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迷惑な溺愛者  作者: 安芸
番外編 バカな犬ほどかわいい
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犬と主人・2<シャレムの日記 一部抜粋>

 久々の更新です。評価・お気に入り登録ありがとうございます。

 夜は鍛練が待っていた。

 ミレが完全に寝ついたあと、暗殺指令の実行者(アンダー・ジェレスター)として力をつけるためキャスの犬、通称『墓掘り人』二人に暗殺技術を教わることになった。

 キャスの影であり、暗殺指令の実行者(アンダー・ジェレスター)として一、二を争う彼らは、死んだ眼の男がジェイハ、腕の長い方がゾリスと名乗った。

 交代でキャスの護衛に就き、空いた方がシャレムの相手を務める。鍛練場所はたいていが屋外だ。雨が降っても風が強くても、自然条件に見合った戦いの仕方を身体で憶えろと言われた。任務は天候のよしあしなど無関係なのだから、と。


「ナイフを武器と考えるな。身体の一部と思え」

「はい」

「一流の暗殺指令の実行者(アンダー・ジェレスター)は戦いの流れを完全に支配する。そのために欠かせない能力は、冷静さだ」

「はい」

「目前だけにとらわれるな。感覚を研ぎ澄ませ。相手が単独とは限らん」

「はい」

「気配を断て。呼吸を乱すな。ムダな動きをやめろ。風を読み風上を制せ」

「はい」

「敗北は死を意味する。敵は消せ。邪魔する者も同様に。主に近づく者は皆敵と思え。ただし、主が認めた者には手を出すな。主の意思に背いてはならん」

「はい」

「主を守れ。傍にいろ。空気のように、影のように、犬のように。主の命令は絶対だ。飛べと言われたら飛べ。死ねと言われたら死ね。常に意に従え」

「はい」


 どこまでも忠実になれ、と骨身に叩きこまれた。

 キャスの暗殺教育は徹底していた。ジェイハとゾリスも容赦なかった。シャレムは黙々と従った。

 一年が経ち、二年が経ち――

 実戦経験を積み重ねつつ、シャレムはひたすら暗殺技術を磨き続けた。



      四


「しゃれむはいいこ」


 午後、庭で写生という名のラクガキをミレとシャレムが楽しんでいたとき、スケッチの一枚が風に飛ばされた。


「とってこい」


 ミレの命と同時に機敏に動いたシャレムが風に翻弄される紙片を鮮やかに掴んで戻ると、ミレはとろけるように甘く笑ってシャレムの頭を撫でた。


「よしよし、しゃれむはいいこだねー」


 ミレに撫でられるのは気持ちがいい。

 シャレムはミレに撫でられるのが大好きだ。褒められれば嬉しいし、見つめられて微笑みかけられると、それだけではしゃぎたくなる。


「ご主人さま」


 ヒラヒラの白いフリルのドレスに白い靴、金の髪には瞳と同じ碧のリボンを結わえたミレは人形以上に愛らしい。両手にはクレヨンとスケッチ帳を持ち、ご機嫌で庭の芝生に寝転がり、眼に留まるものを心ゆくまま描いている。

 シャレムはそんなミレをうっとり眺めておとなしく言うことをきいていた。


「じゃあ、こんどはみれがしゃれむをかいてあげるね。うごいちゃだめよ」

「うん」

「かっこよくかいてあげるからね」

「うん」

「うーんと、しゃれむはー、みみがふたつでー、めがたくさんでー、くちはなくてー、はながはんぶんでー」


 それは誰。

 人間じゃないと思う。どうして眼がたくさんなんだ?


「てがながくてー、あしはなんぼんかなあ」


 二本だよ。それ以上はないし、それ以下でも困る。


「かみはこれくらいでー、ここがこうなって、こっちはこうでー」


 ここがどこで、こっちとはなにがどうなのか。


「できた!」


 ミレは完成品を両手に握り締め、眼をキラキラと輝かせて満面笑顔だ。


「かっこよくかけたから、しゃれむにあげるね」


 問題の一枚を小さな手で引っ張って、ミレはスケッチ帳をビリビリ破いていく。

 ……見たいような、見たくないような。


「みてみて、しゃれむだよ」


 シャレムは心理的ダメージを受ける覚悟を決めたそのとき、またも吹いた悪戯な風がミレの手からスケッチを奪った。


「とってこい」


 今度もシャレムは楽々と風に追いつき、飛ばされた紙片を無事に押さえた。ミレは今度もニコッと笑いながら褒めてくれるだろう、と考えて振り返ったそこに、ミレの姿はなかった。


「ご主人さま?」


 クレヨンとスケッチと靴が片方落ちている。


「……」


 シャレムはサッと辺りを見まわした。いない。

 ――ご主人さまがさらわれた。

 シャレムは肌身離さず身につけていた緊急時用の笛を吹いて屋敷の警護たちに異変があったことを知らせた。すぐに敷地内と近辺は封鎖され、ミレの身柄確保に全力投入されるだろう。

