十三 告白・2
……あれ?
おかしいな、ダリアンが出てきません。
すみません、出番持ち越しです。
斜め向かいにいた聖職者が、窓の外へ顎をしゃくる。ミレは窓辺に寄って外を見た。
「……」
驚いた。
王宮の中庭が見慣れた恰好の人間で溢れている。濃紺の学徒服姿、濃紺の四角い制帽、胸元には位階を示す色違いの飾り房。算数術に生涯を捧げた仲間達だ。
「アーティス殿下のご招待ですよ」
「どうして」
「さぁ。直接お伺いしてみては?」
それもそうだ。
「……」
理由はともかく、嬉しい。
あの中にダリアン博士もいるのだろう。
「そうだ、あの首飾り」
忘れるところだった。昨日ダリアンから手渡された0の首飾りを取りに行く。
合わせて物入れに大商人と闇騎士からもらった巾着と短剣を収める。聖職者のくれた首飾りは迷った末に外さず、ドレスの下に隠した。
「ありがとう、ございます」
ミレは遅ればせながら頭を下げ、皆にお礼を言った。
なんだか胸が温かい。
どうしよう、わくわくしてきた。
自分の誕生日を楽しみに思うなんてはじめてのことかもしれない。
「これはビスカ特製の贈り物です」
と、ビスカはにっこり笑いながらミレの口になにか含ませた。
舌の上でまろやかにとろける。絶妙な甘さだ。
「魔法のキャラメルです。食べると元気になります。おまけに勇気が出るんです。きっと、姫さまの心を溶かしてお役に立ちますよ!」
本当にそうだったらいい。
ミレはもぐもぐしながらユアンとアーティス、そしてキャスのことを考えた。
話せばわかりあえるとは思わない。
だが話さなければ余計にわかりあえないだろう。
「……」
正直、面倒くさい。
おまけに、人間に興味がなかったせいで、ひとづきあいというものをまともにしてこなかったため、ひとに自分の心を言葉にして伝えることはあまり得意じゃない。むしろ苦手だ。
「……」
だけど……いま退くのは間違っている気がする。
たとえキャスの命が正しくても、いつものようにただ従う気になれないのは、心を動かされたからだ。
いつも通りに振る舞えないほど、なにかがおかしくなってしまった。
でも……ダメだと言われても、消えない感情はどうしたらいいのだろう。
キャスに抗っていいことなんてない。絶対に、ない。それはわかっている。この世で一番怖いひとなのだから。だけどそれでも。
「……」
それでも、伝えたい気持ちがある。
……まさかこんなふうになるなんて思いもしなかったけれど。
ソワソワして、ドキドキして、ワクワクする、不思議な感じ。
ミレはシャレムを見た。やや怒っているような、不安そうな、それでいて困ったような、苦しそうな、煮え切らない表情をしている。
たぶんミレ自身も同じような顔をしているのだろう。
怖いけど、向き合わなければならない。
こんな欲求ははじめてで、身体の奥から湧く熱にのぼせそうだ。
ミレは昂る気を鎮めるように深呼吸し、手袋に包まれたシャレムの手を握った。
「行こうか」
ミレがちょっと微笑みかけると、シャレムの瞳が明るくなった。
「うんっ」
ビスカが楚々として道を開ける。なぜか手には鉄扇が握られていた。
「参りましょう、姫さま。お供いたしますわ」
大商人、闇騎士、芸術家、聖職者も無言で従う。なにか大きな壁に挑むようなぴりっとした緊張感に包まれたまま、全員でミレを囲うように部屋を出た。
ミレが中庭に到着すると同時に大勢の拍手に迎えられた。
「おめでとう」
「おめでとう、シーズディリ・ミレ博士」
温かな祝いの言葉が降る。
花吹雪が舞う。
向けられる笑顔にはじめはぎこちなく、ややあって自然に笑えるようになり、挨拶と会釈を繰り返して、中庭の中央に近づいた。
