十一 なにかおかしい・6
どうにも、ままなりません。
……ユアン殿下?
ミレは拍子抜けしてしまった。
結婚話そのものは意外でもなんでもない。
キャスから前々より「おまえの結婚相手は私が決める」と言い聞かされていたからだ。
ただ、「それを認めるか否かは、おまえしだいだよ」と選択の余地も与えられていた。
……異存?
正直、面食らった。まっすぐで正直なユアンは父キャスの眼にかなう相手ではないと思っていた。年齢も離れていたし、結婚候補の筆頭に立つなど考えもしなかった。
ミレの戸惑いを見て、キャスが指を動かし「来い」という所作をすると聖職者、闇騎士、大商人、芸術家がキャスの左右に立ち並んだ。
全員キャスが傍にいるためか、普段の茫洋とした雰囲気をきれいに消し去って、それぞれがそれぞれに他を凌駕する殺伐とした空気を放っていた。
彼らを完全に従えて、キャスが低くよく通る声で言った。
「ここにいる者は私が選んだ男達だ。いずれも魅力、能力、共に遜色なく甲乙つけがたい腕を持っている。皆、おまえの夫となるに相応しい。もしユアン殿下ではなく彼らの中から選びたいというのであれば、私はそれでもかまわない。誰か、指名したい男はいるかね?」
この中にはいない。
無意識のうちにそう考えたことに、ミレはびっくりした。
心の中を覗くまでもない。答えはとうに出ていたのだ。
だが、
「ああそうだ。断っておくが、アーティス殿下はいけないよ」
突然冷水を浴びせられたようだ。
ミレはびくりとして、キャスに視線を跳ね上げた。
キャスの顔にも声にも変化は見られない。それなのに俄かに怖気に襲われた。
これは、怒りだ。
冷たい怒り。キャスが怒っている。
ぞっとするほど冷たい微笑を浮かべたまま、キャスは続けた。
「実のところ、私はアーティス殿下を高く買っていたのだよ。若さに似合わぬ決断力、判断力、行動力、そして統治力。適応力も指揮力も洞察力も抜きん出ている。他者を惹きつけ従える魅力は天性のものだろうな」
たいした褒めちぎりようだ。
それだけに、怒り心頭という眼が怖い。
「所詮、箱入り育ちだと高をくくり、見くびっていたと思い知らされたときは嬉しかったよ。これでおまえにとって最高の夫候補を見つけたと、心底喜んだほどだ」
キャスは一拍間をおいた。眼から怒りの炎が冷めていく。
自嘲気味に嗤い、肩で嘆息すると、キャスは髪を掻きあげ言った。
「だが失望した」
「失望?」
ミレは鸚鵡返しに訊ねた。
「おまえの犬を助けただろう。それも捨て身で。地位も身分も未来もある身でありながら、たかが犬ごときのために命を危険にさらすような真似をするとは、愚の骨頂。私はバカは嫌いだ」
心底くだらなさそうにキャスが吐き捨てる。
ミレは食い下がった。
「でもおかげでシャレムは助かりました」
キャスは冷酷な一瞥をミレにくれた。
「だからどうだと? まさか、アーティス殿下を選ぶというのかね? この私がダメだと言っているのに?」
選ぶ?
アーティス殿下を?
キャスの反対を押し切って?
