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迷惑な溺愛者  作者: 安芸
第四章 王子殿下の花嫁
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八 なにかおかしい・3

 アーティス、起きました。

 アーティスが眼を醒ましたのは翌朝だった。

 青白い瞼がピクリと痙攣し、低い唸り声が歯の隙間より漏れた。身動ぎしようとして、苦痛に呻く。まだ眼は開かない。


「ソーヴェ」

「ここに」


 ベッドを挟み向こう側にいたソーヴェが畏まって囁く。


「シャレムは無事か」

「はい」

「ミレは」

「傷ひとつありません」

「そうか、よかった」


 アーティスはおもむろに安堵の息をつく。


「念のため様子を見てきてくれ。見舞いとでもなんでも口実をつけて、なにか甘い菓子でも持って訪ねれば断られまい。ああ、菓子は多めに用意しろ。ミレは見た目よりよく食べるからな、そのほうがいい」

「殿下」

「くそっ、頭が割れるようだ……」

「鎮痛剤を」

「いらん。それより手を貸せ、起きる。すぐに未読分の閣議記録を持ってこい。未決済の書類もまとめて運べ。予定していた面会は明日以降に延期しろ」

「殿下」

「今日の政策会議は欠席する。書記官だけ出席させろ。昼食会と夜会は都合が悪くなったと断れ。孤児院の施設訪問はひとまず代理の者をたて子供達用の菓子と寄付金を持参させるように手配しろ。施設長には一筆したためる。お前が代筆しろ。紙とペンを――」

「アーティス」


 まったく口を挟めないことに痺れを切らしたソーヴェが押しの強い声で名を呼び捨てる(ただの臣下には許されないことだ)。


「なんだ」

「眼を開けて、右を見て」

「右?」


 鈍重な動きで瞼が持ち上がり、全身打撲のための激痛に顔を顰めながらゆっくりとアーティスの首がミレの方を向いた。

 ばっちり眼が合う。


「ミ、ミレっ!?」


 アーティスは素っ頓狂な叫び声を上げながら飛び起きようとして失敗し、ベッドから転げ落ちた。絶叫こそ漏らさなかったものの、相当痛いらしく、涙目で身悶えしている。


「大丈夫ですか」

「慌てすぎですよ、まったく。ほら、おとなしくしてください」


 ソーヴェは床に丸まって激痛に耐えているアーティスを荷物でも拾うように持ち上げてベッドに戻した。

 文句の言いたそうな眼で側近を睨みつつ、アーティスは体裁を取り繕おうと必死だ。

 一方のソーヴェはアーティスの無言の抵抗など知らんふりで身体を仰向けに手足を伸ばし横たわらせ、頭を枕にのせて、胸に薄い上掛けをかけた。そして慇懃無礼な態度で一礼し、部屋を出て行く。

 アーティスは側近がいなくなったあとも憤慨していたが長くは続かなかった。首を右に倒し、碧眼を細める。感に堪えないという表情だ。顔に穴があくくらい、じっと見つめられる。


「ずっと傍についていてくれたのか」


「はい」と答えようとして、ミレの喉が詰まる。

 どうしたのだろう。声が出ない。


「そうか」


 アーティスの口元がほころぶ。やわらかい微笑は子供のようにあどけない。


「……ありがとう」


 照れ臭そうに、だが嬉しそうに弾んだ声は、なぜだかミレをひどく動揺させた。

 ぱっ、と視線を外す。


「……お礼を申し上げるのは私の方です」


 動悸が速い。

 緊張しているのだ、と遅ればせながら気づく。

 ミレは無意識のうちに身体を硬くしていた。面と向かえない。礼をするなら、きちんと眼を見てするのが礼儀だ。

 なのにアーティスの顔が見られない。

 仕方なく、そのままの姿勢でぺこりと頭を下げた。


「シャレムを助けていただいてありがとうございました」

「い、いや、礼を言われるほどたいしたことはしていない」

「でも、怪我を」


 額を十七針も縫う深い傷だ。痕も残るらしい。

 ミレが詫びると、アーティスはこともなげに言った。


「私は気にしない。それより君がこうして私の傍にいてくれたことの方が重要だ」


 思わず振り返った。

 アーティスは頬を上気させ、しあわせそうににやけている。


「嬉しいよ」


 ドキッとした。

 アーティスの眼が甘く輝いてミレをまっすぐに凝視している。

 注がれるまなざしの優しさにたじろぎながら、ミレは訊ねた。


「なにがですか」

「君が私を気にかけてくれたことが嬉しい」


 とろけそうな笑顔を向けられて、ミレはじっとしていられなくなり椅子から立ち上がった。思わず反論する。


「だって、シャレムを――私の犬を庇って怪我をされたんです。気にかけるのは当然でしょう」

「それでも嬉しい。呆れるだろう? でもこれが私の本音だ。まいったな、笑いが止まらない……。見ないでくれ、恥ずかしいから」


 赤面して俯くアーティスは、さきほどまでとは別人だ。

 意識を回復するなり仕事を要求し、ソーヴェに矢継ぎ早に指示を与えていた冷徹さは欠片もない。

 いまのアーティスは隙だらけだ。

 ミレは一晩考えてもわからなかった疑問を口にした。


「……あなたがどうしてシャレムを助けてくれたんですか」


 アーティスから返ってきた答えはミレの胸を直撃した。


「君の大事な(もの)だろう。だからだ」


 アーティスはきまり悪そうに眼を泳がせながら、もごもごと続ける。


「君の大切なものは私が守る。いいだろう、いけないか。いや、ダメと言われても困るからなにも言うな。私は聞く耳持たんぞ」


 そしていきなりふてくされたようにムスッとして口を横に結び、「あいたたた」とか「うう」とか「ぐっ」とか呻き、のたうちつつ、寝がえりを打ってミレに背中を向けた。

 アーティスが心許なさそうに、ぼそっと呟く。


「……迷惑か?」


 ミレは答えられなかった。


 感想、メッセ、ありがとうございます!

 うれしいです。


 次話、久々のユアン登場。

 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。

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