そこには芝居ができるくらいの立派な舞台が設営され、脇に階段が据え付けられていた。舞台上には半円の円卓と六つの席、算数術会の紺と白の0旗が高々と掲揚され、大きな赤い花輪が飾られている。
「ミレ殿」
呼びかけられ、視線を上げた先にいたのは太陽を背にしたアーティスだ。
白い貴族服に白い靴、宝飾品などは身につけていないのにキラキラと光って見える。
ただ微笑んでいるだけなのに、胸が苦しくなるほど眩しい。
「こちらにおいで」
壇上から、淡い金髪を風にたなびかせ碧眼を優しく和らげながら、アーティスはミレを手招いた。ものすごく注目が集まる。
困った。
傍に行きたいのに行きたくない。
向き合うと決めたはずなのに早くもくじけそうだ。
本意ではなかったのだが、ミレはやや血の気の引いた顔でじりっと一歩後退した。すぐにアーティスの微笑が冷気を帯びて般若の様相を醸し出す。
「ミ・レ。――早く来なさい」
ドキドキがぞわっと悪寒に変わる。
有無を言わさぬ声にミレは渋々従った。シャレムと繋いでいた手を離し、「待て」と命じて犬を残し、ドレスの裾を引きながら階段を上る。
アーティスのキラキラオーラにやられない距離を保って立ち止まったところ、睨まれた。
「もっと私の近くに」
「嫌です」
「どうして」
「どうしてもです」
虚勢を張り、ツン、としてミレは答えた。内心は汗だくだ。
これ以上、近寄るなんて無理。
窒息してしまう。
「……」
「……」
だがミレの反発をアーティスは許さず、つかつかと傍にやってきて強引に肩を抱かれ舞台中央まで引き摺ってこられた。
「は、離してください」
「嫌だ。見ろ、私の晴天祈願が利いたのか上天気じゃないか。よかったな」
爽やかで屈託ないアーティスの笑顔はミレの思考をマヒさせた。無表情のまま、ギシッと音を立てて固まってしまう。
なんでこんなに、どうしようもなく恥ずかしいんだろう。
顔が近くて、それだけでもういっぱいいっぱいなのに、肩にのる手の大きさや温かさ、視線の甘さを意識してしまえばもうまともな対応など不可能だ。
「……ミレ? どうかしたのか」
なにか言わなければ。
だが口を衝いて出た言葉といえば。
「……どうもしません」
愛想がないことこの上ない。
呆れられるかと思いきや、アーティスはクスッと笑って、「しょうがない奴だ」と呟き、くしゃっとミレの頭を撫ぜた。
「十七歳の誕生日おめでとう」
心から祝ってくれているのがわかるほど優しい微笑を浮かべている。
「生まれてきてくれて、ありがとう……」
感動で胸が震えた。
どうしよう。
泣きそうだ。
進退きわまり、もう涙腺がもたない――という間際、
「おめでとう」
「おめでとう、シーズディリ・ミレ博士」
と、連なる大唱和と一際大きな拍手に包まれた。その迫力に圧倒され、涙が引っ込んだ。安堵する。誰がブサイクな泣き顔など見られたいものか。
そこへアーティスとまったく同じ衣装で身なりを整えたユアンと、飲み物を載せた金の盆を抱えたヴィトリーがやってきて、二人に白金の酒を注いだ細い柄のグラスを差し出した。
「兄上、乾杯を」
「そうだな」
ユアンからグラスを受け取り、アーティスはミレを促して招待客の方を向いた。
「ミレ殿の健やかなるさいわいを願い、乾杯!」
「乾杯!」
わあっと歓声が上がる。
ミレはアーティスとユアンへ交互にぎこちなくグラスを持ち上げてみせ、コクコク飲んだ。甘いのに喉ごしはすっきりした軽い果実酒だ。
「おいしいです」
「好きなだけ飲みなさい、と言いたいところだがあまり酒が過ぎるとゲームに差し支えがあるんじゃないか?」
ミレは首を傾げた。
「ゲーム?」
予定した場面まで到達できず、やむなくUP。
近々、続きを更新します。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。




