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迷惑な溺愛者  作者: 安芸
第四章 王子殿下の花嫁
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九 なにかおかしい・4

 おかしいのはひとりだけではありません。

  

     三



 エントランスのシャンデリアが落下する事故から数週間が経過し、いつのまにか晩夏を迎えていた。

 夏の花の盛りが過ぎて、陽の光もだいぶ和らいだ。空は高く青く澄み、夏の名残りをとどめた風もどことなく秋を感じさせる。

 表向き、ミレの宮廷生活に大きな変化は見られなかった。

 時間を見計らいアーティスの愛鳥ドナの世話をしつつ、午前はたいてい屋外でゴロゴロと気ままに過ごし、午後はユアンを訪問する。

 宮廷人との交流はほぼないにひとしく、たまにアーティスに遠乗りやお茶に誘われて外出することを除けば、単調な毎日だ。

 そのはずなのに。



 ちっとも落ちつかない。

 ミレは白樺林の片隅で木の根もとに座り、背中を幹に預けながら空を見上げてぼーっとしていた。隣には同じく前に足を投げ出した恰好でシャレムがいる。

 視界の隅で敷物を広げ、ぺちゃくちゃ喋っているのは最近めっきり忙しそうな大商人と『お仕事』から帰還したばかりのビスカ。

 斜め向かいでは眉間に皺を寄せた難しい顔つきの芸術家が絵筆を握り、ミレとシャレムを黙々とスケッチしている。

 背後からは聖職者と闇騎士が鍛練と称して刃を交える鋼の音が絶えず聞こえてくる。


「……」

「……」


 ミレは「はー」と溜め息をつく。

 シャレムも「はー」と溜め息をつく。


「……」

「……」


 どちらともなく互いに寄りかかる。

 頭上では若干色あせた白樺の梢がさわさわと涼しげに揺れている。


 ……このところずっと、気が晴れない。


 気がつけば眼がアーティスを探している。

 そのくせ会えば会ったで逃げ出したくなる。

 声をかけられると息がつまり、笑いかけられると反応に困り果てる。

 それなのに長く顔を見ないでいるとなにか物足りない……。


 おかしい。


 ミレはぎゅっと眼を瞑った。

 先日あった出来事を思い出す。

 中庭の散策中、ばったりアーティスと遭遇した。彼は何人もの美しい女性たちと一緒に歓談しているところで、ミレを見つけると軽く手を上げて挨拶の声をかけてきた。

 だがミレは、即座に回れ右して走って逃げた。

 なにも逃げる必要などなく、挨拶して去ればいいだけのことだったのに、そうできなかった。胸が痛くて、苦しくて、なにも考えられず、一目散に逃げたのだ。


 どう考えても、おかしい。


 ミレはいっそうシャレムに凭れかかり、手を探って縋るように力を込めて握る。と、すぐに握り返された。虚ろな視線を向けると、シャレムも元気のない、切羽詰まったような眼でミレを見返してきた。


「ご主人さま」


 逡巡しながらシャレムが呟く。


「……僕、ちょっと変かも」


 言われなくても、わかってる。

 シャンデリアの事故以来、シャレムはアーティスを敬遠するようになっていた。

 と言っても、冷たくあたるようになったわけではなく、むしろその逆で、アーティスに対して強く出られなくなったようなのだ。

 以前は王族という身分がものをいって、従わざるを得なかった。

 いまはただ、逆らえずにいる。

 少し前なら確実にアーティスの接近を阻んでいたのに、いまでは彼がミレの前に姿を現わすと、シャレムは尻尾を垂れた犬のごとく一歩下がって脇に控える。

 たまたまその現場を目の当たりにした大商人が仰天し、指摘すると、シャレムは自分でもびっくりしてすっかり混乱し、わけがわからないいいわけを並べ立てる始末だった。

 そしてあの一件以来、シャレムはアーティスの身辺を異様に気にかけるようになった。


「僕はご主人さまの犬なのに。他の奴に従うなんて反吐が出るくらい嫌なのに。なのに……なのに……どうしてかな、僕……僕は……」


 シャレムが泣きべそをかく。

 ミレはシャレムの頭を抱き寄せて「よしよし」と優しく撫でた。


「……」


 ミレにはシャレムの焦燥と葛藤と困惑が理解できた。

 シャレムは国家の(ダベル・ダラス)だ。主人の(めい)に従い、他のなにものも許容しないことが大原則で、主人以外の第三者の身を懸念するなど問題外だ。

 それでもシャレムがアーティスを邪険にできなくなってしまったのは、命がけで救われたからだろう。

 命には命をもって恩を返す。

 シャレムはそう考えているに違いない。


「大丈夫だよ」


 ミレはシャレムを抱き締め、背中をポンポンと叩いて慰めた。


「大丈夫」


 さいわいアーティスは王族だ。もとより歯向かってはいけないばかりか、シャレムの立場上、主人と同等の庇護責任が発生する。

 シャレムがたてつけない相手が王子殿下であったことは幸運とみるべきだろう。さもなければ、シャレムが殺処分の対象になっていたところだ。

 国家の(ダベル・ダラス)は、原則、主人を除いて殺せない人間をつくってはならない。

 ゆえに孤独であることを強いられる。

 誰も寄せつけず、ただ主人にのみ寄り添う。

 ひとの好意には無縁。

 そうあるべきであったし、そうあらねばならない身の上だ。

 それが首輪をつける犬の宿命であり、罰であり、罪滅ぼしとなる。


 ――国家犯罪人であるシャレムを、我が身を犠牲にして救う者などいるわけがない。


 自分と父キャスの他には、誰も。ミレはそう思っていた。

 だが、いた。

 まさに青天の霹靂とはこのことだ。

 そのくらいの大事だった。シャレムが多少変になるのも無理のないことだと思う。ミレでさえ十分おかしくなっているのだ、当の本人がなにごともなかったかのように無視できるわけがない。


「……」


 ミレの脳裡に「迷惑か?」と訊ねられたときのアーティスの背中が思い浮かぶ。

 あのときは答えられなかったけれど、口にできなかっただけで、返事に迷ったわけではない。


「……」


 どうしよう。

 もしかして、この気持ちは……。


 ミレが思いきって自分の心の中を覗き込もうとしたそのときだ。


「姫さま、キャス様がお見えになりました」


 ビスカの知らせにミレははっとした。シャレムもむくりと顔を起こす。

 前方に、悠然とした足取りでこちらに向かって来る父キャスを見つけた。驚いたことに、ダリアンとユアンも一緒だ。

 珍しい顔ぶれだ。

 そう怪訝に思いながらも、ミレはにこっと顔をほころばせて立ち上がった。


 ユアン、登場するも次話へ出番持ち越し。

 &父と師。なんだか不穏な面子です。

 

 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。

 

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