十四 告白・3
ダリアン登場。
注)女性です。
「……ダリアン博士から聞いていないのか?」
「はい」
視界の隅に映ったものに気を惹かれてよく見渡せば、中庭のいたるところに立て看板がある。
あれはなんだろう。
「いつまでもそんなところに突っ立ってないで下りてきたらどうだい、ミレ」
「博士」
学徒服姿のダリアンが不遜な表情を浮かべて舞台の真下に立っていた。
「ほら、おいで」
無造作に両腕を開かれる。階段は向こうだが、ミレは行儀の悪さも承知でダリアンの胸に飛び込む形で首に腕を投げかけ、抱き下ろされた。
「なんとまあ、かわいくなったものだ。ごらんよ、まわりの男どもの物欲しそうなこと。皆、君に声をかけたくて眼の色を変えている」
「どちらかというと私が博士と仲がいいので嫉妬されているのだと思います」
「うん、まあそれもある」
ダリアンはミレの肩に腕をまわしたままテクテクと歩きだした。ダリアンを取り囲んでいた人垣がおもしろいように二つに割れていく。それでいてゾロゾロとあとをくっついてくるのだから、まるでアヒルの行列のようだ。
もっとも近くにあった立て看板の前でダリアンは足を止めた。
ミレはそれを見上げた。四隅を留められ張られているものは、算数術の問題だ。一番下に署名と所属会名が記されている。
「君以外のシーズディリ学者からの挑戦状さ。私の問題もあるからあとで探して解いてごらん。正解だったらご褒美をあげよう」
「すごく楽しみです」
ミレが眼を輝かせるとダリアンはニヤッと笑って続きを言った。
「単なる余興だから軽い気持ちで楽しめばいい。それよりも、午後から行われる無礼講論戦大会の方が重要だ」
「無礼講……論戦大会って、なんですか」
「位階も所属会も関係なく、0首飾りを持っていれば誰でもなんでも自由に参加し、独自の論戦で勝負する。負けた方は0首飾りを差し出し参加資格を失う。制限時間内にどれだけ多くの首飾りを手にすることができるかを競うんだ。最終的にもっとも多くの首飾りを集めた二人で最終決戦を行う」
「面白そうです」
「最後の論戦課題は秀逸だぞ。ぜひ君に論破してもらいたいね。時間内に決着がつかない場合は、審査員六名の投票になる。それでも決着がつかない場合は引き分け優勝だ。私は君の師ということで審査員のひとりに指名されたから、予選には参加できないが……愛弟子の勇姿を楽しみにしてるよ」
「はい」
俄然、やる気が湧いてきた。
「ちなみに優勝賞品は聖学者シーズディリ・ラズリ・フレイ博士のダウチ数理論理学の初期論文だ。見たいだろう?」
「見たいです」
喉から手が出るほど見てみたい。
これは本当に勝つしかない。
「副賞は、アーティス殿下による向こう十年間の研究費の援助。いやはや、太っ腹ですね、殿下」
「……ミレへの誕生日祝いだからな、それぐらいはする」
思いがけず近くからアーティスの声が聞こえてミレはビクッとした。
肩越しに振り向くと、料理を取り分けた皿を片手に不機嫌面のアーティスが佇んでいた。
ダリアンがニヤニヤしながらミレの耳に顔を近づけて囁く。
「今日の催しは君を喜ばせたいがためにアーティス殿下が一から企画したものなんだ。算数術会の本部に多額の寄付もいただいたし、年間の研究費用も一部賄ってくれるとの仰せでね、上層部の理事会連中もホクホクして全面協力を申し出たのさ」
「まさか会員の九割が男性研究者だとは思わなかったからな」
アーティスが苦々しい顔でぼやきながら、たっぷりと料理を盛った皿を銀のフォークを添えてミレとダリアンに勧めてくる。
ただの威嚇ではすまなさそうな嫉妬に狂った眼で周囲を睨み、明らかに牽制しながら、アーティスは恐ろしいひとりごとをブツブツこぼした。
「君に色目を使う奴らなどひとり残らず犬をけしかけて引き摺り倒してやる。いっそ二度と近寄れないよう足の腱を切るのもいいな。そうだ、眼潰しや喉潰しも有効か……」
物騒すぎる。
たちまち怖くなってミレはごちそうをいただきながらダリアンの背にコソッと隠れた。
これを目撃したアーティスはおもむろに凄んで言った。
「待ちなさい。なにも君を罰しようと言っているわけじゃない。私から逃げることはないだろう」
「逃げていません」
「隠れる必要もあるまい」
「怖いひとは苦手です」
ミレがポツリとそう言うとアーティスの態度は劇的に変化した。
眼から険を払いのけ、眉尻を下げて焦った弁明をする。
「こ、怖くない、怖くないぞ。私は怖くない。わかった、そうだな、君の学術仲間だからな、今日だけは大目に見よう。君に度を越した振る舞いをしなければよしとする。犬もけしかけない。暗殺者も差し向けない。それでいいだろう」
いま暗殺者と言ったのか。
つくづく、腹黒い。やはり怖い。キャスと同類なのだ。
だが……。
「私は怖くない。だから……君の傍にいてもいいだろう……?」
声を小さくして、おずおずとミレの顔色を窺うアーティスはカッセラーの精華とまで謳われた貴公子とは思えない残念さだ。
ダリアンなどアーティスのダメさ加減に腹を抱えてゲラゲラと大笑いしている。
「……傍にいなくても別にいいです。見ていてくだされば、それで……」
「え」
「勝ち抜けられるよう頑張りますので、あそこから見ていてください」
ミレが壇上に眼を向け、ついで精一杯の努力を要して小さく笑いかけると、アーティスは次の瞬間にカーッと首まで真っ赤になった。
「わ、わ、わ、わかった。お、お、お、応援、している。が、頑張り、たまえ」
風が吹いてアーティスの髪を梳き上げた。シャレムを体当たりで守ってくれたときの額の傷痕があらわになり、ミレはドキンとした。
一瞬で心が乱される。
何度眼にしても慣れないのだ。そのたびにドキドキしてしまう。
ミレは俯き、短く頷いて見せた。
「はい」
「よーし、よく言った。それでこそ私の愛弟子だ。存分に戦ってきなさい」
笑いをおさめてダリアンがハッパをかけてくる。
ぎくしゃくと調子の狂った様子でアーティスが去ったあと、それまでミレに話しかけたくても話しかけられずにいた多くの同胞が殺到した。
しばらく揉みくちゃにされる。
それでも話題の大半は算数術に関するもので、ミレはあちこちの天幕に用意された料理をモリモリと頬張りつつ、大勢と一緒に看板巡りをし、意見をぶつけ合った。どの問題もシーズディリの称号を冠する学者が作成しただけあって手応え抜群、なかなかの難物で、議論は沸騰した。
それがまた面白い。しばらく算数術の世界からは遠ざかっていたのでこうしたやりとりとも久しぶりであり、喧々囂々、だいぶ白熱した。
そこへ、
「ミレ殿」
呼びかけに振り返ると、ユアンが小さな白い花束を手に立っていた。
ようやく、次話、ユアンの出番です。
どうも進み具合が遅い……このままだとあと5話では収束できないような……。
ちょっとだけ延びたら、すみません。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。




