十三 抗います
アーティスVSミレ父。
勝敗はいかに?
四
カッセラー国には第二の政府が存在する。
と、まことしやかに囁かれる噂がある。
それがただのゴシップではないことを、アーティスは既に知っていた。
正しくは、闇の政府。
表沙汰にできないこと、正義では片付かないこと、道理にもとることを処理する実働部隊を掌握し、裏から国の暗部を支えている。
暗躍するのは、裏世界に通じたその道の実力者たち。
その頂点に立つ男――キャス・ルーエシュトレット・ガーデナー。
アーティスは連日連夜に渡る深夜会議終了後、珍しく地下の審議場に姿を見せたキャスに声をかけて引き止めた。
キャスの傍には亡霊の如く死んだ眼をした男と異様に長い腕の痩せた男が左右につき従っていた。どちらも名の知れた墓掘り人だ。殺して、埋める。その手際の良さは芸術的ですらあると言う。
彼らはアーティスの前に無言で立ち塞がった。
感情のない眼でじっと凝視されると肝が冷える思いをする。見るからに不気味だが、真に恐れるべきは彼らを従える眼の前の男なのだろう。
「下がりなさい」
キャスの一言で、すっと身を引く。そのまま物陰に隠れて気配は失せた。
アーティスは会釈し、キャスに言った。
「少々お話が」
「窺いましょう」
密談に使用する小部屋のひとつに入る。
適度な広さがあり、薄暗い。実用的なテーブルと椅子、壁にかかっているのはなぜか首切り斧。剥き出しの石壁が牢獄のたたずまいに似て気分がいいと、以前どこかの始末屋が惚れ惚れしながら言っていた(アーティスは同意する気持ちにはまったくなれなかった)。
「お話とは」
アーティスは単刀直入に問い質した。
「私自身のことです。裏審議に参加し、発言も採決も権限を与えられたのに、なぜいまだ永久就任を許可いただけないのか、理由をお聞かせ願いたい」
「時期尚早ではないかと」
抑揚のない声でキャスははぐらかした。
「しかし私は既に色々と知りすぎてしまっている。いまさら、知らぬ存ぜぬでは通るまい」
数え切れないほど、口にはできない裏事情に関与した。どれかひとつでも世間に明るみに出れば糾弾されること間違いない。放逐も認められないだろう。危険分子とみなされ、口封じの対象になる可能性さえある。
第一王子という立場上、殺害は免れるかもしれない。だが、他に黙らせる方法などいくらでもある。
「それとも、私の造反を疑っておられるのか」
「まさか」
と、軽く受け流される。
「まあ、もうしばらくお待ちいただければ風向きも変わるでしょう」
キャスの神経質そうな指が、トン、とテーブルを小突いた。
これでこの会話は終了、という合図だ。
早々に立ち去るかと思いきや、「ところで」とキャスが続ける。
「ミレはお役に立っておりますかな」
口調はそのままに、顔つきだけが微妙に変化した。
キャスもやはりひとの親で、愛娘のこととなれば心を砕かずにはいられないのだろう。
「ユアンが夢中になり困っています」
「ほう。夢中になっているのは弟殿下のみですか」
アーティスは膝に置いた手を握り拳にした。
――挑発にのってはならない。
自制心を最大限に働かせ、感情を抑えて「いいえ」と答える。
「かくいう、この私も」
「なるほど」
笑われた。
カッと頭に血が昇る。
だがキャスに悪意はなかったようで、椅子の背によりかかり、悠然と足を組み、肘掛けに肘をつき指でこめかみのあたりを押さえた。
「あの子は普通の貴族令嬢ではありません。ダンスのひとつも踊れませんし、馬にも乗れない。詩歌や楽器の才能もない。縫製も料理もたしなんでいない。およそ女性らしい趣味やおしゃれにも興味がない。社交界の花になるどころか石になるような愛想のない娘です」
そんなことは言われなくとも知っている。
アーティスはキャスのミレをこきおろす悪口雑言の数々を不愉快に思った。
腹立たしさを覚えたため、ついつっけんどんな口調になってしまう。
「それでも私は欲しい」
間があった。
キャスの眼が光り、口元がほころぶ。笑みが深くなる。
「そうでしょうな」
満足そうな表情だ。
「ある種の男を狂わせる魅力を、あの子は備えている」
警戒しつつ、アーティスは探らずにいられなかった。
「……ある種とは?」
「自尊心のある男」
グサリ、と胸を言葉の矢で射貫かれる。
心当たりがあるだろう、という眼でアーティスを眺め、キャスは愉快そうに口の端を持ち上げて顎を撫でた。
「自分の興味のあるもの以外に心を動かさない。ひとにも物にも執着がない。ただ、ひとたび眼を向けて欲したものには決して飽きることがない。優劣の境界がどこにあるのか不明だがミレの気を惹くのは容易ではない」
キャスは指折り数えた。
「私の知る限りでは、私、犬、師、算数術、読書。まあ食い気もたぶんにあるが、こんなところだ。ああ、最近では殿下の飼い鳥――ドナというオウムを気に入ったようでもありますな」
私はドナ以下か!
