。


「や、お嬢さん」


 男がミレに眼を留めて薄笑いを浮かべ、片手を上げた。


 ――いつからそこにいた?


 シャレムは内心の驚きをよそに顔には出さず、ミレを背に庇うように移動し、いつでも迎撃できるよう身構えた。

 突風が吹き、花房が鈴なりの枝が煽られてしなる。

 気がつけば男はすぐ目の前に立っていて、シャレムの警戒などまるで意に介さぬそぶりでミレをじっと見つめた。


「うん、確かにかわいい」

「あなたは誰だ」


 シャレムの誰何すいかに男は飄々と答えた。


「僕は芸術家」


 自らを芸術家と紹介した男はミレを指差した。


(あるじ)にその子の未来の夫に指名されたから、婚約者の顔を見に来たのさ。あ、主っていうのはこの屋敷の主人で僕のおっかない雇用主のことだけどね」


 心臓がすうっと冷えた。屋敷に立ち入ることが許され、ミレ専用の庭に通されたのだ、普通の人間であるはずがない。その上、ミレの婚約者を名乗るなど冗談ではすまされない。

 シャレムは油断なく芸術家を値踏みした。


「……本当に?」

「本当さ。騙りでこんなこと言おうものなら僕ぁ主に殺されちゃうよー」


 それはそうだろう。

 男の言い分に納得したものの、シャレムは警戒を解かなかった。


「あなたが本当にご主人さまの婚約者だとしても、近づかないでください」

「なんで?」

「怪しいから」


 ズバリと言う。

 男は心外そうに眼を丸くした。


「怪しくないよー。僕は芸術家だよ? 美をこよなく愛するただの男さぁ」


 ただの男がミレの伴侶に選ばれるわけがない。キャスの眼にかなうだけの理由があるはずだ。

 不信そうに危機感を強めるシャレムに対し、芸術家はやれやれと肩を竦めて懐に手を突っ込み、まさぐりながら言った。


「ところで、君はお嬢さんのなにかな」

「犬」


 シャレムは一言で済ませた。

 芸術家はなるほど、と頷いてしっし、と手を振った。


「ああ、そう。じゃあ犬君、邪魔。退いてよ、僕はそちらのかわいいお嬢さんにプレゼントを渡したいんだ」


 シャレムは退かなかった。

 しかし二人の会話に興味を覚えたのか、ミレがシャレムの背中からひょこっと顔を出した。


「ぷれぜんと?」

「そう。僕お手製のすてきな贈り物さ。どうぞ、お嬢さん」


 差し出されたものは小さな赤い毬だった。光を浴びてキラキラ光っている。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 ミレが受け取ると芸術家は満足そうに微笑み、踵を返した。


「じゃあね、また来るよ」


 そう言って花吹雪の舞う中に姿を消した芸術家をシャレムは見送った。

 問題が発覚したのは、そのすぐ後だ。

 赤い毬を嬉しそうに眺めていたミレの顔が段々と曇っていった。


「しゃれむ」

「はい」

「とれない」

「え?」


 ミレが泣きべそをかく。


「てがくっついてとれない」

「ええっ」


 それからは大騒動だった。水ですすいでも、湯につけても、油を垂らして塗っても、火に照らしても、あらゆる薬剤を試しても、どうしても赤い毬はミレの手から離れなかった。芸術家を呼び戻そうにも所在が知れず、夜半になりキャスが帰宅してこの騒ぎを聞くとさっそくミレのもとへ行き、なぜか寝かしつけた。

 翌朝、赤い毬は自然とミレの手から転がり落ちた。


「どうして」


 シャレムが茫然として訊くと、キャスは眉間に皺を寄せて答えてくれた。


「単なるいたずらだ。放っておいても時間が経てば取れる。私も以前に一度、奴にやられた」


 声も出ないほど驚いた。まさかキャスにこの手のいたずらを仕掛ける命知らずがいようとは。

 シャレムはキャスの背後に控える二人の墓掘り人、ジェイハとゾリスの顔を窺った。どちらも一見無表情だったが、わずかに眼が嗤っている。

 ……報復はしたのだろう、無論、倍返しで。芸術家は相応の痛い目をみたに違いない。

 それでもキャスにとりたてられているとは、芸術家とは何者なのだろう?


 それからたびたび、芸術家はミレのもとを訪ねるようになった。あるときはご機嫌伺い、あるときは仕事のついで、あるときは食事の誘い、あるときは遊びに、とその都度、手土産に自作の芸術品を持参した。


 デッサンの崩壊した自画像は夜に眼が光ってミレを怯えさせ、一度蓋を開けば三日は鳴りやまないオルゴールの音色は甲高い金属音の連続で頭痛をもよおさせ、人魚のトルソはいきなり首が生えてけたたましく笑ったかと思うと爆発した。他にも悪臭を放つ造花や三本脚の椅子など、もらって困るものばかりだ。


