十六 動きます
芸術家のちょっといいとこ見てみたい?
「さあ召し上がれ!」
ミレの眼の前にどっさりと焼き立てパンが積まれる。
昼用厨房のダイニングの中央席にミレがつくと左右に聖職者とシャレム、正面に芸術家、その左と右に闇騎士と大商人が座った。
「まだまだ、たくさんありますからね。心おきなく存分に召し上がってください」
清潔な白い布を敷いた大きな籠が各自の前に用意され、これでもかというほど盛られている。籠の横にはフィンガーボウルとみまごうくらいのジャンボなグラスが置かれ、ビスカが飲み物を注いでまわった。シュワシュワと泡立つ。香りからするとベリー系のパンチのようだ。ガラス製のうずまきストローがささっている。
「野菜パン、果物パン、お菓子パン、肉パン、魚パン、アタリパン、ハズレパン、おまけパン、猫パン、犬パン、あんなのやそんなのやこんなのも混じっています」
どんなのだ、それは。
「よりどりみどりです、お好きなものからどうぞ」
トングを片手にビスカはいい笑顔を振りまいた。
全員、とりあえずナプキンを膝に敷く。
「見分けがまったくつかないね」と、ひとつを手に取りしげしげ眺めて芸術家。
「ちょっと待て。なにか変なパンが混じってねぇか」と、引け腰の闇騎士。
「まあいいじゃん。うまそうだ! いっただきま――うっ。ぐはあっ。激マズー! なんじゃこりゃあー。魚クセェー」と、込み上げるなにかを必死に堪える大商人。
「魚キライ」と、身も蓋もないシャレム。
「……」と、聖職者。
彼らの背後にビスカが仁王立ちとなる。
「あんたたちもしっかり食べなさいよ」
気前のいいセリフと共にビスカが取り出したのは、なぜか鉄扇。ぶたれたら痛そうだ。それを手の中で弄びつつ、「うふ」と笑う。
「残したらぶっ飛ばす。あ、もちろん姫さまは違いますよ。お好きなものを好きなだけ召し上がってくださいね」
と言われても見ためはどれも同じだ。
ふっくらやわらかそうで、こんがりと焼けている。香ばしい匂い。
ミレはひとつ摘むと、「あーん」とシャレムの口に運んだ。
「あーん」
シャレムが嬉しそうに口を開ける。ぱっくり食べる。もぐもぐする。かわいい。
ミレはシャレムの無邪気な様子にくすっと笑いながら訊いた。
「おいしい?」
「猫の味」
「怖ぇよ!」
柄に似合わず闇騎士が叫ぶ。
その隣で芸術家がじっくりと味わいながら、しみじみと言う。
「これは犬の味」
「うわああああ」
「うるっさい!」
ビスカの鉄扇が振り落とされる。いい音がして闇騎士が椅子ごとひっくり返る。
「猫まんまに犬まんま味よ。本当に猫や犬を食材にするわけがないでしょうが、このダメ騎士」
「……どこでそんなものを?」
聖職者が鉄扇を一瞥し、訝って問う。
「ほほほ。とある筋の大商人から手に入れましたの。軽く制裁を下すにはいいオモチャでしょう?」
ビスカの答えに全員が一斉にそちらを見た。
大商人がギクリとして椅子の中で縮こまる。
「貴様か」
聖職者の冷視を受けて大商人が口にパンを詰め込みつつ、焦っていいわけした。
「いや、ほら、俺、基本、仕事の依頼は断わらねぇ主義だから」
次の瞬間、ミレを除く全員の足が大商人を蹴り飛ばした。「うおぅっ、へぶしっ」と変な悲鳴を上げて、大商人がむこうずねを押さえ悶絶する。
ミレはあえて無視して十個目のパンを頬張った。
一口サイズなのでこれならいくらでもいける。確かに魚パンは生臭さが残っていて微妙だったが、ニンジン味やタマネギ味の野菜パンは普通においしい。これなら「野菜イマイチ」なシャレムも文句なく食べるだろう。
特に気に入ったのは、お菓子パンだ。チョコレートやハチミツがふんだんに使われていて、とても甘い。触感もサクサクしたものやしっとりしたもの、滑らかなクリ―ムなど、色々趣向を凝らしている。
ミレはビスカに笑いかけた。
「すごくおいしい。ありがとう、ビスカ」
「いやぁん、姫さまに褒められちゃったー。ビスカ感激!」
キャッキャッとはしゃいだあと、ビスカは表情を優しく変えた。
「……少しは元気が出ました?」
傍に来て、指の腹でミレの口の端を拭う。
ビスカの眼は気遣うような光を浮かべて静かにミレを覗き込んでいる。
「……姫さまに暗いお顔は似合いません。ビスカは姫さまのためならなぁんでもします。遠慮せず、なんなりとお申し付けくださぁい」
ふざけた語尾とは裏腹に、眼が怖い。
内緒話でもするように、耳元に囁きかけられる。
「ビスカはやっちゃいます。姫さまを悩ませるクソ野郎など生きている価値なんてありませんもの。で、どっちです? 小さい方ですか、大きい方ですか?」
誰になにをやる気だ。
ミレが固まっていると、ビスカはふと気づいたようにポン、と鉄扇で手を打ち自分で解決した。清々しく笑う。
「めんどくさいからどっちもやっちゃいましょうか」
「手伝う?」と、シャレム。
「いーわよ、ひとりで十分。箱入りのひ弱な子供とヘタレビビリの若造ぐらい始末するのなんてラクチンよ」
ユアンとアーティスのことだ。