ミレは無表情になった。それは途方もなく無謀なことのように思えた。
物心ついてからよりこちら、キャスに逆らったことなどない。それでよかったのだ。母を亡くしてからというもの、ずっとそうして二人でうまくやってきた。きっとこれからもそうだろう。
キャスの判断に間違いはない。今回もおそらく。
だいたい、結婚は父の決めた相手とする、そう言ったのは他でもない自分だ。
ミレは口を結び、眼をきつく閉じて、肩をそびやかして首を竦めた。
……息が苦しいのも、胸が痛いのも、いまだけだ。
頭ではキャスに逆らえるわけがないと、わかっているのに。
わかっていても、尚。
ムダな抵抗だ。
だがそれでも、どうしても、ミレは「ユアンを選ぶ」と言えなかった。
その夜、ミレが就寝の支度を全部済ませ、あとは寝るだけという時分に、突然アーティスが部屋を訪ねてきた。
「夜分遅くにすまない」
普段であれば夜の訪問者などビスカが取り次がない。
そのビスカは他四名の求婚者達と共にキャスに呼ばれたまま、まだ戻って来ない。部屋にはミレとシャレムの二人だけで、会話もなく、ただ無為に時間を過ごしていただけだ。
ノックに応じて扉を開けたシャレムも、いい顔はしなかった。苦み走った表情で「ご主人さま」とミレを呼び、ぐずぐずしながらも訪問者を中に通した。
ミレはソファの上で膝を抱えて蹲っていたのだが、入ってきた人物を見て固まった。
「ミレ」
アーティスだった。
手になにか大きな荷物を下げている。
「夜分遅くにすまない」
同じセリフを繰り返して、アーティスは持ってきたものを丸テーブルの上へ慎重に置いた。
「こんな時間に女性の部屋を訪ねるなんて非常識だし、迷惑かとも考えたのだが……どうしても早く君に渡したくて、つい」
「……なんですか?」
「ここへきて、自分で見てくれないか」
心なしか、アーティスは得意げだ。
ミレは寝間着であることに羞恥を覚えながらも、好奇心に負けた。
髪を下ろしてまったくの素顔でいることが気恥ずかしく、できるだけアーティスの方を見ないようにしてテーブルに近づき、上にかかっていた布をそっと取り除く。
「……」
びっくりした。
オウムだ。それもドナにとてもよく似ている。黄緑色の羽に青い嘴が鮮やかだ。
眼をぱちくりさせたミレのすぐ傍に佇み、ミレを見つめながらアーティスが微笑んだ。
「十七歳おめでとう、ミレ」
アーティスは指で眼の横を掻いた。
「少し早いが、明日は朝から忙しいだろうし、なにより私が一番先に、君にお祝いを言いたくて……あの、ミレ?」
ミレが無反応でいることに焦れたのか、或いは不安になったのか、アーティスが気を揉んだようにビクビクしはじめた。
「もしかして、気に入らないか? 君はよく私の鳥の面倒をみてかわいがってくれているようだったから、同じ品種の似た鳥を探したんだが――やはりドレスや宝石の方がよかったか?」
ミレは首を横に振った。
「いいえ、嬉しいです」
「無理しなくても、気に入らなければ私が飼うから――」
「本当に嬉しいです。かわいい……」
ミレがうっとりとしたのも束の間、オウムは急に明るくなったために興奮し、ギャアギャアと騒ぎ立てた。慌てて二人で布をかけ直すと、暗闇に安心したのかやがて静かになる。
ホッと一息ついて、視線を交える。
「……ありがとうございます」
ミレが笑いかけると、アーティスは途端にぎくしゃくした。顔を喜悦に紅潮させ、照れくさそうにしながら後退する。
「いや、その、喜んでもらえてよかった。じゃあ、私はこれで――」
アーティスが踵を返した。
ミレは咄嗟にアーティスの服の裾をはしっと掴んだ。
「え? ミ、ミレ?」
動揺と驚きに眼を瞬かせるアーティスにミレはなにか言おうとした。
「……」
だが、言葉を探しあぐねた。おまけに勢いで引き止めてみたものの、どんな顔をすればいいのかさえ、わからない。
自分の気持ちのありように苛まれる。
手を伸ばせば手は届き、声をかければ声も届く。
だけど心が届くのか、そもそも心を届けてどうなるというのか。
「ミレ……?」
泣きたい。
でも涙は見せたくない。
どうしたいのかはわかるのに、どうすればいいのかはわからなくて。
ミレは生まれてはじめて心の底から途方に暮れた。
次よりラスト・エピソード。
ミレの誕生日パーティがはじまります。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。




