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迷惑な溺愛者  作者: 安芸
第四章 王子殿下の花嫁
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四 会いたくない・4

 続きます。



 偶然がアーティスに味方したのは、それから四日後のことだった。

 廊下の曲がり角でばったりとミレに遭遇したのだ。


「あ」


 と、ミレが大きく眼を見開いて呟く。

 アーティスは咄嗟に動けなかった。その場に茫然と立ち尽くしてしまう。


「ご主人さま、下がって」


 すぐさま行動を起こしたのは犬で、シャレムは機敏な動作でミレとアーティスの間に身体を割り入り、その背にミレを庇った。


「行って」


 はっとする。

 アーティスは我に返り必死に叫んだ。


「行くな!」


 声の鋭さにミレがびくっと震えたのが垣間見えた。

 アーティスはひどく悪いことをした気持ちで怒鳴ったことを詫び、ついで引き止めた。


「行くな……頼むから。少しだけでいい、話をさせてくれ」


 ミレが観念したようにゆっくりと振り返り、気遣わしげな態度のシャレムを脇に退かせた。

 久々に見るミレはきれいだった。

 ゆるくまとめた髪に白いリボンを絡め、今日はクリーム色の袖の短いドレスに踵の低い白い靴を合わせ、銀鎖の細い首飾りをつけている。清楚で上品な上、かわいらしい。

 一見、変わったところは見られない。相変わらず喜怒哀楽の乏しい顔だ。


 ……なにか、気の利いた言葉を言わなければ。


 だがひとことも言えなかった。口より身体の方が正直だった。

 アーティスは手を伸ばし、胸にミレを抱きしめた。

 そしてそのまま昏倒した。



 三時間後、アーティスが失神から目覚めてうっすらと眼を開けたとき、誰かの顔が近くにあった。


「……ミレ……?」


 呟きながらも、「いや違う」と否定する。ミレのわけがない。これはデジャヴだ。つい先日も同じようなことがあり、あのときアーティスの様子を窺っていたのはソーヴェだった。おそらく今度も奴に違いない。


 ……ミレだったらよかったのに。


 半睡半醒の状態でアーティスは落胆した。

 一旦は開きかけた瞼が再び閉じかける。身体が重いと感じた。手足がだるい。心も身体もここしばらくの無理がたたって、ひどく疲れていた。そろそろ精神的にも限界なのだろう、ミレの幻覚まで見える。

 あろうことか、幻覚が口を利いた。


「はい」


 耳に届いたのはあっさりと平坦な少女の声。


 ――幻覚、じゃない!


 アーティスは眼をぱっちり開いた。視界は良好。横たわる彼の顔を真上から覗き込み、片手で髪を軽く押さえているのはミレ、そのひとだった。


「ミレ」


 がばっと飛び起きる。とたんに強烈な眩暈に襲われて吐き気が込み上げた。


「急に動いてはだめです」

「……」


 息を整える。深く細く深呼吸し、具合が落ち着くのを待ってアーティスは身体を捻り、信じられない思いでぼーっとミレを見つめた。

 ミレはアーティスの寝室でベッド脇の椅子に腰かけ、アーティスをじっと見返して言った。


「いいかげん、離してくれませんか」

「え?」


 そこではじめてアーティスは自分の左手がミレの右手をぎゅっと掴んでいることに気がついた。どうりでミレがここにいるわけだ。


「……いやだ」


 離せば逃げるだろう、と危惧しているとは言えない。

 我ながら稚拙な返答だ。これでは駄々をこねる子供と一緒ではないか。


「でも、痛いです」


 ぱ、とアーティスは五指をひらいた。


「すまない!」


 と、あわをくってミレの小さな白い手を軽く揉みほぐす。そうしながらも自己嫌悪に滅入った。いくら必死だったとはいえ、ミレに痛い思いをさせるつもりはなかったのだ。


「悪かった……」

「もう大丈夫です」


 ミレが手を引く。

 アーティスはミレの顔が見られず顔を明後日の方角に背けた。


「他にご用がないようでしたら、私はこれで」

「用ならある」

「なんでしょうか」


 ミレは一旦立ち上がりかけたものの、座りなおした。太腿に手を置きアーティスが口を開くのを待っている。

 アーティスは腹を決め、ミレを凝視した。単刀直入に切り出す。


「なぜ私を避けた」

「避けたわけでは」

「ないというのか? 散々逃げたくせに」


 なじるとミレはやや臆したように肩をそびやかした。


「……殿下に会いたくなかったんです」


 いきなり直球をぶつけられ、アーティスは衝撃のあまり一瞬にして頭が真っ白になった。

 ミレは続けた。


「会うのが怖くて……できるだけ会わないようにしていました」

「あ、会うのが、怖いだと……? なぜだ。どうして。私のなにが怖いのだ」


 ミレのひとことでアーティスはすっかり撃沈していた。

 気分はどん底だ。これ以上になく辛くて悲しい。体裁が悪かろうが男の面子が崩壊しようが泣きたい気分だ。

 そうとも知らず、更にミレはアーティスの胸をぐさぐさと言葉の矢で貫いた。


「全部です」

「全部……」

「たまに、怖くないときもありますけど」

「そ、そうだろう! 私は怖くない。怖くなんてないぞ!」

「怖いです」


 アーティスの脳裡にキャスとの会話が甦る。


 ――ではあの子のことは諦めるがよろしい。どうせ選ばれまい。

 ――怖がられているうちは無駄です。怖いと言う感情は嫌いよりも始末が悪い。


 まるでいまの状況を見越したかのような忠告だ。

 胸が痛い。心臓が火で焼かれているようだ。

 アーティスは俯いて歯を食いしばった。切れ切れに呟く。


「……教えてくれ。君は、私のことが嫌いか……?」


 このうえ嫌いだと言われたらどうしよう。

 本気で生きていけないかもしれない。


 だがアーティスの逼迫した心中など歯牙にもかけず、ミレはあっさりと言った。


「いえ、別に」

「別にとは」


 ミレが言い直す。


「嫌いではありません。ただ怖いだけです」


 アーティスはミレの腕を掴み、ぐっと引き寄せた。胸の上に倒れかかってきた柔らかい身体を受け止め、体勢を逆転させ一瞬で組み敷く。


「どうすれば」


 体重をのせ、覆いかぶさる。ミレの頭の両側に肘をつき、前髪がミレの額にかかるほど顔を近づけてアーティスは声を振り絞って言った。


「いったいどうすれば、君は私を……」


 嫌いより悪い、怖い。

 残念な兄王子、女々しいまま次話へ。


 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。

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