五 誘惑されました
前話の続き。
悪い男にはご用心。
「……いけないね」
手首を両方とも押さえられ、鼻先が触れるほど、アーティスが顔を近づけてくる。
アーティスは先程とは別の意味で怖い微笑を浮かべていて、怒気を孕んだ声で続けた。
「……無防備すぎる。警戒心はないのかな? 君がいくら人間に興味がないとはいえ、相手もそうだとは限るまい」
「重いです」
文句を言っても、アーティスは退ける気配がない。
「ましてや、君は若くてかわいい、か弱い女性だ。男の前で眼を瞑って寝転がるなんて、どうぞ襲ってくれと言っているようなものじゃないか」
「襲うのですか」
「襲われたい?」
「いえ、別に」
「淡白だな」
ちょっとがっかりしたようにアーティスが顔を歪める。
「だいたい君は私を見てなんとも思わないのかね? 普通の女の子は、どきどきしたり、きゃあきゃあ言ったり、ときめきすぎて失神したり、色仕掛けをしてきたり、なんとか私に気にいられようと必死になるのだよ」
「なぜですか」
「なぜって……」
素でミレが訊ねると、アーティスはそんなことを追求されるとは思わなかったのか、不意に口ごもり、まじまじとミレを見た。
そして「ぷ」、と噴き出した。大口開けて笑う。
「あっはっはっはっ! 君はなかなか面白い子だね」
「殿下には『変な女』と呼ばれました」
「それもあながち、間違いではない。それに……なんというか、こう、苛めたくなるね」
ミレが嫌そうに口を曲げると、アーティスはますます機嫌をよくした。
「……君なら、まあ、よしとしよう。少し様子を見させてもらおうか」
「なにをですか」
「『話し相手』とかこつけて、色々悪さを目論むろくでなしはどこにでもいる。特に女性は、男にはない武器を持っているし、ね」
ミレは真顔で考えた。
男性にはない女性の武器?
まったく思い当たらず「私は持っていません」と答えたところ、アーティスは天を仰いで笑った。
「いやいや、君だって、まずまずのものを持っているとも。まあ、数年先がもっと愉しみではあるけれど」
「そうですか」
「どうでもよさそうだね。まあいい、武器云々はともかく、君は面白いから、ユアンも懐きそうだ。いや、懐きすぎるかもしれないな」
いつまでもごたくを並べるアーティスの重みに耐えかねて、ミレは訴えた。
「いいかげん、退いてください。本当に重いです。潰れそうです」
「ああ、そうだった。つい、君の上にいるのが心地よくて。悪かったね」
悪かった、と言いながら、アーティスはミレの足の間に膝を立て、頭の横に肘をついて、より密着し、覆いかぶさってきた。
顎を摘まれ、唇を奪われる。
一度では満足できなかったのか、二度、三度と繰り返された。
アーティスが熱い吐息を漏らして、コツン、とミレと額を合わせて呟いた。
「……なんてやわらかい唇だ。舌がとろけるようじゃないか。ン……これは……キスだけでは全然、物足りないな。ねぇ、どうだろう? 君さえよければ、今夜、私の部屋に来ないか……?」
甘い声、艶っぽい眼で誘惑される。
だがミレはその気になるどころか、ゾワッと背筋に悪寒が奔った。
「行きません」
「来なさい」
「行きません」
「私が来なさいと言っているのだ。来なさい」
「行きません」
不毛な応酬。
嫌気がさした口調でミレが再三断ると、アーティスは甘い顔から一転、冷たい顔へと変貌した。
「へぇ……私の誘いを断ると? どうしても? 君は勇気があるなあ」
「怖いひとは苦手です」
ミレが率直に告げると、アーティスはきょとんとし、ついで甲高い声を弾けさせた。
「私が怖いだって? どうして。こんなに優しくしているのに」
「あなたは怖いひとです。ですから、もう私にかまわないでください」
怖いものには、近づかないに越したことはない。
だがミレの嘆願とは裏腹に、アーティスはにっこりと、悪い微笑を浮かべた。
「私は天の邪鬼だから」
チュ、と不意に、首筋にキスされる。
鈍い痛み。なにをされたのか、自分では見えないのでわからない。
より狂暴な、ねっとりとした深い声で、アーティスがミレに囁いた。
「……かまうなと言われると、かまいたくなる」
こんばんは、安芸です。
明日も更新予定。
気が向いたら覗いてください。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。