九 ガーデン・デート・4
ちょっと、シリアス。
ユアンが頑張っています。
これを聞いて、兄から言われたことを思い出す。
――実際はキャス殿に正式に申し込みをして返事待ち、というところだがね。
――グズグズしていれば先を越される。事実、ミレには既に求婚者が四人もいるじゃないか。これ以上遅れをとっては大事になりかねない。
確かにそう言っていた。そしてあのときはまだなにも承諾を得ていないということだった。
いまはどうなのだろう……。
気になった。だがそれよりまずはっきり知りたいことがある。
「ミレ殿は、シャレムを犬だと言っている。愛してる、なんて……そんなふうには見えなかった」
ユアンは苦悶の表情を浮かべて仲のよいミレとシャレムを見つめた。
大商人が酒のつまみに魚の干物をさいたものをしゃぶりながら言う。
「そりゃ、傍目には主人と犬、それ以上でも以下でもねぇよ。なにせ一線を越えたら最後、捨てられる運命だ」
「誰に」
「主に」
「ミレ殿が? まさか!」
「ちがう、ちがう。姫さんは確かに犬の主人だけど飼い主じゃあない。奴は主の持ち物なんだ」
「主とはキャス殿のことか」
他に誰がいる? という眼を向けられた。
キャス・ル―エシュトレット・ガーデナー。
由緒正しい家柄、控えめながら人品人柄よく、国政を支える重鎮のひとり。
実際何度か会った折りには、丁寧で物静かな印象ながら、どこか圧倒されたものだ。
「ちなみに、俺たちもそうだぜ?」
立てた親指を自分に向け、ニヤリと大商人が笑う。
寝転がっていた芸術家が手近にあった砂糖壺をぶん投げた。
「ぎゃっ」
頭から砂糖をかぶり、大商人が憤って喚いた。
「てめぇ、なにすんだっ」
「ぺらぺらと勝手に余計な情報を垂れ流すんじゃない、僕のメシの種だぞ」
「てめぇだって散々しゃべくってるだろう」
「僕はいいんだ。君はだめだ」
ひとのことは棚に上げて、しゃあしゃあと芸術家が述べる。
「あんまりおしゃべりだと、いくら友達とはいえ……脅すよ?」
芸術家の最後の一言に、大商人が砂糖を払い落しながら「ちっ」と嫌そうに顔をしかめた。
ユアンは信じられなかった。シャレムは従順で、キャスにもミレにも尽くしている。なによりミレを慕っているのがよくわかる。そんな二人を引き裂き、捨てるなど、ミレの父であるキャスがそのような非道をするとは思えない。
そう言うと、大商人と芸術家は揃って冷笑した。
「人間を見る眼がなっちゃいねぇな」
「主を清廉潔白な人間だ、などと思わない方が身のためだよ。まあ、いまどき極めて珍しいその純粋さに免じて、もうひとつ、ただで教えてあげよう」
「ずいぶん気前がいいじゃねぇか」
「僕は弟王子君を気に入ったんだ」
大商人の皮肉な揶揄をさらりと流すと、芸術家はむくりと起き上がり、ユアンにひそひそと耳打ちした。
ユアンは全身硬直した。とても信じられない話だ。
「……まさか」
「本当さ。なんなら、兄王子君に確かめてみるといいよ」
あっさり言った芸術家を空恐ろしく感じた。
全身に震えが奔る。ユアンはこのときはじめて、ミレの取り巻きの男たちが普通の男ではないことを痛感した。
ただの求婚者ではない。いずれもキャスが認めるほどの実力者なのだ。
そして兄アーティスは、彼らに遅れをとるまいと決死の攻勢に出ている。
「……それなのに、私は」
ユアンは胸を押さえて俯いた。
傍にいられればいいと、思っていた。
無理を言って、嫌われたくなかった。
だがこのままなにもせず手をこまねいていては、進展を望めないばかりか、遠からず、ミレは他の誰かの妻となってしまう――!