と、怒鳴り散らしたい衝動を堪えてアーティスは不機嫌面で押し黙った。
キャスは淡々と先を続けた。
「無視されることに慣れていない人間が一番ひっかかりやすい。つれなくされると却って意地になる傾向がある。振り向かせようと躍起になる」
的を射ている。
身に覚えがありまくる。
「察しがいい者は近づかずに逃げる。深入りしようという者は手遅れです」
アーティスは嘆息し、降参の意を示すために両手を差し上げて言った。
「ミレ殿の心を手に入れるためにはどうすれば?」
「いつの世も選ぶのは女です。男は身を砕いて尽くし平伏すしかない。殿下が本当にあの子をものにしたいと思うならば、まず私と同居する覚悟を決めなければなりませんな」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……は?」
突然なにを言われたのか理解できず、アーティスはぱちくりした。
キャスは品位を保ったまま、ニヤニヤ笑いを浮かべている。
「私はイヤ―な、しつこい、ねちこい舅になることが楽しみでね。あの子が誰と結婚してどこに住まおうともれなく私がついてくる。あの子の夫になる男は私にいびられることうけあいだ」
アーティスは思わず椅子から飛び退いた。
血の気が引く。想像しただけで未来は真っ暗だ。
「それはものすごく遠慮したい」
「ではあの子のことは諦めるがよろしい。どうせ選ばれまい」
アーティスはむっとして反論した。
「そうとは限らない」
キャスは確信のある顔で腹の上で指を組んだ。
「怖がられているうちは無駄です。怖いという感情は嫌いよりも始末が悪い。嫌いは好きに転じることもあるが、一度憶えた怖さはなかなか払拭されない」
「……私は諦めない。時間をかけてでも私を見てもらう」
「努力は結構ですが、あいにく私は気の長い方ではなくて。娘が選べば、私に異存はない。だが選ばないというのであれば、私の眼にかなう男がいれば、あるいは私が選んだ夫候補の中で条件が整えばすぐにでも娘は嫁にやります」
「なぜそうまで急ぐ」
「人生なにが起こるかわかりませんでしょう。それに、善は急げと言います。私は一日も早く孫の顔が見たいので」
苛々した。テーブルに手をついて立ち上がる。
「いずれにせよ、ミレ殿を妻に迎えるのはこの私だ」
ユアンにも、他の誰にも渡すつもりはない。
アーティスはキャスに対峙してきっぱりと言いきった。礼をして、踵を返す。
静かなキャスの声が追ってくる。
「一途なことは結構ですが――思い詰めた挙句、力ずくでどうこうしようとは考えないことです。あの子の犬は凶暴な性質だということを、お忘れなく」
警告か、はたまた、忠告か。
扉に手をかけ、肩越しに振り返る。
「手綱はミレ殿が握っているのでは?」
「主人はあの子でも飼い主は私です」
「なるほど」
威嚇に屈するわけにはいかない。
アーティスはさりげない口調で「そういえば」と呟いた。
「話は十七年前に遡りますが、凄腕の国家の犬がいたそうですよ。ただの一度も任務をしくじることなく、次から次へと仕事をこなし、彼が引退してからもその功績はいまだに歴代一位を保持していると」
「ほう」
ゆっくりとキャスが椅子から腰を上げた。
「……どこからそんな話を?」
「噂で」
「ふむ」
急に空気が重くなった。
鳥肌が立つ。
キャスに変わったところは見られない。
だが明らかになにかが変わっている。
「その噂は、どうも危険な類のものではないですかな。私であれば下手な勘繰りはしませんね。身を滅ぼすことになりかねない」
「単なる余談です。私も、これ以上深入りするつもりはありません」
秘密を知っている、とささやかに抵抗したつもりが、どうも死神の逆鱗に触れたようだ。
キャスに無表情のまま、じっと凝視される。
背筋を脂汗が濡らす。
だが尻尾を巻いて逃げることをせず、アーティスは恐怖に耐えてキャスから眼を逸らさなかった。
ややあって、キャスは殺気を消し、首肯した。
「それが賢明でしょうな」
生きた心地がしなかった。
――この恐ろしい男を舅に?
アーティスは心底いやだ、とそう思った。
意地の悪い者同士の冷たい戦争。
次話は犬と侍女と一緒です。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。




