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迷惑な溺愛者  作者: 安芸
第四章 王子殿下の花嫁
65/101

一 会いたくない

 最終章です。


 アーティス視点。

 続きます。

     一


 アーティスはどうもおかしい、と遅ればせながら気がついた。

 最近ミレに会っていないのだ。

 最初は執務に忙殺されているためだろうと踏んでいた。

 ここのところ、急激に裏の仕事が増えた。理由はわかっている。死神の逆鱗に触れたためだ。それも相手はただの死神ではない。暗黒の闇より万事を統べる恐るべき者だ。即刻くびり殺されないだけマシなのだろう。

 つくづく、あの「余談」は余計だったとアーティスは後悔していた。

 ただひとり闇の政府に君臨し、国の表裏に精通する男を怒らせるようなことをなぜ言ったのか、自分でも理解に苦しむ。まだまだ歯の立つ相手ではないのに、うっかり口が過ぎたのは、やはりちっぽけな男の意地ゆえだろうか。

 ミレに認めてほしい。

 キャスに認めてほしい。

 それがためにアーティスは躍起になって働いた。まだ表の顔も疎かにできないので、昼は第一王位継承者としての務めを果たし、夜は裏の闇の閣議に参加する。

 慢性的な睡眠不足に加えて、蓄積されていく極度の疲労。

 だが音を上げるわけにはいかず、アーティスは黙々と仕事に従事していた。

 ふと気づけば、もう何日もミレの顔を見ていない。

 指折り数えても記憶にないくらい前に会ったきりのような気がする。


「いまはいつだ」

「寝ぼけているんですか。太陽はまだ高いですよ」


 アーティスの傍で書類管理をしているソーヴェが呆れたように返してきた。

 だが問いには答えてくれる。逆算して驚いた。最後にミレに会って言葉を交わしてから、もう三週間以上も経っている。


「な……っ、なぜだ。いったいどうして……」


 俄かに混乱したアーティスの手元が危うかったのか、ソーヴェが素早く机上の書類を抜き取る。ぐしゃぐしゃにされては堪らないと判断したのだろう。


「いきなりなんの話です」

「だから、ミ――」


 言いかけて、アーティスはあわてて口を噤む。いまは執務中で、それでなくとも大の男が片想いの相手にしばらく会っていないと愚痴をこぼすのは恥ずかしい。

 だが察しのいいソーヴェはすぐに見当をつけたようで「ははーん」というにやけた眼つきでアーティスを眺めた。わざとらしく、ひとつ咳払いをする。


「そうですねぇ。しばらくご無沙汰していますねぇ」

「……私はなにも言っていないぞ」

「ええ。私も誰とは申しておりません」

「……」


 かなわない。

 ソーヴェはお見通しですよ、と言わんばかりにしれっと答える。

 どうにも癪に障る男だ。

 ひとより勘がいいだけにこれまでにも気持ちを見透かされることが多々あり、その都度アーティスは居心地の悪さを味わうのだ。


「……」


 アーティスは側近を無言で睨みつけながら、寄こせ、と手を差し出す。没収された書類を手元に引き寄せ、正確に綴られた文字に眼を落とした。


「おや、噂をすればミレ殿ですよ」


 ソーヴェのひとことにアーティスはピクリと肩甲骨の下あたりを震わせた。

 いつのまにか窓辺に立つソーヴェが呑気な声で実況中継をする。


「あーあ、またあんなに足を出して寝て……いくら暑いといってもあれはないでしょう。胸元も少しはだけていますし、まわりにひとはいないようですが……」


 ピクピクピク。

 アーティスのこめかみに青筋がひとつ、ふたつ、みっつとたちまち増殖していく。既に書類の内容は頭から消し飛んでいた。


 足だと!?

 胸元がはだけているだと!?

 まわりにひとがいないだと!?


 胸が懸念でざわつく。いつだったか、ミレは道端でドレスの裾がおおいに捲れた状態でぐうぐうと熟睡していたことがある。

 もしもあのときと同じような状況だったら、非常にまずい。

 あんなにきれいな足を眼の前にさらけだされて誘惑にのらない男などいるわけがない。周囲にひとの眼がないのなら襲うにはうってつけだ。

 脳内で勝手に悪夢のような想像が進む中、冷静になれと自重を促す声が聞こえる。ミレがひとりのわけがあるまい。必ず傍に犬か、他の連中がいるはずだ。

 だが次のソーヴェのセリフでアーティスの理性はぶつ切れた。


「あ、誰か来ましたね」


 仕事はそっちのけで扉へと突進する。

 アーティスは血相を変え猛烈な勢いで部屋を飛び出し、廊下を疾走し階段を一気に駆け降りる。確か以前もこれと同じことがあった。あのときミレに手を出そうとしていたのは芸術家で、そのときもアーティスは気が気でなかったのだ。


 いまも同じだ。

 いや、もっと悪い。

 誰が相手でもミレに触れようものならば殺してやる――!


 殺意と激情に駆られながら中庭を突っ切ったアーティスの行く手を遮ったのは、犬だった。

 灰色の髪に灰色の瞳。盛夏だというのに黒ずくめの衣装を纏い、見るからに暑苦しいのだが、暑さをまるで感じさせず、涼しい顔をしていた。

 息せき切って現れたアーティスを見ても眉一筋動かさず、黒手袋を嵌めた両手をだらりと身体の脇に垂らしたまま、傲然と前を向いている。

 そこだけ、空気が違う。

 冷たく研ぎ澄まされた殺気を身の内に秘めた、灰色の国家の(ダベル・ダラス)。闇の暗殺執行者(アンダー・ジェレスター)

 だが激昂しているアーティスは恐ろしさを感じなかった。無造作に踏み出て言い放つ。


「そこを退け」

「いやです」

「私の命令だ。退け!」


 押し問答する間も惜しい。

 アーティスは強引にシャレムを押し退けようとした。

 だが、気がついたときには地面に仰向けに転がされていた。

 なにが起きたのかわからない。

 面食らっていると、シャレムにクスッと笑われた。余裕のある、酷薄な微笑だ。流血沙汰をものともしない狂気を宿した眼が屈託ない調子で細められる。


「……」


 太陽を背にしたシャレムに真上から見下ろされ、アーティスは屈辱に顔を歪めた。押し殺した唸り声が唇から洩れる。


「貴様……」


 怒りで血が煮え滾った。だが一秒後、もっとひどい衝撃に見舞われた。


「ご主人さまが、あなたには会いたくないって」

「は?」


 怒気が霧散する。

 茫然としたアーティスに無邪気な声でシャレムが追い打ちをかける。


「嫌われたね」


 心臓がドクン、ととひときわ強く脈打った。


 あけましておめでとうございます。

 今年もよろしくお願いいたします。


 最終章開始。

 どうぞ最後までおつきあいいただければうれしいです。

 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。


 

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