ユアンは懸命に思考を巡らせた。
好きなだけでは、だめなのだ。
ただ好きなだけでは、届かない。
好きならば、欲しいならば、ぶつからねば――。
「殿下」
真上からミレの声が響いて、ユアンはギクリとして振り仰いだ。
そこにあったのは、身を屈めてこちらを見下ろす心配そうな瞳。
「苦しそうなお顔ですが、具合でも悪いのですか」
ミレは濡れそぼっていた。前髪の先端から水滴がしたたり落ちる。
射す光に水の粒がきらめき、彩られたミレはとてもきれいでユアンはみとれた。
「あ……いや、そんな、ことは、ない……」
「そうですか」
言って、ミレはドレスをぎゅーっと絞った。いったいどんな遊び方をすればこんなにもびしょ濡れになるのか。薄い生地から肌が透けて、とても眼のやり場に困るありさまだ。
ミレはシャレムからタオルを渡されたものの、「お座り」と命じて、まずシャレムの頭を拭いている。手つきに遠慮はなく、やや乱暴だ。それでもシャレムを見つめるミレの眼は優しく、口元にはやわらかな微笑がたたえられ、シャレムも満足そうにうっとりとされるがままになっている。
ユアンは衝動的にミレの肘を掴んだ。
なんだろう? という眼でミレが肩越しに振り返り、視線が合う。
「どうしました」
「あなたと結婚するには、どうすればいい?」
ユアンの発言がよほど衝撃的だったのか、ヴィトリーが地面から飛び上がった。
「げげっ! ちょ、ま、待って、殿下、はやまらず、しばしお待ちくださ……」
「うるさい。黙れ」
「いーえ、お待ちください、殿下!」
「黙れと言っているだろう。聞こえないのか」
ユアンの有無を言わせぬ声にヴィトリーが竦み上がって口を閉じる。
芸術家と大商人は面食らった表情で顔を見合わせ、ことのなりゆきを面白そうに見守っている。
「……僕の眼の前でご主人さまを口説こうなんて、いい度胸してるなぁ」
シャレムが鋭利な眼光を放ちながら、わずかに身動ぎして臨戦態勢にはいり、あくまでも行儀よく「噛んでもいい?」とミレに伺いをたてた。
「待て」
「えー」
「えー、じゃないの」
たしなめられ、シャレムは渋々と攻撃の手を引っ込める。
ミレはユアンの顔を一瞥していまの言葉がたわむれではなく、真剣なことを察したのか、膝を折り、ユアンと視線の高さを合わせて言った。
「結婚は、お父さまの決めた相手と、そのときになったらします」
「そのときとは?」
「命じられれば、すぐにでも」
ユアンはカッとした。怒りに眼が眩む。あまりに淡白なミレの反応と、主張のなさが腹立たしかった。
「あなたはそれでいいのか! お父上の決めた相手と命じられるまま従い結婚するなんて――あなたの意思はどこにあるのだ!」
「仕方ありません」
「なにがどう仕方ないのだ!」
「好きな相手と結婚はできないのですから、仕方ありません」
ミレの返答はユアンの心臓を直撃し、バクバクと激しく唸らせた。
「好きな――相手、が、いるのか。誰だ」
即座に、ユアンの眼はシャレムを睨んだ。
はたしてミレが認めるのか、認めないのか、脊髄に緊張が奔った。
ユアンの複雑な心情を皆目無視して、ミレは簡単に白状した。
「お父さまとシャレムとダリアン博士です」
「……」
いっぺんに、脱力した。ユアンはその場に蹲った。せめてシャレムだけを名指ししてくれれば、嫉妬に狂うこともできたのに、これでは妬くに妬けない。恨めしそうに、ミレをじっと見やる。
「……お父上と犬と師では、はじめから結婚相手にはならないだろう」
ミレは細い肩を竦めてみせた。
「好きな相手と結婚できないのであれば、あとは誰であろうと同じです。お父さまが選ぶのです、間違いはないでしょう」
ユアンは悔しかった。苦しくて、胸が張り裂けそうだ。
「私は」
言葉が出てこない。
うまくこの感情を言い表せない。
もっと大人だったら、とユアンは思った。経験値の乏しい、幼い自分が心底歯がゆい。もっと大人の男であれば、心も身体も豊かで、自分の言動に一切の責任を負える立場であったなら、好きな女性にこんなことを言わせたままにはしておかないのに。
これが兄上だったら……。
と考えたところで、断念した。年齢の差は誰にもどうにもできないことだ。
ユアンは力不足を嘆きつつ、それでも伝えたいことは伝えようと意を決し、熱っぽくミレを見つめて、告げた。
「私は、結婚は好きな相手とするべきだと思う。それが無理なら、せめて好きになる努力をして欲しいのだ。ミレ殿のようにはじめから愛することを諦めている態度は相手に対して失礼だし、幸せにもなれないのではないか。わ、私は、ミレ殿には誰よりも幸せになってもらいたいのだ……」
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安芸でした。