若干ひっかかる形容もあるにはあるが、まず間違いないだろう。
ミレはビスカの手首をむずと掴んだ。
「だめ」
ミレの制止にすぐに抗議の声が上がる。
「えーっ」と、ビスカ。
「えー」と、シャレム。
ビスカとシャレムは口を揃えて不満を唱えた。
「なんでですかぁ。姫さまを悩ませるなんて死に値すると思いますぅ」
「なんでなんで? 僕、ご主人さまに近づく奴は許せない。噛みたい」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる二人の愚痴をミレは辛抱強く聞いたあとで言った。
「どちらもどうでもよくはないひとたちだから」
出会ったばかりの頃ならばいざ知らず。
ひととなりを少なからず知ってしまったいまとなっては、無下にはできない存在だ。ましてや自分のために死なせるわけにはいかない。
ビスカはシャレムと顔を見合わせ、嘆息し、渋々と断念して言った。
「姫さまがそうおっしゃるならやめておきますけどぉ……気が変わったらいつでも引き受けますから。たとえキャス様に叱られても私は姫さまの味方です!」
なぜここで父の名が出るのか。
と、疑問を口に出す前に悶絶から復活した大商人が相槌を打つ。
「おーよ。俺も姫さんの味方だぜー。自分の手を汚すのが嫌なら俺にひと声かけてくれりゃあ誰にもわからねぇように毒殺してやるからな。頼りにしてくれよ!」
遠慮しておく。
ミレが無言で聞かなかったふりをしてストローに口をつけ、パンチをごくごく飲んでいると、芸術家の意味ありげな視線に気がついた。
食べるのをやめ、行儀悪くテーブルに頬杖をついてじっとミレを見ている。
不承不承、問い質す。
「……なんですか」
「お嬢さん」
「はい」
「僕のお嫁さんになるかい」
「ぶーっ」
闇騎士と大商人が吹いた。
冗談は迷子癖だけにしろ。
とは言わず、ミレは、
「嫌です」
「どうして」
「本気じゃないからです」
「本気だといいのかな?」
うさんくさそうにミレが見返すと、驚いたことに、芸術家の眼が真面目だった。
「……あなたは僕に本気になられたら困るのだと思って、これでも遠慮していたんだけど」
遠慮。
芸術家の口から出た言葉とは思えない慎ましさだ。
よほど額に手をあて熱でも測ってやろうかとしたミレだったが、芸術家は更に寝ぼけた発言を続けた。
「気が変ったよ。他の人間に心惹かれるあなたを見るのは、結構苦痛だ。てっきり犬君以外は弟王子君も兄王子君も眼中にないと思っていたのに――庇い立てするとはなかなかどうして、真剣じゃないか。正直、頭にくるよ」
なにがだ。
ミレは心の裡でツッコミを入れたが、口は閉じていた。
芸術家の顔が情報屋の顔となり、得体の知れない眼が爛々と光って気味が悪い。
「……気長に待つつもりでいたし、どうしても犬君を諦められないならそのときは僕が諦めてあなたと犬君を一緒に引き受けるつもりでいたんだよ。でも、あなたの心が奪われるなんて、まさかの事態だ。手遅れにならないうちにさっそく主に申し込もう」
「なにを」
うっかり聞いてしまった。
芸術家は手をひらひら振って、平然と答える。
「いやだなあ。あなたをお嫁さんにしたいという僕の気持ちさ」
場に亀裂が入る。
これ以上になく凍結した空気の中で、芸術家の舌はよくまわった。
「ほら、一応僕はお嬢さんの筆頭婿候補だからね。主がすんなりと認めてくれれば、今日明日にだってあなたは僕の妻になる。かわいがってあげよう」
ミレをはじめに、芸術家を除いた全員がすっくと起立した。
「最愛の犬君でもなく、心を寄せる誰でもなく、僕のものにならなければならないあなたはかわいそうだ。朝から晩まで僕が優しく慰めてあげなくては。もちろん、身体で」
「死ね」
いきなりビスカの後ろ回し蹴りが炸裂した。
芸術家がテーブルに頭から突っ込み、パンが宙を舞い、グラスが床に落ちて砕けた。
それから殴る蹴るの暴行三昧。厨房はひどいありさまになった。
散々傷めつけられ床に大の字に伸びた芸術家が胸で息をしながら、ミレを仰ぐ。うっすらと微笑する。
「……僕は本気さ」
「まだ言うか」
ビスカの殺気のこもった足が芸術家を踏みつけようとして持ち上がったが、ミレが止めた。
「……こんなふうにしか言えないけど、それでも僕は本気だ」
ミレは戸惑った。ふざけているのではなかったのか。
芸術家の微笑が弱弱しいものになる。細められた眼の中に焦燥と後悔が澱のようにくすぶっていて、それが意外な鋭さでミレの胸を刺した。
長い付き合いの中ではじめて見る、芸術家の弱った姿。
芸術家は陰気な声で溜め息とともに呟いた。
「もう手遅れかもしれないけどね……」
ビスカ最強。
口が悪くて手も早い彼女の裏の顔が次話判明予定。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。
追記。拙作 千夜千夜叙事 まだ未読の方でお時間のある方、おつきあいいただければうれしいです。