 シャレムは跪き芝生に眼を凝らした。草の倒れ方に注意をそそぎ、侵入者の足跡を発見する。痕跡を残すなんて二流の仕事だ。誘拐魔はまだ近くにいる。

 そう判断し、シャレムは即座に追跡を開始した。全身の感覚を研ぎ澄ませながら、庭を突っ切る。

 ――許さない。

 感情の昂りとは別に、頭の芯は冴えていく。やるべきことはわかっている。

 シャレムは走った。脇目も振らず走った。頭の中はミレのことだけ。

 ――絶対に助け出す。

 最短距離で追いかけ、屋敷を囲う高い壁を驚くべき身体能力と壁登りの技で軽々と乗り越える。

 そして屋敷の外に待機していた四輪馬車にミレを担ぎ込み、急いでその場を離れようとする誘拐魔を発見した。

 シャレムは両手にナイフを握り、まっすぐに突っ込んだ。誘拐魔が振り向き、応戦しようと刃が歪曲した短刀を構えたが、追手が子供と見て一瞬怯んだ。その一瞬で十分だった。

 足を狙う。神経性の毒を塗ったナイフを投擲し、誘拐魔が弾いた隙に間合いを詰めて軽く腕を振った。手応えがある。ふくらはぎに一筋血が滴った。 傷は浅いが十分だ。

 数秒で足が麻痺し動けなくなった誘拐魔の背中にするりと回り込み、あばら骨の間と間の柔らかい肉にナイフを刺す。抜けば出血多量で死期が早まり、抜かなくても内出血で長くは生きられない。

 すぐに殺さないのは温情ではない。黒幕を吐かせるためだ。そう教えられた。

 シャレムは痙攣して口から白い泡を吹きながらばったり倒れた誘拐魔には一瞥もくれず、馬車に飛び込んだ。


「ご主人さま!」


 ミレは馬車の座席に横たえられ、すやすやと眠っていた。薬を嗅がされたのか、声をかけても揺すっても反応がない。でも生きているし、怪我もないようだ。


「よかった……」


 シャレムはミレの温かな血の通う白い頬に頬擦りした。

 不安が解けていく。ミレになにかあったら、と気が気でなかったのだ。


「……本当によかった」


 ミレの小さな鼓動や息遣いを感じられることがただ嬉しい。

 だがその一方で、一瞬でも眼を離したことを後悔した。一歩間違えれば取り返しのつかないことになっていたかもしれないのだ。そう考えると恐ろしかった。

 いつまた同じような危険な目に遭うかもしれない――だからこそ自分が必要なのだ。ミレをすべての悪から守るために。

 シャレムはこのときはじめて、『犬』である自分の存在意義と価値を見出した。

 ――強くなければならない。

 誰からもなにからもミレを守るためには、絶対的な強さが必要だ。

 シャレムはミレの小さな手を握りしめて囁いた。


「……僕が、守るから……」


 この事件を機に、シャレムの暗殺指令の実行者(アンダー・ジェレスター)としての才能は開花した。



 キャスが政界において発言力を増すに従って、彼を目障りに思う政敵により、ミレは頻繁に誘拐されるようになった。

 だが、そのつど無事にシャレムの手により奪還された。鮮やかに、速やかに、かくも残酷に。事件にかかわったものは全員が抹殺、その殺し方は残虐非道極まりなく、暗殺指令の実行者(アンダー・ジェレスター)としてのシャレムの名が知られるようになると、いつしかミレに手を出すものはいなくなっていった。



<シャレムの日記>


 ご主人さまがさらわれたから取り返した。相手は殺した。ご主人さまは寝てた。


 ご主人さまがさらわれたから取り返した。相手は埋めた。ご主人さまは苺のケーキをもらって食べていた。


 ご主人さまがさらわれたから取り返した。相手は沈めた。ご主人さまは絵本を読み聞かせてもらってた。楽しそうだった。


 ご主人さまがさらわれたから取り返した。相手は燃やした。ご主人さまは猫と遊んでいた。猫も一緒に連れ帰った。


 ご主人さまがさらわれたから取り返した。相手は絞めた。ご主人さまは変な歌を歌いながら踊っていた。声をかけたら怒られた。


 ご主人さまがさらわれたから――

 


 シャレムの留守を見計らい、最新のシャレムの日記に眼を通していたキャスは無表情で日記を閉じた。


「……相変わらず、ミレの観察記録か」


 クックと笑う。


「仕方のない奴だな。他に書くことはないのか」


 ……ないのだろうな、とあたりをつける。

 シャレムはミレの犬、ひたすらに忠実な犬、愛すべき獰猛な犬なのだ。

 キャスは苦笑を浮かべながら閉じた日記を元の棚に戻した。

 この日の夕食は肉料理のフルコース。

 シャレムはミレの隣ですべておいしくいただいた。


 新刊書籍 異世界の本屋さんへようこそ! 本日発売です。

 一人でも多くの方にお手に取っていただければさいわいです。

 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸とわこでした。

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