 手を変え品を変え、迷惑極まりない損害を及ぼすプレゼント攻撃のため、ミレはすっかり芸術家を嫌うようになった。


「やあやあ、こんにちは、お嬢さん、犬君」


 ミレとシャレムが食堂でおやつのケーキを食べている最中、芸術家は紳士的に帽子を持ち上げてにこやかに挨拶しながら入って来た。


「うわあん」


 ミレは芸術家の顔を見るなり叫び、シャレムの背中に隠れた。シャレムも咄嗟にミレを庇い、じりじりと後退して芸術家から距離をとる。


「おやおや、久しぶりに会ったのにどうして逃げるのかなぁ。挨拶もなしなんて、僕ぁ悲しいよ」

「こんにちは、さようなら」

「あー、こらこら。待った待った、犬君、そりゃあないよ。せっかくおいしいお土産を持ってきたのに。止まらないと……脅すよ?」


 人畜無害そうな笑顔を浮かべて芸術家はきれいな包みを差し出した。

 散々ひどい目に遭っているので、シャレムは用心深く問いただした。


「……中身はなんですか?」

「お菓子」

「ただの?」

「うん。僕が作ったんだ。おいしいよー」


 シャレムは即座にまわれ右をした。

 だが首根っこを掴まれてしまう。


「おいしいってば。料理も芸術のひとつだよ。僕ほどの芸術家は料理も大得意なんだ。信用して、いや、だまされたと思って食べてごらんよ」

「あなたの芸術作品でなにかひとつでもまともであったためしはない」


 シャレムが辟易してそう告げると、芸術家はまじめくさった様子で身振り手振りを交えて弁明した。


「なにを言うのかね。芸術は爆発だ! 僕の芸術はどれも他に類をみない素晴らしいものばかりだろう」

「本当に爆発する芸術作品なんて危なくてご主人さまの傍に置いておけません」

「そこはちゃんと火薬の量を考えてある。誰も怪我などしなかっただろう?」

「しました、大勢」

「あれ、そうかい? おかしいね。まあ、ご愛嬌さ。天才もたまには失敗するよ」


 いつもじゃないか。


 芸術家の作品はたいていが破壊的だ。危なくて、とてもではないがミレの手の届く場所には飾れない。もちろん、キャスの傍にも。

 シャレムは強引に身体を捻って芸術家の手から逃れた。


「さあ、遠慮なく開けてみたまえ」

 

 芸術家はしつこい。簡単には引き下がらないこの性格のため、結局のところシャレムはいつも根負けする。なにせ相手はキャスの認めたミレの婚約者、どんなに性質が悪かろうと無視することはできない。

 しぶしぶと包装を取り、紙箱の蓋を開く。

 中身はクッキーだった。


「……普通、ですね」


 見た目は。


「そりゃあそうだよ。どれ、僕が食べさせてあげようじゃないか。あーん」


 そう言って芸術家は指でつまんだクッキーをミレの口元に運んだ。


「っ」


 シャレムはほとんど反射的にひったくってクッキーをほおばった。得体のしれないものを味見もせずにミレに食べさせるわけにはいかないからだ。


「どうだい、僕の手作りクッキーの味は?」

「……普通、です」

「そうだろう、そうだろう。もっと褒めてくれてかまわないとも。さあお嬢さんもおひとつどうぞ。おいしいよー?」


 だがミレは嫌がって食べなかった。そしてそれは正解だった。

 その夜、シャレムは悪夢にうなされた。一晩中、芸術家が夢に出てきたのだ。



<シャレムの日記>


 ご主人さまが芸術家から逃げる。

 ご主人さまが芸術家に追われる。

 ご主人さまが芸術家にからかわれる。

 ご主人さまが芸術家に遊ばれる。

 ご主人さまが芸術家に笑われる。

 ご主人さまが芸術家に試される。

 ご主人さまが芸術家に泣かされる。

 ご主人さまが芸術家に怒られる。

 ご主人さまが芸術家を嫌がる。

 ご主人さまが芸術家を避ける。

 ご主人さまが芸術家から隠れる。

 ご主人さまが芸術家から――僕を庇う。


 シャレムの不在時を見越して日記を盗み読みしたキャスは、一通り眼を通してから棚に戻した。


「……いつまでたってもミレの観察記録しか残せんのか、まったく」


 微苦笑しかけて、キャスの笑みが強張った。もう一度シャレムの日記を手にし、くだんのページを再度開く。


 ご主人さまが芸術家から――僕を庇う。


「……ミレが犬を庇ったか」


 キャスはミレとシャレムの間に結ばれつつある絆の強さを喜ぶ半面、哀れに思った。この先ずっと二人が共にいて、どれだけ長く時間を過ごし、互いを一番に想い合っても主従以上にはなれない。その現実におそらく二人とも苦しむだろう。それでも一緒にいるためには、相互にとって特別な存在になるしかない。


 キャスはシャレムと出会った日のことを思い返した。

 牢獄で異彩を放っていた子供。

 稀にみる人殺しの才を秘めながら、愛に飢えた眼をしていた。

 一目で欲しいと思った。愛娘を守る最強の犬に相応しい器だ。ようやく見つけた――逃しはしない。徹底的に教育してやろう。ただ純粋に、主人のために一身を賭す犬となればいい。

 シャレムはキャスの見立て通り、暗殺者として群を抜いた才能を発揮した。

 さいわいにも、今日に至るまで期待は裏切られていない。


「……しかし、主人に庇われる犬などいるか。ばかめ。大事には至らなくとも主人に庇われたとあっては問題だな。罰が必要だ。さてどうしてくれようか……」


 キャスは手を口元にあて、含み笑いを漏らした。

 庇い庇われ、慈しみ合いながら育つ絆はちょっとやそっとでは壊れやしないものになる。互いになくてはならない存在、それこそが至上の関係。

 ミレの命はシャレムが守る。あとはミレの人生を守る男が必要だ。

 既に一人は見つけた。あと数名、目星はつけている。


「問題はミレがどの男を選ぶか……」


 遠い未来に思いを馳せながらキャスはシャレムの部屋を後にした。

 この日の夕食は魚料理のフルコース。

 魚嫌いのシャレムは泣く泣く平らげた。


 新作 異世界の本屋さんへようこそ! 発売中です。

 興味のある方、お手に取っていただければ嬉しいです。

 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。

 

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