犬と飼い主・3
不毛な恋のはじまりはおわり。
瞬間、部屋の空気が一変し真剣な雰囲気が漂った。
シャレムは緊張し、キャスが口を利くのをじっと待った。
キャスはミレとシャレムを交互に見つめ、空いている右手で指折り数えながら淡々と喋った。
「一つ、命令には絶対服従すること。二つ、主従関係を守ること。三つ、愛し方を間違えないこと」
沈黙が落ちた。
ミレはぽかんとしている。
シャレムにもあまりよくわからなかった。
「……まだ理解は難しいか。では言い換えよう」
シャレムはもう一度注意を戻した。背筋を伸ばしてキャスの言葉に耳を傾ける。
「一つ、言われたことには従うこと。二つ、犬と主人という立場を忘れないこと。三つ、どんなにお互いが好きでも結婚はできない。夫婦にはなれない。その自覚を忘れないということ。以上だ」
ミレはまだぽかんとしている。
シャレムは、今度はわかった。こくりと頷く。
キャスはシャレムをじっと見つめた。鈍い光をたたえた眼はぞっとするほど冷え切っている。囁く声も低く、独断的で、心に斬り込むように鋭利だ。
「……これからミレは君を愛する。とても大事に愛するだろう。それにもまして、君はミレを愛するようになる。誰よりも、なによりも、自分よりも、激しく深くミレを愛するだろう。またそうなってもらわなければならない」
キャスは一呼吸置いた。よりいっそう、冷たさが研ぎ澄まされる。
「だが犬は犬だ。その国家の犬の証し(ダベル・ダラス)は永久にミレと君を結びつけない。いつかミレが他の男を愛しても、夫となる男が現れても、君は黙って受け入れろ」
キャスの言葉はシャレムの心臓に楔を打ち込んだ。
愛されることは許される。
愛することも許される。
愛し合うことも許される。
でも結ばれることは許されない。
シャレムはふと動揺した。
諦めることには慣れている。諦めなければならないことが多すぎたから。だけどもしも、諦めたくないものが出来てしまったらそのとき自分はどうなるのだろう。どうするのだろう。
キャスはシャレムの混乱を無視して続けた。
「その選択だけが、死が二人を分かつまでミレと君が共にいられる道だ」
更にキャスは言った。
「この三つの約束を一つでも破った場合は、君を殺す」
まぎれもない死の宣告。
シャレムは息を呑んだ。
キャスの眼は冷酷そのもので表情は非情で残忍。はじめて会ったときと同じ、否、それ以上の殺気が迸っている。
「疑わしくても殺す。どこへ逃げても殺す。言うまでもないが、私やミレを裏切った場合も同様だ」
諦めたくないものが出来ても諦めるしかないのだと、シャレムは理解した。
そして同時に、その三つの約束さえ守ればもう孤独ではないのだと気づいた。
「……」
俄かに顔つきが変わったシャレムを一瞥し、キャスが会心の微笑を浮かべる。
「その通り。君が約束を守ればミレも私も君を見限ることはない」
「……ずっと?」
「そうだ」
キャスの返事をシャレムは信じた。信じて、そして応えた。
「約束する」
キャスはシャレムの頭をまた撫でた。そして驚いたことに、身を屈めてシャレムを右腕に軽々と抱き上げた。
「『約束します』だ。君はまず礼儀作法から教えなければならないな。覚悟しなさい、私の教育は厳しいぞ」
「しゃれみゅ、うれしい?」
ミレが無邪気に小さな手を伸ばしてシャレムにじゃれつく。ぺたぺたと顔を触られ髪をぐしゃぐしゃにされ服を引っ張られる。
「しゃれみゅとおとうしゃまといっしょにごほんよむ。みれがよんであげるよ」
キャスが愉快そうに口を開く。
「答えてあげなさい」
「……なんて?」
「こう言うといい。『はい、ご主人さま』」
ご主人さま。
はじめて口にする言葉だ。ちょっともじもじしながら、シャレムはぎこちなく、固い口調で復唱した。
「……はい、ご主人さま」
ミレがニコッと笑う。つられてシャレムもぎこちなく笑い返した。
「しゃれみゅ」
「はい、ご主人さま」
「しゃれみゅ、しゃれみゅ」
「はい、ご主人さま」
「しゃれみゅはみれのいぬ。ずっとずっとみれといっしょにあそぼうね」
「はい、ご主人さま」
「おやくそくする?」
「はい、ご主人さま」
途端、シャレムはべしっと顔面に小さな平手をくらった。
「ふ」
キャスが破顔する。楽しげに「くっくっ」と笑って言った。
「手の早い主人だが、まあ末永くよろしく頼む」
次話は、犬と主人 の巻。そしてはじまる犬の特訓。
拙宅安芸物語 Hallowe'en仕様中。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。




