六 叱られました
沈黙は、手抜きではありません。
五
「殿下、ミレ殿をお連れ致しました」
「入れ」
扉の向こうより、ユアンの甲高い声の応答がある。
ヴィトリーが、こそっとミレの耳に忠告を囁いた。
「……少々、ご機嫌斜めのご様子。どうぞお気をつけて」
ミレは一応頷いておいた。
他にどうするすべもない。
「そこに座れ」
指示に従う。示されたのは、昨日と同じく寝台傍の椅子だ。
そしてユアンは寝台の背凭れ部分に寄りかかり、妙にふてぶてしい態度で本を読んでいる。
「……」
「……」
長い間。
ユアンが頁をめくる。
「……」
「……」
長い間。
ユアンがまた頁をめくる。
「……」
「……」
そのまま。
一時間、二時間、三時間経過……。
いきなり、ユアンがぶち切れた。
「いいかげんにしろよ、おまえっ」
壁際で立ったまま居眠りしていたヴィトリーがビクッとして姿勢を正す。
ミレは眼をしばたたかせた。
「はい」
「『はい』ではない! なぜうんともすんとも言わぬのだ! おまえは私の話し相手なのだろう。それなのに何時間も何時間も何時間も黙りこくって――一昨日といい、昨日といい、今日といい、なんなのだ、おまえはっ!?」
ミレは淡々と答えた。
「殿下が黙っておられるので黙っていました」
「……」
「殿下が黙っておられるので黙っていました」
「ええい、二度繰り返さずともちゃんと聞こえている」
「そうですか」
ユアンは眉間を指で押さえた。
大人びたしぐさも様になっている。
「……つまりおまえは、私が話しかけてはじめて返事をするというのか?」
「はい」
「真逆だろっ」
ユアンは乱暴に本を閉じて、邪魔そうに放り捨てた。
ミレはすぐ席を立ち、本を拾い、装丁をきちんと払って両手で差し出した。
ユアンは見向きもしない。
癇癪を起して燃える眼でミレをじっと睨んでいる。
ややあって言った。
「……おまえは『話し相手』の仕事の基本がなにもわかっていないのだな。いいだろう、こうなったら、私が自ら教えてやる」
ヴィトリーが焦って口を挟む。
「殿下、それではお立場がありません。それこそ本末転倒というもの――」
「うるさいっ」
ユアンはヴィトリーを一言で黙らせるとミレに質した。
「返事は!」
「わかりません」
「ぶぶーっ!」
「ヴィトリー!」
「はっ、はいいっ。決して、爆笑してなどおりませんっ!」
ミレは真面目に答えたつもりだったが、ユアンはそうと受け取らなかったらしく、激怒している。
「ふざけているだろ」
「いいえ。ただ」
ミレは俯き、首をすくめた。
「『はい』と『いいえ』のどちらが正しいお返事なのか、わかりません」
「……っ。王子である私への返事はすべて『はい』に決まっている」
ミレはそういうものか、と納得し、素直に「はい」と答えた。
ようやくユアンは満足そうな、胸のすいた表情を浮かべた。
ユアンは口うるさくていけないが、意外に親切なのかもしれない。
話し相手の基本というものがあるならば、それはぜひ教えてもらおう。と、ミレは思った。
ようやく少し気が落ち着いたのか、ユアンはミレが差し出したままの本を受け取って脇に置いた。
「では明日からは、いちいち私に呼ばれなくても毎日ここへ来い」
ミレはコクリと首を縦に振った。
「わかりました」
そこでふと、ユアンが顔を曇らせた。眼が一点に吸い寄せられている。
「……その赤い痣はなんだ?」
指さされたのは、首筋。
ミレは昨日アーティスに押し倒されたことを思い出して不快になった。
「吸われたのです」
途端にユアンは顔を険しくした。
「相手は誰だ」
「殿下の兄君です」
ミレの陰気な返答にユアンが驚愕し、眼を大きく瞠った。
こんばんは、安芸です。
現実逃避からはじめた迷惑~でしたが、この一週間、楽しかったです。びっくりするくらい大勢の方にお付き合いいただけて、光栄です。ありがとうございます。
そろそろ、愛してる~の原稿に戻ります。一週間お休みした分、頑張らないと。
迷惑~は次話、兄編です。更新できるときにかけます。気が向いたときにでも覗いてみてください。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。